こんにちはスーパーヒーロー
むかしあこがれた。
テレビの前のスーパーヒーロー。
悪を蹴散らし、弱きを守るその正義の心に、幼い頃心を躍らせた。
そして夢見た。
いつか、自分も誰かのヒーローになれるだろうか。
誰かを守りぬくことができるだろうか。
いつしか大人になって、俺は、その夢を幻想とあざ笑ったんだ。
こんにちはスーパーヒーロー
「うーっ」
授業終わりの開放感に、わたしは大きく伸びをする。
いつもと変わらない高校生活の一日が流れるように過ぎ去っていく。
「智沙子、じゃあね!」
「ん、バイバイ」
部活動や委員会活動に向かうクラスメイトたちに手を振って、そういったたぐいの青春に縁のないわたしはさっさと帰宅の準備をすませていく。
スポーツや文化部の活動に一心を捧ぐ。そんな学生生活もあこがれではあったのだけれど。あいにく特出した才能を持たない平凡きわまりないわたしには、この帰宅部生活が身に合っている。
部活動をしていなくたって、楽しい生活は送れるのだ。
携帯電話のバイブがなる。
どきり、表示された名前にほんの少し心臓が音を立て、急いで文面を確認。そして落胆。
「あの馬鹿……」
ーー誘ってきたのはあいつのくせに。
メールに書かれた『ゴメン』の文字。落胆は次第に怒りに変換され、わたしは返信もせずに携帯を鞄にぶち込んだ。
メールの相手は長谷淳平。
わたし、井上智沙子の幼なじみだ。親同士の仲が良く、家も隣。幼稚園から現在まで通う学校もすべて同じ。そんな腐れ縁。
そして、何を隠そう。井上智沙子は長谷淳平が好きだ。
恥ずかしいので多くは語らないが、高校入学後、ただの幼なじみだったあいつはわたしにとってそれ以上の存在になってしまった。
もちろん、そんなことは本人に口が裂けても言えないので、わたしはその想いをひた隠し、なんとか普段通りの振る舞いを心がけて毎日をやり過ごしているのである。
そんなことより、現在のこの状況だ。非常にむかつく。大変むかつく。楽しみにしていた純粋なわたしの気持ちを返して欲しい。
簡単に言えばドタキャンだ。あの野郎はわたしとの予定を直前でキャンセルしやがったのだ。急用がなんだか知らないが、とっても楽しみにしていたのに。許せない。
ーーもう知らん!
帰ろう。さっさと帰ってドラマの再放送でも見てすべて忘れよう。今の時間なら現在放送中の『横浜シーサイド物語』には間に合う。主人公と記憶喪失の青年、そしてその元カノを名乗る謎の女性との修羅場がどうなるのか続きが気になっていたのだ。
人気のなくなった教室を出て、野球部が走るグラウンドを横切って学校を後にする。電車や自転車をつかって通学している人も多いが、家と学校がそれなりに近いわたしの通学手段はもっぱら徒歩だ。
入学して二年目。この帰り道もすでに日常の一部の風景だ。バットが白球をとらえる小気味よい音を遠くに聞きながら、いつもと変わらぬ道を歩く。
「……ほんとなら、今頃淳平と一緒だったんだけどな」
歩きながら、本来の予定を思い出して溜息。
そんな独り言を吐きつつ、この乙女チック極まりない自分の様子がとても気持ち悪い。何を言ってるんだわたしは。これも全部淳平のせいだ。滅べ。
『ーーなあちさ。お前この日ヒマ?』
淳平の一言が脳内で蘇る。楽しみにしていた今日に至るまでのハイライト。
『お前言ってたじゃん。この店行きてーって。なんか友達のコネで予約できたんんだけど、行かねぇ?』
『ーー行くっ!!』
超人気で連日満員予約待ち必須のもんじゃ屋さん。ずっと行きたかったのだがそれが叶わずいたところ、淳平がそこに予約チケットを持って現れたのだった。
おいしいもんじゃを食べる気満々でお昼を少なくしていたのに。空腹がイライラを促進する。
それにしても、最近の淳平はどこかおかしい気がする。
