ヒーロー本編 | ナノ

『尚陽学園生徒会活動日誌』@

 【四月五日】

 今年度入学の新入生を対象としたオリエンテーションを実施。
 上流特進学科・一般科両生徒並びに同保護者へ我が校の教育方針、規則、心構え等の説明を行った。
 直央様は本日も見目麗しく、オリエンテーションの行程に沿い、定刻通りに十五分間の演説を行われた。参加者たちは本学園の最手本である彼のお言葉を熱心に聞き入っていたように思われる。槙尚直央という存在、そして彼が生徒会の存在を全生徒へと焼き付けることが出来たであろう。本日の参加者たちがこの学園に在るべき理想と足り得るよう、期待を込めて本日の記録とする。

 【四月十三日】

 新年度が始まり一週間が経った。
 新入生も学園に慣れ・在校生も環境の変化に順応しつつあるようだ。ともに大きな問題はなく、学園の平穏に陰りは見えない。
 校庭の桜は満開を迎えた。あの花々のように、咲き誇る栄光が多からんことを。


 【四月二十一日】

 生徒たちは学業・部活動に励む様子を見せている。
 最上級生は最後の大会に向けてより一層力を入れているようだ。一般科増設に伴い開かれるようになった学園選抜試合は本年度も九月に行う予定である。昨年の実績から鑑みても創設当初から伝統をのこす特進学科が代表権を獲得すると思われる。
 特進科が多くの成績を残す一方で、未だ一般科はとりたてて大きな成果はなく部活動の勢いもそれほど大きくはない。その要因として練習設備やトレーナーの有無といった待遇の差を挙げ、不満を抱く声もあるようだ。
 改善を望む声が増えれば対策を打つことも検討すべきだろう。

 【五月一日】

 大型連休を目前に、生徒たちも浮かれている様子が見受けられる。
 そういった心身の弛みが服装の乱れや生活態度に現れ始めているようだ。
 生徒会の活動としては直央様が新たな方針をお考えになられている模様。学園の品位を保つ目的があるとのことだが、どのような方針なのだろうか。


 【五月八日】

 連休が終わり、その余韻が生徒たちに悲喜交々の感情となって表れている。
 直央様が連休前に仰られていた方針を実行に移すという指示を出された。
『一般科の生徒を生徒会の一員として招き入れる』とのお考えだが、本当だろうか。
 生徒会は学園の、そして直央様の聖域だ。一般人によってその尊厳が損なわれるようなことがあってはならない。
 しかし、直央様はお考えを変えるつもりはない様子。ならば私は生徒会書記としてその計画の完遂まで力を尽くすのみ。
 全ては直央様の御心のままに。



 井上智沙子。
 一般科二年A組、出席番号三番。部活動所属はなし。学業成績は中の上。交友関係はクラスの範囲内。同クラスの横山小彩とは昨年から交友があり、また小学校以前からの友人である長谷淳平とも親しく、特に仲が良い二人であるとみられる。
 授業態度、社会への価値観、協調性。大きな問題はなく、とりたてて特別な点は見受けられない。至って普通の女子生徒である。

 生徒会にふさわしいとは思えない。
 多くの一般生徒の中から選ばれた要素はその幸運一点のみ。生徒会にとっては不要であるだろう。しかしながら、直央様は彼女を採用するおつもりらしい。一体どうして。

 平凡な生徒が何をもたらすことが出来るか、その利用価値があるのかどうか。見定めなくては。


 【五月十日】
 
 井上生徒は庶務として生徒会に採用される運びとなった。
 基本的には掃除等の雑務をこなすとともに、一般科の生徒達の意見を採り入れる窓口として生徒会に尽くしてもらうことになる。但しそれは試用期間における彼女の働きによる。期待される結果を残せなければ、本採用には至らない。
 正直のところ、井上庶務が居ても居なくても生徒会の運営には支障はない。直央様は何を思い彼女を任命したのか。その御心を推し量ることはできない。

 井上庶務の存在はまだ生徒や教師陣には公表されていない。課せられた最初の仕事の結果によって判断するとのことだ。その仕事とは、一般科生徒の把握とその実体の調査。一般科二学年生徒――全三百四人を調べ、学校生活の態度や主義思考を審査しこの学園にふさわしいか否かを判断する。

