02

意識が浮上する。
まりは何処かの薄暗い部屋で、壁にもたれかかって座っていた。

「う、」

(…………頭、いった……ガンガンする…し、体中……うう、ギシギシ言ってる……なんでこんな……あ、ああ、そうか……あたし)

まるで強烈な睡眠薬を飲んだ時のような強制的な眠りから覚める感覚と共に、それに伴う強い頭痛で脳が揺さぶられる。ずっと同じ態勢でいたのか身体が固まってしまっていて、少し動くだけでも酷く痛む。しかし、中でも一等痛いのは、右腕だった。手首を何かで壁に固定され、顔よりも上のところに縫い付けられているせいらしかった。

意識が戻りかけている時にそんな痛みに襲われたものだから、まりの目は覚めないはずがなかった。

「こ、こは」

身体を動かすのが億劫で、視線だけを四方に向ける。
全面が打ち付けのコンクリートの部屋だ。何も置いておらず、大して広くもない。
夏のはずなのに空気がひどく冷たいが、それにもかかわらず淀んだ気配を一面に漂わせている。

まりが固定されている向かいの壁に出入り口があるが、しっかりと閉じられていて、外の様子を伺うことは一切できない。

(どれくらいこうしてたんだろ……)

ゆっくりとしか動くことができない身体をもどかしく思いながら、下半身の位置をずらしてみれば、脚に新たに触れる部分がずいぶん冷やっこい。

(なんだろ…………あたし……殺される、のかなあ)

と考えるまり。車の中のテンションならばパニックになって叫び声を上げていたのだろうが、ひどい身体の怠さと強い頭痛、そして理解の範疇を超えた状況に、逆に冷静や平静にも似た思考状態に陥っていた。


そしてそのまま、どれほどかもわからないほどの時間が経つ。


とても長い時間そうしていたようにも思えるが、もしかしたらそれほど過ぎていないかもしれない。うんともすんとも言わぬ腹時計は役に立たず、時間感覚が完全に狂ってしまったようだった。


(うううう……ああ、動きたい)

手をひたすら上げることで起こる継続的な痛みが、関節から広がって、脳までを襲う。立ち上がって体操の一つでもしたいところだが、手錠が壁としっかり一体化してしまっていて、まともに動くことができない。

(ある意味拷問だ)

そう思いながら、さめざめと泣く。

「う〜……」

痛い、帰りたい、動きたい。そのことばかりが頭を駆け巡る。


そして、ようやく。


……コツ…………コツ…………


静寂の端から、僅かな足音が訪れる。
まりはそれを耳聡く聞きつけて、ピタリと涙を流したことで乱れていた息を殺す。そして、自由な方の腕で、涙を拭く。急激に襲われた緊張感に、涙は引いていた。

微かな足音はどんどん近づいてきて、まりの閉じ込められている部屋の前で止まる。

(は、入ってくる)

ガチャリ

扉が開いて、外からの明かりが差し込む。この部屋よりは、幾分明るいらしい。

入ってきたのは、先ほどの鋭い瞳の男−−ジンだ。

「よォ、お目覚めらしいな」

冷たい声が響く。身体が意図せずに跳ね上がった。

そして、コツ、コツ、ともどかしいほどの速度でまりに歩み寄ってくる。

「痛いか」

とジンはまりに尋ねる。
そしてこの痛みが意図的に与えられているものだと気付いて頭がカッとなる……が、首振り人形のように頭を揺らすことしかできない。なんでもいいから、この拘束を解いて欲しかった。

「なら吐け。例のブツはどこにある。アイツはどこに行きやがった」

相変わらずまりとジンの中での食い違いは根深いらしい。
恐怖も感じるが、同時に、うんざりもする。

「知りません、ったら……。ほんとに、知らないの。なにも」

まりはひたすら正直に答えることしかできない。
それ以外には打つ手札がないのだから。

まりは面を上げて、やましいことは何もないと強く主張した視線を、その冷たい眼差しに合わせる。
するとジンは腰を落とし、まりの輪郭をなぞるように触れた。

「いくつだ」

「じゅ、じゅうく」

反射的に答えてしまうと、ジンはくつりと喉で笑った。

「名前は」

「レイカ」

ふいと視線を逸らしてしまう。案の定嘘だと気付かれて、同じ問答をされる。仕方なしに一言名前を告げると、ジンは苗字もだ、と言った。

「……北塚」

「住所は」

「……………」

「言え」

「や、だ」

ひどく恐ろしい。しかし、言えるわけもなかった。まりは家族に危害を加えさせるわけにはいかないと、強く思った。

逸らしたままの視線は、ジンがまりの髪を強く引っ張り上げたことで、再び合う。

「二度目はない」

その底冷えするような声に、まりの肝は悲鳴を上げた。


(−−それでも)

まるで何人も殺してきたかのような瞳が、余計にまりの口を閉ざさせた。
まりには義務がある。最低限家族を守らねばならないという義務が。
安易な恐怖に負けて、家族をこの訳のわからない脅威に晒してしまうなんて絶対にダメだ、と。ジンの視線は、まりにそんな決意を固めさせた。



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