ヒーロー本編 | ナノ

ブルー・ブルー・ブルース

 【人気モデル・前園たまき熱愛発覚!!】

 『現役高校生モデルの前園たまき(17)の放課後デートがスクープされた。親密そうに手を繋ぎながら町を歩いていた二人は、別れ際に熱い抱擁を交わしていた。(写真参照)お相手は同じ高校に通う男子生徒・Hさん。二人は今年に入って交際をはじめたとのこと。前園は事務所を通して正式に交際を発表しており、事務所も彼女の意向を尊重するとのこと。前園は今後もモデル活動を積極的に続けていく姿勢をみせており、公私ともに充実している彼女の今後の活躍が期待される。』


 ーーああ、なんてふざけた人生だ。

 手にした新聞記事を思い切り引きちぎって、ぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱へと投げ入れた。


ブルー・ブルー・ブルース


 兎にも角にも平々凡々。それが俺の人生だった。
 それなりの高校に通い、それなりの大学へと進学し、それなりの企業へ就職し、それなりの家庭を築く。
 そんなありきたりで、何の変哲もない日々こそが俺の求めるものであり、それによって得られる揺るぎない平穏こそが俺の人生の目標だった。

 それなのに。

「憂鬱で死にそう、という顔をしているわね。冴えない顔が辛気くさくなって見るに耐えないわよ」

 長く伸びた黒髪を垂らして、俺の憂鬱の最たる原因はその美しすぎる顔立ちを不快に歪めた。
 現世に舞い降りた黒髪の姫君。世の中がそう評する彼女は学校指定のセーラー服でさえも華やかな衣装のように着こなしてしまう。

 前園たまき。

 それがこの女の名前。容姿端麗文武両道、学園のマドンナ。細身の体躯からすらりと伸びた白い手足、その抜群のスタイルを活かして現役女子高生モデルとして活躍し、世間の注目を集めている。
 俺の日々の安寧を見るも無惨に引きちぎって混沌をもたらした邪神であり、何を隠そう、俺ーー播磨託仁(はりまたくみ)の彼女である。

 彼女、言い方を変えればガールフレンド。それは男の夢。男子高校生の浪漫。人生の彩り、荒廃した砂漠に輝くオアシス。
 一端の男子である俺も、その存在に興味がないといえば嘘になる。普通に高校生をやっていく上で、一度くらいは彼女を作っておきたいし。人並みの恋愛経験だって積んでおきたい。それは当然の感覚だと思う。

 しかし、はっきり言おう。

 播磨託仁は、前園たまきに対してこれっぽっちの恋愛感情も持ち合わせていない。
 そしてそれは、前園たまきにとっても同じ事。俺たちは確かに付き合っている。恋人同士である。しかしそれは、人類のあこがれるロマンスとはほど遠い。利害関係の一致による、ただの契約にすぎない。

 偽りの恋人関係。まるでドラマの設定のようなそれを、訳あって俺は前園たまきと演じなければならなくなってしまったのである。一体どこから話せばよいのか。ずいぶんと奇想天外だが。悲しいかな、これはすべて俺にとっての紛れもない現実なのである。


 ◆


『君に、正義のヒーローになって欲しい』

 突然現れた黒づくめの男が、そう書いた紙切れを俺に向けて差し出した。それが、桜舞う春の出来事。
 
 俺はいつも通りの授業終えて、いつものようにバスケ部の部活に参加して、部活終わりに仲間と帰り道を歩いていたのだった。先日降ってきた流れ星の話とか、そんな他愛のない話をしていた。そんなときだった。
 いつもの日常の突然の崩壊を告げる閃光。目の前がまばゆい光に満たされた。あまりのまぶしさに閉じた瞼を再び開くと、非日常は加速する。見たことがないものがそこにいた。
 怪獣。それを形容する言葉として、すぐに思いついたのがそれだった。
 赤茶けた岩場のようなゴツゴツした表皮、爬虫類と甲殻類を混ぜ合わせたような顔。太い手足の先には二本の指。肌色をくすませた色のそこから爪が鋭く伸びていて、鋏のようにも見えた。昔、よく見ていたヒーロー番組に出てくる悪役。そんな風貌だった。
 これは夢なのだろうか。無意識のうちに、俺は口をぽかんと開いたまま瞬きを繰り返していた。周りの仲間も同じ顔をしている。

 一体どうしたことだろう。現実離れしすぎていて、夢と捉えてしまった方が都合が良い。そう思った次の瞬間、世界がぐるりと暗転した。怪物の放った一撃が俺に直撃したのだ。脳をぐらりと揺さぶられて、視界が回る。思い切り地面に打ち付けられて、背中から衝撃が伝う。その痛みで、これが現実であると自覚した。

 俺を殴った怪物は雄叫びを上げると、次々と部活仲間に襲いかかっていく。

「……やめろ」

 気道が塞がって息が苦しい。なんとか言葉を絞り出した口の中に、血の味が広がった。
 目の前がちかちかと点滅する。脈打つ痛みが支配して身体は全く動かない。仲間の危機に、俺は何をすることも出来ない。
 
