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店長ごめんね、





カラン、とドアが開いた音がして、バーから入り口の方に目をやる。
ここ最近よくウチに飲みに来てくれている(たぶん)ワの国からの旅行者だ。



「いらっしゃい」
「ああ、いつものくれるか。」
「はーい」



カウンター席についたその男はいつも同じものしか飲まない。多分もう2−3週間はこの街にいる。



「いつ来てもこの店は暇だな」
「お兄さん失礼だね。この時間帯はそこまで混まないんだよ」



どこか色気を含むこの客に、笑って返す。確かに店内には今このお兄さんと私しかいない。店長は忙しくなる夕方からしか来ないし。
手慣れた動作で“いつもの”を差し出すと、お兄さんはすらりと伸びた手でそれを受け取って口へと運んだ。



「お前さん、雇われだよな?」
「え、うん。そうだけど」
「そういや、まだ聞いてなかったよな。名前は?」
「ホント今更ね。ミアだよ。なんで?」
「女の名前を聞くのに、理由なんているのかい」
「いーや、いらないね」



バーで働いて数年。色々と会話を流す方法を覚えた。
今回もそれを駆使して、ニヤリと笑って答える。それにククと喉を鳴らして笑ったお兄さんは、手の中のカップをゆっくりとカウンターへ置いた。



「おいしい?」
「ああ、いつも通りな」
「ふふ、ありがと」



このお兄さんが来たのは確か随分寒い日だった。何でもいいから、と言われて出したのが目の前にあるこれ。りんご風味のティーにラム酒を少し混ぜたもの。寒かったからぽかぽかと暖まってくれるかな、と出したら、どうやらお気に召したらしい。それからほぼ毎日、同じ時間に来店するようになった。



「お兄さんもうこの街長いよね」
「ああ…、そうだな。もう1ヶ月くれぇかな」
「いつ出てくの?」
「なんだ、出て行ってほしいのかい」



口の端をニヤリとあげてこちらを見たお兄さんに、違うよ、と慌てて付け足す。



「そうじゃなくて、旅人さんってすぐいなくなっちゃうからさ」
「寂しいのか?」
「うーん…。そうだね、特にお兄さんは毎日来てくれてたからなぁ。寂しくなっちゃうね」



そう言ってへらりと笑うと、お兄さんはまた一口カップの中のティーを飲んだ。



「…出て行くのは明日の朝だ」
「えっ、じゃあ今日が最後?」
「そうなるな」
「…何も言わずに消えちゃうつもりだったんだぁー」
「クク、今ちゃんと言ったじゃねぇか」



落ち着いていて、騒がないお兄さんはいいお客さんのひとりで、この時間が私にとっては癒しになっていたから、思わず拗ねたような声を出してしまった。
ゆっくりとカップを傾けて中身を全て飲み干したお兄さんは、それをカウンターの端に置く。



「なあ」
「なに?おかわり?」



私の質問には答えずに、お兄さんは私の目を見て「魔法を信じるか?」と聞いた。
至極真面目な顔でそんな事を聞くものだから、思わず目が点になってしまう。



「ちょ、魔法って、あの魔法?」
「その魔法だ」
「ううーん…。見た事ないし、私は信じないかなぁ…?」
「そうか」



そう言ってニヤリと笑ったお兄さんに私の背中には何故か冷や汗が流れた。



「じゃあ、賭けようぜ」
「えぇ?賭けるって、何を?」
「俺がミアに魔法をかける。しっかりかかったら、俺はお前を連れて行く」
「…はぁ、?」
「かからなかったら、ミアは俺を好きにしていい」



何でもするぜ、とまた自信ありげな笑みでそう言われるけど、正直頭がついていかない。



「ちょっと、話が急すぎて、」
「どうせ明日の朝にはいなくなるんだ。最後に笑える賭け事でもしようぜ」



さっきのニヤリ笑いとは変わって、悪戯っ子のような笑みを向けたお兄さんに、なんだ冗談か、とほっと息を吐く。
それなら、最後の思い出作りにはいいかもしれない。



「わかった。いいよ。どうすればいいの?」
「ミアは何もしなくていい」
「何も?」
「ああ。そこに立ってるだけでいい」



どんな魔法をかけてくれるのか、なんて年甲斐もなくわくわくしてしまった。
言われた通りにカウンター越しでそのままの体勢で待つ。するとお兄さんはカウンターから身を乗り出して自分の顔を私と同じ高さに持って来た。



