ヒーロー本編 | ナノ

エンカウント:ストレンジャー

 布団の中で惰眠をむさぼる。
 何にも頭を悩ますことなく、ただそれだけを堪能できる。
 まどろみの中の幸福。そんなやわらかな喜びを感じられるのは久しぶりかもしれない。


 エンカウント:ストレンジャー


 梅雨入り前の穏やかな気候。桜の季節が過ぎ、真夏の灼熱にはまだ満たない。ぽかぽか晴れ晴れの陽気。お出かけ日和とはこれこのことか。
 日曜日の昼下がり。清々しさに、太陽をめいっぱい受けてわたしは大きく伸びをした。
 慌ただしい日々が落ち着いて、重い荷物を下ろしたかのように身体が軽い。生徒会に任命されてから、あれやこれやとごたごたに巻き込まれ。こんな風にのびのびと息ができるのは、なんだかとても久しぶりのことに思えた。

 ――といっても、全てが解決したわけではない。
 監禁騒動の次の日、わたしは生徒会室に乗り込んだ。これまでのことは一体何だったのか、そしてその真相を生徒会長から聞き出すために。
 けれど……。結果として返ってきた答えは、納得のいくものではなかった。

『庶務への任命については前回説明したとおり。一般科への掲示は単に生徒達に危機感を持たせるため。学園の品位を保つために必要な措置だ』

 そんな風に、見事に突っぱねられてしまった。
 それで引き下がる訳にはいかない。もちろん食い下がった。
 盗聴器。これは完全にアウトだ。制服のリボンに仕掛けられていたそれは、どう考えたって意図的なものだ。四六時中見張られているようなものだし、プライバシーも逢ったものではない。生徒会の権限でそんなことが許されていいはずがないのだ。
 そんな風に問い詰めても、

『反感を持つ何者かによって危険が及んだときに対処出来るように。事実、今回の件においても役に立っただろう?』

 とばっさりと切られてしまった。全く太刀打ちが出来ない。
 確かに会長の言うことは間違ってはいない。盗聴器は七海を見つけだす決定的証拠として役に立ったというし、彼が退学という重い処分を受けたことで、他の生徒がリスクを負ってまで危害を加えてくる危険性も小さくなったのは事実だ。結果として救われてしまっている事実は否定のしようがない。
 そうして結局、わたしはうまいこと丸め込まれてしまったのであった。
 何を言ったとしても、暖簾に腕を押すがごとく。ひらりひらりと躱されてしまう。ついにわたしは諦めて、それ以上は何も言わないことにした。
 思い出してため息がでる。文句の一つも言えずじまいとは、自分の力のなさに呆れてしまう。
 
 それにしても、七海への退学処分はいくらなんでもやりすぎなように思う。他の生徒同様に謹慎処分のようなもっと軽い罰則でも良かったのではないか。
 多少怖い思いはしたものの、わたし自身は怪我を負った訳でもないし、校舎の爆発事件は宇宙人のせいであって、彼自身が何かをしたわけでもない。単なる濡れ衣だ。それを重く見られてのこの処分だとしたら、少しだけ同情してしまう。

 まあ、一騒動あったものの。とりあえずは一件落着。吹き荒れていた嵐は落ち着いて、少しずつ以前のような平穏な日々に戻りつつある。
 ひとつ、わたしは覚悟を決めた。庶務として生徒会にとどまる覚悟だ。文句も不満も、言いたいことも沢山ある。だが、それらをすべて飲み込んで、果たすべき責任があると思ったからだ。
 ここで生徒会から逃げたところで、生徒会に任命された事実は学園中に知れ渡ってしまっているし、彼等の政策に荷担して多くの人を巻き込んだ事実は消えない。もう、無関係ではいられない。
 ならば、やりきるしかない。乗りかかった船。生徒会を利用してやるくらいの気概でもって、最後まで食らいついてやろうじゃないか。

