05
「おはよー」
教室に入るなり、数人の子供から挨拶をもらう。まりはそれに答えて、コナンと哀にそれとなく目を向けると、どちらの目も自分に向いていることに気がついた。
(見られてる…!)
内心緊張が走るが、ニコリと笑いかけると微笑みが返ってきたので、少しホッとする。
(なんというか、オーラも佇まいも対応も、絶対小学生じゃない……)
「おはよう」
席にランドセルを置いたまりに、哀が話しかける。
「まりちゃんおはよう」
コナンもまりに声をかける。
(目暮……ああ、私、今目暮なんだ)
コナンの一言で、頬が自然に笑みの形を作る。酷くだらしない笑顔に違いないと思いながらも、自分で止めることはできない。
「んふふ……おはよう、哀ちゃんとコナンくん」
小学生なら、相手を名前で呼ぶのが当たり前かと判断して、あいさつをする。当たりのようで、相手の挙動に不自然さはない。
「……江戸川君」
まりの笑顔を見て固まったコナンを、哀が肘で突つく。
「うわっ、んだよ」
「別に?」
「オメー、俺のことからかうの結構好きだろ……」
「どうかしら」
(仲いいなあ)
半目になるコナンと、流し目であしらう哀。こっそり話しているので、話があまり聞こえないまりは、そんなことを考えた。
「あら目暮さん、この薬……もしかしてあなたの?」
ふと、哀はまりの席のそばにしゃがみこんで、少し離れたところからプラスチックのシートに入った数粒の錠剤を見せる。
「えーっと、なんで書いてある?お母さんが飲むように言ってた薬はレスリン、ってやつなんだけど」
(ビンゴね)
(ああ)
哀とコナンは目配せをした。トラゾドン系の薬には主にレスリンとデジレルの二種類があったため、まりが薬名を言うのを待ち構えていたのだ。
「そう、じゃあ違うわね。誰のだかわからないし、後で先生に届けておくわ。
……ところで目暮さん。あなた、レスリンなんて処方されてるの?」
「え、うん、飲んでおきなさいって」
「……やめておいた方がいいんじゃないかしら」
「そうなの?」
硬い声の哀に、まりは呆けた返事を返す。
自分で何の薬を服用しているのか、あまり理解していなかったのだ。目暮夫妻がお医者さんに出してもらった薬だからと、まりに飲むように言ったから飲んでいるだけなのである。
(ちゃんと調べて飲んだ方が良かったのかな……)
そんなまりに哀はため息を吐くと、次にはマシンガンのように語り始めた。
「いい、よく聞きなさい。この薬は24歳以下に飲ませるとかえって危険になる可能性があるの。あなたが感じる症状を、更に悪化させるかもしれないの。
6歳のあなたにトラゾドン塩酸塩錠を処方するなんて、その医者とんだヤブよ。一体どうやって免許とったのかしら。いくら抗うつ剤の中で副作用が少ない方の薬だって言ったって、そもそも子供に向精神薬を投薬するだなんて……間抜けもいいとこだわ」
「あ、哀ちゃん?」
哀はまりの両肩を掴み、近距離で瞳を見据える。
「……とにかく、レスリンを飲むのはやめて。いい?絶対よ」
そして、ゆっくりと言い聞かせるようにそう言った。
「先生に薬を届けてくるわ」
「あ、おい灰原!」
そして、言いたいことを言った哀は、教室からさっさと出て行ってしまったので、まりは周りのクラスメイトと一緒に目を丸くした。
「ごめんね、びっくりした?」
横で話を聞いていたコナンが、まりに柔らかい口調で尋ねる。6歳児があのようにまくし立てられて、全くのショックを感じないとは思わなかったため、フォローに回ることにしたらしい。
「ま、まあ……えっと、哀ちゃんって薬に詳しいクールな子なんだね」
「あー、まあ結構ね。でも、あれは」
「わかってるよ、私のために怒ってたね」
コナンの知るまりは、ただの6歳児だったころのまりだけだ。ゆえにコナンは、あまり人と交わらないでいたまりがはきはきと喋り、あまつさえ哀を慮る姿を見て感動すら覚えていた。
哀があそこまでまりに肩入れするのは、自分との境遇に重ね合わせていたからだろう、とコナンは考える。
「普段はあんな熱くなったりしないんだけどね」
自分も随分と彼女に入れ込んでいることを自覚していたため、哀がまりに好意的なのは都合がいいと思った。まりが少しでも多くの人に好かれ、幸せな人生を歩めればいいと思っているからだ。
それはきっと保護者のような感情だったのだろう。この時までは。
「そうなんだ。哀ちゃんって、優しいなあ」
と、朗らかに、嬉しそうに笑ったまりを目の前にしたとき、恐らく彼のまりに対する感情のベクトルがズレ始めた。きっかけと言っても、いいのかもしれない。
とにかくコナンのまりへの見る目はこの瞬間に、庇護すべき被害者の女の子から笑顔の可愛い女の子へと移り変わったのだった。
おわり
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