ヒーロー本編 | ナノ

きみをおいかけどこまでも。

「淳平!!」


 思い切り開け放った引き戸から中を覗くと、そこにあったのは驚愕に目を見開いた幼なじみの、まるで純愛ラブストーリーを見ていたら突然異形の怪物が登場してしかもそれが画面から飛び出してきたとでも言うようなアホ面。有名画家の芸術作品に引けを取らない、後世に残したいすばらしい表情だった。


「ち、ちちちちちちさ!? なんでここに!? は!?」


 無理もないが、あからさまに動揺している。先ほどの芸術的面構えを崩さずに、その口からは隠しきれない驚きがこぼれ落ちる。


「学校から後を追ってきたの。もう逃げられないわよ、淳平。全部話してもらうんだから……!」


「後を追ってきたって……はあ!? お前、こんなとこまで入ってくるか!? 人んちだぞ!」


「関係ない! 話してくれない淳平が悪いんだからっ」


「不法侵入を俺のせいにするな!」


「あー、ちょっと……」


「だいたいね、淳平ごときがわたしに隠し事をしようだなんて10年早いのよ! わたしはこの目でばっちり見てるの。今更言い逃れようたって、そんな訳にはいかないわ!」


「スミマセーン……」

「それだからってここまで付いてくるなんて、馬鹿じゃないのか!? ストーカーで不法侵入っておまえ変態だぞ!」


「なっ……!? 人を変態呼ばわりするんじゃないわよ! この脳みそ筋肉やろうっ!」


「もしもーし」


「「うるさい!!!!」」


 誰だが知らないが、わたしは淳平に話があるのだ。ただでさえ虫の居所が悪いのに、さっきから騒音がやかましい。いったい何だというのだ。不本意ながら淳平との息もばっちり合ってしまった。感情任せに怒鳴って、その第三者の顔を見て、はっとする。


 ――誰だ?


「ここ……俺の部屋……」


 ぼそり、口ごもるようにして何かを呟いている。酷くショックを受けたような顔をして、わなわなと震えるのはまったく知らない人物。ひょろっとした高身の年上男性、という感じだろうか。
特徴的なのはその見た目。放置という言葉がよく似合う、ぼさぼさに伸びきった黒髪が顔の半分を覆っており、その隙間からおどおどとした瞳がわずかに覗いた。口元には無精ひげ、着ている衣服も履き古したのが一目で分かるような学校指定ジャージに、なにやらアニメのキャラクターがプリントされているよれよれのシャツ。頑張って言葉を選んでも、お近づきになりたい類の人間とは言えない。そんな印象を抱かせた。


 ここで、わたしはふたたびはっとする。状況が飲み込めた。この男性は、きっと、おそらく、高い確率で。この家の、この部屋の住人だ。淳平がわたしの平常心を乱すせいで、思考がそこにたどり着くまで時間がかかってしまった。何から何まで最悪の男だ。淳平め。

 しかし、ますます分からない。この住人の醸し出している空気感を見るに、淳平のような人間と関わり合いになるきっかけというものがまったく見えてこない。


 脳内に浮かぶクエスチョンマーク。なにかを言いたげだが、挙動不審なままの住人男性。足りない脳味噌で次の一手を必死に練る、淳平。
 締め切ったカーテン。美少女フィギュアの並ぶ6畳の空間で奇妙な沈黙が生まれ、そして、それは新たな登場人物の登場によって破られる。


「話は聞かせてもらったわ」


 カーテンが勢いよく開け放たれる。外からの光が一気に射し込んで、部屋全体を照らす。まるで後光のように、それを受けて現れたのは一人の少女。セーラー服のスカートが揺れ、長く美しい絹糸のような黒髪がゆったりと舞い、落ちていく。


「こんなところに隠れて盗み聞きする必要があったのかは謎だけどな……」


 ぽつり、そんなつぶやきと共にもうひとり。少女が姿を現すのを見計らったようなタイミングで部屋の出入り口である襖が開け放たれた。これまた背の高い、しかし黒髪住人の男とは対照的で程良く筋肉の付いた健康的な体格の男子高校生だ。二人ともわたしの高校とは別の進学校の制服に身を包んでいる。


