ヒーロー短編 | ナノ





黒とガーベラ





 機械につながれた君が、目の前で浅い呼吸を続けている。
 一定のリズムで刻まれる人工的な心音。それとともに移り変わる緩やかな電子の波。それが、今の彼女の命だった。
 
 −−ここに来るのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。


 視界映る彼女の姿は、ずいぶんとやせ細っていた。最後に交わした会話が、もう遙か遠い事のようだ。
 
情けない僕は、彼女から、現実から目を背けてしまった。その結果、僕はすべてを失ってしまった。

だけど、そうしてやっと。彼女の前に来ることができた。 


 眠り続ける彼女の顔はとても穏やかな表情だった。まるで午後のあたたかなまどろみの中にあるような、そんな穏やかな寝顔。
 「おはよう」そう声をかけたのなら、ゆっくりとその瞼をひらいて僕に笑いかけてくれる。そんな予感さえさせる。しかし、それが儚い自分勝手な幻想であることを、僕はとっくの昔に思い知ったのだ。もうずっと、彼女は眠り続けている。夢と現実の境、生と死の淵を、歩き続けている。


 花瓶の花を取り替えて、彼女のベッドの隣へと飾る。ピンク色のガーベラだ。
 ガーベラの花言葉は「希望」らしい。花のことはまるで詳しくないのだが、自分なりに調べてみたのだった。せめて、この花が彼女にとっての希望であるように。そんな願いから、多くの花の中から一輪、これを選んだのだ。
 そんな希望をこめて見ているからだろうか、一輪の花によって質素な病室が少しだけ華やいだように感じる。できれば、この綺麗な花を彼女にも見てもらいたい。そんな願いとは反対に、現実は相変わらず。感情を感じさせない機械音が命の鼓動を響かせる。


 静かで、無機質で、単調な。だけどそれは彼女の命そのものなのだ。

 そして、彼女をこうしてしまったのは、ほかでもない僕自身だ。


 根を切られてもなお、生き生きと咲き誇る希望。
 その隣で、たくさんの根に繋がれて彼女は眠る。死んだように穏やかな顔で。
 
 それに気付いて、途端に僕の世界はぐらりと歪む。眩暈。渦巻くような罪悪感が、僕を一気に支配して、悲しみの波が襲う。同時に、憤り。僕はなんて情けない。弱い。ずるい存在なのだろうか。


「……ごめん。ごめんな……」


 かすれた声で、ただそれだけ呟いて。僕はしばらくうずくまる。強く握った拳に爪を立てる。その痛みが、そんなことに痛みを感じてしまう自分が、ひたすらに嫌になった。
 
 現実は、咲き誇る希望とは相反しすぎている。それがたまらなく辛く、虚しい。


 今の自分はきっとひどく格好の悪い顔をしている。そう思った。こんな顔で彼女の隣にいるのはあまりにも情けない。
 こんなに時間が経ったのに、僕は相変わらず弱いままだ。 
 
 だから僕はゆっくりと立ち上がる。弱いままでは、彼女に会わせる顔がない。
 最後にもう一度彼女の顔を見て、そしてくるりと背を向けた。


 (その花が枯れる前に、また来るから)


 声に出さずにそう告げて、僕は病室を後にした。


 (僕はもっと強くなる。そうしたら……)



 花ではなく、本当の希望を、君のもとへ届けられるように。


 (今はまだ、花に希望を託す弱い僕を。どうか微笑んで、許してください)