 わたしが生徒会を辞める気がないとわかって、会長はますます多くの仕事を回してくるようになった。といっても変わらず内容自体は大したことのない雑務だらけなのだが。忙しさで殺されるという言葉を思い知るくらいには、毎日毎日てんやわんやだ。クラスメイトとの関係もすべてが元通りというわけではないが、小彩が以前のように変わらず接してくれることで、本当に救われている。日々は少しだけ加速度を増して、けれど穏やかに続く。
 そうしてやってきた週末。天気も良く、学校もお休み。こうして微睡むような午前中を噛みしめて、自分だけの時間を堪能するには絶好の日和。
 たっぷり休んで、ご飯を食べて、わたしは支度をすませる。こんなお出かけ日和に家にいるだけなんて勿体ない。
 がんばった自分への小さなご褒美だ。久しぶりに好きなだけ買い物を楽しもう。新しい服や靴、ほしいものは沢山ある。限られたおこずかいで何を買うか、頭を悩ませるのもまた楽しみがある。頭の中で想像がふくらむ、それにあわせてうきうきと心が弾む。悩みや不安は少しだけ忘れて、今日という日を楽しもうじゃないか。
 軽やかな足取りで、わたしは商店街へと歩いていく。


 ◆

 
 日曜日の商店街は多くの人々が行き交っていた。
 昔ながらのアーケードの下、多種多様なお店が軒を連ねている。ここは月見町商店街。服屋、雑貨屋、飲食店、エトセトラ。街の人たちのニーズにあわせて展開された町の中心的商業スポットだ。買い物をする人、談笑に花を咲かせる人。様々な人々の人生が、すれ違い時に交錯する。
 道行く人は皆一様に笑顔をうかべて、自分たちの時間を楽しんでいる。新進気鋭のヤトデパートに押され気味とはいえ、昔から親しみのある町並みの一つ。わたしを含めて、この商店街を大切に思っている人は多い。

 ――あれ?

 そんな見慣れた景色のなかに、見慣れない色が混じり込んでいた。
 金色のかたまり。
 目を奪われて数秒、静止する。あれは一体なんだろう。雑然とした街並みにそぐわない、優美な黄金がぴょこぴょこと歩いている。
 よく見るとそれは子どもの形をしていた。ちかちかと視界に映る金色は、地面にまで届こうとするほどに伸びた長い髪。太陽の光を受けて、数多にきらめくそれは空の果ての星々を敷き詰めたような、不思議な色彩を放っていた。
 銀河の螺旋に吸い寄せられるかのようだった。その美しさにわたしはすっかり釘付けになってしまっていた。ぴょこぴょこ。商店街を動く不思議な足取り思わず目で追ってしまう。
 そして、――ぱちり。
 くりくりとまあるい、大きな瞳がわたしの視界と重なって、ロックオン。

 金色の髪が揺れる。道行く人々には目もくれず、五月の風をきって一直線に。それはぐんぐんとこちらに近づいてくる。それに気づいたときにはもう遅かった。伸ばされた手がわたしの腕をがしと掴んだ。
 
「助けて……ほしいのだ!」

 涙で潤んだ瞳がわたしを見上げる。
 それがすべてのきっかけ。言ってしまえば、運の尽きだったのかもしれない。


 ◆


 妙な出会いもあったものだ。
 目の前で幸せそうにハンバーガーを頬張る子どもの姿を見つめて、しみじみと思う。

「感謝するぞ! チキュー人よ。腹が減ってどうにかなってしまいそうだったのだ」

 助けを求めていた時には今にも泣き出しそうだった瞳はすっかりご機嫌に彩られ、先の悲しげな表情の見る影もない。ぱんぱんに膨らませた頬をもごもご動かしながら、流暢ではあるがどこか変わった口調で喋る。
 ビックサイズのハンバーガーがものすごい勢いで吸い込まれていく。今口に放り込まれたのは、わたしの分のハンバーガーだ。それだけでは飽きたらず、ジュースやポテトにまで手が伸びてゆく。
 あまりの勢いに圧倒されて、ただ眺めていることしかできない。あまりにも幸せそうに食べるので、まあいいかと思えてくる。
 
 この子は迷子なのだろうか。見たところ日本人ではなさそうだ。長く伸ばされた珍しい色彩の金髪に、それと同じ色のくりくりとした大きな瞳。縁取るまつげは信じられないくらいに長い。あどけないながらも整った顔立ちは西洋人を思わせるのに対して、袖の長い奇妙な模様の服装はチャイナ服のようでもあり。頬には謎のボディペイント。なんだかちぐはぐでつかみ所がない。
 中性的な見た目も相まって、性別もよくわからない。少年のようなはつらつさをみせながら、少女のような愛らしさもある。
 
