ヒーロー本編 | ナノ

1

 それはずっと昔のこと。
 画面の中の正義の味方に、小さな心はきらきらと弾んだ。
 どんなときも笑顔で。
 どんな悪にも怯まずに。
 驚くほど鮮やかに、どんなピンチも乗り越えてゆく。

 勇気あるその姿に、小さな瞳は憧れて。

 そしていま、やっと――

 その舞台に彼は立つ。


 少年ヒロイズム


「尚陽ー! ファイ! オー!」

 朝のグラウンドに、熱のある声が響く。
 外周を小刻みなリズムで走る複数の足音。舞い起こる砂埃が足下を薄靄のように広がって、走りゆく集団の尾を残す。

「尚陽ー! ファイ! オー!」

 それは朝練を終えた野球部員たちが、クールダウンに外周を回るかけ声だった。十数人の部員たちは皆一様に短く刈そろえた坊主頭をしていて、日に焼けた顔を真剣な面差しで彩りながら、まっすぐに前を向いて走り続ける。
 その光景はよくある部活動のワンシーン。学校生活のなかでごくごくありふれたものだった。しかし、その横を通りががった生徒は不思議そうな顔をしていく。丸い輪郭を青みがかった灰色に縁取った頭が並ぶその光景に平然と混じる、一点の違和感がその原因なのだろう。
 テンポよくゆれる坊主頭達の中に、ひとつだけ混じる黒い髪。ツンツンと跳ねたその毛先が、グラウンドを回るその動きにあわせて揺れる。加えてその人物は、坊主頭たちがユニフォームに身を包んでいる中で一人だけ学校指定のジャージ姿をしており。それもまた、この集団の中での異物感を強調する一因となっていた。端から見ると、真っ白ユニフォームは真っ赤なジャージをよりいっそう際だたせ、ご飯の上の梅干しさながらのアクセントとなっていることだろう。

 通り過ぎる生徒達が感じる異物感は間違いではない。
 実際、赤ジャージもとい、俺。もとい、長谷淳平は野球部員ではないのだから。彼らに混じって、一緒に朝練をやらせてもらっているだけに過ぎない。ただの一生徒だ。
 ご飯の上の梅干しは主役級の扱いとなるだろうが、野球部の中の梅干しはご飯の上ほど輝けない。むしろ、ありがたく端に添えてもらっているといった感じだ。彼らの練習のちょっとした箸休めとして、俺は野球部の朝の練習メニューに参加していた。
 
 夏にある大きな大会を控えていることもあって、部員達の練習にも熱が入っていた。朝の早くから始業チャイムのぎりぎりまで彼らは毎日練習を欠かさない。大会に参加するための校内予選を勝ち抜くために、血の滲むような努力を彼らはしているのだ。
 部員でもない俺が、なぜ彼らの練習に参加しているのかといえば理由は簡単だ。頼まれたのだ。
 持ち前の運動神経と中学まで野球をやっていた経験を買われて、知り合いである部長に「是非とも練習に参加してほしい」と言われたのである。
 野球は好きだし、痛めた手首の怪我も完治した。断る理由もないので、二つ返事でOKしたのだった。

 外周を終え、整理運動をすると朝練は終了である。汗を流して制服に着替えたら始業時間に間に合うように部員達はおのおのの教室へと向かっていく。

「悪いな、長谷。練習に参加してもらっちまって」

 ネクタイを締めていると、部長であり小学校からの友人である因幡蹴人(いなばしゅうと)が声をかけてきた。 
 親がサッカー好きであることは想像に容易い名前だといつも思う。しかし、残念ながら息子の情熱はサッカーではなく野球の方に傾いてしまったため、その頭部は模範的な五厘刈りで見事な坊主頭となっている。
 健康的な色に焼かれた肌。日々の練習によって作り上げられた筋肉によってかためられた、がっりしとした体躯。それとは相反して淡泊な顔立ちは、坊主でなかったら女の子受けは良さそうだ。素直にサッカーをしてれば、相当モテた可能性は高い。

「別にいいって。野球すんの好きだし。いつも朝の時間って暇だったし」

「助かるよ。朝は向井しかマネージャーが来ないからどうしても手が回んないんだよな。ボール出しもままならなくて困ってたんだ。本格的な投球練習とかもお前が居ると出来るしな。本当にありがたい。助っ人じゃなくて、本当に部員になってほしいくらいだよ」