約束を破るなんて、普段の馬鹿正直なあいつからは考えられないし、最近は授業をさぼる回数も増えているように感じる。朝は普通に元気そうだから、体調不良の線は薄いはずだ。馬鹿なんだから、授業をさぼりすぎるのは感心しない。
だからこそ、ゆっくり面と向かって話せる今日の機会を期待していたのだが……それもお預けである。
「あーーもうっ」
こんな事で頭を悩ますなんて、癪だ。
この落とし前はきっちりつけさせてやる。
「淳平の……馬鹿野郎っ」
苛立ちの矛先はとりあえずそこに転がっていた空き缶に向ける。
常人レベルから少しばかり下がった脚力で蹴り上げた空き缶は、苛立ちというバネのおかげか予想以上に見事な放物線を描いて、予想以上の距離を飛んでいき、カン、と無様な音をたてて制止した。否、ぶつかった。
「やば……」
血の気が引いていく。
あろうことか、通行人に思い切り空き缶を蹴りつけてしまった。
「ごめんなさい!」
前方はきちんと確認してから蹴ったはずだが。当ててしまった事実に変わりはない。こういうときはすぐに謝るのが一番だ。
「……って、あれ?」
怒声が飛んでくることくらいは覚悟していたのだが。それはいつまでたってもやってこない。おそるおそる目を開けると、そこにいたはずの人の姿はない。
「いない……?」
空き缶を当ててしまったのは気のせいだったのだろうか。いや、そんなはずはない。確かにこの目で見たはずだ。
まあ、当ててしまったという事実は大変申し訳ないことなので気のせいであったのならそれはそれで良いのだけれど。
そう思った矢先、わたしの目に飛び込んできたのは予想外の、空き缶が飛んでいったことなど鼻で笑ってしまうくらいの予想外の光景だった。
「ガオオオオオッ」
「は?」
思わず間の抜けた声が、半開きになった唇から漏れた。
それは昔、テレビで見た光景。画面の向こう側の景色。それが今、そこを飛び出したかのように、目の前に現れた。
怪獣、だ。目の前に現れた異形を言葉にするのに、それ以外の単語が浮かんでこない。体格の良いワニが二足歩行をしているような見た目、深緑のゴツゴツした肌、爬虫類のような瞳がぎょろりとこちらを見つめていて、その下のぱっくり開いた大きな口からは鋭い牙が何本も見える。
大きさは人より少しだけ大きいくらいだが、怪獣ときいて殆との人がイメージする典型。大きなタワーのてっぺんで火を噴いて町を焼き尽くしていきそうな。そんな非現実的な現実が、突然目の前に現れたのだ。
頬をつねる。痛い。どうやらこれは夢ではないらしい。驚きすぎて声も出ない。思考が完全に停止してしまって、身体はその場から動いてくれなかった。
そんなわたしの状況などお構いなしに、怪獣はノシノシとこちらに向かって歩みを進めてくる。一歩一歩、その距離が縮まっていくにつれ、わたしの心臓は気持ち悪いくらい脈を速める。息が苦しい。嫌な汗が全身から吹き出してくる。
これは、逃げなくちゃだめだ。
そう分かっているのだが、だめだ。身体が動かない。
怪獣のゴツゴツ大きな手がわたしに向かってのびてくる。
ああ、もうだめだ。逃げることはもうできない。
わたしはここで死ぬのか。わけの分からないまま。
この場合は死因は何になるのだろう。事故死?
そんなことをぼんやり考えながらも、一番に浮かんでくること。後悔。
ーーただ一言。あなたに伝えれば良かったのかな?
ぎゅっと目をつむる。
「……」
目をつむる。
「…………」
つむって……あれ?
おかしい。覚悟を決めて目をつむったはずなのに痛くもかゆくもない。いっこうに何も訪れない。
いや、もしかしてもうとっくの昔にわたしは死んでしまったのか?
今のわたしは幽霊なのかもしれない。そうだ、幽霊になってしまったのだ!
