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「さあて、どんな返事かなあ」

 湯船に浸かったことで、そんな独り言を言うほどまでに彼女の機嫌は回復した。そして、それっという掛け声とともにまりはメール画面を起動させた。


差出人:光彦さん
宛先:北塚 まり
件名:Re:
本文:お久しぶりです。
返事をいただけてとても嬉しいです。
ぜひいらして下さい、次の出勤日は三日後の午後二時から三時間です。



「プッ……光彦さんかったいな〜」

 と、まりは思わず笑ってしまった。馬鹿にしたのではない。真面目さがいい意味で彼女のツボに触れたのだ。根が真面目なまりにとって、光彦の固さはむしろ好印象とも言えた。

(三日後……は、と。



んー、出勤日かあ。)

 彼女は齢19にしてワーカホリックと言っていいほど働いていた。文字通り身を削って稼がなければならないからだ。しかし、コーヒーを飲む程度なら全く問題あるまいと思って、了承のメールを翌日指定で送る。

(こんな時間に返信するのもマナー違反だしね。よし、寝よう。)

「……おやすみ」

 まりが毎日欠かさずに「おはよう・いってきます・ただいま・おやすみ」を言っている相手は、元の世界の家族だ。
 はたから見れば単なる習慣に他ならないが、自分が元気であることを少しでも伝えられたらいいのにという、彼女のこらえきれない思いが滲み出た、切なさを孕んだ言葉でもあった。


−−−−−


 ちらりと時計を見る。短い針は二を指すよりも少し手前にいた。
 店長に客を入れないよう念押しをしてあるので、この時間帯は問題ないはずだ。

 無記名でも買えるICカードを購入していたまりは、改札をそれで通り抜け、空宿へ向かった。

 辺りをきょろつかせ、初めてこの世界に降り立った時の経路を思い出しながら、光彦の働く喫茶を探し当てる。前もって光彦が行き方をまりに教えていたので、方向音痴の彼女でも迷子にならずに済んだ。

 カランコロンと、扉に取り付けられたベルが軽快な音を立てる。大通りから少し外れたところにあるせいか、空宿の喧騒を忘れるような優しい空間がそこにはあった。
 客は数人いるが年齢層が高いようで、静かな話し声とセンスのいいジャズだけが響く。

(わ、素敵な空間)

 まりは素直にそう思った。そして、自分はこんなところでヤケになってコーヒーを大量に飲んでいたのかと思って、彼女は恥ずかしさで顔が熱くなった。

「いらっしゃいませ。こんにちは、いらしてくれたんですね」

「こんにちは」

(あ!光彦さんこんな顔してたんだ。そっかそっか、わかってスッキリ)

 嬉しそうな顔をした光彦が、カウンター側から出てきてまりを迎える。彼女は光彦に笑顔で挨拶をして、なんとはなしに先ほどまで光彦がいたところに目を移すと……。

「あ、どうも……」

 バッチリと目が合ったずいぶんと見覚えのある顔。その彼が、コーヒーカップの取っ手にかけた指をそのままカウンターに下ろして、まりに向けて会釈をした。ラフな格好をしている。おそらく、今日は彼にとっての休日なのだろう。

「えっ、」

(え、江戸川さん!?)

 突然のことに、まりは心の中で叫ぶ。思わず口から出してしまいそうになった衝動を飲み込むのが精一杯だった。

「あれ、お知り合いですか?」

 まりが慌てて会釈を返すと、光彦はきょとんとした顔をして二人を見比べた。それもそうだ、自分がナンパした女の子が自分の友人と知り合いだったなんて、思いもしないことだろう。

「あー、まあ、そうですね。この前ちょっとお世話になって……」

 頬をかいて、まりはそう言った。複雑な事情が絡んでくるので、彼女はなんと説明したらいいのか、よくわからなかった。


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