10
「なんであたしに新一って言わせんのようおうおう……」
新一の帰った後、腰砕けになったまま、まりはベッドでそう呻く。散々やらしいことをされて、しばらく立てそうもなかった。
(あの人、異様なくらいうまいよなあ。相性めちゃくちゃいいし)
そう。まりの悩みとは、何故自分を新一と呼ばせるのか、であった。
一度だけ、高級そうな指輪をしているところを見たことがあるし、彼は結婚してるはずだ、とまりはにらんでいた。毛利蘭だか灰原哀だか知らないが、お嫁さんとよろしくやっているのだろう、と。
……しかし、それは江戸川コナンとしての姿で、だ。けして、工藤新一としてではない。
まりは以前気になって図書館などで過去十八年間の工藤新一の足跡と黒の組織について調べたことがある。
するとわかったことがいくつかあった。
実態こそ明らかになっていないものの、一時期世界中の大物が連続的に何かしらの理由で逮捕されていた時期があったらしい。政治家だったり、芸能人だったり、製薬会社や大企業の重役だったり。あまりに大量で、一時期世界的な社会混乱が起きたそうだが、どれだけマスコミや国民につつかれようと、どの国の警察もその関連性について頑なに明かすことがなかったという。
これが、十六年前の出来事。
そう、まりが仮説を立てるには十分なヒントだ。
黒の組織は恐らく壊滅したのだろう。末端は知らないが、母体はきっと。
また、工藤新一は九年前の冬に普通失踪による失踪宣言が受理されて、死亡が成立している。
つまり、「工藤新一はもうこの世にいない」ということ。
薬の完成の有無は不明だが、きっと彼は江戸川コナンとして生きていくことを選んだのだ。
自分の意思にしろ仕方なしに選んだにしろ、そこに二つの人生を選ぶ余地など、なかった。
だから、まりに新一なんて呼ばせる必要性なんて全くない。
もしかしたら自分を江戸川コナンだとバラしたくなくてそういう名乗り方をしたのかもしれないが、それにしたって新一なんて名前を使うのは怪しすぎた。
何故って、二人の共通点をそこから見つけて江戸川コナンが工藤新一だなんて突飛な想像を、誰かがしかねないからだ。百人に一人くらいは、そう思う人がいるかもしれない。ならばそれは打つべき手ではない。それに、そういった類の行動は小学生だった彼が最も忌避していたことだ。
「ハア……あー、わかんない」
まりは上半身と下半身の向きを違えて、全裸でストレッチをはじめた。
「っんーー、気持ちいい!」
朝日の暖かさも、新一の開けていった窓からの風も、心地がよかった。
全身がちょっと気持ち悪いのを加味してもまだ、爽やかと言い切れるほどいい朝だ。
(こんな素敵な朝を迎えられるようにしてくれたのは……あたしを救ってくれたのは、新一さんだ。
最初は、ありがた迷惑だった。
だけど無理やり突っ込まれたここのマンションの居心地があんまりよくって、いつからかあの人に"救われた"と思えるようになった。
家も借りれないくせに、一人でも生きていけるって片意地張ってたあたしには、きっと、丁度いい対応だったんだろうなあ)
まりには全く、わからなかった。
新一がどうしてまりを愛人のように囲うのか、なんてことは。
だけど、彼はまりの恩人であった。
そうであるならば、彼の正体など取るに足らないことなのではないか?
詮索すべきでは、ないのではないか?
まりは、そう思った。
(まあ、奥さまにあたしの存在がバレたり、飽きられたりしたらこの天国も終わっちゃうだろうけどね。そうなったら訴えられないように、失踪するしかないかなあ)
なんて考えて、まりは一人で笑った。
まりには、以前とは違ってお金と余裕があった。
-11-
*prev next#