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 まりは簿記の勉強がてら、家計簿を付けていた。
 レシートは欠かさず貼付けているし、お金の出入りは今までにないほど気をつけていた。

 ちなみに何故簿記かと言えば、彼女が商学部生だからだ。
 いつ大学に戻っても困らないよう、自主学習は欠かせない。
 ……とはいえ、自分で出来るという範囲にも限りがある。
 難易度が上がるたびに複雑になっていく内容を全て理解出来るほどまりの頭は出来ちゃいない。
 それに、勉強しなくてはならないものは他にもいくつもあったが、そこの辺りまでもを網羅することなど、彼女にはできなかった。
 単位落としちゃうだろうなあ……っていうか、留年かなあ……と、涙せざるを得ないのであった。

 そうそう、家計簿。
 話を戻すが、収支の記入の最中、まりは笑いが止まらなかった。

「クックック……」

 悪役のような笑い方をしているが、なにも悪巧みをしているせいではない。
 口元が緩むのを抑えようとしながら笑っているから、中途半端に笑い声がこぼれるのだ。

 家計簿の中は、ひたすら黒字を示していた。
 一週間に一度給料をもらっているせいで、収入の記帳ばかりだ。
 それに加えて意図して収支をはっきりしているせいで支出は最低限に抑えられている。
 おかげでどんどんお金は貯まっていた。
 まあ、代わりにまりの精神と膣はあまりいい状況とはいいがたいのだが……。

ともかく、手にすることも初めてなほどの大金が弾き出された家計簿に、まりの頬は緩みっぱなしであった。

「えへ〜。
 これ、そのうち札束風呂とかできるんじゃないの?」

 そこで、それほどのお金を手にいれた時のことを想像する。

「…………重そう」

 喜びよりも、真っ先にそんな気持ちになった。そう、お金は重いのだ。
 まりにはここから逃亡する想定も常にしていなければならない。
 新一の嫁に自分の存在がバレたときなどには、逃げる気満々でいるせいだ。
 彼には悪いが、訴えられたりなどしたら自分の素性が知られかねない。
 そのときにはきっとどうすることもできないので、彼女は良心よりも保身を取るつもりでいた。

 つまり何が言いたいかと言えば、逃亡の際にはそんなに重たいものは持ち歩けないぞ、ということだ。
 まりにとって、財産は手軽に持ち運べるものの方がいい。
 どうしようか? そう考えるが、すぐに思い至る。

 そうだ、金を買いに行こう。……と。

 金なら簡単に何処ででも取引が出切るし、グラムで5000円ほどの価値があるから、資産を持ち運ぶという彼女の希望にかなっていた。
 まさに彼女にとって最高の資産だと言えよう。

「あ、やば。そろそろ支度しないと……」

 (とりあえず、近いうちに丸一日休みを貰うことにしよう)

 そう決めて、全ての片付けを済ませて出勤するのだった。

 ・
 ・
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「ただいま……」

 誰にも迎えられることのない玄関をくぐって、まりはそう呟いた。
 深夜12時半、バイトを終えてヘトヘトの体で帰宅した。
 彼女が真っ先に向かうのはいつも風呂場である。
 帰宅途中の電車で営業メールは全て済ませてあるので、遠慮なく全裸になってしまう。
 ちなみに、まりが元々持っていた携帯は使えなくなってしまっているため、その携帯はオーナーに用意してもらったものだ。

 今日の客も、本当に気持ち悪かった。そう思いながら、シャワーを浴び始める。
 日に何度も何度も水にさらされているせいでまりの肌はとうに油分不足だ。
 しかし、一日の終わりのシャワーは彼女にとってなくてはならないものとして日常にこびりついていた。
 だから入浴後の保湿ケアは大学生だったときよりもずっと時間をかけねばならない。

「うっわ、髪にまだ付いてたの?ハアァ…………いやだなあ」

 パリついたそれをお湯で溶かして、指通りをよくする。
 まりはシャンプーとリンスをいつもより更に念入りにすることにした。

 まりの仕事はセックスで、彼女が生きるためにはそれしか方法がない。
 そのため、仕事中は割り切りからサービスから笑顔まで、全てが完璧といっていい。
 同僚からアドバイスをもらえる訳もなく、インターネットで必死に調べて身につけた技術は、既にかなり様になっていた。

「今日は……あんまりだったな。−−まあ、ご新規さんばっかりだったしね…………」

 客に真摯に対応し、料金以上の満足を与える。まりはこの世界に来てサービス業の鏡となった。
 なぜなら、頑張れば頑張るほど成果が出るからだ。彼女に付けられた値段は、あまりにも安い。
 それ以上の金額を稼ぐには徹底した奉仕が必要なのである。
 貯まり続けるお金が、まりの心の拠り所になっていた。

 とはいえ、まりは自らの仕事に誇りなど持っていない。
 毎日よく知りもしない男たちに体を許してお金を儲ける自分を軽蔑しているし、仕事には不満だらけ。
 だから一日の終わりにその仮面を剥がしてしまえば、漏れ出るのは不満と惨めさばかりだった。

 底辺のデリヘルを呼びつける男はそれに相応しく、たいてい身なりが汚い。
 呼び出されて尋ねるホテルの壁は薄く、隣のみだらな声がうるさいほどだし、自宅に招かれれば大抵ひどく汚かったりする。
ムードもなにもない中でそんな相手に尽くさなければならない嫌悪感ったら、この上ないものだ。

「−−ッ、……ふ、うう……」

 日中はけして崩さない笑顔も、仮面を付けていないこの時間だけは泣き顔に変わる。
 まりにとって、この日常はまるで悪夢だった。

 流れた涙は、降り注ぐ湯に混じり続けた。



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