あんだんて | ナノ

不協和音とプレリュード

朝の日差しがまばゆくきらめいては、窓からみえる風景の輝きを一層にする。心地の良い、今日もいい朝だ。
ミララは少しだけ伸びをして、窓を開け放つ。心地よい風と澄んだ空気が流れ、気持ちがいい。

謎の侵入者二人を加えた新たな共同生活がはじまって、数日が過ぎた。ここに来てからミララの日常は目まぐるしく変化している。あの町を飛び出すまで、こんな日常が待っているなどと考えたことがあっただろうか。

当てのなかったはずの放浪の旅が、こんな形で新たな生活を紡ぎ出すとは。



「おはようございます。ミララ」

キッチンへ向かうと、穏やかな笑顔のセージが出迎えてくれた。この笑顔も、日常の風景のひとつとなりつつある。

「おはよー!」

その隣に腰掛けているヘアバンドの少年。先日の侵入者事件の犯人の一人、ソニティアだ。潜伏が発覚するまで長いこと屋根裏部屋に潜んで暮らしていたらしいが、正式に同居が認められて以来隠れるのをやめ、堂々と日常に溶け込んでいる。
セージと共に朝食の準備をしている様子をみると、まだ日は浅いというのにこの生活にすっかり慣れて来た様だ。もっとも、潜伏期間を含めればミララよりもはるかに長い時間この家に居たという事になるのでとっくに慣れてしまっていたのかもしれない。
出会ってまだ間もないが、彼の気さくで人懐っこい性格は親しみやすく、ミララにとっても好感だった。

「おはよう。二人とも」

挨拶を返して、気付く。
あたりを見渡しても、もう一人の存在がいないことに。

「あー、ミレイなら来ないよ」

ミララの様子に感づいたのか、ソニティアがそう告げる。

「そうなんだ」

ミレイはソニティアとともにこの屋敷に忍び込んでいたもう一人の人物だ。彼らは双子であり、ミレイの方が姉らしい。盗賊稼業を働きながら二人だけでずっと生きてきたのだという。
驚きの順応力を発揮するソニティアとは異なり、ミレイはあの日から一度も姿を表していない。
彼らが前から人知れず居住スペースにしており、今も同様である屋根裏部屋に篭りきりだ。(他の部屋を使っても良いとセージは言ったのだが、盗賊らしくていいという良くわからない理由で今もそこを使っている。)

「呼んでもこないんだよなー、あいつ」

なんとも極端な双子だなあ、とミララは思う。ソニティアは馴染むのが早過ぎるし、ミレイは一向にその気配がない。まあ、セージに住まわせてもらっているという点で彼らとは立場が同じなので、あまりどうこういう資格は自分にだって無いのだろうけれど。

「でも、今日は来ると思いますよ」

ソニティアの隣でセージがいつもの様に微笑んだ。
その言葉の意味がわからず、ソニティアと顔を見合わせた、その時だった。

「ソニィ!無事!?」

換気口を思い切り蹴飛ばしてそこからセージの言葉通りミレイが姿を表した。しかしその表情は焦燥、どうやらただ事ではないようだ。

「え?ミレイ!?」

突然の登場に困惑するミララたちと同じように、登場してきたミレイもまた困惑顔。彼女はソニティアの無事を案じていたようだが、もちろん当然彼は無事である。

「ーーって、ソニィ!? なんともないじゃない! どういう事?」

ミレイが此方を睨むが、ミララにとってもどういう事かさっぱり分からない。尖った視線が痛く突き刺さる。

「私も、なにがなんだか……」

「ていうかミレイ、いきなりどうしたんだよ?」

「どうって……屋根裏の入り口にこれが……」

そう言ってミレイが差し出すのは一枚の紙切れ。見るとやたら小綺麗だがどこかバランスの悪い字で『片割れの命が惜しければ姿を現せ』といった内容の文章が書かれている。

ああ、ミララはなんとなく事の予測がついた。こんな事をするのは、彼しかいない。

「ほら、来たでしょう?」

にこやかな表情を浮かべ、この状況を楽しんでいるのであろうセージ。
最近思うのだが、セージという人間は只者ではないのかもしれない。彼の行動は、ミララの予測の範疇やすやすと超えてしまう。
にわかには信じ難いが、普通はありえないような事でも平然とやってのけてしまう。それが彼だ。眼が見えないとはいえそれを侮ってはいけない。今まで誰にも頼らず一人で暮らしてきたという事実が裏付けるように、彼は常人顔負けの行動を普通にやってのけるのだ。

