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「何を飲みますか?」
「それじゃあ、おすすめのコーヒーを」
「かしこまりました」
にこりと笑って、コーヒーミルを動かす光彦。手慣れたその様子を、まりは感心したように見つめる。
光彦に案内されて、彼女はコナンの隣の席に座っていた。つまりカウンター前の座席だ。足が長く、背もたれがないタイプのスツールだが、クッション性が高いからか存外座り心地はよかった。それにカウンター席にしては椅子と椅子の幅が広くとられているので、パーソナルスペースを気にして背がむずむずすることもなかった。
「お邪魔しちゃってすみません」
「ああいえ、気にしないで下さい。それで、光彦とはどんな?」
「ええっと、以前このお店に来た時に、すごく美味しいコーヒーを淹れて下さって。ちょっと悲しいことがあって落ち込んでたんですけど、光彦さんが慰めてくれたんです」
「悲しいこと……?」
「うーん、たわいもないことですよ」
「……そうですか」
(嘘だな)
コナンはまりが一瞬見せた顔を逃さなかった。深い悲しみと絶望。美しいうら若き少女にはまるで不釣り合いな表情に彼は当然のごとく疑問を覚えたが、やわい拒絶を突き進んでもよいものかと思案してしまう。
探偵としての好奇心は依然衰えを見せていないが、少年のように突き進む猪突猛進さは、18年前よりも過激ではなくなっていた。
「はい、お待たせしました」
「わ、いい香り」
豆の香ばしさがまりの鼻を抜ける。自分で淹れた時よりもずっと脳をくすぐる、濃厚で芳醇な、新鮮味のある香りだった。
「ケニア豆と、その他三種類の豆をブレンドしたんです。以前いらした時には、随分濃いコーヒーがお好みだったようなので」
「わ、よく覚えてますね」
「もちろんです」
と、胸を張る光彦。
(なるほどな)
それだけで、コナンには何故彼女がここにいるのか読めた。やるじゃねえかと、頬をつり上げて笑う。
「なんですかコナン君、笑い方がいやらしいですよ」
「いやらしいってお前」
茶化すように光彦を見ていたコナンに、光彦は恥ずかしさまじりで突っかかる。そんな彼にコナンが半目で言い返しかけると、まりの携帯がぴりりと鳴った。
それまで二人の様子を微笑ましそうに見て笑っていた彼女の顔が強くこわばった。
「あ、電話みたいです、すみません……」
「いえ、お気になさらず」
話の腰を折ってしまったことに申し訳なさそうな顔をしながら、コナンと光彦から顔を背けて電話に小声で出る。相手は着信音の時点で分かっていた。
『おい、出勤だ』
「ちょっとオーナー、この時間には入れないで下さいってちゃんと言ってあったじゃないですか」
『いいから、俺が世話になった人なんだよ。早くしろ、場所はいつも通りメールで送ってやる』
(……どなたでしょう?)
(オーナーって言ってるし、アルバイトじゃねーのか)
(でも、あまりいい雰囲気じゃ……)
「……はい……はい。わかりました、それじゃあ」
コナンと光彦がまりの様子を伺いながらこそこそと話をしていると、彼女は電話を終わらせ、ピッと携帯を切って、心持ち乱暴に鞄に戻した。
「どうかなさいましたか?」
「あー……、ちょっと呼ばれちゃって。すぐに行かなくちゃならないみたいで……」
光彦がおそるおそる尋ねると、まりは答えるなり、まだひどく熱いコーヒーを喉に流し込み始めた。
「……光彦さん、すごく美味しかったです。あの、すみませんでした。今度はちゃんともっと味わいにきます。江戸川さんも、また今度」
ふたりがぽかんとしながら彼女の荒技を見ていると、カップを空にしたまりは1000円札を取り出してカウンターに置いて、挨拶もそこそこに喫茶店を飛び出していってしまった。
「……まるで嵐だな」
肘をついて、コナンはそう言った。よくもまああんな熱いモン一気飲みしたなと妙なところに感心してしまう。
「そこがいいんじゃないですか。以前お会いした時には途方に暮れた顔をしながら二時間でコーヒーを十五回もお代わりしてましたよ」
「お前……よくそんな訳分からねえ人ナンパしたな」
「いやあ、あの飲みっぷりにホレボレしちゃいまして。そういえばコナン君はどうしてまりさんとお知り合いなんですか?」
と、そこでコナンの動きが止まる。眉を寄せ、一応の確認、と言うように光彦に尋ねた。
「……まり?それって、彼女の苗字だったりするか?」
「いえ、お名前ですけど……」
「……ごっそーさん」
「っえ!? ちょ、ちょっとコナン君!?」
ポケットから小銭を取り出すと、彼は早足で喫茶店を出て、まりの後を追うように走っていってしまった。
ーーまりは忘れていたが、彼女は光彦とは違う名前をコナンに名乗っていた。あのとき彼女は、レイカと、思わず口にしていたのだ。
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