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案外、なんとかなるもんだ。
まりはこの数ヶ月で、そう思えるようになった。
感覚が麻痺してきたのか、あるいは現状を受け入れることが出来るようになったのか。
いずれにせよ、彼女の性に対する倫理は崩壊し始めていた。
まりが勤めるのは"地雷"という名でマニアの間ではそこそこ知られている格安のデリヘルであった。
一応店は構えているが、電話対応オンリーのヘルスだ。
ホームページも顔写真の掲載もないため、客は「お任せ」もしくは「こんなかんじの子がいい」という要望を店にするか、「あの子がいい」と本指名するかの三択しかない。
この時点で経営する気があるのか、と疑いたくなったのは至極当たり前のことであろう。
だが、それ以外は、おそらく、そこそこまともであった。
基本料金は格安だが、オプションはそこまで安いわけでもない。
病気の有無もきっちり店持ちで調べてくれるし、お金の面も割としっかりしている。
のちのち彼女が調べてみたところ、分け前の割合だけで言うなら優良店とも大差なかったほどだ。
それに、格安の地雷店ではあるが、全く客が来ないという訳ではない。
定期的な客はほとんどいないが、漢気あふれるチャレンジャーや安いからという理由で利用する客がお金を落としていくのだ。
店長に気に入られたまりは、そういった客を優先的に客を回してもらっていた。
まりの容姿は人一倍優れていた。
容姿を売りにしている芸能人と比べてしまえば、それはさすがに見劣りしてしまうのだろうが、ただの一般人の女の子として置いておくにはもったいないと多くの人が思う程度には美人だった。
それをうまく利用して、地雷だと思ってビクビクしながら待っていた男の胸を鷲掴みにし、更にマメで丁寧な気持ちのいい(・・・・・・)接客で虜にしていた。
想像と現実の落差と与えられる快感に男たちは瞬く間に夢中になった。
ゆえに彼女は、風俗業界に入って日が浅いにも関わらず、固定客を何人も手に入れることに成功していた。
同僚からはわりと恨まれてしまってはいるものの、底辺のデリヘル嬢としてはかなり成功している方だった。
店長との仲は……まあそこそこだ。
外見や性格は言葉にしがたいほどではあるが、意外に気の利く男である。
彼に気に入られたことでそこそこ細やかな対応をとってもらえるようになったので、まりにもある種の余裕が生まれてきているのであった。
そんなこともあり、最初のどん底な気分よりは幾分かマシな気持ちで毎日を過ごせるようになっていた。
それもこれもきっと、お金の成せる技だろう。
そんなまりの最近の一日は、高級なダブルベッドから起き上がることから始まる。
彼女がカラオケボックスや電車の中で寝ることはもうなくなった。
まりに入れこむようになった男にマンションの一室を与えられたからだ。
家がないという彼女にいたく同情し、押し切られる形で住むことになったのだ。
相変わらず元の世界に戻ることはできずにいたが、一時的にでも定住する場所ができたことによって、心の方も随分と落ち着いていた。
午前中は比較的自由で、その後は出勤して休憩を挟みつつ数人の指名をこなす。
オプションやチップで余分に稼いで、夜中の十時や十二時程になってやっと帰宅し、そして二時間かけて体を綺麗にしてから就寝する。
週に一度ほどマンションの持ち主がまりを訪れるときにはもう少し頑張って、朝まで共にする。
そんな日々だ。
だが、いくら忙しくとも、充実はしていなかった。
ただ必要だから目の前のことをこなす。
そんな感じだった。
ひたすらお金を貯めることに必死だったため、まりは今のところ休みはあまりとっていない。
通帳すらも作れないので、給料を貰って真っ先に頑強な金庫を買った。
中古の指紋認証型の金庫だ。
痛い出費だったが悪くない買い物だったと彼女は思っている。
そして、そんなまりには、新たに出来た悩みがある。
例の−−マンションをまりにプレゼントしたという、太客の男のことだ。
週に一度、マンションを訪れに来るのだが……。
「レイカ、ただいま」
大抵彼はまりの源氏名を呼び、玄関先で彼女を抱きしめ、キスを落とす。
「こんばんは。−−新一さん」
まりもそれに応えるように背中に手をやって、微笑みかける。
自らを新一と名乗るこの男。
彼は、まるでニュースやテレビでよく見る江戸川コナンのような容姿をしていた。
メディアに露出する用のセットがあるのか髪型に違いはあったが、顔かたちはあのとき液晶の向こうに彼女が見た顔とそっくりだった。
しかし、テレビで見るよりずっと存在感があるし、大人の色気がムンムン漂っている。
地雷デリを頼んだり、そんな底辺の嬢を囲わずともいいような、そんな美貌の持ち主だ。
その新一が、まりを強く強く悩ませていた。
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