「あんたねぇ……っ!」

彼の仕業と分かるや否や、ミレイがセージに掴みかかる。制止しようとするソニティアが思わずミレイの名を叫ぶ。

「どういうつもり!?」

緊迫した状況に緊張を走らせるミララたちを差し置いて、今にも殴りかからんばかりの怒りの形相のミレイと対峙するセージは穏やかだ。

「別に、どういうつもりもありませんよ?ただ、一緒に暮らすんです。食事くらいはご一緒したいな、と思いまして」

「は?」

全く調子の変わらないセージにの言葉にミレイは拍子抜け。思わず力も緩む。

「あんた……それだけのためにわざわざこんな……?」

「ええ。屋根裏まで行くのはなかなか骨が折れました」

「ばっかじゃないの!?」

声をあげるミレイは呆れ顔だが、セージはそれを気にすることもなく笑いかける。

「なにはともあれ、来てくれて嬉しいです。ありがとうございます、ミレイ」

そう言って彼女の手を握るセージ。
ミレイはぽかんとして、最早言葉も出ないようだ。

しばらく困惑の表情を浮かべ固まっていたミレイだったが、はっと我に返ると慌ててセージの手を振り払う。

「わっ、わかったわよ!もういいわ!今日だけよ!」

顔を真っ赤にしてそう言うと、ミレイはテーブルにどっかりと腰を下ろす。

「さっさと食べ物持ってきなさいよね」

そう言って睨むミレイの視線はかなり鋭いものだが、それを受けているセージは動じることもなくにこにこと満足気な笑みを浮かべている。

まあ、私たちと話すつもりすらなさそうだったミレイをこの場に呼ぶことが出来たのだ。素直に喜んでおくべきなのかもしれない。
そう思っていたら、ミレイと目があった。微笑んでみる。が、すぐにふいと逸らされてしまった。

「あんた達と馴れ合う気はないわよ」

どうやら前途は多難なようである。


朝食を終え、それぞれが自由に行動を始める。結局ミレイとは一言も会話が出来なかった。場をなんとか盛り上げようと精一杯ソニティアが話題を振ってくれていたのだが、それも虚しく。ミレイは早急に朝食を済ませて部屋を出て行ってしまった。

「ごめんなー、ミララ。ミレイにはちゃんと言っとくから」

片付けをする横でソニティアが申し訳ないという顔をしている。
別に、彼が謝ることではない。ミレイにはミレイの考えもあるのだろうし、無理に干渉するべきではないのだろう。

「大丈夫だよ。気にしてないし、ありがとね、ソニィ」

「なんでなんだろうなー、あいつ。悪いやつじゃないんだよ?」

「うん。分かってるよ」

最後の食器を流し終え、蛇口をひねる。

「時間はあるし、焦ることはないんだと思う」

そう微笑むと、ソニティアも「そうだね」と微笑み返してくれた。


音楽がきこえる。

水音で気づかなかったが、セージがピアノの演奏をはじめたようだ。
毎日きまってこの時間、セージはピアノを弾いている。様々な曲、様々な演奏、長さも様々だが優しい音色だけはけっして変わらない。

