はじまり
まりはその時ちょうど、一人で新宿に居た。アルバイトで貯めたお金をありったけ持って、買い物へ繰り出していた。
友達とたわいない会話をしながら街を練り歩くことも十分魅力的だが、一人でじっくり見て回ることも好きだったので、その時は誰とも一緒ではなかった。
彼女は散財するタイプではなく、好みのものを長い間大事に使うことがポリシーで、その日も自分の理想のものを求めていろいろな店を吟味していた。
そしてようやく見つけたのがある革製の小物入れだ。長持ちするし、使えば使うほど味が出る。
丁寧に扱おうと決めて、まりはそれを購入した。
「5250円になります」
原色であしらったショートネイルがよく似合う、白魚のような手の店員に小物入れを可愛らしい紙袋に入れてもらって、それを受け取る。
釣りが出ないように差し出すと、彼女は慣れた手つきでレジに仕舞い、音を立てて出てくるレシートをちぎり取った。
まりが財布に添えていた手で軽く断りを入れれば、これもまた慣れた手つきで、それをレシート用のゴミ箱へ収めた。
「お買い上げありがとうございます」
「ええ、どうも」
新宿に限らず、都会のショップは大抵どこも店員の愛想がとてもいい。高額のテナント料金と競合店に打ち勝つためだろうか。
親しみの持てる明るい笑顔で接客をする店員に対して、まりも自然と笑みを浮かべて会釈をした。
店を出て、次はどこの店にいこうかと考えながら、まりは人ごみの中をすり抜けて歩く。
気のせいか、いつもよりも人が多いようだ。
先へ進むのが困難なほどの大混雑、とはいかないまでも、周囲が人で覆われて、周りの建物がよく見えなくなる。
(今日、なんかあったっけ?)
まりは一限が早々に終わったのでこうして昼間に買い物に出ている訳だが、単純な人の多さでいうなら休日と変わらないほどであった。
不思議に思うが、思い当たる節はない。
そうこうしているうちにいつのまにやらまりは人ごみを抜けて、少し開けた場所に出ていた。
(……あれ?)
まりはなぜだか突然、周囲にひどい違和感があるように思えてならなくなった。
知ってる店を出て知ってる方向へ歩き出したのに、どうしてなのか、いつの間にか別の場所にたどり着いてしまっていていたようだった。
(……こんな道とビル群、新宿にあったっけ?)
まりは迷子になりやすいのだが、歩き慣れた場所の方向くらいなら勘違いのしようもない。
それにさほど景観に興味がある訳ではないが、見覚えのない建物がずらりと並んでいれば、いやでも気がつく。
歩いている人や町並みの雰囲気は新宿にそっくりだが、まるで知らない場所に来てしまったかのような感覚に襲われた。
「おっかしいな」
そうつぶやいて、いたるところに設置されている大型のガイドマップを探すために、まりはきょろきょろと辺りを見回した。
そして見覚えのないビルの大きな液晶になにげなく目をとめた、その時のことだった。
(ちょ、ちょっと、なにあれ!?)
その画面では、あるニュースが放映されていた。
彼女はそのテロップにすべての意識を持っていかれた気がした。
そこには「名探偵 江戸川コナン氏 またも難事件解決!」と、そう書いてあったのだ。
それは、普通ならばニュースに出てくることのない名前。
もしもニュースでとりあげられるならば、作者ゆかりの街に銅像が建てられたとか、銅像の部品が何者かによって破壊されたとか、映画の試写会が行われたとか、そんな程度のものだろう。
しかし、そうではない。
そうではないのだ。
(事件解決……?)
はじめはまりも、ジョークのニュースかと思った。
しかし道ゆく人が、その"名探偵"を褒めそやす話題を口にしながら彼女を追い越してゆくのだ。
すぐに「おかしい」と思わざるを得なかった。
「へえ、やっぱ探偵ってすごいね」
「やべえ、あれ俺と同い年だってよ」
「江戸川コナンってかっこいいなあ」
「ねー」
「女子高生の頃ファンレター出したんだよね」
「あたしずっとファンでさあ!」
「まじ?私も私も」
「俺もあんなふうになりてー」
「……」
それらはまるで、このニュースがまり以外の人にとっての日常であるかのようだった。
突っ込みたいところはいくらでも出てくる。
例えば、なんてあげるまでもない。
すべてがまりにとって意味不明な出来事だからだ。
(……いやいや、ドッキリでしょ?)
ハッとして辺りを見回すが、当然、カメラのようなものは見つけられない。
チャラランと軽快な音が鳴ってニュースの視点がスタジオに切り替わったのを視界の橋でとらえたので、まりはパッと液晶に目を戻した。
すると、横に長い白のテーブルが置かれたニュースルームが目に入る。
そこにはスーツを着た若い男性と清潔感のある40代ほどの男性と若い女性が座っていた。
「こんにちは、ニュースの時間です」
三人が一斉に頭を下げた。
「本日は探偵の江戸川コナンさんにお越しいただきました」
見目の整った若い女性アナウンサーが青年を示すと、カメラがそちらへ近づく。
同時に画面下に名前のテロップが出て、その人物が誰なのかということがよくわかった。
「江戸川コナンです。本日はよろしくお願いします」
彼は薄く笑みながら挨拶をした。その堂に入った佇まいは、まりに年齢以上の落ち着きを感じさせた。
「今回の事件の真相は相当困難なものだったとお聞きしましたが……江戸川さんの見事な推理で解決に至りましたね」
「恐れ入ります」
などと画面の向こうで会話を始める男たち。
そして被害者と被疑者の関係や殺害方法、解決に至った経緯までが簡単なVTRで説明され始める。
だがその内容は見事にまりの頭の右から左までをすっぽ抜けていった。
VTRが流れる間も彼女の視線は、右上の丸い画面に映る江戸川と呼ばれた男にひたすら釘付けになっていた。
しばらくそのままでいるとVTRも終わり、今度は女性アナウンサーとのやり取りが始まる。
「そこでズバリ、お聞きします。みなさんも一度は気になった事があると思うのですが、江戸川さんは勘で推理なさったことはありますか?」
いくつかの問答のあと、彼女は江戸川と呼ばれた青年にそう疑問を投げかけた。
まりにはどちらのアナウンサーにも覚えがなかったし、番組のセットも初めて見るものであった。
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