 蹴人の淡泊な顔つきがくしゃりと歪む。あくまでも冗談であると、おどけたように唇の隙間から白い歯が覗いているが、少なからず本心は混じっているのだろう。瞼で縁取られた黒い瞳がちいさくぎらついた。

「ばっか、野球部に入っちまったら他の部の助っ人ができねえだろ。俺は部活動ヒーロー・長谷様なんだから。一所にはとどまれないのさ」

「そうだよなあ」

 いろんな部活から助っ人頼まれるもんな、蹴人は小さく落胆する。

「去年の大会とか、お前のおかげで校内予選に勝てた部活も多かったもんな。外の公式試合は出れなくても助っ人の存在は有り難いもんだ」

「そういうこと。だから、俺じゃなくて後輩に頑張ってもらうんだな。今年の新入部員にも強い奴いるんだろ?」

「まあ、居ることはいるんだが……」

「ん?」

 蹴人の目が泳ぐ。何かを思い出したのか、その顔は苦虫を噛み潰したように怪訝なものになる。
 
「いや、そうだな。これは野球部の問題だから、己で解決せねば……。うん、大丈夫だ。問題はない」

「問題ありありに見えるんだが」

「いいや。問題ない。さあ、予鈴ももうすぐなるだろう。遅刻したらまずい。教室へ戻らないとな!」

 そう言ったとたんに、チャイムの音が鳴り響く。
 本当にまずい、遅刻のピンチだ。

 蹴人の様子は気になったが、ゆっくりはしていられない。また次の練習の時に話を聞こう。
 急ぎジャケットを羽織り、エナメルバッグをむんずと掴み上げると部室の鍵を閉めていくからと言った蹴人と別れて教室へ向かった。


 ◆


 午前の授業が終わった。
 朝練の疲れに何度かあくびをかみ殺す以外は、平穏に一日が過ぎている。最近は宇宙人が突然町を襲撃したりすることが多く、その度急に授業を抜け出さなければならぬことが増えていたので、こうも平和だと逆に拍子抜けしてしまう。
 「宇宙人達の脅威は戦うたびに増していっている」数日前、由良さんちでの作戦会議で託仁が発した言葉だ。たまきもそれにうなずいていたし、その実感は自分にもあった。ちさには大丈夫だと話したが、実際のところは戦い始めた当初のような余裕はだんだんなくなっているように思う。怪我をすることだって増えたし、先日まで巻かれていた包帯も実のところは戦いによるものだ。
 正義のヒーロー。ずっと憧れていた存在になれて、少し舞い上がっていたのかもしれない。子供みたいに喜んで、楽しくはしゃいでいたけれど。最近になってやっと気づいた。これは遊びなんかではないのだ。テレビの中の憧れとは違う。無邪気に輝く夢とは違う。痛みをともなう、戦いなのだ。
 ともあれ。こうして平和な時間があるのは良いことである。この機会に穏やかな時間をめいいっぱい満喫しておくのが正解だろう。とりあえず、腹が減った。持ってきていた弁当は早弁に消えてしまったので、購買で昼飯を買おうと財布を握り廊下に出る。  
 今日はまだ大丈夫だが、いつまた呼び出しの連絡がケータイに入るかわからない。呼び出しがあるのは別にかまわないのだが、困っていることが一つ。授業を抜け出す際の言い訳に腹痛を使いすぎて、クラスの連中や教師陣に割と真剣に腹の精密検査をすすめられるようになってきたことだ。本気で心配してくれる人もいるが、中にはどうせサボリだと冷ややかな視線を送ってくる人もいる。まあ、仕方のないことだ。
 いずれにせよ、このまま腹の不具合だけで乗り切ることにも限界を感じてきたのだ。何とか別の作戦を考えねば、それが今最大の課題である。
 そうこう頭を巡らせているうちに、購買部で人気の焼きそばカレーパンを入手することに成功する。数が限られていることもあって、昼休み開始間際の購買は紅白歌合戦さながらの緊迫した戦場と化す。
 一緒にホットドックとメロンパンを買い、おばちゃんにお金を渡して戦場をあとにする。後ろの方で女子生徒の断末魔が聞こえた。くわばらくわばら。


