ヒーロー本編 | ナノ

エンカウント:ストレンジャー


「わあー!! すごい! 高いのだ!」

 シャルロットちゃんの弾む声が、人気のない展望室に響きわたった。

「ここにくるのも久しぶりだなあ」

 そんな声を聞きながら、懐かしい気持ちが蘇る。
 最後にここに来たのはいつ以来だろうか。確か、中学生になったばかりの頃。いつものように淳平と、そしてまだあのころはお姉ちゃんも一緒だったような――。
 展望台から見える町の風景はいつもとは全然違っていて。俯瞰で眺めると自分たちのいつもの営みがなんだかとても不思議なことのように思えてくる。
 時間帯のせいか自分たち以外の展望客はおらず、辺りは非常に静かだった。辺窓から差し込む茜色が二人だけの陰を長く伸ばしている。

「どう? シャルロットちゃん。家は見えそう?」

 景色と思い出に浸るのはいいが、肝心の目的を見失ってはいけない。高いところから見下ろせば家の場所もわかるのではないかと思ったが、果たしてその作戦はうまくいくのだろうか。

「……」

 シャルロットちゃんからの返事はない。
 
「シャルちゃん?」

 どうしたものかとそちらを見やると、シャルロットちゃんはぴたりと窓ガラスに張り付いて、夕日に染まった町並みをじっと眺めていた。

「良い景色だのう。この町に来てそれなりに日が経つが、こうも美しい景色があるとは知りもしなかった」

 きらきらと輝く瞳。それがあまりにも素直な心音を写すものだから、わたしは思わずその輝きにみとれてしまう。
 眼下に広がる景色はけして特別なものではない。ありきたりな日常に溶け出した、いつもの落陽。けれども彼女はそれがとても尊いものであるかのように。もう二度と見ることのできない奇跡の光景だとでもいうかのように。大切に、大切に見つめている。

「ありがとうなのだ、チサコ。やはり我は、このチキューが好きだ。食べ物も、この茜色も。とても気に入ったぞ」

「そっか。それは良かった!」

 地球が好き、なんて大げさな言い方だが、彼女がこの町を気に入ってくれたのならうれしい。心からの思いに破顔するシャルロットちゃんにつられてわたしも笑顔になる。

「またこうしていろんなものを教えてほしいのだ」

「うん。わかった。約束ね」

 小指を差し出すと、シャルロットちゃんは不思議そうにそれを見つめた。

「知らない? 指切り。約束のあかしとして、お互いの小指を結ぶの」

「ユビキリ……おもしろい文化だな! こうか?」

 大きな袖口に隠れていたシャルロットちゃんの指先が露わになり、わたしの小指に絡まる。細くて真っ白で、人形のように可愛らしい手のひら。その見た目からは想像できないくらいに、結ばれた小指は力強く暖かな熱を持っていた。

「ふふ、なんかこうしてると妹ができたみたいでうれしいかも」

「妹? 我がか?」

「うん。あ、いきなり変なこと言ってごめんね。シャルロットちゃんとはまだ会って少ししか経ってないのに」

「うむ。良いぞ! 特別に許してやろう。智沙子にはいろいろと世話になったからな」

「本当? ありがとう!」

 その物言いは妹らしいと言えるものではないが、気前のよい声からして悪い気はしていないらしい。そう言ってもらえて良かった。安堵するとともに、舞い上がった心はさらなる欲望を喚起して心をくすぐる。
 妹が欲しい。というのは妹という立場に置かれたものなら誰だって一度くらいは抱くであろう感情だ。しかも、歳の離れた出来た姉がいるというならば尚更。自分を慕い、頼ってくれる、愛らしい妹。そんな存在が居たならば、どれほど嬉しいことだろう。
 密かに抱いていた夢、何度も想像した喜びは、いざ叶ってみると想像以上に心地が良い。気分は高揚し、目の前の景色も心なしかクリアに見える。放っておけば緩みそうになる口元を正して、もう一つ。あわよくばという願いがわき上がってくる。

「――シャルロットちゃん。お願いがあるんだけど」

「なんなのだ?」

 こんな小さな子にこんなお願いをするなんて、なんだか恥ずかしいような気がして少し躊躇われる。けれど、せっかくの機会なのだ。これを逃してはチャンスはもうこないかもしれない。
 いざ。心を決める。

「もしよかったら、なんだけど。……おねえちゃんって、呼んでもらってもいいかな」

 口に出した途端。一気に恥ずかしさがこみ上げてくる。わたしは何を言っているんだ! 今のなし。聞かなかったことにして欲しい。急激に熱を持つ顔を覆ってしゃがみ込みたい衝動に駆られる。
 シャルロットちゃんはきょとんとして、熟れたトマトみたいになったわたしを不思議そうに眺めていた。ややあって、その口元がにんまりと楽しげな弧を描く。

