あんだんて | ナノ

1


 雨があがったら町に出よう。
 ぽつぽつと屋根をたたく雨音を聞きながら、ミララはぼんやりとこのあとの予定を考えていた。
 穏やかな晴れ間から一転、午後になると降り出した雨は小さなこの町全体を包み込んで洗い流すかのようだった。しっとりと湿った空気が、閉め切ったはずの窓から流れ込んできそうなほど。鈍色の雲は分厚く太陽を覆い隠し、まぶしい日差しはしばらくおあずけだ。
 急いで取り込んだ洗濯物を室内に干し直す。晴れの予報を受けて、先ほど外に干したばかりのものだった。新聞の天気予報がこれほどあてにならないものとは。ミララはためいきをつく。

 つい先日届くようになった新聞の、堂々と描かれた太陽のイラストを思い返して落胆する。自分は読まないから意味がない、と言うセージに頼み込んでやっと得られるようになった情報だというのに。
 ともあれ、天気予報をあてにするためだけに新聞を頼んだわけではない。このくらいは寛容に受け入れてやらなくてはと思う。
 この場所は都会から離れた田舎町のさらに奥地にある。そのためひっそりと静かに一日を過ごすには最適なのだが、いかんせん世の中の情報が届かなすぎるのが悩みの一つだったのだ。
 かつて家にいた頃は新聞やラジオがあったので、今世界でどういうことが起きているのか、という情報に困ることはなかったのだが。ラジオもなければ訪れる人も少ないこの場所では、それがまったくわからないのだ。
 情報がないと言うのは人を不安にさせるもので、まるで自分が世間から置いて行かれてしまっているような錯覚を覚えたりする。それで変に気が滅入ってしまうこともあったのだが、それを解消するための手段として導入したのが新聞なのである。
 本当はいろんな音楽も聴けるラジオが良かったのだが、贅沢はいっていられない。世界の出来事の十分な情報は得られるし、なにより空いた時間の暇つぶしにもってこいなのだ。ここでの生活にもだいぶ慣れ、家事にかかる時間も少なくなってきたことまでは良かったのだが、特にする事が見つからずに時間を持て余すことも多くなっていたのだ。
 もちろん、セージや双子と話したり、町をぶらぶらしたり。時間を有意義に使うことはできる。しかしどうしても、空白の時間というものができてしまう。そんな時に、少しでも意識を傾けられるものがあることは、ミララにとって非常に大きな助けとなった。
 今日のように、載っている天気予報があてにしていたにもかかわらず外れてしまう、といったこともあるがそれはご愛敬である。
 
 
「手伝いましょうか」

 くしゃくしゃになった洗濯物を広げたところで、セージがやってきた。いつもならこの時間はピアノに向かっているはずなのに。
 めずらしい出来事に、ミララが驚く感情が伝わったのだろう。

「いつもお任せしてしまってますから。たまには」

 はにかむような笑顔で彼は言った。

「大丈夫だよ。だってこれがわたしの仕事だもの」

 洗濯物をのばす、ぱんっという小気味よい音が響いた。洗い立ての洗剤の香りが鼻孔をほのかにくすぐる。

「ですが、僕がやらなくて良いという決まりはありませんから」

 ゆっくりミララの隣に立つと、セージは洗濯物の山から器用にタオルを抜き取ってハンガーに掛け、すでに並んでいる洗濯物達の隣に並べる。
 手探りでゆっくりとした動作ではあるが、見えていないはずのセージがあまりに的確に洗濯物を干してゆく。その不思議な手並みの良さに思わずミララは手を止めて見入ってしまう。

「なんとなく、何があるかわかるんだっけ?」

「はい。漠然とした感覚ですが」

 ためしに自分もやってみようと、目をつむって洗濯物の山に手を伸ばす。シャツを掴むところまではなんとか成功したが、ハンガーを取ろうとして落としてしまった。なかなか難しい。
 床に落ちたハンガーの音に、セージが不思議そうな顔をした。真似をしたことを気づかれないように「手が滑った」とごまかす。