「さて」

 幸い、今日は補修もない。
 完全に自由な昼休みだ。こういうとき、行く場所は相場が決まっている。階段を一段とばしで駆け上がって、二階、三階。立ち入り禁止を飛び越えて、屋上へ。

 真っ青な空。ぷかぷかと浮かぶ変な形の雲。鍵の壊れた扉を開け放った開放感を体現するように、太陽は燦々と屋上を覆うむき出しの白いコンクリートを照らしていた。さわやかな風が心地よい。何処までも自由に、飛んでいる鳥が影を落とした。

「いーてんきだなー」

 こぼれた言葉は思いの外間の抜けた声として宙に放たれていた。
 太陽の下に出ると、いっちにーさんしとラジオ体操のように身体を動かす。ずっと座りっぱなしだと、筋肉が固まってしまうようで嫌だったのだ。授業中ずっと、身体を動かしたくてうずうずしていた。その鬱憤を晴らすように思いっきり身体をそらす。
 これまた間の抜けた腹の虫が鳴いたので、体操はそこそこに昼飯を食べようと移動する。
 塔屋の上によじ登ると、いっそう見晴らしが良い。途中で買ったペットボトルの蓋を開けて口に含むと、いつもの緑茶がよりおいしく感じられた。やっぱり、日本人なら緑茶だよなあ。
 立ち入り禁止のルールをきちんと守っているのだろう、屋上には自分以外の生徒の姿はない。校風なのか、まじめに規律を守る生徒が多いこの学校の中で、屋上へ行ける扉の鍵が壊れていることを知っている人間は少ない。
 暖かい風が頬をなでるように吹き去っていく。朝練のあと整え直した髪が、ふわふわと揺れた。夏の訪れを感じさせる乾いた風は、陽気な太陽と相まって心地よさを演出する。向かいくる風に目を細めながら、焼きそばカレーパンを頬張った。

 ――そういえば、ちさが食べたがってた気がするなあ。

 いつも購買に行く頃には売り切れているのだと、嘆いていた幼馴染みの顔を思い出しながら。あとで自慢してやろうとパンを頬張る自分をケータイのカメラにおさめた。
 パシャリ、小気味よい音がなった。
 よし、我ながらよく撮れている。写真写りもバッチリだ。

 満足げにケータイをポケットにおさめたところで、バイブの振動がなる。メールの受信を知らせるものだった。ついさっきしまったばかりのケータイを再び取り出して、ホットドックを一口かじり、文面を確認する。


『差出人:高崎由良』

 これだけでもう、用件の八割はわかった。
 宇宙人の襲撃は、『司令官』である由良さんのメールによって伝えられる。家にこもってゲームばかりしている由良さんだがこのメールの指示だけはなぜかいつも的確なのだ。しかも、その連絡の多くは事前に送られてくる。まるでこれから起こる襲撃を予知しているように。
 ちっとも『司令官』らしくない由良さんがどんな芸当を使っているのかはさっぱりわからない。だが、このメールこそが由良さんを『司令官』たらしめるものであることに間違いはない。俺にできることは、彼の指示に従って侵略を食い止めることだ。
 メールにつづられるその先の文面を確認しようとしたところで、眼下にちらりと動くものがあった。学校から五キロ圏内の住宅地の一角、泥のような煙がもやもやとその一体に発生している。
 屋上の、さらに塔屋の上。全貌とまではいかないがここからだと町の様子が見渡せる。距離があってはっきりとは見えないものの、そこで何かが起こっているようだ。
 時計を見ると、昼休みが終わるまではあと三十分ある。授業を抜ける言い訳を考えなくてすむように、急いであいつを倒さなくては。

 メロンパンの最後の一口を口に含むと、俺は塔屋から勢いよく飛び降りた。


 ◆


 住宅地の細い道路に土煙が巻き上がった。
 ずしんずしんと大きな振動が一定の間隔で発生し、その度に地震が起きたかのように電信柱やコンクリート塀がぐらぐらと脈動した。
 揺れによってますます煙は巻き起こり、道路の白線や標識を包み隠してしまう。まるで一体に濃い霧が立ちこめたているようだった。