 ーーやめろ。やめろ。やめてくれ。

 悲痛な叫びは声にならない。
 自分の非力さを痛感した時、目の前に現れたのがその黒づくめだった。
 白く霞んだ視界のなかではっきりと見えた、黒。そいつは物怖じすることなく、怪物と相対する。手にした細長い剣のようなもの。それを大きく振りかぶって、勇猛果敢に悪へと挑み、そして圧倒していく。

 その姿はまるで、正義のヒーローのようだった。



『大丈夫?』

 少しの間意識を失っていたらしい。ぼんやり白む視界に、その言葉が降ってきた。
 朦朧としていた意識が、次第にはっきりとしてくる。目の前にあるのは、紙に書かれた文字だった。顔を上げようとすると、頭がずきりと痛んだ。耐えられないほどではないが、思わず眉間にしわが寄る。痛みが治まりようやく見上げると、黒ずくめがこちらに手を差し出していた。
 その手の中には一枚の紙切れ。コンビニで買えるような、小さなメモ帳だった。先ほど見えたあの文字はそこに黒いインクで殴り書かれていた。
 大丈夫、それは確かに自分に向けられた気遣いの言葉だ。痛みと混乱とで明瞭ではない思考でも、それは理解できた。小さく頷いて、俺はその言葉に答える。

『よかった』

 すると黒づくめはその文字をこちらへと差し出した。
 どうやら、これが彼のコミュニケーションツールらしい。先ほど襲ってきた怪物は、こいつが撃退したのだろう。顔をすっぽりと覆うようなマスクをかぶっていて、表情はまったく見えない。
 地べたに這い蹲りながら、顔だけで見上げるような姿勢をとっていた俺は、体を起こして改めてそいつと向き直る。頭を動かしたことで治まっていない痛みが脳を揺さぶったが、そんなことは構わない。
 心臓の高鳴りが、その痛みを遮断したからだ。
 身体を起こしたことで俺の目に飛び込んできた光景。路上に倒れ込む仲間たちの姿を目にした途端、ひやりと背筋を舐める怖気が俺の思考を支配した。

「……!」

 一瞬で、最悪の想定が脳裏を過ぎる。先ほど襲いかかってきた怪物は途轍もない力を持っていた。生身の人間など、容易くへし折れるほどに。背筋が凍り付き、指先が急激に熱を失っていく。焦燥が生む思考の波紋は大きく広がり、目眩のように襲いくる。いや、そんな、まさか。悪い思考がぐるぐると渦を巻くーーそんな思考を断ち切るように、肩に加わる強い熱。

『安心して』

 痛いくらいの力で、俺の肩を掴んだのは黒づくめだった。彼は目の前に文字を差し出して、俺に見せた。
 
『全員無事、眠っているだけ』

『怪我もないよ』

 三枚のメモ紙にわたってそう綴ると、黒づくめは大きく頷いた。落ち着いて、といわんばかりに肩に加わるやさしい力。不思議なことに、それによって俺の心は幾分か落ち着いていた。
 焦りから狭くなっていた視野が広がり、冷静に状況を見渡す判断力が帰ってきた。黒づくめが言うように、部活仲間は皆ゆるやかな、深いリズムで呼吸を繰り返している。本当に、眠っているだけのようだ。

「……よかった」

 渦を巻いた不安は滝のように押し寄せてきた安堵感によってかき消されていく。肩の力がふっと抜け、忘れていた痛みが蘇ってくる。打ち付けた背中と、切れた口の中がずきずきと痛んだ。
 何はともあれ、現状安心できる状態にあるということが解り、少しずつ混乱で速まっていた鼓動も落ち着いてきた。すると今度は先ほどから今現在にかけて直面しているこの事態への疑問が急激に沸き上がる。

 今起こっているこれは、明らかなる非日常だ。
 夢である、という可能性は先ほど感じた痛みにより棄却された。痛みを感じるから現実である、という定義が正しいことの証明は為されていないが、嫌なくらい鮮明な自分の思考と、五感による明瞭な知覚認知だけでも十分に現実の出来事であることの証明足りうる。
 一体どうして、こんなことが起こったのか。
 日常を突然に浸食した非現実的な事実。その最たる象徴が、目の前で俺の様子をじっくりと伺っている。俺の考えが整うのを待っていてくれているのだろう。

