08
「へー、この町ってクロワトールって言うんだ」
次の料理を待つ間の会話で、エドワードは初めてこの町の名を知った。掌にあごを載せつつ、エドワードは頷くと、ベンともう一人の顔見知りである眼鏡の男ーーザックが、エドワードの隣に座って、揃って目を丸くした。
「なんだおめえ、知らなかったのかよ」
「……知りそびれてたっていうか。
そういやこっから暫く行ったとこにリオールって街があんだろ?こんな砂漠に侵されかけてる土地に、よくまあサーカスが来たもんだな」
エドワードは気まずくなって咄嗟に話題を転換させた。この町についてはなまえから聞いたことくらいしか知り得ておらず、故にその話をすることは必然だったとも言える。彼の言い方はひどいものだったが、実際問題、ここは砂漠に飲み込まれかけている。明るい人間が多いが、決して豊かなところだとは言いがたかった。
「まあ、あっちはこことは違って栄えてるからなあ」
「ここの人間もいくらか向こうに行っちまったしな。だが、クロトワールの方が断然緑やらが残ってらあ。まだまだここは砂漠じゃねえぜ、坊主」
「あんたたちはそっちに行かねえの?」
旨くもマズくもないコーヒーをすすりながら、エドワードはそう尋ねた。近くに豊かなところがあるならその恩恵に与らない手はないはずだ。
「故郷は捨てらんねえだろ」
「ま、そういうこった。幸いひもじい思いをしない程度には石油も出るし、水源だってないわけじゃねえからな」
「へえ」
アルコールをあおり続ける二人に、エドワードは頷いた。
(わからんでもねーな)
彼は帰る家は捨てたが、しかし、故郷までもを捨てることはできなかった。事情は違うが、その一点において、エドワードは共感を覚えた。
「それにあそこはな、可哀想な街なんだ。一応交易はあるが俺たち自身がそれ以上の関係は望まねえのさ」
「へー。なんで?」
「まあ、色々な。なまえちゃんがいなけりゃ俺らもあっちに行ってたかもしれねえが」
「……?」
「いや、なんでもない。そういやあんた、錬金術師なんだっけ?」
なまえが一体どう関わってくるのか気になるところではあったが、こうあからさまに話題を変えられたのでは話す気がないと言われているのも同じだ。エドワードは大人しくその流れに乗ることにした。
「……ああ、俺はエドワード・エルリック。鋼の錬金術師っつー国家錬金術師だ」
「国家錬金術師……?」
「なんだお前、知らねえの?なんでも、超一流の錬金術師のことらしいぜ」
ザックが疑問符を浮かべるベンに教えるが、いまひとつ物足りない説明だ。いや、国家の狗だなんだと罵られるよりはずっとマシな態度ではあるが。やはり国家錬金術師は国の中心から離れれば離れるほど、その知名度は落ちてしまうらしかった。
「へー、その年で凄えんだなお前」
「どーも」
「そういえば、あんたもなまえちゃんも両手でパッとやっちまうよな。錬金術師ってえのは、みんなそんなデタラメなのかい?」
と、ザックが尋ねる。凄腕の錬金術師の錬成しか見たことがなかったからか、この街の人間の錬金術師に対する基礎知識は、おそらく大きく逸脱していることだろう。
「いいや、俺たちみたいなのはごく一部だよ。大抵はこんな風に……」
エドワードがカッカッとカウンターの上に錬成陣を書き込むと、錬成陣を知らないパブの店員が静止の声を上げた。
「あっおい、」
「まーまー、いいからいいから」
それをいなして、机の上にエドワードが手をおけば、カウンターの表面は生まれ変わったかのように滑らかになった。
「ってな。
普通は錬成陣がなくちゃ錬成はできねえよ。だからなまえさんって、結構すげえんだぜ」
不思議そうに錬成陣を見つめる酔っぱらいたちに、エドワードはしたり顔で笑った。
ーーーーー
同日、夜。
「ジェフさん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみなまえ」
なまえとジェフは、仲良く二人で床に就いた。ジェフは彼女が働く店の店長兼料理人だ。少し面長の顔ともみあげが特徴的で、引き締まった顔立ちの30代はじめほどの男である。
二人は恋仲だが、なまえが記憶を取り戻すまでは手をつなぐ以上の関係には進展しないと決めていた。ゆえに二人はベッドの中で手を握り合うと、そのまま目をつむって眠りについた。
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夜も更けた頃に彼女は瞼を静かに持ちあげた。ジェフは既に深い眠りについている。布団の中の手を引っ張り出すと彼の腕もついてきた。指と指が絡まっており、二人の手は一つになっていた。
「……」
彼女はそれを無感動に見下ろすと、空いた片手でゆっくりとその指を剥がしとっていった。一本一本を優しい手つきで持ち上げ、自分の手と分離させる。そしてゆっくりとベッドから抜けると、ジェフの枕元に立った。それからしゃがみこんで彼の寝顔をよく見つめた。
「……ごめんなさい。私、あなたから"なまえ"を奪うわ」
暗然たる顔持ちで彼女はそう言った。せめてジェフが安眠出来るようにと、半年間一度も許さなかった唇にキスを落とそうとする……が、唇と唇がふれあう前に思いとどまる。代わりに額に口を寄せると、小さなリップ音を立てた。
そして寝室の扉を抜けると、なまえとジェフが半年間暮らした部屋を通って玄関口に立つ。
「さよなら、ジェフ」
小さくそう呟くと、寝間着に靴を履いただけの格好で彼の家を去った。
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