 屋上から確認できた泥のような煙は、宇宙人が歩く振動によって起きたものだったのだ。奴は暴れていたわけではない、ただ歩くだけでこれだけの騒動を巻き起こしていたということになる。
 ヒーローとして現場に駆けつけた俺は、その姿に圧倒された。今度の宇宙人は、一言でいうと歩く大きな岩だった。ごつごつとした硬い表皮に覆われた身体。圧巻なのは、その大きさだ。車が二台すれ違える道路を壁際すれすれまでいっぱいに使ってしまうほど。今まで見てきた中でも、特大のものだった。
 球体の形をした身体から、それを支えるしっかりとした手足が四本生えている。それぞれに人間と同じような指が五本生えており、しっかりとアスファルトを踏みしめていた。丸の頂点から突き出る突起には、きょろきょろと動く目玉が二つ。そして、その突起を左右に走る一本の線――ぱっくりと開く口からちろちろと赤い舌のようなものがみえた。
 岩肌を持つ亀の甲羅から蛇が顔を出している、とたとえたら良いのだろうか。その首のすこしだけ下に、宝石のような輝きを放つ真っ赤な石がはめ込まれている。これが、侵略者である証拠。彼らの力の源となっている核と呼べるものだ。これを壊し、奴らの力を奪うことで俺たちはこれまでの戦いに勝ってきたのだ。
 ズン……。一歩進むだけで身体が飛び浮くような振動が起きる。岩のような見た目を裏切らず、その重量もかなりのものなのだろう。
 自らの起こした土煙のひどさに、自分自身の足下もおぼつかなそうだった。たのむから転んでくれるなよと願いながら、俺はゆっくりと歩き続けるそいつと相対する。しかし、こちらの姿が見えていないのだろうか。宇宙人はだだ歩き続けるだけで、敵意のようなものは全く感じられない。

「おい! 岩野郎!」

 叫んでみる。
 しかし、ずしんずしんと響く騒音の方が大きく、奴の耳には届かない。
 どんどんと進んでくる岩に、危うく踏まれそうになる。

「あっぶね……!」

 慌てて道路の端に身を寄せて、ぺちゃんこになることは回避したものの。鼻先を岩石そのもののような表皮が通過して、心臓を速まらせる。わずかに触れたヘルメットに、引っかいたような傷ができた。
 そんな様子にも気づくことはなく、ずんずんぐらぐらと奴は進む。

 ――本当に、ただ歩いてるだけなんじゃないのか? こいつ。

 ゆったりと進むその背中からは、町をめちゃくちゃにしてやろうといった悪意は感じられない。ただ道路を歩いているだけ、なのだ。
 悪意のない悪は、果たして悪なのだろうか。
 そんな疑問が生まれた。だが、このまま奴を放って置くわけにはいかない。その歩みにあわせて生まれる振動は、住宅を軋ませアスファルトを歪ませる。こうしている間に、被害はどんどん拡大していくのだ。そのうえ、奴が歩いて行く先には交通量の多い道路や、学校がある。目の前に何かがあってもこいつは気づかずに進み続けるかもしれない。人や車、建物だって踏みつぶしてしまうかもしれないのだ。人の集まるところに行かせてしまえば、おのずと被害は拡大する。

 ――ここで食い止めねえと。

 そうするにしても、どうする。
 相手はこちらの姿はおろか、声もわからないのだ。気づかせようと足下を襲撃して、バランスを崩して転ばれても大変だ。
 いつもだったら、そろそろ託仁かたまきが駆けつけてもおかしくないのだが。どうしてだろうか、今日は到着が遅い。二人が来ればこの状況を打開する方法を考え出してくれただろうに。

 ――俺ひとりでなんとかするしかないか。

 このままのんびりと二人を待っているわけにも行かない。特に策が浮かんだわけでもないが、とりあえず体を動かす。ゆっくりと、それでもどんどん進んでいく後ろ姿へ向かって走る。
 身体能力を格段に高めてくれるスーツのおかげで揺れる地面の上でも難なく走ることができる。しかし、走りづらいことにかわりはない。どうにか振動を避けられないか……。
 目の前の岩は、距離が近づくほどそびえ立つ壁のように思えてくる。凹凸がはっきりとした鼠色の表皮は崖と表現しても違和感はないなと、そう思ったところでピンとひらめいた。