「悪いけど、いろいろと説明してらってもいい……ですか?」

 いくら考えたとて、よくわからないことが起きた、という事実が在るということしか分かり得ない。ならば、すべてをしっているであろう、目の前の存在に答えを伺うしかない。
 黒づくめ。改めて見たその姿は幼い頃の憧憬を蘇らせるものだった。怪物と戦うその勇士もそうだが、何より物語るのがその容姿。頭をすっぽり覆うヘルメット。引き締まった身体のラインをなぞるタイトなボディスーツ。全身を闇を纏ったような漆黒に染めている中で、腰を彩るベルトに施された金色の装飾が、まるで夜空に光る流れ星のように輝いている。
 その姿はまさしく正義のヒーローそのものだった。纏っている衣装は戦隊もののヒーロースーツだ。漆黒を纏う正義、目の前の黒づくめはヒーロー・ブラックなのだ。
 まるでブラウン管の中から飛び出してきたかのようだ。しかし、完全なるヒーローというにはどこかバランスが悪い。
 技名を叫ぶこともなく紙とペンで語る筆談のヒーローなど聞いたことがないし、手にしている武士はよくみると剣道で使う竹刀だ。戦隊ヒーローといえばエネルギーを放つ銃だとか、かっこいいデザインのソードだとか、そんな武器を使うイメージがるのだが。竹刀という日本的な、しかも割と簡単に手に入るようなものを使っているのは妙に現実的すぎて夢がない。先ほど怪物との戦闘を見るに、武器として立派に機能しているようだが、夢を背負うヒーローと組み合わせるにはどうにもアンバランスなように思う。

 そういった事にも、すべて事情があるのだろう。そしてそれは、彼の口から語ってもらう他ない。俺はじっとブラックの顔を見る。彼はこくりと頷いて、さらさらとメモ用紙に文章を綴り、俺の前に差し出した。


『君に、正義のヒーローになって欲しい』


「……は?」

 思ってもみない返答、返答にもなっていない突然の言葉に、俺の口からでた声は予想以上に大きなものになってしまった。
 
 ーーいやいやいや、ちょっと待て。

 思い切り眉をひそめて、とんでもないといった表情。それでブラックに訴えるも、彼はメモを差しだした手を下げることもしない。
 俺が彼に期待していたことは現状説明、それだけだ。ヒーローになりたいなんて一言も言っていないし、そもそもこの文脈で勧誘をしてくるなんておかしい。うんうんと解ったように頷いてはいたが、なにも解っていない。

「なるわけないでしょ……ヒーローなんて。というかそう言う事じゃなくて、ちゃんと説明してくださいよ。なんだったんですかさっきの一連の出来事は!?」

 期待が叶わないどころか、期待はずれも良いところなブラックの返答に俺の口調は強いものになっていた。ブラックは俺の剣幕をさほど気にするそぶりもなく差し出していた手を引っ込めると、次の言葉をメモに記していった。しかしその言葉も、すべてを回答するには速すぎる速度で紡ぎ終える。案の定、差し出された二枚目の紙切れも俺の苦悩を増やすものだった。

『八百屋タカサキ・二階』

「……」

 返す言葉を探すのもおっくうになる。
 先ほどまですごく頼りになる、まさに正義のヒーローといった印象を作り上げていたのに。あっという間に、それを自らの手で壊してゆく。
 
 ーーこの人、実は宇宙人なんじゃないのか。

 意志疎通が余りにも成り立たない。こう思えば先ほどまでの出来事にも合点がいく気がする。
 さっきの怪獣も、目の前のブラックもみんな宇宙人なのだ。地球を侵略するためにやってきたものと、何らかの理由のためにそれをくい止めようとするもの。その二つの戦いに、俺たちは巻き込まれてしまったのだ。
 ずいぶんとSFチックな妄想だが、これまでの経験上あり得ない見立てではない。そう仮定すれば、わりとすんなりと事態を受け入れられそうだ。事象の証明には、仮定が必要不可欠。そういうことにしておこう。

 それはさておき、この文章は何だ?
 八百屋タカサキ。これは商店街に昔からある八百屋だ。俺の家族も野菜の特売の時など利用している。一連の事態と八百屋、まったくもってつながりが見いだせない。同じ紙に『二階』と記されていることから、ここに何らかのものがある、ということだろうか。

「……ここに、行けってことですか? 要は」

 ブラックはぐっ、と親指を立てた。
 隠れていて見えないが、きっとヘルメットの下の表情は喜びのものだろう。そう思うと、なんだか無性に腹が立ってきた。
 俺が沸々と感情を煮立たせていることに気づきもせずに、ブラックは三枚目のメモにペンを走らせる。

『いけば、すべてわかるよ』

 はたして、本当にそうなのだろうか。
 今や彼の言うことにも信憑性があるかどうかも疑わしい。その一方で
、彼が今のこの状況にもっとも精通している存在であることに変わりはない。この人の言葉を頼りにするしかないのだ。

「わかりました」

 俺は頷く。別に、いま教えてくれても良いんですけど。そう付け足すと、ブラックは小さく頭を振った。
 別の場所に誘導するということは、何かしらの理由があるのだろう。付け足した一言は心からのものだったが、無理強いをすることでもない。

『明日の放課後に、よろしくね』

 それが、最後のメモだった。
 拒否する間もなく俺に手渡すと、ブラックは一瞬で俺の視界から姿を消した。常人離れたその速さに、その背を追うことも叶わなかった。
 一度に多くの出来事が起こりすぎて、めまいがしそうだ。手に残った一枚のメモ。裏返してみると、そこにもメッセージが書いてあった。

『今日の出来事は他言しないように。怪我、お大事にね』

 息を深く吸って、吐いた。
 ため息にも似た深呼吸だった。