「俺の目を見とけよ?」
「うん、わかった」



真面目な顔でそう言うお兄さんが少し可愛くて、クスリと笑いながら返事をする。それに満足そうにしたお兄さんは私の目を見つめたまま私に魔法をかけた。



「ミアは俺にキスをする」
「…は、?」



予期していなかった言葉に、思わず間抜け顔になる。次いで、冗談でしょ、そんな魔法かかんないよ、と言葉を出そうとしたが、何故か絡めとられた視線を外せなくてかわりに唾を飲み込んだ。



「ちょ、と、…おにいさん?」



ゆっくりと私に近付いてくるお兄さんの顔はきっともうあと20センチくらい。
逃げればいいのに、おかしい、視線が外せない。身体も、動かない。



「……や、…ちょっ、」



余裕の顔で尚も距離を縮めるお兄さんは、何も喋らない。ただ、距離を詰めているだけ。
だけど、確か魔法は、私がお兄さんにキスする事、のハズ。つまり、お兄さんからキスしてくる事は、ない。



「………、」



ついに言葉を発する事も出来なくなった私は、未だお兄さんの視線から逃れる事が出来ない。
お兄さんは唇が触れるか触れないかの距離で動きを止めた。

今日までよく来てくれていたお客さんと、こんなに至近距離にいる。
視線が、熱い。
気付かないうちに、私の身体全身が脈打っていて、頭が真っ白になった。

逃げたいのに、逃げられない。

お兄さんはこれ以上、私には近付かない。
だけど、何かがおかしい。私の中の、何かが。

トクン、と鳴る心臓がやけに大きく聞こえて、まるで心臓が耳の側にあるみたい。

そらせない視線は、何故か私の頬を上気させる。


さわり、とお兄さんの手が私の髪に触れた時、“あ。だめだ、”と私の中の思考がプツリと切れた。



お兄さんの色香に、
惑わされる、。



何も考えないで、自然と瞼を閉じてしまっていて。
気付いた時には、そう。自分から、お兄さんの唇に自分のそれを押し付けていた。




数秒後、お兄さんの口の端が吊り上がったのを感じて、急に我に返って顔を離そうとしたけれど、いつの間にか私の頭の後ろに添えられていたお兄さんの手がそれを許してくれなくて。

今度は自分の番だと言うように、強引に、でも優しくキスをされた。焦らすように口先を舐めるようなキスに、自分から口を開いてしまったのは、きっと魔法のせいだ。



「……はぁッ、」



息が出来なくて漏れる声が、自分のものではないようで、頭の中がぼうっとする。



時間にすると、どのくらいそうしていたのだろうか。
身体の芯からとけるようなキスの後に、お兄さんに下唇を甘噛みされて私は開放された。
途端、その場にへたり込んでしまった私に、お兄さんはカウンターの上からとても満足そうな顔で言葉をかけた。



「俺の勝ちだな。明朝日が昇る頃にミアの家に迎えに行く」
「………?」



まだ上手く回らない頭で、お兄さんの言葉を反芻する。
そういえば、そんな事を言っていたかもしれない。
とそこまで考えて、急に頭の中が冴えて来た。



「…えっ、あれ本当に、!?」
「本当に決まってるだろォが」
「むっ、無理無理無理!私旅とかした事ないし!」
「心配ねェよ。俺が面倒見てやる」
「そ、そう言う問題じゃ、」



未だ立てないながらも必死にそう言うと、カウンターの上から私を覗いていたお兄さんは何かを思い出したように「そう言えば」と呟いた。



「まだ名前教えてなかったな。」
「はあっ?ちょ、それ今どうでも」
「俺はイゾウだ。ちゃんと覚えとけよ」



私の言葉を遮ってきっちり今更な自己紹介をしたお兄さんは、さてと、と言ってカウンターから降りた。急にお兄さんの顔が見えなくなって不安に思ってしまった私の心はどうしてしまったんだろう。

ざわざわとするよくわからない感情に戸惑っていると、カウンターの上からまたひょっこりとお兄さんが顔を出した。



「なんだい。もう寂しくなったのか?」
「なっ、ちがっ…!!」
「んな顔して言われたってなァ?」



心底楽しそうに笑うお兄さんには到底勝てそうもなく。



「………さっきの本当に魔法なの?」



苦し紛れにそう呟けば、お兄さんは勝ち誇った顔で私を指差した。



「喜べよ。アレはミア限定の魔法だ」



俺とくればいつでもしてやるぞ、なんて意地悪な顔で言うものだから、近くにあったグラスを投げつけた。
だけどそれをあっさりとキャッチしてカウンターに置いたお兄さんは、私に「逃げんなよ」と釘を刺して早々に店を後にした。


残された私はというと、次のお客さんが来るまでその場から1ミリも動く事が出来なかった。









((“いつでもしてやる”なんて言われて、何故疼く私の身体……(ガクッ)))
(あ…。これが魔法にかかった、ってこと、なのね…)





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