 突然の登場人物、一気に増えた情報量に、わたしの頭はクエスチョン乱舞。
もはや訳が分からない。淳平から話を聞くという本来の目的すら見失いそうだ。

 ぽかんと口を開いて、自分があほな顔をしていたことに気づく。慌てて口を閉じる。それとほぼ同時に、セーラー服の黒髪美少女がこちらへと歩み寄ってくる。
 すらりと覗く白く細い脚。切りそろえられた黒髪が、その動きにあわせて揺れる。長いまつげに縁取られた、凛とした瞳。まるで人形が動きだしたかのように整った顔立ち。今まで見てきたどの女の子よりも可愛い。いや、美しい!
 わたしは彼女の姿に魅入ってしまう。そして、少し遅れて、脳のデータベースがその存在を導き出した。


「ま……前園、たまきちゃん!」


 そうだ。彼女の名前は前園たまき。いまをときめく、超人気女子高生モデルだ。おこづかいに余裕があるときにしか買えないのだが、わたしの愛読雑誌の専属モデルで、その美しい容姿と女子高生としての等身大の姿が世の女性の共感を呼び、彗星のごとく勢いでトップモデルの座に上り詰めた、あの! そんな彼女がどうして、こんな、目の前に?


「あら、わたしのこと知っててくれたの? うれしい」


 そういうと、たまきちゃんは花を咲かせるごとく、その表情を微笑ませた。あまりの完成度の高い笑顔はわたしの心拍数を上げるほどの威力を発揮する。やばい。かわいい。なんだこれ。


 ――ああ、ちがうちがう!

 たまきちゃんの破壊力にすべて持って行かれそうになったが、違うのだ。いまはそんな場合じゃなくて。わたしは淳平を、そう! 淳平を問い立たして訳を聞かなければならないのだ! ああでも。というか、なんで淳平が人気モデルのたまきちゃんと同じ空間にいるのだ? 普通に考えて、ごく一般男子高校生の代名詞のような淳平が彼女のような有名人とお近づきになっているだなんて、ありえない。


「あなた、お名前は?」


「え?」


 突然、たまきちゃんが問いかけてくる。人気モデルに名前を聞かれて、とてつもなくどきどきする。なんだか頬が熱いようだ。相手は女の子。それでも、最上級のモデルの美貌は性別すら凌駕して相手を魅了してしまうようだ。


「あ、えっと、井上! 智沙子です!」


 妙に力の入った自己紹介となってしまった。緊張していることが相手につつぬけになっているようで、恥ずかしさを覚える。


「そう、智沙子ちゃんね……」


 やばい、名前を聞かれただけでなく。呼んでもらえるなんて。これは全国のたまきちゃんファンに殺されても仕方ないかもしれない。
 そんな浮かれきったことを考えている場合ではないことは分かっているが、浮かれてしまうのは仕方ない。だけど、浮いていたわたしの足は次の瞬間再び地面へと戻されるのである。しかも、めり込むくらいの勢いで。


「悪いんだけどね、智沙子ちゃん。どこまで知ってるのか、教えてくれない? 返答によっては、淳平君の頭が坊主になります」


「!?」
 

「なんで俺!?」 
 

 どこからか取り出したバリカンを手に握って、たまきちゃんはにっこりと笑顔を浮かべている。突然の坊主宣言にわたしも、そして淳平も動揺を隠せない。
 

「なんでって、この前決めたばかりよね。淳平君。あのことは誰にも言わないで秘密にしようって」


 カチカチとバリカンのスイッチを押しながら、たまきちゃんは笑顔を崩さず淡々とそう告げる。充電式のバリカンがそのたびに唸るような起動音を上げる。

 美人モデルが笑顔でバリカンを掲げている。こんなシチュエーションでなければ、まるでバリカンの宣伝の用にも見える。しかしもちろんこの状況は広告でもCMでもない。モデルとバリカンというミスマッチな組み合わせが、なんともいえない恐怖心をあおるようだ。


「やめろよ前園。まだそうと決まったわけじゃないだろう」


 かっちりとした学ランに身を包んだ、先ほど現れた男子高校生がたまきちゃんへ制止の声をかける。よかった、こちらの人はわりと話が通じそうだ。


「託仁(たくみ)、黙っててくれる。そうかどうかは智沙子ちゃんに聴けば済む話なんだから。ね?」


 ……だめだ。たまきちゃんは制止の声を聴く耳をもたないらしい。
 おそらく秘密というのはわたしが昨日見た淳平の姿のことだろう。ここで素直に話せば淳平は確実に坊主になってしまう。
 わたしはちらりと淳平へと目をやった。毎日手入れを欠かさない自慢の髪を失うという危機に瀕していつもより顔色を悪くしながら、どうにかこの状況を打開できないかと思考を巡らせているようだ。
 幼なじみの危機をどうにか救ってやりたい。そう思う気持ちはあるが、先ほどからたまきちゃんの笑顔の圧力が増している気がする。それはもう、生命の危機かと疑うほどに。

