終わらせる決断はついている

「おーい、帰ろうぜ」

 放課後の教室で蘭とわたしが楽しくおしゃべりをしていると、ガラリと開いたドアの向こうから新一が現れて、蘭にそう言った。手に持った鞄を肩に引っ掛け、ポケットにもう片方の手を突っ込んでいる。どうせ扉は足で開いたのだろう。普段からこう、この男は格好つけたがりなのだ。

「なーに、やっと職員室から開放されたの?」

「優秀な生徒は進路決めも大変なんだねえ」

からかいを込めてそう言えば、半目でうっせえ、と返された。

「アハハ、先生たち、新一のこと大学に行かせようと頑張ってるんでしょ?」

「まーな。勉強は一人でも出来るし、暫く大学はいいって言ってんのに、あいつら俺の話聞きやしねえんだ」

 新一は顔をしかめた。探偵としてのスタートダッシュを一刻も早く切りたいと切望しているから、今は大学には入りたくないそうだ。
 この男は中学だって高校だって本当はもっと頭のいいところに行けたはずなのに、蘭と同じところに通うためにわざわざ帝丹を選んだことからもわかる通り、学歴なんて全く気にもとめていないのだ。
 飛び抜けた学歴は社会に出てから役立つと思うのだけれど、そこまでハイレベルな大学は蘭の進路範囲には入っていない。だから行かないのだ。蘭のいない青春なら必要ないと思っているあたりが相当盲目だなと思う。

「まあまあ。先生なりに、新一のこと考えてるんだって」

「まあな、それはありがてーけどさ。俺も色々決めてっからありがた迷惑っていうかな……」

 きっと新一は、海外の有名な大学に入って、飛び級で卒業しようとか考えてるのだと思う。あまり深く自分のことを語らないのであくまで推測だけど、私が思いつく中では最善の方法だ。そうでなくとも、蘭があまり悩むそぶりを見せないあたり、何かいい方策を話し合い終わっているに違いない。

「ふうん、そっかそっか」

「おう」

 そのうち二人から話してくれるだろうと思って、私は相槌を打つだけにとどめた。

「ほら蘭、早くしろよ」

 わたしとの雑談が終わったと見て、新一は蘭を急かし始める。

「あ、ちょっと待っててくれる?」

 だが、蘭は新一に静止をかけた。彼女がわたしにノートを貸してくれることになっていたからだ。

「るせー。早くしねーと置いてっちまうぞ。
 さーんにーいいーち」

「わーもう!新一のバカ!」

 蘭が鞄を探っていると、新一はニヤニヤとした顔で蘭をからかい始めた。蘭も少し嬉しそうにその応酬に乗っているようなので、わたしはそんな二人を見ながら手を合わせてお辞儀をして、ご馳走様と唱えた。

「もう!名前っ!……ごめん、わたしもう帰るけど、これで大丈夫だよね?」

「……うん、大丈夫!ありがとね、休んでた分だったから、ほんと助かった!」

 蘭は大急ぎでわたしにノートを取り出し、わたしに手渡した。目当てのノートか確認するために数ページ繰り確かめて、わたしはお礼を言った。習字をしていたわけでもないのに蘭の字は羨ましいくらいに整っている。

「ううん、いいの……って、ちょっと待ってよ新一!あ、じゃあね名前!」

「じゃあねー蘭、新一」

「また明日ね!」

「オウ、じゃーな。……あ、名前!アレ明日持ってくっから」

「おおお、忘れられてるかと思った!……うそうそ、ありがと、よろしくね!」

 先に歩き出した新一を追いかけるように教室を出て行く蘭。教室の扉の前で蘭を待っていた新一が、ようやく思い出した話題を私に振った。
 新一が言っているのは、新一お勧めの推理小説のことだ。わたしも彼には到底及ばないが推理小説好きなのである。そんなわたしの推理好きを更に育成したいからなのか、新一はよく膨大な量の本に溢れた書斎で見つけた良作を、わたしに貸してくれる。ありがたい話だ。

「もう、二人とも推理小説オタクなんだから」

 と、蘭は苦笑をこぼす。

「うっせ」

 いつまで経っても新一の推理好きっぷりにツッコミを入れる蘭に対して、新一はちょっと拗ねているらしかった。

「アハハ……」

 二人はわたしに向かって笑顔で手を振ると、今度は振り返ることなく、教室から消えた。
 腹減ったーなんて言葉は、わたしには聞こえない。もう、仕方ないわねーなんて言葉も、聞こえない。

 二人の姿が見えなくなると、わたしは浮かべていた笑顔を消した。無表情につなるようとめているけど、もしもここにわたし以外の人がいるなら、わたしの顔を見て、変な表情をしているなと思うことだろう。眉は垂れ下がり、口がへの字になっているのを感じた。

 浮かべた思いを振り切るように、二冊のノートを机に広げる。わたしは、蘭の綺麗な文字を写経していくような意気込みで、必要な部分を書き写していく。
 そして、修行僧になったような気持ちで、必死でそれに向かい合った。

 わたしのあふれ出てしまいそうな心を、縛り付けるかのように。

 (蘭、この後新一の家にご飯作りに行くんだよなあ。きっと二人でスーパーに買い物に行って、楽しそうに何を作るか話すんだ。
 それで、きっと新一の家で……
 ・
 ・
 ・
 ううん、考えちゃダメ、ダメ、ダメ。)

 わたしの心は修行僧からは程遠く、雑念だらけだ。
 きっと、修行してもし足りないに違いない。

 次から次へと浮かんでくるのは、新一の顔。笑った顔、まじめな顔、不真面目な顔、眠そうな顔、うれしそうな顔。それから……恥ずかしそうな、顔。
 最後のそれがよぎったときには、すぐ隣に蘭の顔もあった。二人とも、とっても幸せそうだ。

 (もう……考えちゃダメだったら!)

 わたしの心は悲鳴を上げていた。

 そう。

 わたしは新一が好きだ。誰よりも何よりも好きだ。小学校のときから、変わらない。ずっとそばで、見てきた。
 だけど、誰かに話したこともないし、行動に移したこともない。要するに、わたしだけが知る恋愛感情だ。隠して隠して……今まで、ずっとそうやってきた。

 なぜってそれは……

 わたしが、いつだって蘭の存在に圧倒されてきたからだ。

 "蘭にはけしてかなわない"

 わたしは大分前に、それを悟ってしまった。

 別に、蘭が何かしたというわけではない。
 彼女は昔から変わらず、いつでもどこでも素敵な女の子だった。
 そんな蘭に、わたしが勝手に劣等感を覚えて、気が引けてしまっている。ただそれだけの話。

 そしてわたしが勝手に怯えているうちに、二人は自然と互いを意識するようになった。
 今ではもう、立派な恋人同士だ。

 だから、わたしは彼に好きだなんて言えやしない。
 そもそも、蘭に遠慮していたあの時点で、そんな権利は、失ってしまっていたのだろう。

 わたしは今も昔も変わらない。
単に、新一にひそかに恋をして、蘭とも新一とも仲良くする、ちょっとずるい女でしかない。

 だけど、あのね、蘭。わたしはあなたのことも大好きで堪らないんだよ。

 だから、ねえ。わたしはあなたのことを悲しませるようなことなんか絶対にしないから。

 どうかお願い。
 今まで通り、見て見ぬ振りをしていて。

 あなたを不安になんかさせないから。
 横から奪い取ろうとするような真似なんか、絶対にしないから。

 長すぎる片思いを忘れるには、もう少し、かかりそうなの。
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