猫のきみ 8
リオ
サクラ
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みゅう、と鳴いて足元を動き回る小さな黒猫。ちょこちょことついてきたり、座ると膝に乗ってきたり。サクラはすっかり元気になったけれど、あれ以来あまり外に出なくなった。俺の外出についてきて、懐に入って外を覗き見る。しかし人が来るとひゅっと引っ込んでしまい、姿を見せなくなる。ひとりでは絶対に外へ出ない。せいぜい小さな庭で日向ぼっこをするくらいだ。あの事件が影響していることは間違いない。またあんな目に遭うのが怖いのだろう。
散歩が日課だったサクラが歩き回らなくなるのは身体に悪いと思い、原っぱに連れ出した。平日の昼間、人がいない時間。抱っこして外を歩く。そっと地面へ下ろしてみると、心細そうに身体を擦りつけてきた。
「誰もいないから」
みゃあ、と鳴いて、少しだけ離れていく。しかしすぐに戻ってきて、更にまた少し遠くへ行って、また戻ってきて。やがて草に興味を示し、嗅いでみたり、噛んでみたり。様子を見ながら辺りにも気を配る。人が近づいてきたらすぐサクラの傍へ寄り、身体を伸ばしてくるサクラを抱き上げる。記憶は消えないだろうし、怖がる気持ちもわかるので、無理はさせたくなかった。
ぽかぽかと柔らかな日差し。風は少し冷たいが、心地の良い晴天。
少し遠くにぽてぽてと歩いて行き、こちらを振り返って、にゃあ、と鳴く。
「花が咲いているな」
小さな、黄色い花だった。冬に咲く花なのか、群生している。その花を嗅いでまたにゃあと鳴いた。
「きれいだ」
にゃあ。肯定するようにサクラが言った。
ベンチへ座って、サクラと一緒に食べるつもりで作ったクッキーを取り出した。猫の獣人であるサクラはなんでも食べられる。人と同じように。けれど小さいので腹を壊したりしやすいだろうと、なるべく害のない分量を調べて焼いた。小さく割って、手のひらに載せて差し出す。ふんふんと嗅いだ後、食べた。ピンク色の舌がちらちら、皮膚を舐める。もっと欲しいと言う目が、うるうると俺を見上げた。
「あんまり食うと昼ご飯が食べられなくなるからな」
少しにしような、と言えば、にゃう、と答える。今日の昼ご飯は何にしようか。
考えていたらサクラが膝にのってきた。前足を胸につけ、伸びあがってくる。小さな舌で俺の顎を舐めた。
「サクラ、今日は暖かいな」
みゅう
「来てよかったか」
みゃあ
「また来ような」
にゃあ
サクラは俺の言うことに必ず相槌を打ってくれる。小さな頭を撫でると、満足そうに喉を鳴らし、指を差し出すと両手でそれを挟んだ。肉球がふにふにとしていて気持ちいい。サクラ、と呼べば、にゃあ、と答える。
「日光、たくさん浴びて気持ちいい」
サクラの黒い毛並みが光を含み、撫でると気持ちがいい。ほかほかとしていて、抱き上げて嗅ぐといい匂いがした。にゃにゃにゃ、とじたばたする。短い手足を動かしてじたばた。嫌がっているようだが、好ましくてなかなか放してやれない。思う存分楽しんだ後に手を放すと、ぴゅっと逃げ出す。しかし遠くには行かない。少し離れた場所でこちらを見つめる。丸い目が、もうしない? と聞いているかのようで、可愛らしい。
「そろそろ帰るか」
声を掛けるとみゃうと鳴く。原っぱの中は自分の足で歩いてついてきたが、人が通るような道になるとしきりに抱き上げてほしいと鳴いた。懐へ入れてやり、おとなしく丸まるのを感じる。やっぱり温かかった。
サクラはあれから、ヒトの姿になろうとはしない。
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