小説 | ナノ

ピアノと喜びちゃん 6


コンスタンティン
喜代(きよ)


自傷について触れています注意。





 日本に引っ越すことを決めてすぐに買った今の住まい。一部屋は楽譜やパンフレットなどを保管する場所として使っている。その部屋を久しぶりに整理した。

 Tシャツにデニムのコンスタンティン、木の棚にただ積んでおくばかりだった楽譜を周りに置いた箱に次から次へと仕分けていく。出す場所に出せば大金になる、コンスタンティン手書きの筆跡も荒々しい作曲楽譜も無造作に棚に突っ込まれたままくったりしている。それらを出してあるべき場所に保管するのが目的だ。
 仕分けられた楽譜を取り出してファイルに入れて、破れていたら補整するのは床に座った喜代の仕事。目が覚めるような緑のキャラクタTシャツに黒いジャージの長ズボン。「何で補整すればいいの」と尋ねると、差し出されたのは普通の透明テープ。さすがの喜代もいいのかなあと思いながら端っこをつまんでジーッとテープを引き出し適当に切り、ぺたりぺたりと貼り付ける。

 普段は長袖のTシャツを着こんで誰にも見せない喜代の腕には、手首と言わず表裏と言わず変色して濃い色となり、縦横無尽にぎっちり線がついている。ほかの場所とは全く異なる肌の色と見た目。コンスタンティンと出会ったときは、それらすべてがまだ生傷だった。


「あ、」
「う?」
「楽譜の間にアッタ」


 にこにこ笑ったコンスタンティン、箱をまたいで喜代の隣に腰を下ろし、手に持った写真をひらりと見せる。いささか古い質感のはがき大のカラー写真、そこに写っているのは明るい茶色の髪を長めにのばした八歳当時の喜代の姿。怖がっているのかこわばった顔で、穏やかに笑う早川の後ろに隠れて顔も体も半分程度しか見えない。


「早川さんだ」
「あの人カワラナイね」


 その中の喜代は、半そでから延びる腕に隙間なく白い包帯を巻いている。短い半ズボンから延びる足も同じようにされていた。藍色の目は睨むようにカメラを見ている。


「こすちゃと、あったとき?」
「多分ソウ。初めて」


 喜代の中で、コンスタンティンと初めて会った頃の記憶はとてもぼんやりしている。感情をうまく表現できないもどかしさ、言葉が出てこない悔しさ、ほかの人が自由に気持ちをやり取りしているような気がして妬ましかったあの時期。常に心がどろどろしていて、底なし沼に足をとられたようになっていたように思う。
 今も自由に表現できるようになったわけではないが、絵を描いたり音楽を作ったり、言葉以外にも自分を出せる方法があるとわかってからずいぶん楽になった。なにより、誰も理解してくれないと思った喜代の気持ちをなんとかわかろうとしてくれるコンスタンティンがそばにいてくれる。


「……顔、が……悪い」
「悪い? ふふ、ソウだね」


 喜代の、鮮やかな紫に着色された爪を備えた指先が子どもの自分の顔をなぞる。恐怖と怒りと、なんだかいろいろなものが混ざった警戒の表情。


「こすちゃは、このとき、どう思った?」
「んー……ソウ……カワイイな。って」
「この顔がぁ? こすちゃ……へん……」
「感じることがたくさんたくさんアル、でも誰にもイエナイ。こんなにたくさん自分をキズツケルくらい感受性ユタかで伝えたがってる子、カワイイと思った。セラピスト失格。私情ハイリスギ」


 苦いものの混じった表情でふへへと笑って、喜代の手を取る。二の腕にも刻まれた傷痕。指先で触れるとでこぼことしていた。まるで弦楽器の弦の上で指を滑らせたような感触。


「最近は、ケガ、シテナイね」
「うん」 


 ときおり、新しい傷が刻まれているときがある。いつもさりげなく腕や腹や足のチェックを欠かさないようにしているが、ここ数か月、新しい傷はない。ないからといって気持ちが安定しているとは限らないが、目に見えるサインのひとつだと考えている。
 あまりたくさん傷がつかないといい。そのためには喜代と一緒にさまざまなことを乗り越えなければ。自分自身に対する思いも込めて、ぎざぎざとした質感の腕に唇を落とす。すると喜代はくすぐったそうに笑った。


「こすちゃの腕にもちゅう」
「なんのキス?」
「んー……演奏も作曲もレッスンも、がんばって、の」
「ありがとう」


 かわいらしい音をたてて唇を触れさせる。
 その写真を傍らに置いて、再び整理を始めた。


「今度同じ構図で写真トッテみる?」
「うん」


 数日後、アルバムに収められた写真。
 警戒心に満ちた子どもの写真、その隣には、同じ構図で成長した子どもがいかにも楽しそうに笑っている写真が貼りつけられた。白と黒のストライプの長袖シャツを着た男の子だ。その前で穏やかに微笑んでいる職員は、右のも左のも同じ。年齢を重ねている感じがない。


「早川さん、やっぱり……」
「……彼は、妖怪カナ?」





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