 自分の生命と、幼なじみの頭髪。どちらが大事かと聞かれれば、それはもちろん自分の生命だ。
こうなったら事実をありのままに言うしかない。ごめんね淳平。もとはと言えば、何も話してくれないあなたが悪いのだ。頭髪を失うことになったとしても、きっとまた生えてくる。どうか恨まないでほしい。


「わたしは、淳平に助けてもらったんです。昨日変な怪物に襲われて、危ないところを。それでその時見たんです。淳平がヒーローみたいな格好をして怪物と戦うのを」


「ちさ……!」


 口を開いたわたしに、淳平はどうして言ってしまったんだ……!という顔をする。いよいよ自分の頭髪とお別れが近づき、その目にはうっすらと涙が滲んでいるような気がした。


「でも、淳平はなにも悪くないんです。わたしが勝手に気付いて、それで無理矢理ヘルメットをはずして確認しちゃっただけなんです。淳平が助けてくれなかったら、わたしはどうなっていたかわからない。だから、淳平の頭髪は見逃してあげてください」


 わたしの必死の言葉は、果たしてたまきちゃんに届くのだろうか。

 彼女は黙って話を聞いていたが、しばらくして「そう」と呟いた。

 もしかして、危機を脱することができたのだろうか。胸の中に小さな希望が芽生える。淳平もまた、目の前に現れた希望のかけらに表情を明るくする。


「智沙子ちゃんを助けたとこまではいいとして、正体がばれたというのは淳平君のミスよね。しかも普通の女の子相手にヘルメットとられて顔さらすって、どういうことかしら」


 駄目そうです。


 わたしの言葉は淳平の頭髪を救うどころか、ますます危機に追いやってしまったようだ。たまきちゃんが依然として笑顔を崩さないのがまた怖い。


「あーちくしょう! わかったよ! 俺のミスだよごめんなさい!」


 逃げ場をなくして、とうとう淳平が声をあげる。


「こいつに正体がバレました。責任はとるしなんだってするから坊主は……坊主だけは勘弁してくださいッ」


 魂を込めた本気の叫びとともに、淳平はたまきちゃんへとむかって深々と頭を下げる。それはわたしが今まで見た中で一番綺麗な土下座だった。


「秘密にしてた方が格好いいとかぬかしてノリノリだったのはあなたよね、淳平君」


「ハイッ! その通りです! ごめんなさい!!」


 なんとかして坊主を回避しようとする淳平。その必死さは言葉や言動から痛いほど伝わってくるのだが、たまきちゃんへの効果はいまひとつのようだ。


「勘弁してやれよ。前園。今回はたまたまってことで、大目に見てもいいんじゃないか?」


 たしか託仁と呼ばれていたか。学ランの男性が淳平への助け船を出す。先ほどもたまきちゃんへ制止の声をかけてくれたし、彼はなかなか良識人のようだ。


「託仁まで……わかったわ。仕方ないわね」


 次があったらスキンヘッドだからね、と呟いてたまきちゃんはつまらなそうに息を吐くと、バリカンを制服のポケットの中へとしまった。

 どうやら今のところ淳平の頭髪の危機は去ったようだ。よかったよかった。安堵に口元が綻ぶ。
 いままで床に顔をくっつけていた淳平がゆっくりとその顔を上げてほっとしたような顔をしている。その顔を見て、わたしは思い出す。
 ここまで来た目的、淳平からちゃんと話を聞かなければならないことを。


「淳平!」


 仁王立ちの格好をして、わたしは淳平の前に立ちはだかる。頭髪の危機は去っても、まだ本当の危機は去っていない。淳平はもうわたしに言い逃れはできないのだから。


「昨日のこと、ちゃんと説明して」


 淳平の瞳は最初こそどうするべきかと揺らいでいたが、もう逃げられないと決意を固めたのか、やがてしっかりとわたしの瞳と向き合う。


「わかった。ちゃんと説明するよ」


 淳平はゆっくりと息を吸って、そして吐き出す。
 笑うんじゃねぇぞ。そう言って、そしてゆっくりと彼はわたしに告白する。


「俺は、正義の味方になったんだ」