遭遇
「つっかれた……はあああ……」
まりはベッドの中でそう呻いた。
外はもう明るく、新一も出て行ってしまった。
彼の帰った後、まりはいつも腰砕けになってしまう。
散々やらしいことをされて、しばらく立てそうもなかった。
(あの人、異様なくらいうまいよなあ。
相性めちゃくちゃいいし、絶倫だし。
底なしですかってレベルの体力じゃんね。
着いていくのすら精一杯だわ……。
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いや、っていうか、さ……)
「……なーんであの人、あたしに新一って呼ばせんのようううう……」
そう。まりの悩みとは、何故自分を新一と呼ばせるのか、ということであった。
一度だけ高級そうな指輪をしているところを見たことがあるし、彼は結婚してるはずだ、とまりはにらんでいる。
なぜ自分を囲うのかは理解に苦しむところだが、彼にはお嫁さんがいるに違いなかった。
毛利蘭だか灰原哀だか知らないが、彼はきっとよろしくやっているのだろうと、そう思っている。
……しかし、それは江戸川コナンという一個人の姿で、だ。
けして工藤新一としてではない。
実はまりは、以前知的好奇心を抑えることができずに、図書館などで過去十八年間の工藤新一の足跡と黒の組織について調べたことがある。
するとわかったことがいくつかあった。
実態こそ明らかになっていないものの、一時期世界中の大物が連続的に何かしらの理由で逮捕されていた時期があったのだ。
政治家だったり、芸能人だったり、製薬会社や大企業の重役だったり。
あまりに大量で、一時期世界的な社会混乱が起きたそうだが、どれだけマスコミや国民につつかれようと、どの国の警察もその関連性について頑なに明かすことがなかったという。
これが、十六年前の出来事。
そう、まりが仮説を立てるには十分なヒントだった。
黒の組織は恐らく壊滅したのだろう。末端までは知らないが、母体はきっと。
また、工藤新一は九年前の冬に普通失踪による失踪宣言が受理されて、死亡が成立している。
つまり、「工藤新一はもうこの世にいない」ということ。
薬の完成の有無は不明だが、きっと彼は江戸川コナンとして生きていくことを選んだのだ。
自分の意思にしろ仕方なしに選んだにしろ、そこに二つの人生を選ぶ余地など、なかったのだ。
だから、まりに新一なんて呼ばせる必要性なんて全くない。
”新一”は死んだのだ。
だからこそ悩んでしまう。
もしかしたら自分を江戸川コナンだとバラしたくなくてそういう名乗り方をしたのかもしれないが、それにしたって新一なんて名前を使うのは怪しすぎた。
何故って言ったって、それは当然、誰かが真実に行き着く可能性を少しでも減らすためだ。
二人の共通点をそこから見つけて江戸川コナンが工藤新一だなんて突飛な想像を、誰かがしてしまうかもしれない。
百人に一人くらいは、そう思う人がいるかもしれない。
だから、その考えは捨てきれないはずだ。
ならばそれは打つべき手ではない。
それに、そういった類の行動は小学生だった彼が最も忌避していたことだ。
たいして漫画の記憶が残ってないまりにもわかるほどなのだ、かなり慎重だったに違いない。
「ハア……あー、わかんない」
まりは上半身と下半身の向きを違えて、全裸でストレッチをはじめた。
「んううう……はあ、気持ちい……」
朝日の暖かさも、新一の開けていった窓からの風も、体を支えるマットレスのほどよい柔らかさも、すべてが心地よかった。
全身が汗やら何やらの乾燥物でちょっと気持ち悪いのを加味してもまだ爽やかと言い切れるほど、いい朝である。
新一が枕元の机に置いていってくれたぬれタオルで体を拭いながら、まりは思う。
(こんな素敵な朝を迎えられるようにしてくれたのは……あたしを救ってくれたのは、新一さんだ。
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最初は、ありがた迷惑だった。
けど、無理やり突っ込まれたここのマンションの居心地があんまりよくって……いつのまにか、救われてた。
家を借りるどころかカードすら作れないくせに、一人でも生きていけるって片意地張ってたあたしにはきっと、丁度いい対応だったんだろうなあ……)
まりには全くわからなかった。
新一がどうして自分を愛人のように囲うのか、なんてことは。
だけど、新一はまりの恩人であった。
命も心も救われたと言っていい。
彼の家庭に不和を持ち込んでしまうかもしれないことが気がかりだったが、彼は間違いなく彼女にとっての救世主だった。
(……ま、いっか
詮索はやめだ。やめ)
救ってもらったという事実があるのだから、それだけでいいと思った。
だから気にするのは、もうやめにしよう。
その時はそう決めたのであった。
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