「ふふ……! お主はおもしろいことを言うのだな! この我にそのようなことを言わせようなど。……だが、良かろう! 我の御心は宇宙の果てよりも広大であるからな! 感謝するが良いぞ。……ちさこおねえちゃん」

「……!」

 心臓が止まるかと思った。甘美で心が躍る響きが胸を鷲掴みにする。もんどりうってしばらくその衝撃におぼれていたいと思うほどだが、そんなことをしてはもう二度と彼女は自分を慕ってはくれないだろう。

「あ、あ……ありがとう! シャルちゃん!!」

 彼女の手のひらをがしと掴んで、最大限の感謝を告げる。
 その喜びように気を良くしたのか、シャルちゃんは得意げに口元を歪めて、ふふんと肩をそびやかせる。
 それにしても、姉いうものはなんと得な生き物なのだろう。こんな高揚感を日常的に味わうことが出来るなんて、ずるいではないか。
 
「ふ……そんなに喜ぶとは。かわゆいやつめ。我がいかに貴く、崇めるべき存在であるかようくわかっているではないか。臣下として、まこと理想の姿である」

 シャルちゃんは鼻息を荒くして、満足そうにはにかみながらわたしの手を握り返す。

「我が無事に王となった暁には、特別に我が臣下に加えてやってもよいのだ」

「ほんと? ありがとう」

 王とか臣下とか、ごっこ遊びを楽しむところを見ると、幼さが抜け切れていない年頃らしくて微笑ましい。
 そういえば、わたしが小さな時は王様よりもお姫様に憧れていたものだ。王様になって国を治めるなんて、小さいのにしっかりしていて格好良い夢をみているのだなあ。将来は大物の女性政治家になったりしちゃうのかもしれない。

 〜〜♪

 そんなことを思っていると、どこかから夕方を告げるメロディが鳴り響く。
 思いの外時間が経っていたようだ。いつの間にか彼女につられて、それ以上にはしゃいでしまっていた。彼女を送り届けるなければならないのだから、わたしがしっかりしないといけないのに。反省。

「シャルちゃん。お家の場所、だいたいわかった?」

「うむ、方角はわかったのだ。あの建物に囲まれた四角い砂地の方向なのだ」

「四角い砂地……?」

 その言葉の意味は、シャルちゃんの指さした先を見ることですぐに理解できた。校舎に囲まれたグラウンド。つまり、学校だ。

「あれ、うちの学校だ。シャルちゃんちはあっちの方向なのね」

 こくり、シャルちゃんはうなずく。
 よかった。学校の近くならば、ある程度土地勘が利く。日没が迫る中でも見知った場所ならば目的地が探しやすい。

「よし、そうと分かれば行こうか。これ以上遅くなっちゃうとお家の人もますます心配しちゃうだろうからね」

 シャルちゃんの手を引いて、タワーを降りるためのエレベーターへと向かった。


 ◆


 タワーの上から見た方向を頼りに、シャルちゃんの家があるであろう方向へ歩く。夕方六時を過ぎて、日はすっかり沈みあたりは薄暗い。
 休日の夕刻ということもあって、学校付近といえど生徒の姿はほどんどない。部活を終えたのであろう何人かとはすれ違ったが、見知った顔と出会うことはなかった。

「学校の辺りから商店街までひとりで来たの? 結構距離あるのに、すごいね。シャルちゃん」

「これくらいひとりで行動できて当然なのだ。部下が居なくては何も出来ないなどとあっては、宇宙を統べる立派な王になどなれっこないのだ」

「シャルちゃんは王様を目指してるの?」

「うむ。王になる為に、我はチキューにやってきたのだからな」

「ふふ。王様かあ。がんばってね」

「うむ!」

 王様になる、なんて可愛らしい夢だなあ。
 揚々と夢を語るシャルちゃんの誇らしげな表情に、自然と頬が緩む。王様とかお姫様とか魔法使いとか勇者とか、ファンタジーなこと憧れるなんて子どもらしい純粋な夢だろうか。それは大人に近づくにつれて忘れていってしまう、宝石のようなきらきらした心。掛け替えのない宝物。その輝きは見ていてまぶしい。

「もうすっかり遅くなっちゃったね。お家の人、心配してない?」

「うむ……。もしかしたら今頃大騒ぎかもしれないのだ」

「それは大変だ。家の人にわたしからも事情をお話するから」

「それには及ばないのだ。我ひとりでその程度切り抜けられるのだ。大体は我が無事に帰ればおとなしくなるだろう。問題はジルだが……あやつ程度、我の可愛さの前にねじ伏せてやるのだ」