そう結論づけた矢先。わたしの耳に降ってきたのは、大きな声だった。
「ライダアアアァァァァーーーキイィィィィック!!!!」
「!?」
何事かと思わず目を開けた。
すると瞬間、目の前を赤い残像が駆け抜けた。
遅れて通り過ぎる風の感覚。力がぬけ、へなへなと地面へ座り込む。どうやらわたしは幽霊になったわけではないらしい。生きている。無事なようだ。だけど、どうして。
目の前の光景がその答えらしい。
それもまた、ますます現実から遠ざかった光景だった。
わたしは日曜の朝の時間にタイムスリップでもしたのだろうか。
先程現れた怪獣に加えて、現在の視界の中には真っ赤な人物が颯爽と登場していた。
赤のヘルメットに、赤のスカーフ、そして全身を覆う赤いタイツ。どこからどう見ても、それは正義の主人公。なんとか戦隊のレッドだった。
レッドがわたしを襲っていた怪獣を思い切り蹴り飛ばしたのだ。
そして、思いっきり吹っ飛んだ緑色の怪獣は地面を勢いよくスライディング。アスファルトだから非常に痛そうだ。
「ガオオオオオオオッ!?」
その雄叫びからは『これは一体どういうことだ!?』とか、そういったたぐいの心情が読みとれる。怪獣にも心はあったのかと、この自体にそんなことを考えるわたしの思考回路はなんて間の抜けたものだろう。
よろよろと立ち上がった怪獣は自分を蹴り飛ばした相手への怒りに震えているようだ。上気した湯気が身体から吹き出す。
そんな相手の様子にも、レッドは動じない。無言で相手の様子をうかがっている。均衡状態。
どちらが先に動き出すのか。その途端、怪獣が自身の顔よりも遙かに大きく開いた口から、オレンジ色の炎を吐き出す。それは道ばたの雑草を焼き尽くし、周囲を高温に巻き込んでいく。怪獣から距離が離れたこの場所にもその熱は届いている。
目の前の光景。本当にこれは現実だろうか。そう疑いたい気持ちがあっても、実際に自分の感覚で体験してしまっているのだ。現実と認めざるを得ない。
あんな炎を吐く怪獣を相手に、レッドはほぼ丸腰。勝ち目なんてあるのだろうか。
心中に渦巻く不安を拭えずにその背中を見つめる。すると、レッドは急にこちらを振り向いたのだ。突然のことに驚いていると、彼はこちらに向けて親指を立てた。
『大丈夫』
そういっているようだった。
怪獣の双眼がレッドをとらえる。標的を定めて、そして思い切りその炎を吐きだした。高温がレッドを襲う。
と、ここでレッドは怪獣の炎に向かって自ら飛び込んでいったのだ!
空間すら高温にしてしまうその炎を直に受ければ、やけどですまされるレベルではない。問答無用で燃やされてしまう。
焼き尽くされるレッド。そんな光景を見たくなくて、わたしは目を覆う。
轟音。熱風。怪獣がその炎を吐ききったとき。黒こげたアスファルトには焼け跡だけ。そこにレッドの姿は、跡形もなかった。
「そんな……」
ヒーローの敗北。その光景が表す現実に、わたしは目の前が真っ暗になる。
いや、真っ白になる。目の前が真っ白に。真っ白?
まぶしい光が視界を白く染め上げていた。
その光が注ぐのは頭上。そちらを見上げると、真っ赤な太陽がそこにあった。
「くらえっ! 超絶・ヒーローパアアァァァァーーンチッ!!!」
ダサい技名とともに、レッドは怪獣の頭上から振り上げた拳を思い切り叩きつけた。まぶしい光があたりを覆い尽くす。
そして、その光が収束したとともに、怪獣の身体が爆発音とともに崩れ落ちていった。
「……やった」
怪獣がいた場所からはその姿は完全に消え去っていた。
そう、勝ったのだ。
「大丈夫か?」
座り込んだわたしに向かって差し伸べられる手。レッドだった。颯爽と登場し、わたしを危機から救ってくれた。
まるで、幻想の世界から飛び出してきた王子様。伸ばされたその手は逞しく、この手を取れば全てが大丈夫だと、不思議とそんな安心感が生まれた。の、だがーー
どくん。
差し出された手のひらが、いつかの光景と重なった。
わたしの胸に生まれたのはひとつの違和感。既視感。
目の前にいるのは正義の味方。わたしを危機から救ってくれた、正体不明のひとりのヒーロー。
なのに、心臓がざわつく。
じっと彼をみつめても、真っ赤なヘルメットに反射したわたしの姿がみえるだけ。その口元から聞こえる声は、くぐもっていどこか遠くに聞こえる。けれど、その不明瞭さとは裏腹に、わたしの脳裏にはひとり、鮮明な姿が映し出された。
だって。
その声も、姿も。いつだって側で見てきたのだから。
「ーー淳平?」
その名が答えとして導き出されたのと、わたしの喉が震えたのは同時だった。
そんなわけがない。
そんなわけが、ないのだ。
だって、そんな。非現実だ。今までの経験が夢だなんて、今更そんなことは思わない。だけど、目の前の現状と、幼なじみを結びつけるなんて。ますます非現実に拍車がかかって、もはや笑いすらこみ上げてくるだろう。
そうやって確信を否定する。
でも、なんということか。馬鹿げた確信は、急激に現実味をおびていく。
