今頃彼はうっとりしながら誰かの絵を描いているのだろう。
美しさに見いられたら最後、彼は見境が無くなってしまうから、その誰かを抱いているかもしれない。
甘い吐息を漏らしながら美しいと言う彼は誰よりも魅力的で。
「きっとあの人は僕のことなんて見ちゃいないんだ。」
彼が描くのは美しい女の人。
そこの時点で僕は間違えているのだから。
美しいその人を更に美しく描き上げる彼の手が僕の心をつかんで離さない。
僕をどろどろに溶かしてしまう彼の手。
けれど、きっと彼は僕を見ちゃいない。
「今日は男を描きにいくんです。」
「...そう...ですか。お気をつけて。」
頭を雷に撃たれたようだった。
僕は遂に要らなくなってしまったのかと呆然とする。
彼が外に出ていって自然と涙が流れた。
一粒一粒頬を伝う涙。
家を出なければ。
ここは彼の家だ。
長居するわけにはいかない。
少ない荷物はすぐに纏まった。
速く、速く。
逃げるように足早に駆ける僕はいったい何から逃げているのか。
自分でもわからなかった。
角を曲がった時、ドンッと誰かにぶつかった。
「申し訳ありませんっ!」
慌てて謝れば、上から聞き慣れた声が聞こえた。
「どうしました、チカ殿?そんなに慌てなすって」
「...春朗殿?」
「ええ、どうかされたんですか?」
「い、いえ…何もないのです。何も」
何もなくなってしまった。
心の中で呟けば、僕の不安が春朗殿にまで伝わってしまったらしい。
彼は僕を他の人から隠すように家へ連れ帰った。
「で、どうしたんですか。歌麿殿のことでしょう?」
「...男を、描くと。僕はもう歌麿様には要らなくなったのです。もう、あそこには居られません」
「男をですか!歌麿殿は何を考えていらっしゃるのか。あなたを傍に置きながら何を思って...」
「僕は美しくも屈強でもありません。貧弱な男を描いても面白くないのでしょう。歌麿様に描かせて欲しいと言われたことすらないのですから」
自分でも分かっていた。
彼の傍にいてはいけないことも何もかも。
けれど認めたくなかった。
自分は彼にとって邪魔だと認識してしまえば壊れてしまいそうだったから。
春朗殿が僕の頬を手で拭った。
涙を拭ったその手で顎を持ち上げられキスをする。
驚くことしかできず、何が起こったのか理解出来なかった。
「私はあなたが好きだ。歌麿殿があなたの手を離すと言うなら私が貰う。いけないとは分かっています!けれど諦めがつかないのです。どうかお許しくださいチカ殿」
「春朗殿が僕を好き...?いけない。僕はまだ...」
「賭けを、賭けをしませんか」
僕の言葉を遮るように話し出した彼は苦しそうに話始めた。
賭け。
彼が僕を描き上げる前に歌麿様が僕を見つければ僕の勝ち。
彼が僕を描き上げてしまったら彼の勝ち。
僕が勝ったら僕を諦め、彼が勝てば僕は彼のものとなる。
簡単なルールだ。
きっと僕は勝つことはない。
歌麿様が僕を探しにくるなんて想像も出来ないもの。
今頃歌麿様は熱っぽい視線をやりながら名も知らない男を描いているのだと思うと胸が焼けるように痛んだ。
「美しいですよチカ殿」
「そうでしょうか?こんな貧弱な体を描いても楽しくないでしょう?女の人のように柔らかくもないし」
「それがあなたの魅力なんですよチカ殿」
『それが貴方の魅力だ』
春朗殿の言葉と重なるその言葉に目眩がした。
過去の歌麿様が言った言葉が頭のなかを駆け巡った。
だめ、思い出さないで。
胸が苦しくなるのはもう沢山だよ。
「美しい」
『うつくしい』
「もう少し、です」
ああ、終わる。
辛い恋がこれで。
「チカ! チカどこだい!」
ガラッ音をたてて開いた扉が待ち人の訪れを知らせた。
春朗殿がため息をつく。
「負けて、しまいました」
「春朗殿...」
「さようなら、チカ殿。一瞬だけでも夢が見られて私は幸せでした」
立ち上がった僕の背を春朗殿がポンッと押して。
「歌麿様!僕はここにおります!」
「チカ!どこに行くか書き置きくらいしてお行きなさい。心配したんだよ」
「...はい。申し訳ありません」
春朗殿をチラと見たその目がスッと細められる。
手には未完成の僕の絵。
「春朗、その絵は燃やしなさい。わかりましたね」
いつもより数段冷えたその声は明らかに怒気を含む物で。
背中にヒヤリとしたものが伝う。
僕も春朗殿も聞いたことがないくらいの声。
「わかりましたね」
もう一度念を押すように言った歌麿様は僕の腕を取ると歩き出す。
僕は何がなんだか分からなくなって来ていた。
何故歌麿様は帰りが早かったのかとか、何故こんなに怒っているのかとか考えても分からないことばかりだ。
「...歌麿様何を怒っていらっしゃるのですか」
「分からないのですか?」
呆れたように言った歌麿様。
僕はどうすればいいのだろう?
僕が書き置きを残さなかったからといってこんなに怒る人ではない。
さっぱり見当がつかないと、歌麿様を見上げれば彼はひとつため息をついてから話し出した。
「私から離れようとしたでしょう。それに春朗に絵を描かせて私をどうするつもりなんです?」
「...もう、歌麿様には僕が要らないから。僕を絵のなかに閉じ込めてほしかった。辛い想いごと一緒に」
「誰がそんなこと言いましたか!私がどれだけ貴方を描くのを我慢してると思います!私は貴方を大勢の中の美にしたくない。私だけの物でいてほしいのに、貴方はふよふよと逃げていってしまう」
何処にも行くんじゃない...苦しそうに小さな声で発されたその一言はいつもは見せない弱さを含んでいて、僕の心を締め付ける。
全て僕の勘違いだったのか。
一人で突っ走ってバカみたいだ。
「歌麿様、見つけてくれてありがとうごさいました。僕をまた貴方の傍に置いて下さい。僕の絵なんかいらない、歌麿様の描いている姿をお傍で見ていたいのです」
歌麿様の背中に抱きついて言った言葉はどんな言葉より純粋な想いに満ち溢れていた。
私だけの貴方で。
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歌麿様かっこいい!春朗殿もかっこいい!
ドラマ見て一目惚れしました(笑)
でも口調がわからん!
思い出しながら書いたので口調があやふやすぎて(汗)
完全に趣味に突っ走りましたが、次は連載も上げる予定なので気長にお待ちください (*´ω`)