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――ビーッ
――ビーッ
甲高い警報音が辺り一帯から聞こえてくる。
余りにうるさくて、耳を塞ぐ。
ビカビカ
ビカビカ
今度は、頭上に設置された無数の警報機が真っ赤な光を放ってくる。
余りにまぶしくて、目を閉じる。
けれど、音のない世界も真っ暗闇も訪れない。
頭から伸びた一本のアンテナがピンとのばされる。
これは我の、我が星の民のトレードマークだ。
周りとの通信の役割を果たす便利なトレードマークは、周りの仲間から飛ばされた救難信号を受信して、それがあまりにもたくさんで。全宇宙一の情報処理能力を誇る我が脳でもってしても、そのキャパシティを遙かに凌駕するほどだ。だから我の頭は今にもパンクしそうなくらいにくらくらしてしまう。
このままでは頭が爆発してしまう。
たまらず、我はアンテナをオフにして、膨大な電波の受け入れを拒否する。
これで頭がくらくらすることはない。
――ぐらり。
そう思ったが、くらくらは治まるどころか大きくなっていく。
今度はぐらぐらと、脳を、身体全体を襲う。
大きな衝撃、ふわりと身体が浮く感覚。
そこで我は、このくらくらが自分の脳ではなく、この船全体で起きていることに気づいた。
気づいた途端。今度はより大きな衝撃が襲う。
身体全体がびりびりとしびれるようなすさまじい爆音をともなって。
「動力源が……!」
「もうダメだ!」
部下の誰かの叫ぶ声がする。
なんと頼りないことか。こういうときに何とかするのがお前たちの役割だろうに。まったく、日頃の躾が行き届いておらぬではないか。躾係はだれだったかのう……ああ、我ではないか。
……あつい。
どこからやってきたのか、熱風が身体を包み込む。
大きな引力が、まるでこの船全体を鷲掴みにしたかのようだ。
ぐんぐんと引っ張られる。落ちていく感覚。
「うむ、どうしてこうなってしまったのかのう……」
全宇宙をすべる、我が力であってもどうしようもないこともある。そういうときは、ウンメイの流れに身をまかせる他ないのだ。
我は大きくつぶらなその瞳をもう一度閉じて、引力が導く方へと落ちていくのであった。
大丈夫、きっとなんとかなるのだ。だって、我はこの宇宙をすべる王なのだから!
流れ星がひとつ。
地上に降り注いだ。
星の王子と地上の王様
人生は退屈だ。
たとえばまっすぐに敷かれたレールがあるとする。そこを進めば、レールが示す平らで安全な道を悠々と歩くだけで栄光を手にすることが出来る。至極単純な事だ。
ではレールを無視して、新たな道を自分で作り出すとしたらどうだろうか。それでも、結果は同じだ。大した苦もなく隠された財宝を見つけだすという結果に行き着く。敷かれたレールを素直に歩くだけの者共よりも早く、その先にたどり着いて、栄華を手にする。
俺の人生は、そういった人生だ。
何をしても、どこへ行っても、人の示す道を進もうと、そうでなかろうと、行き着く先はいつも同じ。
成功。栄誉。頂の景色。
すべての結果は俺を頂上へと導く。
見上げる下々の姿も見えないほどの高み。そこに立つ権利を与えられた唯一。それが俺だ。
――尚陽学園生徒会長、槙尚直央。
この学園を知るもので、学園を統べるその名を知らぬという者はいないだろう。
学園の支配者として君臨し、才能、容姿、学問、武芸そのすべてにおいての頂点の座を手にする。
成功のレールを敷かれた人生に、そこを歩まずとも栄華を手にする力を持つ。目にする景色は常に頂からの絶景。それゆえに、人生は退屈だった。
何をしても、見える景色は変わらない。
流れる日常は時代に伴い時折変化をするものの、それは行く手を阻む障害になりさえもしない。せいぜい小石程度、つま先ではねのければすぐに
