追憶(想う)

春休みを利用してお母さんと二人で海外旅行に行こうと計画した。毎日私のために女手一つで弁護士として頑張ってくれるお母さんのために、貯めに貯めたお年玉と一年間で得たアルバイト代をほとんど全てはたいて、チケットとホテルを予約した。
ヘルニア持ちのお母さんにエコノミークラスはさぞ大変だろうと思って、頑張ってビジネスクラスを取ったが、なんとか予算ギリギリに収まったことにホッとしたことを今でも覚えている。
そう、確かあれは、十年前のこと。





「もう……あんた、まだ17歳なんだから。もっといいお金の使い方があったでしょうが」

一旦は私の提案に乗ったというのに、旅行当日になってそんなことを言うお母さん。口の端が歪んでいるので、嬉しさを隠すための憎まれ口だということはとっくにお見通しであった。

「いーのいーの。ほら、LUNA航空の便あっちみたいだよ」

お母さんには言ったことがなかったけれど、昔から人一倍頑張るお母さんを見てきた私の夢は、私のお金でお母さんを旅行に連れて行くことだった。だからとうとう夢を叶えられるこの状況に、私はだいぶ浮かれていた。お母さんの手を引っ張って、私はロサンゼルス行きの飛行機に搭乗しようと搭乗口へ足を進める。

「あのう、すみません。これ落としましたよ」

「え?」

「あら、わざわざありがとうございます。ほら、あんたのよ」

チケットを職員に見せているときに、そう話しかけてきた女性。私とお母さんはお礼を言って、落としてしまったパスケースを受け取った。

「あれ、お姉さんと私たち、同じ飛行機なんですか?」

同じ搭乗口の列に並んだ女性に私はそう尋ねる。

「あらほんと、席が近くなったらよろしくねえ」

「え、ええ……そうですね」

「おいつぐみ、何先に行ってんだよ」

一人旅なのかと思いきや、女性の背後から男性の声がする。明らかに彼女に向かってかけられた声に思わず反応して見てみると、男女三人がつぐみさんを見ていた。

「あ……ごめん、落し物拾ってたの」

「ったく、勝手なことすんなよな」

「ごめんごめん」

うわあ、イヤな感じの人。お互いにそう思ったのか、お母さんと目配せをしていると、ふとつぐみさんと目が合う。微笑んで見せると、彼女も微笑み返してくれた。
つぐみさんたちが四人で会話を始めた時、タイミングよく順番が来たので、つぐみさん以外と会話をすることもなく、笑顔で会釈をして搭乗した。

この、ピンク色のノースリーブを着た女性ーーつぐみさんの憎悪が発端となって、あの事件と彼に遭遇することとなるなんて、私とお母さんは、まだ夢にも思っていなかった。





ーーもう、タバコくさいなあ。
前の列から燻ってくる臭いで、ふと目が覚めた。
隣を見ると、お母さんが不愉快そうな顔でこちらを向いて、耐えているようだった。お母さんはタバコの臭いが大嫌いなのだ。

「お母さん」

声をひそめて、母さんに声をかける。私よりもお母さんの方が煙に近いので、せめて少しでも引き離してあげよう。

「どうしたの?」

「お腹壊しちゃったみたいだから、たぶんトイレ近くなると思う。席代わってもらってもいい?」

「……あらそう、大丈夫?」

助かった、という顔でお母さんは私を見る。誰かが手を伸ばさない限り、お母さんは嫌なことでも必要以上に我慢をしてしまうのだ。

「うん、でもちょっと痛いかも」

春先にも関わらず何故か持っていたカイロをくれながら、お母さんと私は座席を交換する。お腹がちょっぴり痛いのは本当のことなので、カイロはありがたかった。

そんな動きをしていると、移動した先の前の座席の人がタバコの人に注意を促し始めた。

「ここ、禁煙席ですよ。他の方の迷惑にもなりますし、吸うなら後ろの喫煙席でお願いします」

そうだそうだ、と無言で賛同する。

「悪かったなぁ、次からは気ぃつけるよ」

座席で見えなかった男性の横顔が露わになる。
すまなそうな謝罪なんて上辺だけなようで、意地の悪そうな笑みを浮かべて、息を吸い込んだ。そして、止める間も無くタバコの煙を男性に吹きかけた。そしてその煙は後部座席の私たちにも降りかかる。
反射的に前の座席の男性とお母さんが咳き込んでしまう。私はお腹で咳をぐっと堪えて、苛立ちまじりにヒッヒヒと下品に笑う男をキッと睨みつけた。嫌らしい笑いで私をちらりと見たが、気にするそぶりさえなく、視線はすぐに逸らされた。
不愉快極まりない。年上の人だろうが、何か言ってやらなければ気が済まないと思って口を開きかけるが、つぐみさんが男性を止めて怒りはじめた。
そのおかげで一先ずは溜飲が下がった……と思えたらよかったのに。つぐみさんの怒りに、和洋という男性は近いうちに金持ちになる自分を敬えと返答したのだ。

「名前、落ち着きな」

「でも…」

「むやみに他人の事情に入り込んだって、ややこしくなるだけよ。ほら、寝てなさいって」

お母さんが私の肩を抱いて、数回叩いた。それで私の怒りは少ししぼんだ。

「うん、そだね」

お母さんの言葉に半分くらい納得をしたこと、今更煙のことで突っ込んでも変な空気になってしまいそうだったことから、余計な口出しをするのは控えることにした。気を紛らわせるためにも夢の世界へ旅立とうと思って、毛布を肩までしっかり掛け直す。目を瞑って、暗闇をひたすら落下するイメージを思い浮かべれば、私の意識はすぐに落ちていった。

だから、私は全く気づくことが出来なかった。つぐみさんの殺意と、和洋という男性に降りかかる恐ろしいまでの悪意に。


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