レッドの肩が、ぎこちなく震えた。
微かな変化。だが不運にもわたしはそれを見逃さなかった。
「淳平……だよね?」
先程よりもはっきりと、わたしは彼の名前を呼んだ。のぞき込んだヘルメットからは、相変わらずその表情は見えない。代わりに、帰ってきたのは先程の勇士とは打って変わって情けのない声だった。
「な、何を言ってるのかな? 淳平? 一体誰のこと……」
その言葉が確信を裏付けていく。
信じがたい現実、目の前の正義のヒーローは唯一無二の幼なじみだ。
「とぼけないで」
「とぼけてなんか……お嬢さん、ぶっ飛んだ光景を目の当たりにしすぎてまだ混乱しているんじゃ……」
「もんじゃ」
「う!?」
もう誤魔化しはきかない。
露骨な動揺。昔から、嘘を付くのが下手くそなのだ。
「約束すっぽかして、どういうことなのかな。淳平君」
「だ、だから俺は淳平じゃ……」
まだしらを切り通す気か。
ヘルメット越しの不鮮明だったはずの声は、不思議なことにもう淳平のものにしか聞こえない。
一緒にもんじゃを食べに行く予定だった幼なじみが、なにゆえ約束をすっぽかしてヒーロースーツに身を包んでいるのか。
その理由を問いただす前に、幼なじみの目を誤魔化し通せると思っているこいつの意志を叩き折ってやらなければ。
こうなれば、強硬手段だ。
「諦めて白状しやがれっ」
わたしは無防備、油断しきったレッドのヘルメットを両手で思いっきり鷲掴んだ。
「!?」
その行動が予想通り予想外だったのだろう。驚きを露骨に表したレッドが、慌ててわたしの手を掴み払おうとする。
しかし、時すでに遅し。わたしに遅れを問った時点で、彼の負けは決まっているのだ。ヘルメットに伸ばした手の勢いそのままに、わたしは彼の頭からそれを剥ぎ取った。
「やめ……っ」
彼の悲痛な叫びも虚しく、あっさりと外されたヘルメット。その下から現れたのはやってしまった、といった後悔という彩りを添えた見知った幼なじみの顔だった。
「やっぱり。淳平」
予想は見事的中。
幾度となく見合わせてきたその瞳を、わたしは改めてのぞき込もうとする。も、そらされてしまう。
「俺ハ、淳平ジャ……アリマセン」
明らかに不自然な裏声でこいつは顔がバレた後だというのに誤魔化しを続けようとする。往生際が悪すぎるだろ。
「そんなこと言っても、こんな顔。淳平くらいしか見たことないよ」
「違うんだ! これは正義の味方独自の擬態術で……ちさの見知った人物そっくりに見えてしまうという……」
「ふーん。なんで正義の味方さんがわたしの名前を知っていてしかも淳平と同じ呼び方で呼ぶのでしょう」
「それは……主人公パワーで相手の心が読めるのだ」
「淳平」
これは一体どういうことなのか。きちんと説明をして欲しい。別に淳平を責めているわけではない。ただ、日常が覆されるような事態の連続、そその訳を知りたいのだ。 じっと淳平を見つめる。その視線は交錯しない。視線を明後日にそらしたままだらだらと汗をたらし、どうやってこの状況を乗り切るべきかと空っぽの脳味噌をフル稼働しているのだろう。
そして、やっと幼なじみがこちらをみつめかえした。
「ごめん」
確かに、そういった。
ごめん?
ごめんとは一体どういう意味だ?
わたしには言えない理由があるというのだろうか。困惑。
一瞬だけその困惑に意識が向いた、その隙に。淳平は緩んだわたしの手からヘルメットを奪い取った。
「俺は、淳平じゃない。俺は、正義の味方です!」
言い聞かせるように、声高々にそう言うと、淳平はヘルメットを勢いよく被り直す。わたしの目の前に再び現れた正義のレッドは、ぎこちなく腕を付きだし、それをクロスを描くように交差される。ビシッと決められたそれは決めポーズか何かだろうか。
「さらばっ」
そう台詞を吐くと、レッドもとい淳平はあっという間にわたしの元から走り去っていってしまった。
「待って」
そう呼び止めた声は遅く。彼の後ろ姿は驚くほどあっという間に見えなくなってしまった。
急角度の西日が、わたしの目を鋭く射抜く。
一人のこされたわたしの目の前に広がるのは、いつもと変わらない夕方の風景だった。人通りの少ない帰り道、アスファルトの上に呆けたように座り込むわたしの姿は、端から見れば異様かもしれない。
まるで夢でも見ていたのだろうか。
そう疑いたくなるまでに非現実的な出来事をわたしは体験してしまった。
怪獣、ヒーロー。ここまでだったら、ただの妄想で済んだかもしれない。
幼なじみ。この一単語が、わたしの日常を象徴する彼の存在が、妄想さながらの非現実と現実を結びつけてしまった。
カラスの鳴き声が遠くに聞こえる。現実を幻想がごちゃごちゃになったような思考をあざ笑っていく。
今までの出来事を思い返し、否定し、頬をつねっては肯定する。しばらくそうして、わたしはやっと一言つぶやいたのだった。
「……は?」
かくしてわたしの日常は、恋する乙女のそれとはかけ離れた非現実、星を巡る戦いの中に巻き込まれていくのである。