平坦な道となる。
だがしかし、平坦な道では感情は揺らがない。
見渡す限りの平地には、何一つ、俺の心を奮わすものは見あたらない。
快感も嫌悪も恋慕も恐怖も憤怒も、感動も失望も期待も何一つとして感じられない。
嫌気がさすほどの安穏。完璧とは、退屈なものなのだ。
そして今日も。
何一つ代わり映えのない、完璧な一日が終わろうとしている。
暮れかけの陽光。一点の曇りのない空がその色を紅に染め、やがて来る夜の訪れを告げる。水平線の間際、そこから放たれる鋭くもどこか寥々とした光が町を包みこむ。
向かい合う、東の空はすでにその色を紫雲に彩り、狭間から遠くの星が淡い光を放つのが見えた。
美しい夕暮れだと、心を揺さぶられる人間もどこかには居るだろう。ありふれた写真家は、手にしたレンズでこの一瞬を切り取ろうとするかもしれない。しかし、こんなものは取るに足らない、既に見飽きた光景。同じ光景に何度も揺さぶられるほど、俺の心は純粋ではない。この景色をたとえるなら無為に時を刻む時計の針、自らの腕に巻き付いたそんなものに心動かされる人間はいないのだ。
だが、時として、飽きるほどに変哲のない光景も、それゆえに目を奪うこともある。
「――!」
たとえば、無為に時を刻む時計の針が、その役目を放棄していたならば。それだけではなく、刻むべく時を逆行していたならば。それは嫌でも、腕に巻き付いた時計を意識しなければならなくなる。そして、正すだろう。見飽きたはずのあるべき姿に。時を刻む役目を果たさせるために。
だから今、俺は注視している。
目の前の見飽きた夕暮れに。
その中の異物を除くため、あるべき変哲のない景色を思い返すために。
真っ赤な光の中、夕刻を告げる音楽がどこからか聞こえてくる。カラスの声。伸びた校舎の影がグラウンドを埋め尽くす。
そして今、普通ではあるはずのないものが、否、いるはずのないものが、そこに存在している。
一瞬だけ目を疑って。だが、何よりも己を信じる俺は、すぐに我が目に絶対の信頼をおいた。他人のどんな伝聞よりも、自分自身が見た感覚がすべてだ。今、目の前の光景は何よりも信じるべき、絶対的な己の網膜に焼き付いた景色。今見るこの景色は、紛れもない現実、真実であり、真理なのだ。
そこにいたのは、今まで見てきたモノの中で非現実的な部類に入る何かだった。それ、もしくはそれに近いものを見た記憶はあるが、どれも暇つぶしにもならなかった映画の中でだ。タイトルすらも思い出せない。その価値すら感じられない低俗な映画だった。そんなことを思い出す。
それはまるで軟体動物門頭足綱八腕形目、つまりは蛸のような姿をしていた。通常よりも岩のようにゴツゴツしており、姿も遙かに大きい。胴、頭、腕、すべて合わせると大型のダンプカーほどか。するりと伸びた8本の触手はそれぞれに意志があるかのようにうねり、膨らんだ大きな胴体はまるで気球のようだ。そこから大きな角が2本生えており、その少し下からはそれよりも小さいものが同じく2本。気球にしてはいささか趣味の悪い風貌だ。何より、飛行において効率的ではない。あとは胴と頭境目のあたりには螺旋の溝のような瞳がふたつ。こちらの姿をとらえてか、大きな金色がわずかに動く。
夕日を受けて真っ赤に輝くその体が、さほど広くもないコンクリート道路を埋め尽くしている。海洋性軟体生物がさほど好きではない俺は見ていて不快を催すが、これは退屈きわまりないはずの日常を浸食する、歓迎すべき存在であるようにも思えた。
いまだかつて起こりえなかった事態に俺は直面している。果たしてそれは、頂の景色を変えるに至るだろうか。