 走る速度を少しずつ速めて、崖に向かって全力疾走する。思いっきり助走をつけて、迫る壁までの距離が二メートルとなったところで。

「とうっ!」

 思い切りアスファルトを蹴る!
 勢いよく宙に浮いた身体は、数秒間の浮遊を経て岩の壁へと激突する。前に出した両腕でその衝撃をうまく和らげて、俺はそのまま表皮の凹凸にしがみついた。成功だ。
 でこぼこした岩肌は、見たとおり手や足をかけるのに最適な形をしていた。歩行にあわせて大きく上下するその崖を、振り落とされないように気をつけながら登っていく。ロッククライミングと思えばなんら難しいことはない。やったことはないが。
 掴みやすい岩を選びながら、ぐんぐん上へと登っていく。意外となんとかなるものだ。小さな達成感を覚えながら、頂上へたどり着く。大きさ的に考えてビルの二階から三階分くらいの高さだろうか。下をのぞくと土煙がもくもくとあがっていて、なるほどかなり視界が悪い。これでは目の前に何かがいてもわからないわけだ。
 そこに山があったから。というような感じで、考えなしにここまで登ってきたわけではない。正確には山ではなく崖だが。ちゃんと作戦があった。
 頂上に大きな突起がそびえ立っている。こいつの頭部である。六角形の鱗に覆われていて、は虫類のようだった。しかし、よく見ると産毛のようなものも生えていてほ乳類の皮膚のようにもみえる。顔もなんだが、蛇のような、亀のような、蛙のような。は虫類よりなのは確かだが、いろいろとごちゃ混ぜでなんだかよくわからない。
 だがこれで、ちゃんと顔をつきあわせて話ができる。

「こんちはー」

 突然声をかけて驚かせないように、あくまで慎重に横から語りかけた。突如としてぐらりと、いままでなかったような下から突き上げるような
揺れが起こる。それが、驚きで肩を跳ね上げたことによるものだと気づいたとき、俺の半身は宙に投げ出されていた。なんとか岩にしがみついて落下を避けたものの、危機一髪である。腕に力を込め、よじ登る。

「ナッ、ナンダヨ! ビックラコイタ!」

 ヘリウムガスを吸ったあとに酒やけをしたようなしゃがれた声。くぐもったように反響しながら、それは目の前の頭から発せられている。意志の疎通は出来るようだ。

「ごめんなー。ちょっと、話したいことがあるんだけどさ。止まってくれねえ?」

「ハナシタイコト?」

 首を傾げると、膨らませたゴムを折り畳んだような面白いしわがよった。存外くりくりとした目を不思議そうにしばたかせながら、素直に言うことを聞いてくれた。振動がやんでやっと足場が安定する。
 
「あ、俺。レッドな。よろしく」

「ア、オデ。タトールゥ。ヨロシク」

 なんとなく礼儀を重んじて律儀に名乗ると、名前は亀寄りであることがわかった。あいさつはやっぱり大事だなあ。

「んとさ。タトールゥは今、なにしてんの? 散歩?」

「オデ? テキチテイサツダベヤ」

「敵地偵察?」

「ソウ。シャルロットサマノ、ゴメイレイ。コレカラシンリャクスル、チキュー。ミテオケ」

 シャルロット。初めて聞く名前だ。宇宙人の名前にしてはずいぶんと可愛らしいが、そいつが奴らの親玉なのだろうか。

「じゃあ、お前は偵察してるだけなんだな。何か悪さをしようとか、そういうつもりはないんだな?」

「ワルサ? シナイダヨ」

「そうか……」

 それはそれで困った。偵察だけだったら、そこまで悪い感じがしない。そんなに悪いことをしてない相手をこらしめる、というのはなんだかヒーローらしくなくて気乗りしない。なにか悪事をはたらいてくれてさえいれば、堂々と戦えたのだが。

「うーん」

「ドウシタダ?」

「うん。困っている」

「コマッテイル? ソレハタイヘン。レッド、ドウキョウノナカマ。タスケルダヨ」

「……同郷? よくわからんが。助けてくれるのか?」

「ダベヤ!」

 ぶんぶんと左右に首を揺らしてタトールゥは張り切っているようにみえた。身体がでかくて、体重が重いだけでただの良いやつなんじゃないか、こいつ。

「じゃあさ、このまま大人しく。今日は帰ってくんねえ? なるべくしずかにさ。お前、すっごい目立ってるぞ。良いこと教えてやる。敵地の偵察したいなら、しずかにばれないようにやるのが鉄則なんだよ。敵にばれちまったら、元も子もないだろ?」