「セージはすごいね」

「そんなことありませんよ。練習と経験を重ねただけです」

「やっぱり練習したんだ」

「もちろん」

 目が見えないというハンディキャップを負いながら、ピアニストとして活躍するだけでなく常人と同じように生活をするのだ。それができるようになるまでには、きっと並大抵でない努力があったのだろう。

 ――さまざまな困難を乗り越えて、今彼はわたしの隣にいるのだ。

 自分の知らないたくさんの季節を乗り越えて彼は今ここに居る。そう思うと少しだけミララの背筋が伸びた。ここに至るまで、想像もつかないような悲しみや困難があったはずだ。それを迂闊に慰めることも、褒めることも、自分には恐れ多いような。そんな気がしたのだ。
 それでもセージは、その不幸を嘆くことも、同情を誘うこともしない。

「最初はなかなか、受け入れることすら難しいことでしたから」

 セージはかつてのこと少しだけミララに語った。それはまるで、昔話の本を読むかのように。
 さらさらと、川辺を流れる水のように穏やかな声が語るのは少年の日。目が見えなくなって間もない頃、悲しみにくれていた彼を支えてくれた存在があったこと。不幸を嘆くのではなく、前に進む強さが大切だとその人が教えてくれたということ。

「世界を形作るのは光だけじゃない。そう言って、彼は世界へと耳を澄ますことを教えてくれました」

 それはきっと、少年だった彼を心から壊してしまうような、そんな出来事だったはずだ。
 その崩れそうな心を守り、その輝きを取り戻した存在。その人は今も彼の世界を優しい光で照らしていて、その光こそ彼がここまで歩くための灯火なのだ。
 伏せられた瞳が灯す優しい色は、そこから来る光が作り上げたものなのだろう。

 かつての日々を思い出したのだろう、セージの口元が綻んだ。大人びたその輪郭に少年の面影がよみがえる。
 
「しっかりと足を着けて生きろと。彼はいろんな事をやらせようとしてくれました。普通に日常を送れるようになるための練習として。もともとは、この髪型もその練習の一環だったんですよ」

 丁寧に編まれたなめらかな髪に触れてみせる。胸元よりもわずかに長く伸ばされた彼の髪は、いつも綺麗に三つ編みにされている。

「指先の感覚を掴むために、だそうです。今では練習の必要はないんですけどね。そのときの名残です。毎日編んでいたら、日課になってしまいました」

「そういうことだったんだ。不思議に思ってたんだ。髪、なんで伸ばしてるんだろうって。それに、すっごい綺麗だなって。手入れの方法教えてほしいくらい!」

「手入れ、ですか? 別段特別なことはしていませんけど」

「そうなの? ずるいなあ……」

 羨ましそうにミララは唇をすぼませた。セージは困ったように笑う。

「もしかして――」

 聞いてしまうのは、踏み込みすぎだろうか。その恐れから躊躇いがちにミララはセージを見やった。

「その、セージを支えてくれた人っていうのがオリファさん?」

 今はもう、この世界にいない。セージの大切な友人。
 過去の記憶をたどるセージの表情が、かつて小さな墓標を前にしたときとあまりに似通っていたから。
 はらり、散る間際の花びらを見送る切なさが唇をわずかに震わせる。気づかないほど小さな変化が、セージの表情をわずかに歪ませたように見えた。ややあって、その歪みはほほえみに変えられる。

「――はい」

「やっぱり。そうじゃないかと思ったんだ。すごく……優しい顔をしていたから」

「そうですか。僕は、優しい顔をしていましたか」

 何かを確かめるかのように、セージはミララの言葉を繰り返した。それを最後に、昔話は流れを止めた。
 ミララもこれ以上のことは聞くことができず、雨音が窓を叩くリズムだけが部屋を満たしていった。
 それから少しして再開されたとりとめのない話題を重ねて、時計の針が一巡するよりも早くすべての洗濯物が室内に並んだ。
 オリファという名前が、彼の口から語られることはなかった。

「ありがとう。おかげで早く終わったし、楽しかった」

「こちらこそ。お役に立てたのなら良かったです。僕も、良い息抜きになりました」

 それがセージがこの部屋にきた一番の理由なのだろう。いくら好きとはいえ、毎日おなじ部屋にこもっておなじ事をしていては気分も滅入ってしまう。それは平凡な自分も、彼もおんなじなのだ。

