01
その時、まりは外出していた。
気に入った小物を買って、ご機嫌で路地を歩いていた。
運悪く、強く人にぶつかってしまって、互いにすべての荷物を地面にばら撒いてしまった。
しまったと思いながらしきりに謝って、散乱した荷物を片付けようとした。
せめて相手の物から拾おうと思って、目の前に滑り込んできていた箱を拾い上げた。
−−そして、顔を上げたその瞬間だ。
まりは見覚えのない公園に立ち尽くしていた。
(ど、どこココ)
まりは箱を持ちながら、辺りを見渡す。寂れた遊具があるだけで、公園内にもその外にも、人っ子一人見当たらない。
サイズは正しいはずなのに、やたらと肩紐がずり落ち始めたキャミソールに苛立ちながらも、公園の外に出てみることにした。
ヒールのカツカツという音に混じって、少しだけカポカポという感覚がする。(変だな、急に靴大きくなった?)と思わないではなかったが、それどころではない。そして全く知らない景色ばかりが続く歩道を必死で見回していると、突然ドスの効いた男の声が辺りに響いた。
「オイ、そこの女!」
恐ろしい声だ。酷く立腹している。
何事かと思ってまりが周囲を身渡そうとすると、突如腕に痛みが走る。
「っ、キャア!」
「見つけたぜ」
と、先ほど聞いた鋭い声がまりの耳元でする。
そしてようやく痛みの正体がわかった。まりは見知らぬ怖い男に、腕をひねりあげられているのだ。
(いったい!痛い!何!?)
思わず手にしていた箱を話してしまうが、地面に落ちる音がしない。それに不思議に思う暇もなく、まりはそのままの態勢で、男に引っ張られてしまう。
パニックに陥ってしまって、ろくすっぽな反応もとれずにそれに追従してしまう。
そのまま抵抗できずにいると、気付けば黒塗りの車のそばまで連れてこられていた。
車の型がずっと昔の外車だ。
「……この女は何だ、ウォッカ」
「へい。ジンの兄貴。例の箱をこの女が持ってやした。十中八九ヤツの関係者ですぜ」
「何……?ガキの癖にいい度胸してるじゃあねえか」
何やら恐ろしげな会話が繰り広げられる。ぐい、とまりは頬を掴まれて、銀髪の男−−ジンに、ジッと目を覗かれる。余りの鋭さに心臓がハネ上がる。しかし、全く身に覚えのないことで絡まれているのだと気付くと何だか腹が立ってきたので、強くニラみ返す。
「ほォ。抵抗する気か、女」
まりは無理に髪を掴み上げられ、そのまま車内に押し込まれる。
「ちょ、っ、と!やだ、やめて、やだ」
と声をあげるが、恐怖に身がすくんでろくすっぽな抵抗もできない。
そしてジンがまりの隣に強引に乗り込み、発進してしまう。
(ちょ、ちょっと待って、何これ何これ何これ!誘拐じゃん!何で、どうして!)
非現実に次ぐ非現実に頭がついていかない。けれどなすがままにしては、大変なことになるに違いない。タイミングも何もかも伺うことをすべて忘れ、自分がいる方向の扉を開こうと手をかける。まりはこの男たちから離れられるなら、大怪我をしたって構わないと本気で思った。
−−しかし。
「外に出ようとしたり暴れたりしたら、撃つぜ」
肩口に感じる硬くて丸い何か。
そう、それはまるで。
「け、んじゅ」
確かな予感を持って、ゆっくりと首だけそちらに顔を向ける。
ジンがニヤリと笑いながら、黒い銃口を押し当てていた。
「ほォ、見るのは始めてか?そのまま暴れてくれたら、味わうこともできるぜ」
まりには痛いほどわかった。暴れたら、直ぐさま撃たれてしまうと。
扉にかけていた手を、ゆっくりと、膝に乗せる。
「それでいい」
と、ジンは口の端を吊り上げた。
そして拳銃をチラつかせながら、まりから奪い取った箱を開き始める。すると幾分も経たずに、「……おいウォッカ」と酷く低い声が車内に響いた。
(っひ、)
怒りの矛先がまりに向いているわけでもないのに、勝手に身体がすくみ上がる。
「へ、へいアニキ。なんでしょう」
まりが脅されているのをミラー越しにニヤニヤして見ていたウォッカが、一転、怯えた色を見せながら返事をした。
「こいつァ、フェイクだ」
「ゲッ」
「てめえ、確認しなかったのか」
ジンの鋭い声がウォッカを糾弾する。
「す、すいやせん。すっかり見つかったもんだと思いやして……」
「チッ……撹乱たァ、奴さんも少しは頭が回るみたいだな」
「この女、どうしやす?」
「……始末するのは後回しだ」
(あああ、後始末!?フェイクとか錯乱とか、違う違う違うよ!ヤバい、これヤバいって!!殺される!!!)
何やら凄まじい勘違いがされているようだと、まりは発狂する。
「待って!!私、知りません!何も、してない!!!」
拳銃の存在も忘れ、隣にいるジンに詰め寄るまり。
勘違いで死の危機に晒されているのだ。なんとしても誤解を解かなければ。まりの頭はそれでいっぱいだった。
もう半泣きで、ちょっとしたきっかけさえあれば爆発してしまいそうだった。
気が弱いわけでもないが、こんな状況に陥っても尚落ち着いていられるほど気丈でもなかった。
ぶつり。
そんなまりの肌を、なにかが突き破る。
「うるせえ。寝てろ」
その言葉と同時に、痛いと思う間もなく、まりの意識は強制的に閉じられた。
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