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「僕はあなたが何に悩んでいるのかわかりませんが、できるだけ力になりたい」

 まりが落ち着いてから、光彦はそう言った。真剣な瞳に心をうたれる。

「……ありがとうございます」

 やはり女の涙というものは恐ろしいものだと思いながらも、親切な言葉をかけてくれる光彦の存在を、ありがたいと思った。

(まだ会うの三回めなのに、いい人だなあ。でも、騙されやすそう)

 そうまりが考えていると、光彦はカウンターから少々身を乗り出して、彼女に迫る。強引にキスを……などというわけではなく、単に距離を詰めただけだが。

 ここ数ヶ月でずいぶん男慣れしたからか、その性急さにぎょっとして仰け反ることもなく、そのまま間近で光彦の瞳を覗き込むことになるまり。なんだろうかとそのまま待っていれば、彼は数秒経って口を開いた。

「ぼ、僕は……っ」

 と、そこで。光彦が真剣な顔で何かを言いかけたとき、カランコロンと軽快な鈴の音が鳴る。咄嗟にそちらを向いたまりは、びしりと固まった。

「あー……わり。出直そうか?」

 客は江戸川コナンだった。思わずジト目になる光彦だったが、自分がアルバイトの真っ最中であったことを途端に思い出して、コホンと咳払いをした。

「……いえ、変に口が滑る前で幸いでした」

「そりゃよかった」

 まりはどうすればいいか分からず、二人を交互に見ながら頬をかいた。

「こんにちは」

「先日ぶりですね」

 とりあえず、できるだけかわいらしく挨拶してみせるまり。女は愛嬌、その言葉を体現したような見事な笑顔だ。そしてそれを見てにこやかに笑い返すコナンだが、相変わらず彼は彼女に対して他人行儀というか、探偵モードのままであった。

(なんか怪しまれてるのかな、やっぱり……。そういえば、江戸川さんからまだメール貰ってないや。それに、あれから新一さんも来てない)

 後日連絡をしますと言って別れたコナンからは、『メールアドレスの確認をよろしくお願いします』という至って事務的なメールが来て以来動きがなかったし、快斗とは『ゴメン!しばらく行けそうにねーわ!』という連絡の後から、音沙汰が絶えていた。
 しかしそれに関して、まりにも想像くらいはついていた。

(女を買って囲い込むなんて、江戸川さん嫌いそうだもんね)

 「新一」が快斗であることはコナンも見破っているだろうし、十中八九彼が快斗を締めたのだろう。しばらく距離を置いて頭を冷やすよう言い含めたのかなんなのかわからないが、それが原因で姿を現さないのだとまりは推測していた。

 兎にも角にもいずれ事態は動き始めることだろう、とまりは踏んでいた。事情を把握しきれていない彼女は、下手を踏んで何かへまをしでかしてしまうよりも、大人しくことが始まるのを待っているという手段を選ぶことにしたのだった。

(修羅場になりそうな予感……)

 まりは内心頭を抱えて、その時のことを想像した。何が起こるのか、コナンを見ていると不安になった。

「それで、ご注文は?」

 黙るまりを置いて、光彦が業務に戻る。コナンは彼女の隣に座ると、数秒考えるそぶりを見せた。

「あ、お隣失礼します。そーだな……ダッチコーヒーあるか?」

「用意してありますよ」

「じゃ、それのアイスで」

「かしこまりました」

 流れるような操作でまりの隣に座ったコナンが頼んだのは、低温で長時間抽出した、いわば水出しコーヒーのことだ。淹れるまでに時間はかかるが香りも苦味も甘みも強く味わうことのできる方法で、豆そのものの味を楽しむことができるのだ。

「……光彦の淹れた珈琲、ウマかったでしょう」

「えっ? あ……」

 コナンがまりに話しかける。それでやっと想像の世界から抜け出して、ようやく彼女は現実に引き戻される。脳内ではコナンが彼女自身の存在を糾弾しているところまで話が飛んでいた。いつの間に隣に座っていたのかと驚きながらも、頭の中の絵を吹き消して、コナンの問いに頷いた。

「はい、とても」

 目の前のカップを見つめる。もう半分以上は飲んでいた。小洒落たアンティーク風の細いフォークでケーキを切り分ける。薄い生地が何層にも分かれているが、見た目とは異なり崩れにくくて食べやすいところもこのケーキの魅力の一つだとまりは思った。

(ケーキ屋さんも開けそう)

「僕もよく来るんですよ、昔からここは豆も淹れ方も格別で」

「へえ、そうなんですね」

「到底マスターには及びませんけどね。高校の頃から働かせてもらってますが、まだまだ修行が足りません」

 まりが相づちを打っていると、光彦も話に入ってきた。

「でもあの厳しい店主に合格点出されてるんだろ?俺は好きだぜ、お前の珈琲。……奥さん、早くよくなるといいな」

「そうですね、オーナーももっと奥さんのそばにいてあげられたらいいんですけど……っと、お待たせいたしました。ご注文の品です」

 光彦は話を切り上げて、細長いグラスに入ったアイスコーヒーをコナンの目の前に差し出した。


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