「ぷはー! 非常に美味であった!」

 気が付くと目の前にあったハンバーガーがすっかりなくなっていた。わたしの分も含めて全部、ぺろりと平らげてしまった。こんな小さな身体のどこに収まっているのだろう。

「満足してもらえたようで良かった」

 いきなり助けてほしいなんて言われたから、何事かと思ったが、お腹が減っていただけだったらしい。ハンバーガーに満たされて今はすっかり満足げだ。

「それにしても、一体どうしてこんなところに一人でいたの? おうちの人は?」

「うむ、よくぞ聞いてくれた。そのことなのだがな。やることもなくて暇だったから少しあたりの様子を探ろうと思ってな。チキューの探索に自ら赴いたのは良かったのだが……帰り方が解らなくなってしまってな。途方に暮れていたのだ」

 ? チキュー探索? 何を言ってるのかよくわからない。
 このくらいの年頃の子特有の空想遊びだろうか。あまり深く気にしないことにする。

「つまり……迷子になっちゃったのね」

 状況は分かったが、これは困った。一人でここまできたということは、近くに彼(彼女?)の親御さんはいないということだ。帰り道がわからないとなると、おうちまで連れて行ってあげることも出来ない。
 近くの交番に連れて行って保護してもらうべきだろうか。
 頭を悩ませている智沙子を余所に、金髪の子どもはすくっと立ち上がってどこかへと行こうとする。

「ちょっと待って! どこいくの?」

「うむ。腹ごしらえもすんだことだしな、もうしばし探索を続けようと思う。感謝するぞ、チキュー人よ!」

 元気よく言い放つと、軽やかな足取りで店の外へと飛び出していってしまった。爛々と走り出して行ったが、帰り道がわかっているわけでもお家の人が近くにいるわけでもない。迷い迷って、またお腹をすかせてしまう未来が簡単に予想できた。

 ……放っておけるわけもない。

「待って!」

 急いで後を追いかけて呼び止める。

「どうしたのだ? そんなに慌てて。全宇宙に普く我の愛らしさに心惹かれる気持ちは分かるが、落ち着くのだ」

「君、帰り道わからないんでしょ? 一緒に探そう」

「なんと!」

 驚いたように目を丸くする。ぴょこんと頭から生えた触覚のようなくせっ毛が、驚きと連動して動いているように見えた。気のせいだろうが。

「なるほど……お主は良きチキュー人よな。よかろう! 我とともに探索することを許すのだ!」

「はは……ありがとう。私、智沙子。お名前教えてくれる?」

「うむ、我が名はシャルロット! よろしく頼む。チサコよ」


 ◆

 
 そんなわけで、成り行きとはいえ迷子のお家探しをすることになったわけなのだが。
 
「困った」

 予想通り、ものの数分で行き詰まってしまった。
 いかんせん情報が少なすぎる。シャルロットと名乗ったこの子どもだが、自分がどこから歩いてきたかもよく覚えていないという。外国人の子ども自体この町には多くないし、こんな目立つ格好をしているのだから、誰かしら知っている人がいてもおかしくはないのだが。そんな都合良く出会える筈もなく。

「のうチサコ! あれはなんだ!? 空の上の白いもこもこが棒に刺さっておる!」

 シャルロットの方は自分が迷子であることなど微塵も気にもかけていないようだ。それよりも街を彩るあらゆるものに興味を引かれるらしく、今は町中の露店で売っている綿菓子を物珍しそうにみている。

「それはわたあめって言うんだよ。雲じゃなくてお菓子なの」

「菓子? なんと、これは食えるのか……ほう……」

 きらきらと瞳を輝かせてこちらを見てくる。
 ああ、はい。わかりました。

「うむ! 甘いの! 美味である! む!? なんだ! 口の中で無くなったぞ! どこにいったのだ!」

「ふふ、それがわたあめだよ。消えたんじゃなくて溶けちゃったの。甘くておいしいでしょ」

「ふむ、なるほど! ふわふわが口に含むと甘く溶けるのか。ふむ、ふむふむ!」

 なんどもわたあめをほおばりながら、満足げにうなずく。柔らかな頬は喜びに染まり、熟した桃のように甘美に色づく。これほど美しく、幸せそうにわたあめを食べる子どもはいないだろう。