退屈な日常、完璧すぎる日々。そこに入った小さなひびに、綻びに、俺は、かすかな期待を寄せてしまっているようだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!」
目の前の蛸(便宜上、ここでは蛸と呼ばせてもらう。)は耳障りな音を上げると、その大きさからは予測できないスピードで長い手足を思い切りこちらへと振り上げた。
ヒュ、と風を切る音。下がった数歩分前の距離で空を切る。
どうやら、俺は敵と認識されたらしい。何度も何度も、天井から、真横から、正面から、長い手足が飛び込んでくる。
勢いも速さもあるが攻撃としてはいささか単調だ。まるで小学生向けのさんすうドリルを解かされているかのよう。こんなものの為に汚される
記入欄の方が哀れに感じる。苦労することなく、すべて見切る。息を乱すこともない。それでも威力だけは立派なようで、直撃を受けたコンクリートが後方で悲鳴を上げ、飛び散った。しかし、当たらなければなんの脅威もない。
「なんだ、こんなものか」
心底がっかりだった。心中に浮かんだ思いを思わず俺は口にしていた。
こんなものにわずかでも期待をしてしまったことが悔やまれる。
こんなものでは、何一つ変わらない。暇つぶしにもなりはしない。既に俺は目の前の蛸への興味を失い、明日行うべき生徒会業務についての思考を展開していた。そういえば、そろそろ来月の生徒会広報誌の準備をしておく頃か。
未だに降り注ぎ続ける豪雨を掻い潜って、俺は帰路につく。蛸との不毛なお遊びにこれ以上時間をとっているのもばかげている。
自分への興味が失われたことを感づいたのか、蛸は怒りを露わにするように猛った。うなり声を上げ、8本の触手をバネのように伸縮させて空高く飛び上がった。
最高点に達した体は、重力の支配を受けて再び地へと、まっすぐ標的へと吸い込まれていく。正確なものは分からないがその重量は大したものだろう。蛸は自らの全身でもって、この俺を潰そうとしてきたのだ。跳躍の瞬間から落下までの速度は予想よりも速く、頭上から降り注ぐ蛸の影で視界が暗くなる。
ずん……、と地鳴りのような音が辺りに響いた。本当の地鳴りよろしく、辺り一帯が大きく揺れた。
今までの猛攻に加えて、思い切りやってきた蛸の重量に耐えかねて、コンクリートがついに崩落。ぼっかりと大きな穴が、住宅地の真ん中に誕生したのだった。
その光景を、俺は少し離れた所から見つめる。大きな揺れは感じたものの、蛸の落下から来る直接的被害を全くもって受けることなく、俺は無傷のまま、コンクリートに溺れる蛸を見下ろした。その巨体が生んだ衝撃はすさまじく、蛸の体の半分以上が今俺の立っている地面の下にすっぽりと埋もれてしまっている。狭い穴の中手足をばたばたと動かして必死にもがく様は、まるで熱湯でゆでられているようで滑稽だ。
「自分の攻撃で弱くなった地面の上に落ちればそうなるに決まっている。蛸とはやはり愚かなものなのだな、罵倒の言葉として用いられていることが適切だということがわかったよ」
――さて、帰るか。
蛸に対する興味はとうに失せた。この辺りの住民は帰宅時間が遅く、夕方の在宅は少ない。とはいうものの、先ほどの振動を受けて、徐々にあたりがざわめいている気配を感じる。これ以上の面倒ごとに巻き込まれることは避けたい。
俺は足早にその場を立ち去ろうとして……立ち止まる。
どうやら、期待外れだと落胆するにはまだ早いらしい。
退屈を覆す可能性はまだまだ存在するようだ。
目の前に立ちはだかるのは、これまたかつて見たくだらない映画の中から飛び出してきたような出で立ちの異形の存在たち。
これは時計の針を正すに過ぎないのか、それとも、時間そのものを覆すような存在たるのか。期待か、嘲りか、口元に浮かんだ笑みに、俺自身は気づかない。