「息抜きになるんだったらいつでも言って。喜んで手伝ってもらうから」

「ふふ、ありがとうございます。では僕は戻りますね。いつもの部屋にいますから、何かあったら声をかけてください」

 軽く会釈をすると、セージはゆっくりとした足取りでピアノのある部屋へと戻っていった。
 再び静かになった部屋に、雨音が響かなくなったことに気づく。窓の外を見やると、分厚い雲のあいだから晴れ間がのぞき、まばゆい太陽の光が洗い立ての世界を切り裂くように差し込んでいた。


 ◆

 
 雨上がりの町は澄んだ空気に包まれていた。雨露に濡れた草木か太陽の光を反射してきらきらと輝く。重くのしかかるようだった雲もどこかへと
消え、すっかり晴れ渡った青空がそれまでの遅れを取り戻そうとしているかのように鮮やかな色彩を町の上空に描いていた。
 煉瓦道の凹凸に沿うようにしてできた水たまりに気をつけながら、ミララは町を歩いていた。小さな田舎町といえど、天候にも負けず人々は活気にあふれていた。ほんのすこし湿った風に運ばれて、町ゆく人々のにぎやかな声が聞こえてくる。
 どこからか子どものはしゃいだ声がした。「虹だ!」そういって彼らが指さす方向を見やると、青空のキャンバスに絵の具で描いたようなはっきりとした七色の橋があった。
 雨上がりの空も素敵なものだ。子どもたちに負けじと、ミララの心ははずんだ。自然と足取りも軽くなる。町に出てきて正解だった。
 必需品の買い足しをしつつ、こんがりと焼けたベーカリーの香ばしいにおいに誘われてパン屋さんへと足が向く。ふかふかきつね色の焼きたてパンに目を奪われていると、後ろから声をかけられる。

「あらあんた。セシルさんとこの!」

 振り向くと、恰幅と気前の良い中年の女性の姿。このパン屋の店主の奥さんだ。パンみたいにふくふくとした身体を、お店のロゴが入った真っ白なエプロンで包んでいる。

「こんにちは、いつもお世話になってます」

 軽い会釈とともに笑顔で答える。この町に来てだいぶ経ったことで、よく利用するお店の店員など、顔を合わせる機会が多い人に自分の顔を覚えてもらえるようなってきたのだ。
 ここに来た当初は、見慣れない人間がいると皆に警戒され、どこかよそよそしい態度をとられることも多かったのだが。ミララが害のない人間であることや、町外れに住むピアニストの知り合いだという事を知ると次第にその壁は薄くなっていった。
 今ではこうして向こうから声をかけてくれるほど、ミララはこの町に受け入れてもらいつつある。

「これ! 新作なの。いつも来てくれるからサービスしちゃう」

 ほっぺたをにこやかに膨らませながら、おばさんはミララがちょうど見ていたパンを袋に詰め始める。

「いいんですか?」

 おばさんはどんどんとパンを詰め込んでゆく。お金を払う気でいたミララはその様子に戸惑う。

「いいのいいの! セシルさんと食べて!」

「あ、ありがとうございます」

 手渡された紙袋の中には五、六個ものパンが入っていた。さすがにただもらっていくだけでは申し訳なくなって、そのほかに菓子パンを選んで、こちらはお金を払って買った。
 それに対してもサービスといって、おばさんが趣味で作ったというクッキーをつけてくれたので頭が上がらない。
 パン屋から出るときには、ミララの両手は大きな袋ですっかりふさがっていた。

「セシルさんによろしくねー!」

 おばさんが後ろでぶんぶんと手を振る。振り返すことができなかったので、ぺこりと会釈だけで答えた。
 セシルというのはセージがこの町で使っている偽名である。セージ・バルフリーディアという有名音楽一家としての名前を隠して、この町で彼はセシル・エーデルシュタインという名前で過ごしている。
 なぜ名前を偽るのか、その理由は未だにわからない。彼が家族と離れ、ひとりあの屋敷で住んでいたことと何か関係があるのだろうか。
 この町の人たちにとって、セージは『音楽家のセシルさん』であり、ミララは『セシルさんとこの使用人』という認識なのである。
 使用人といわれると否定したい気持ちになるが、実際やっていることはそれと大差はない。変に誤解されても面倒なので、とくに訂正はせずにいた。