「シャルロット……ちゃんは外国の人だよね。どこから来たの?」

「む? 我はステラステルから来たのだ!」

「ステラステル?」

 聞いたことのない国の名前だ。シャルロットという名前からてっきりイギリス圏の国から来たのだろうと思っていたが、違ったようだ。国ではなく、小さな町の名前だろうか。だとすれば聞いたことが無くとも仕方がない。

「お父さんとお母さんと一緒に来たの?」

「違うぞ。この町には我の部下たちと共に来たのだ。王位を継ぐための試練なのだ。む! チサコ! あれはなんなのだ!」

「あ、ちょっと!」

 何か気になるものでも見つけたのだろう。シャルロットちゃんは一目散に駆けていってしまう。見失うわけにはいかないので、慌てて追いかける。何か気になることを言っていたが、問いかけることすらできない。
 シャルロットちゃんはたいやき屋さんの露店の前で、ケースに飾られたたいやきたちをじっと見つめていた。

「これは魚か? しかし、図鑑で見たものと姿が違う! 焼き魚というものか?」

「これはね……」

 どうやら、日本の文化がめずらしいようだ。あらゆるものが彼女の気持ちを引きつけるのだろう。右も左も、視線の先には新鮮な景色。めまぐるしく移り変わる好奇心が、大きな瞳を綺羅星のように輝かせた。
 
「むう! あれはなんだ! 気になるぞ!」

 彼女がそう声を弾ませ走り回る度に、わたしは慌てて追いかけてはひとつひとつ説明をしてあげる。さらに毎回決まっておねだりをされ、毎回決まってその上目遣いに負けてしまうものだから、買い物に使う予定だったお財布の中身はすっかり軽くなってしまった。
 それでも、悪い気はしない。彼女を見ていると新鮮な気持ちに満たされる。自分にとって見慣れた当たり前の光景を素晴らしいことだと目を輝かせて、心からうれしそうに、幸せそうに微笑んでくれる。その笑顔を見ていると、子どもの頃の気持ちを思いだして心が温かくなる。この当たり前がとても素晴らしいことなのだと実感させてくれる。それはなんとも得難い経験だった。

「チキューはとても美味であるな。素晴らしい。気に入った!」

 あらゆるものを食べ歩いて、シャルロットちゃんは満足そうに言った。
 迷子のお家探しが、なぜか商店街食べ歩きツアーになってしまったが、この笑顔を見ると不満も文句もどこかに消えてしまう。
 だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。当初の問題に立ち返らなければ。

「お家の人、今頃シャルロットちゃんのこと探してるんじゃないかな」

 さすがに半日たてば親御さんもかなり心配しているはずだ。

「そうだのう。我も流石に帰らねば……む?」

シャルロットちゃんはううむと頭を悩ませる。しかし、それもつかの間。彼女の視線は明後日の方向へ。好奇心のレーダーが、また新しい何かを探知したようだ。

「あそこにいけば帰り道がわかるのではないか」

 そう言って指を指す方向。その先には空と大地を結ぶ柱のような大きな建物が存在していた。高さ五十メートルほどの鉄骨作りのタワー。この町に住む人で知らぬものはいない観光名所、その名もみつきタワーだ。
 商店街の建物すべてを傘下に見下ろすみつきタワーには四十三メートル地点に展望室が用意されており、そこからこの町の全景をぐるりと見下ろすことができるのだ。電波塔として町の最盛期に建築され、それ以来ずっと町のシンボルとして町の中心部に君臨している。余談だが、小学校の社会科学習では百パーセントあの塔に上る。
 なるほど名案だ。高いところから俯瞰して見てみればお家も見えるかもしれない。だいたいの方向がわかれば連れて行ってあげることもできる。
 
「登ってみたい?」

「うむ!」

 シャルロットちゃんはきらきらと瞳を輝かせた。純粋なそのまばゆさが、おうちへの手がかりがつかめることへの期待から生まれたものなのか、はたまたまだ見ぬ地元名所への好奇心からのものなのか、判断することは難しかった。