「ジルって、お家の人?」

「我の家来なのだ」

「シャルちゃん、家来がいるの?」

「当然であろう? 宇宙を統べる王たるもの、一個師団程度軽く率いれなくてはやっていけないのだ」

「ほえ〜」

 呆気にとられて変な声がこぼれた。
 家来……つまり使用人とか召使いといったものだろう。となると、シャルちゃんは相当のお金持ちのお家の子ということになる。外国のお金持ちのご子息を連れ回した……なんて自分の方が怒られそうな気さえしてくる。
 ならば尚更はやくお家を見つけてあげなくてはならないのだが。それらしい家は一向に見えてこない。だいたいの方向は合っているだし、そろそろたどり着いてもおかしくないはずだ。
 使用人も一緒となると別荘であるとか、それなりのお家に住んでいるはずなのだが、果たしてそんな立派な豪邸なんて、この辺りにあっただろうか。
 エリート科の生徒であれば八戸さんのようなお金持ちもいるのだが、そういった人たちはこのような町中ではなく、少し離れた所にある高級住宅地に住んでいる。
 町中に豪邸ができたとなれば、噂はあっという間に広まるはずだ。この辺りは学生も多い、なおのこと耳に届くだろう。だが、そんな話は聞いたことがない。

 本当に送り届けることが出来るのだろうか。だんだん心配になってきた。
 学校の敷地を抜けてから、歩いている町並みは一向に代わり映えしない。右手に住宅の町並み。そして左手には同じような白い塀がずっと続いている気がする。
 ……ん? 同じ塀?



「む! ここだ! ここなのだ!」

 シャルちゃんが声を弾ませた。
 ぴょんと飛び跳ね、地面を蹴り出した彼女の長い髪がふわりと風に揺れる。軽快にリズムを刻んだ足音が伸びた塀の切れ目、そこに鎮座する門の前で止まった。
 追いついたわたしはその先の光景に唖然とする。呆けたように開いた口を閉じることも忘れて、はるか上空、わたしの身長を優に越える門を見上げた。
 漆塗りのようになめらかな光沢を放つ黒。その一色に染め上げられた鉄骨が、格子状に組み合わされているシンプルな作りの門だった。アーチ部分にはアラベスクの意匠が施され、細部にも細やかな装飾がなされている。堅牢さよりも優美さを重視した作りではあるが、漂う荘厳さだけでも来訪を拒むには十分すぎるほどの役割を果たしていた。
 門の先には、石畳のアプローチが続いている。手入れのされた木々や花々が作り上げた美しい光景が広がり、その遙か先にこの町で有数の大きさを誇るであろう巨大な屋敷が鎮座していた。

「うわ……立派なお屋敷。シャルちゃん、こんなすごいところに住んでるんだね」

 まさに白亜の殿堂。海外のトップセレブが住まう豪邸のようだ。
 一向に代わり映えのしなかった景色の原因は、あの白い壁がぐるりと敷地を囲うように置かれていたからで。つまりそれだけの広大な面積を、この家の主は有しているのだ。

 ――わたしはとんでもないお金持ちのご令嬢とお近づきになってしまったのではないか?
 
 今までのどこか尊大なシャルちゃんの振る舞いに合点が行くとともに、身の引き締まる思いがする。

「うむ。仮の住まいといったところだがな。ステラステルの我が城はこの比ではないぞ!」

「す、すごいね……!」

 城という言葉も、もしかしたら過剰表現でもなんでもなく本当のことなのかもしれない。そう思えるほどに、目の前の光景は説得力を持っていた。気が遠くなりそうだ。

「チサコよ。我をここまで導いてくれたこと。感謝するぞ」

 口元を綻ばせたシャルちゃんの手がこちらへと伸びる。
 
「どういたしまして。こちらこそ、いろいろあったけど楽しかったよ」

「うむ!」

 わたしはぎゅっと、その手のひらを握り返した。
 その手の温もり、力強さは最初にふれた時と何ら変わりない。そして、はっとする。

「また遊んでやるから、会いに来るのだ」

「うん。喜んで!」

 固く交わした手のひらに温かな熱を通わせて、ふたりはささやかな約束を交わす。
 
「またな、ちさ姉!」

 最後に向日葵のような笑顔。またね。そういって手を振る。門の中へと走り出したシャルちゃんの姿が見えなくなるのを待って、わたしは帰りの道へと歩き出した。

 何者だっていいじゃないか。シャルちゃんはシャルちゃんだ。 
 どこか尊大でありながらも心音はとっても素直。我が儘だけど、それが不思議と愛おしい。
 また会いに来よう、そう思った。
 とある日の不思議な出会いは、温かな風となってわたしの心を吹き抜けていった。


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『――目標補足・座標登録完了』

『これより大気圏へと突入。着星形態へと移ります――』

 眼下に見える蒼球の惑星。名由他の命を育む、文明にあふれた地。
 この美しき星の何処かに、我が愛しき主君が――。

「いま、会いに行きますわ。シャルロット様」

 呟かれた声。
 操縦桿を握る手に力が込められる。
 
 宇宙の暗闇に浮かぶ小さな船。
 それは蒼い海へと吸い込まれるように、星へと溶けて姿を消した。