 それにしても、荷物が重い。
 もともとそれなりの量を買い込んでいた事に加え、パン屋さんで予想外に大袋を手に入れてしまった。パン自体にそれほどの重さはないのだが、抱えるようにして持った袋は彼女の視界を妨げていた。
 出かける前に双子のいずれかに声をかけていればよかったと、小さく後悔する。きっと二人なら、一緒に来ることを承諾してくれただろう。ソニティアならその顔を綻ばせて、ミレイならすこし口を曲げて渋々と。
 胸元でパンの大袋を抱え、それ以外の荷物は両腕に掛けるようにして運ぶ。腕にかかる負荷はなかなかのもので、不明瞭な視界の中でバランスを奪う。
 ふらふらとおぼつかない足取りで、ミララはなんとか帰り道を進もうとした。
 当然、そんな状態では目の前に人が通りがかったとしても気づかない。案の定、突然現れた人物とミララは出会い頭にぶつかってしまった。

「きゃあ!」

 とっさのことに声があがる。ぶつかった衝撃で、両者は地面に尻餅をついてしまう。ミララの持っていた手荷物がばらばらと転がった。

「だ、大丈夫ですか?」

 水たまりのはった地面に、買ったばかりの品物が散らばってしまった。白いブラウスも泥が跳ねて、水玉の模様ができてしまっている。それよりも、自分の不注意で転ばせてしまったことが気がかりだった。あわててうつむいたままのその人に駆け寄る。

「……なんなんですの! いきなりっ」

 伸ばしかけたミララの手を払って、切れ長の瞳がこちらを睨んだ。ミララはどきっとする。突然手を払われたからではない。鋭く光るその瞳の色がまるでアメジストの宝石のように美しい輝きを放っていたからである。
 視界に大輪の花が咲いたようだった。今まで見たことのないくらいの美人な女性だ。はらり、顔にかかった艶めいた髪は夜空に浮かぶ黄金の月とおなじ色をしていた。ゆるくかかったウェーブは彼女の透き通った肌をなぞって、その優美さをいっそう際だたせている。
 謝ることも忘れそうなほど、ミララはその美貌にみとれてしまっていた。

「ちょっと、きいていますの? あなた!」

 ベルを鳴らしたような、品のあるソプラノ。ミララははっとして頭を下げた。

「ごっ、ごめんなさい!」

「必要ありませんわ」

 差し出しされたハンカチにもふいと首を振ってその女性は立ち上がった。細い足を覆い隠す上品な紺のマーメイドスカートが、彼女の動作にあわせてふわりとゆれる。足下には幸いにも水たまりがなかったものの、湿った地面は布地に包まれたお尻や、裾の部分を土色に汚してしまっていた。
 つんと唇をとがらせ、不機嫌な面もちで彼女はその汚れを腕で払う。