 彼女にはまだその目的は伏せられているが、直央様はこの調査で洗い出される成績下位者にはなんらかの処分を下すおつもりだ。


 【五月二十一日】

 井上庶務に伝えられた期日となった。
 二週間で彼女がまとめ上げた報告書の仕上がりは及第点といったどころだ。資料の使い方や文章、分析能力はまだつたなく指導の必要がある。とはいえ、いままで重んじていなかった一般科生徒の実状を把握するには十分な成果といえるだろう。直央様果たしてどのような評価を下されるのだろうか。


 【五月二十二日】

 成績下位者に対する勧告書の発布、および全校生徒を対象に緊急集会を実施。
 井上庶務が行った調査を全校生徒に公表・それによる成績下位者の処分を発表するとともに、井上庶務を正式に生徒会として採用する旨を全校生徒に公表した。

 想定通り、生徒達の反応は驚きが強く、特別クラスを中心に反発する声も少なくない。自分達が選ばれないにも関わらず、一般科の生徒が生徒会に名を連ねることを面白く思わないのだろう。これら不満の声をどう沈静化して行くべきか事態の動向によっては検討しなくてはならない。
 
 直央様より生徒会室へと召集。
 

 【五月二十三日】

 公表から一日、全校生徒からは反発の声がより大きく聞こえてくる。その内容のほとんどは公表の内容についてであるが、それに誘発される形で以前から生徒達の中にあった不満や反感が急激に顕在化したようでもある。
 だが、それもすべて直央様の想定通りだ。
 彼らの不満は膨れ上がり、やがて生徒会への牙となる。その矛先が向けられるのは、憎悪の対象でありながら彼らにとって最も恐れるに足らぬ存在。そう、ただの一般人である井上庶務だ。

 直央様の狙いは生徒達の憎悪の的を作り上げること。そしてそれを餌にさらなる大物を仕留めることなのだ。

 井上庶務に授けた生徒会の印章には発信器を取り付けてある。その他にも彼女の制服のリボンに小型の盗聴器を仕掛けた。これであとは標的が餌にかかるのを待つだけだ。
 

 【五月二十五日】 

 生徒会へ反発を抱く生徒達が井上庶務への嫌がらせを行い始めた模様。
 陰湿で稚拙、知性の欠片もない、まるで子供の悪戯だ。
 行動を行っている生徒は主に一般科の生徒五人。それぞれ個人情報は割り出し済みだが、昨年からの素行の悪化・成績下降が著しい生徒達である。彼らは各自主性意に欠ける様子も見受けられるうえ、近一週間以前の接点はまったくなかった。彼らを結託させた主犯格がいると思われる。其の姿が暴かれるのも時間の問題だろう。


 【五月三十日】

 放課後特別科の校舎二階の理科実験室付近で爆発事故が発生。生徒数人が巻き込まれるという事態となった。
 幸いにも負傷者はでなかったが、校舎一部が燃焼、損失するという被害があった。
 同時刻。生徒による井上庶務の監禁が行われており、爆発も彼らが事態を隠蔽するために起こしたものだと見なされている。

 救出された井上庶務に仕掛けていたGPSや盗聴器のデータから、事件の首謀者はすぐに特定された。
 その名は七海祐吾――彼は初等科の頃より本校に在籍している特別進学クラスの生徒であり、学園創立に貢献したとされる十家の一つである七海家の長男である。由緒正しきエリートクラスであった彼がこのような愚考に走った原因、それは生徒会への私怨である。
 彼は旧体制におけるの生徒会で会計を務め、次期会長としての有力候補であった。直央様が旧生徒会を解体し、新生徒会を発足されたことにより彼は権限を失い、一生徒に戻ることを余儀なくされた。
 自分を差し置いて学園を纏めあげる生徒会を快く思っていなかったのであろう。不満や恨みが積み重なったところに、さらに追い打ちをかけた井上庶務が選抜されたのだ。膨れ上がった感情の矛先が、無防備な只の女子生徒に向けられることは想像に難くない。
 
 その結果、彼の喉は釣針を飲込み、断頭台へと引上げられることとになるのである。
 愚かなる反逆者へ直央様は容赦はしない。その末路は学園からの追放だ。
 学園創設に携わった十家の一員への処罰は遺恨を残す恐れも考えられる。しかし直央様はこのご決断をなされた。強大な大樹が永遠となるためには、悪しき枝葉は切り落とすことが必要不可欠なのだと、そう仰せられて。
 この学園にふさわしくなければ誰であろうと容赦なく断ち切る。その剪定を行うことが大樹の主である生徒会の職務なのだ。
 退学となった七海生徒の他、今回の事件に関わったとされる一般生徒5名はそれぞれ厳重注意及び停学処分となった。