「フム? ナルヘソ。ヂャア、チイサクコソコソスレバイインダナ? ソウスレバ、レッドノナヤミモ、カイケツダベヤ」

「そうそう! って、なれんの? 小さく」

「ナレルダヨー」

 タトールゥがまるで笑顔を作るかのように目を細めると、突如がくんと、下方向に引っ張られるような感覚がした。隣にいたはずの顔がみるみるうちに遠ざかっていく。足下に不安を感じて、見ると踏みしめていたはずの岩の表皮がなくなっている。忽然と消えてしまったようだった。吸い込まれるような浮遊感にもてあそばれているうちに、どんどんアスファルトが近づいて……。

「うおっ!?」

 なんとが無事地面へと着地することに成功し、ほっと一息。

「ホラノ? ステラステル、フカノウナイヨ」

 ヘリウムと酒やけをミックスしたようなしゃがれ声。先ほどよりも鮮明にきこえるそれは、すぐ隣から発せられた。見ると、着ぐるみ大にまで小さくなったタトールゥが、どこで覚えたのか親指を立てるポーズをしていた。小さくなると、なんだか愛嬌たっぷりである。ゆるくないゆるキャラみたいな感じだ。

「おおすげえ。お前、だいぶちっさくなったな。ていうかむしろなんであのサイズで探索しようと思ったんだよ」

「ン? オモイッキリメダテ。ゴメイレイ」

「偵察なのに目立て? 変な命令だな」

「オデ、メイレイ。チュウジツ!」

「そうか……なあ、タトールゥ。命令違反になるかもだけど、危ないから今日は帰れ。んで、次からもなるべく大きくなるな。あんたいい奴みたいいだから、戦いたくないし」

「タタカウ? ナゼ?」

「なぜって言われても」

 向こうは地球を征服しようとする侵略者だ。侵略者を前にして、自分たちの星を守るために戦うことは当然のことだろう。と、思うのだが。タトールゥはいまいちそのことがわかっていないようだった。

「マアイイ。レッドイイヤツ。キョウハカエルダヨ」

 マタナ。ぶんぶんと手を振ると、巨大化していたときとは大違いの軽い足取りでタトールゥは上機嫌にどこかへと歩いて行ってしまった。彼を追いかければ、宇宙人達の居場所を突き止めることができるのだろうか。そう考えがよぎったが、追いかける気にはならなかった。
 気づくと土煙はすっかり晴れていて、静かな住宅地がはっきりとしたその輪郭を取り戻していた。しかし、崩れた塀や傾いた電灯。アスファルトはひび割れ、侵略者の残した爪痕はあまりにも痛々しいものであった。
 住人達は無事だろうか。確かめたい気持ちはあったが、この姿を見られてしまってはいけない。戦いを隠していた煙幕はもうなくなってしまったのだから。騒ぎを大きくしないためにも、なるべく目立たずに行動しなくては、また怒られてしまう。

 ――帰るか。

 人気のない路地に隠れて変身を解く。授業にはぎりぎり間に合うだろうか。確認のためにケータイをのぞくと大量の着信履歴が残っていた。
 その数に背筋が凍り付く。残された録音をおそるおそる再生すると、怒号の声が飛んでくる。その声はたまきのものだった。
 どうやら、たまきたちは別の場所で宇宙人と交戦していたらしい。なんで来ないのだと、おかげで苦戦を強いられたと、そんな内容が静かな声色で、しかし煮え立つマグマのような怒りをはらんでちくちくと鼓膜を突き刺してくる。
 改めて指令メールを確認してみると、タトールゥと出会った場所とはまったく別の住所が記されていた。
 なにがなんだか。わき起こる数々の疑問を追いやって、まずは放課後までに情状酌量の言葉を用意しなくては。野球部の練習に混ざっても違和感のないようにされてしまう。土下座の覚悟を胸に、授業開始まであと五分。

 ヒーローは遅れてやってくるもの。そうは言うが、授業に遅れてもヒーロー扱いはしてもらえないのだ。ぐるぐると思考を巡らせながら、俺はアスファルトを蹴った。