「毎日思うけどすごいよなー。俺も弾けたら良いのに」

「あ」

「どした?」

導かれるような韻律。
引き込まれるような音の世界。

「この曲……」

聴き覚えのあるその音楽は、あの日私を導いた唄だった。



セージのもとへ足が動いた。
まったくしらないはずの、だけどどこかでしっていたような、そんな旋律。

不思議だった。
どうしてこんなにも引き込まれるのか、愛しいような、悲しいような、この感情はなんなのか。

「おや?どうかしたんですか」

ミララの気配に気づいたのか、セージが演奏を止めてこちらを身向く。

「その曲……」

「ああ、これですか」
セージは鍵盤を指でなぞる。

「貴女がここにきた時も、この曲を弾いていた時でしたね」

「なんて曲なの?」

「この曲はーー僕の親友が書いた曲なんです」

「親友?」

「はい」

そう頷いて微笑う。
穏やかな笑顔。だけどどこか、さみしさのようなものが見えた気がした。

「ーーこの曲には詩があるんですよ」

「詩?」

セージがうなずく。そして、まっすぐにミララをみつめた。

「ミララ。貴女にこの唄を歌って欲しい」

「え……」

心臓がはねた。
『歌う』その言葉を、ずいぶんと久しぶりに聞いた気がした。

「無理、だよ」

気づいたら、手のひらにずいぶんと力を込めていた。握られた拳に爪が食い込む痛みで分かった。

私は今、動揺している。

「歌うなんて、私にはできないよ?セージ」

そう。できるわけない。
私は歌えない。歌うことなんて出来ない。出来るわけが、ない。

「嘘です」

「ーーっ、なんで?」

「僕は知っています。ミララ、貴女はーー」

「駄目なのっ!」

彼の言葉を遮るように、ミララは叫んだ。自分でも何故かはわからなかった。でも、嫌なのだ。それ以上は、聞きたくない。

セージは少しだけ驚いたようで、それ以上は何も言わなかった。

「ごめんね……わ、私。……買い物行ってくる」

そうして、逃げるようにその場を後にした。これ以上彼の言葉を聞きたくなかった。

わからない。
ぐるぐると感情が渦を巻く。絡まってぐちゃぐちゃになった思考の波が襲う。頭が痛い。

駄目だ、嫌だ。
そう。思い出しては、いけないのだ。


走り去った少女の背を追うこともせず、セージはしばらくの間ぼんやりとミララのいたその方向を眺めていた。

「逃げられちゃったわね」

後方から声が降り注いだ。

「盗み聞きですか。悪趣味ですね」

「あんたのことだからどうせ気づいてたんでしょ?それに、盗賊に盗むなっていう方が無理な話よね」

天井に面した換気口から飛び降りたミレイが着地する。
こんなところにも侵入経路があったとは、自分の家でも気づいていないことは多いようだ。とりあえず、あとで塞いでおかなくては。

「どうかしたんです?あなたの方から来るなんて、珍しいですね」

「別に。今朝の事が気に入らなかったから、ちょっと仕返しでもしてやろうかしらって思っただけよ。結果、面白い場面に遭遇出来たし」

「そうですか」

ミレイには見向かずに、再び鍵盤と向き合う。指先に触れる白鍵を軽く鳴らすと、弾かれた弦が空に振動を伝える。

軽やかな音。綺麗にみえるその音に、わずかな違和。

「すこし、調律しなければなりませんね」

指を動かす。
見知ったはずの旋律が、いつもより少しだけその表情を曇らせている。

「別に、普通の音色じゃない」

「いいえ。わかりませんか?」

「わかんないわよ」

嫌な音色だ。
ーーまるで、いつかの空のよう。

「ミレイ」

鍵をはじく指先を止める事なく、セージは語る。

「この曲は、僕が始めて好きになった曲なんです。まっすぐで、少し不恰好ですが、迷いがなくて、澄んでいる。僕が世界を愛せるのは、この唄があったからなんです」

「だけど、ずっと弾けなかった」

「弾けずにいたんです」

「……なんでよ」

「……何故、でしょうね」

「でも、今は弾けるのね」

「はい。この唄が、導いてくれたので」

「ふうん?」

だから僕は、もう躊躇わない。
君との約束、君の願いを叶えるために。



昼間だというのに、街並みは穏やかだ。道ゆく人の流れはまばらで、心なしか時の流れすらゆっくりに感じられる。

「付き合わせちゃってごめんね、やっぱり少し持つよ?」

「いいのいいの!大丈夫だからっ」

ずっしりと詰まった買い物袋を両手いっぱいに掲げたソニティアが満面の笑顔を返してくれる。
明らかに彼の許容量を超える重量だ。笑顔とは裏腹に足取りは軽やかではない。大丈夫とはいうものの苦しさを必死に隠しながら歩く彼の様子に、手を貸さずにはいられない。


あの後、セージの元から離れたミララをソニティアが追いかけて来てくれたのだ。
いつもと様子が違う事に気付いているのだろうが、何も聞かずにこうして一緒に買い物に付き合ってくれた。
一人でいるより気は紛れたし、重い荷物も率先して持とうとしてくれる。ミララにとって彼の存在は有難かった。

いろいろな話をしているうちにミララの心も落ち着いてきた。
もう大丈夫だろう。


「ありがとうね」

「ううん、役に立てたなら良かったよ」

嬉しそうに笑うソニティアの笑顔に、なんだか安心感が産まれた。
彼の優しさには本当に感謝しなくては。


必要なものは買い揃えた。
あとは家に帰るだけ。あんな風に飛び出してしまった手前、少しだけ戻りにくい。
セージの事だ、きっと気にせず出迎えてくれるだろう。大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせるが、やはり気が重い。

「あれ?」

何かに気付いたのか、ソニティアが足を止めた。
どうしたの。と聞いたミララも、すぐにその視線の方向にいる人影に気づく。

「セージ?」

すらりとした背格好、風に流れる銀の髪。ひときわ目を引くその姿。
セージが何故こんな所に。まさか迎えに来てくれたとでもいうのだろうか。

否。

こちらの視線に気がついたのか、その人物が振り向く。
そして、目が合う。
落ち着いた面差し、銀色の瞳がミララの蒼を捉えた。

彼の眼が視えていたのなら、きっとこんな感じなのだろう。

そんな感覚だった。

「すみません、人を探しているのですが」にこり、整った輪郭が微笑む。わずかに憂いを帯びて、儚げなそれは誰かの美術作品のようにも見えた。

「セージ・バルフリーディアという人物を、知りませんか?」



風が何処からか旋律を運ぶ。
それは美しく、儚く、尊いメロディ。

聴こえる、旋律が。
心地よいその音色が。
すこしずつ、ずれていく音が。