「まったく、いったいどういうおつもりですの?」

「本当にごめんなさい。荷物で前がふさがってて、不注意でした。えっと、お洋服。大丈夫ですか? 汚れちゃいましたよね……」

「本当ですわ! お気に入りでしたのに、シミになってしまったらどうなさるおつもりですの?」

「あっ、えっと……。べ、弁償します」

「言いますけど、あなたみたいな品のない庶民に弁償できるような物など、わたくしは身に纏っておりませんわ」

「ご、ごめんなさい!そ、そんな高価なものを……本当、なんとお詫びしたらよいか……!」

 言葉を交わしながら、ミララは生きた心地がしなかった。
 夜の海のような紺のスカートは光の当たり方で色合いを変え、なめらかな素材で生み出されたプリーツがゆらゆらと揺らめく様はまさに月夜のマーメイドを思わせる。素人目でも、見ただけで上質な布でつくられたものだと言うことがわかる。
 スカートだけではない、上品にフリルをあしらった真っ白なブラウスも、細身い身体をゆるやかに覆うストールも、足下を彩るヒールさえ、彼女が身につけているすべてが最上級なのだ。纏うそれらに彼女の金色の髪が鮮やかなコントラストを作り上げ、彼女自身の美貌をいっそう引き立てていた。
 たとえるなら、宝石そのもの。言葉遣いや身のこなしひとつひとつからも、磨き上げられた高貴さが惜しげもなく伝わってくる。
 こんな小さな田舎町にはとにかく不相応な存在だった。そんな相手を出会い頭に転ばせてしまうなんて!
 思いもよらぬ不幸に見舞われて、ぐるぐると目の前が回るようだ。

「お詫び……、そうですわね。弁償はしなくてよろしいから、なにかお詫びをしていただきましょうか」

 良い事を思いついた。そう言いたげに口元がにやりと歪んだ。転んでしまったことに怒りを覚えているというよりかは、不愉快の腹いせに詫びさせようといった感じだろうか。いたずらを考える子どものように、心なしか女性はどこか楽しげだ。
 
「お詫び、ですか?」

 弁償をしなくて良い、という彼女の言葉はミララにとって救いでもあった。申し訳なさから自ら口にしたものの、見るからに高級そうな彼女の衣服を弁償することはミララにはとうてい不可能だったからだ。気づかれぬよう内心で安堵する。しかし、完全には安心することはできない。とんでもない理不尽を女性が要求してくる可能性もあるのだ。ごくり、息をのんで言葉の続きを待つ。数秒の沈黙が、やたらと長く感じられた。

「――あなた、わたくしを案内しなさい」

 やっと開かれた形の良い色づいた唇が、凛然と言葉を紡いだ。ミララは二度瞬きを繰り返した。

「案内?」

 その一言だけでは、彼女の意図はまったく計れない。眉根を寄せた合点がいかないミララの様子に、女性は再び不機嫌な顔になる。

「ですから、わたくしを案内するのです。それをあなたの詫びにしてさしあげますわ」

「はあ。案内することはわかりましたけど。いったいどちらへ?」

「このわたくしが案内程度で無礼を許すと言っているのですから、もっと感謝しなさい! これだから田舎者は困りますわ」

 はあ、とわざとらしいため息をつく女性にミララは内心引っかかるものを感じた。もとはと言えばぶつかってしまった自分の方が悪いのだが、それにしても嫌に高圧的だ。見下されているような気がして少しだけ面白くない。それを態度に出して、せっかく回避したはずの危機に再び見舞われてもいけないのでじっと堪える。

「わたくし、会いたい人がいますの」

 ミララの心情などお構いなしに話を続けていた女性だが、突如としてその瞳がきらきらと輝いた。鋭い眼光を放ってた切れ長の瞳はうっとりとした表情に染まり、宝石に例えた鋭い輝きはいっそう美しさを増す。心に鬱積していた感情を一瞬忘れさせるほどだった。
 その、会いたい人を想い出してだろう。色白だった頬はほんの少し赤みを帯び、美しい大人の女性は可愛らしいひとりの少女へと変貌をとげるようだ。それがよりいっそう彼女の魅力となっていた。

 ――こんな美人な女性の会いたい人って、いったいどんな人なのだろう。

 こんな『田舎者』が住むような町までわざわざやってくるくらいだ。彼女にとって、特別な人に違いない。その人物への小さな興味がミララの中に芽生えた。

「会いたい人って、この町に住んでるんですか?」

 当然だとは思いながらもミララが問う。しかし、女性の反応は予想していたものとは異なっていた。眉尻を下げて、あまり自信がないようだ。

「ええ、おそらくは」

「おそらく?」

「こちらにいらっしゃると、知り合いに聞いたのです。わたくし自身で確かめた訳ではありませんの」

「そうなんですね。この町にいると良いですね」

「はい。ですから、あなたにも伺いたいのです」

 凛とした強い意志を感じる瞳がミララをしっかりと見据えた。

「この町に音楽家はいらっしゃいますか?」