 以上が騒動の顛末である。なお、今回の爆発騒動は全校生徒へは事故として公表することとする。


【五月三十一日】

 昨日の一件を受け、生徒会は先日掲示した勧告を破棄とする旨を全校生徒へ通達した。
 その主な理由は、今回の掲示の目的が生徒の排除ではなく注意喚起と意識改革であったこと。そして、真の目的である、生徒会への反乱分子のあぶり出しに成功したことを受けてである。
 七海書記やその他一般生徒が起こした事件そしてそれに対する生徒会の処罰は、生徒会の権威は他生徒たちに十分に意識付けられたことだろう。つまり、彼らは見せしめとしてよく機能してくれたといえる。
 今回井上庶務に命じた調査は、今後も不定期に行っていく予定ではあるが、成績下位者の公表・処分の勧告は行わない。真に学園へ害なすものだと判断されない限りは、生徒会の権限が生徒達に行使されることはない。
  
 放課後、説明を求めた井上庶務が生徒会室へとやってきた。
 顔色には若干の疲労がみえたが、健康面への問題はなさそうであった。直央様は自ら経緯を彼女に説明された。井上庶務は納得をしていないようではあったが、特にそれ以上を申し立てることはなく部屋を後にした――――

 


 ――シャープペンシルを持つ手を留めて、五十嵐麻織はそっとノートを閉じた。

 『生徒会日誌』迷いの無い美しい筆跡でそう書かれた表紙には第百十一号と綴られており、積み重ねられたその数字は生徒会書記として熱心に活動する彼女の思いが見て取れる。
 唯一の生徒会役員として、彼の右腕として、これまで多くの事象をこのノートに綴ってきた。いわばこれは槙尚直央という学園の王の記録であり、そんな彼を陰で支え力を尽くしてきた五十嵐麻織の歴史であるといえる。

 今期に入ってからの数ヶ月間で生徒会は大きな転換期を迎えているように思える。直央様が生徒会長となり学園を導いてから、生徒会は彼と自分の二人だけで成り立ってきた。それに不足を感じたことは一度もないし、直央様にとっては自分という存在さえも不要ではないのかと思えることは幾度もあった。
 そんな折りに招かれた、一般生徒である井上庶務。彼女を直央様は一体どのようにお思いなのだろうか。
 本校の歴史が始まってから、生徒会役役員名簿にただの一般人がその名を連ねたことはない。選ばれし血族だけが生徒会としてこの学園の心臓を担うことが出来る。それが創設以降覆されることのなかった伝統であり、品位であるはずだった。
 しかし直央様はそれを覆した。一切の躊躇いもなく、我々の利を追求する手段のひとつであると。井上庶務が生徒会に招かれたのは、反乱分子を見つけだすため。いわば釣り餌だ。そうであれば、七海生徒を処分した今、もう彼女を在籍させておく理由はない。しかし直央様にそれをされる様子は無かった。今日あの場をもって、井上庶務を解任しなかったということは、まだ彼女に生徒会としての利用価値があるとお考えであるからだ。

 一体何が、あの女子生徒にできるというのだろう。
 直央様のお役に立てるのは。お側に居ることを、言葉を交わすことを許されたのは、私だけのはず。この命。この身体。心。すべてを欠けて尽くすと誓ったのは私だけのはず。なのに。直央様はどうして。一体何をお考えなのだろう。
 わからない。それも当然のことだ。あの方のお考えが、私にわかるはずがないのだ。私程度の人間に理解できてしまうとしたら、それはもう槙尚直央ではない。

 今頃直央様をお食事をすませ、勉学に励まれている頃だろうか。愛しいその姿を脳裏に浮かべて、無意識に頬が緩む。
 そのお心が解らずとも、側にいられるだけで、お役に立つことが出来るだけでこの上ない幸せを感じられる。私の在り方はそれでいい。ただ静かにお側でこの身を賭してお仕えする。それこそが五十嵐麻織の生きる理由なのだから。

 窓の外の月夜を見上げる。
 満月には少し満ち足りない不完全な円環。そのいびつな美しさは、たとえ満たされることのなくても凛然と在る、少女の心のようだった。