3
◆
セージたちが診療所へとたどり着く、数刻前。
「うーん……やっぱりだめだ」
押しても引いても、体当たりをしてもうんともすんとも言わない。頑ななままのドアを前に、ミララは途方に暮れていた。
肩を落として、そのままベットへと倒れ込む。硬めのスプリングが微かに軋んだ音をたてた。
「昔の優しかったイクス兄さんはどこにいってしまったのよ」
イクシードの厳しく、頑なな眼差しが頭から離れない。
記憶の中の彼――昔、音楽を教えてくれていた彼の面差しは優しく、温かなものだった。それがあんな風に変わってしまったのは、ミララがこの部屋に閉じ込められるようになってからだ。
きっかけは思い出せない。ある日、突然ミララの世界はこの四角い部屋の中だけになった。父と母、そして幼馴染みであったイクシード。彼らはこの箱の中に彼女を閉じ込め、外の世界に触れることを禁じた。
それが一体何の為であるのか。それさえわからないまま、抵抗することも許されず、ミララは長い時間をこの狭い世界で過ごしてきた。
天井を見つめる。見慣れた、見飽きた白い壁紙。また再び、この風景を見続けるだけの日々に戻ってしまうのだろうか。きらきらと輝くような、あの楽しかった日々は永遠に訪れることのない夢に帰してしまったのだろうか。
考える。そんなのは絶対に嫌だった。
「なにか、なにかあるはず――」
折れそうになる心を奮い立たせて、ミララは再びベッドから起きあがる。
窓をみる。前にこの部屋から脱出した時はシーツをつなぎ合わせて作ったロープを利用してそこから外へと出たのだが、残念ながら同じ手は使えそうになかった。
カーテンを開くと、鉄格子がしっかりとはめられており、出ることが出来ないようになっている。そもそも窓自体がはめ込み式のものに変わっており、開けることすらできない。割って壊すにも道具がない。諦めるしかなさそうだ。
併設されているトイレの窓も確認したが、人が通るにはあまりにも小さい。加えてぬかりなく、同じように鉄格子がはめられている。ここも使えそうにない。
となると、残る脱出口は唯一の出入り口である扉しかないのだが。ここも当然鍵がかかっており、先ほどから何度も挑んでは堅牢な守りに屈することを繰り返している。
鍵はドアの両側からかけられるようになっているようで、鍵さえあれば中からでも錠を開けることはできる。問題は鍵だ。当然、この部屋にそんなものが用意されているはずがない。
――針金とかで、こう、うまく開けられないかな……
小説等でみかける、物語の登場人物が鍵穴に針金をさして鍵をあけるという芸当。あれで何とかなったりしないだろうか。そう思い立って、ミララは部屋に針金がないか探してみる。しかし、そう都合良く針金など用意されてるはずもなく。沈んだ息が口から漏れるまでそう時間はかからなかった。
こうなれば針金でなくてもいい。何か使えそうな細いものを……そう思い探してみるが、そちらもなかなか見つからない。探してみて気付いたが、そういった細く鋭いもの自体がこの部屋からは除かれているのかもしれない。机の中にあった鉛筆でさえ、通常のものよりも不自然に太い。
完全にこちらの思考を読まれてしまっている。
万事休すか。そう諦めかけた時、机の奥に何か光るものが目に入った。手を伸ばして取り出してみると。昔使っていたピン状の小さな髪留めだ。
――もしかすると、これなら!
水を得た魚のごとく、ミララは鍵穴へと一直線に向かう。
長さは短めだが、細さは申し分ない。鍵穴へと差し込んで、とりあえず適当に動かしてみる。鍵はぴくりとも反応しない。当然といえば当然だ。
だが、簡単には諦めない。今度は差し込む方向を変えてみる。髪留めの飾りが付いている方を鍵穴へ差し込み、上下左右に動かしてみる。すると――、
カチャリ。
小気味よい音をたてて、錠が開く音がした。
「嘘、開いちゃった……」
まさか、本当に開いてしまうとは。開けた本人であるミララが一番驚いている。急に心臓がどきどきと鼓動を速め、手指が震えてきてしまった。
こうしてはいられない。早く外に出なくては。
ふるふると首を振り、目の前の問題へと意識を戻す。
ドアに身体をつけて耳を澄ます。近くに足音は聞こえない。ゆっくりとドアノブを下げ、扉を開く。ここで見つかってしまったら元も子もない。慎重に、顔だけをドアから出して辺りの様子を確認する。
廊下はしんと静まりかえっており、人の気配はない。それを確認すると、おそるおそる部屋の外へ。
左手にある階段から、下階の明かりがみえた。来患があったのだろうか。遠くから話し声が聞こえる。イクシードはおそらくその対応をしているのだ。これはチャンスである。今のうちに、とミララは階段とは逆方向へと向かう。息を潜めて廊下の突き当たり、非常用の出口へと走る。あそこを使えばまっすぐに外へと出られる。
それほどの距離のないはずの廊下がひどく長く感じられた。走る。走る。そして。
開けはなった扉の向こう。海風と青い空が広がっていた。
「はあっ、はあ……っ」
こんなには知ったのは久し振りだ。肩で息をしながら、荒い呼吸が落ち着くのを待つ。
「ふう……」
人通りの少ない路地に身を潜めて、民家の壁に身体を預ける。どうにかここまで出ることが出来た。頬をなでるやわらかな風が心地よく。張りつめていた心に染み渡る。
「……っ」
ふと、脇腹に痛みが走って眉をひそめる。突然走ったりしたせいだろうか。じくじく、脈打つような痛み。しばらく耐えていれば収まったので、さほど気にすることはないだろう。
「どうしようかな、これから……」
あの部屋を飛び出した事を間違いであるとは思わない。
再び手にした自由を奪われることは絶対に嫌だった。けれど、ミララの心には迷いがあった。
――わたしは、セージ達のもとへ戻るべきなのだろうか。
連れ戻される前の、一番新しい記憶。セージの言葉が胸に引っかかる。
『それは、違います』
どうしてそんなことが言えたのだろう。
何も知らない彼が、どうしてすべてを知っているかのように私の言葉を否定できたのだろう。
ずきり。
今度は頭が痛い。重い痛みが、瞼の奥からずしりと響く。
――違う? 何が違うというの。わたしはなにも間違っていない。わたしはなにも、忘れてなどいない。
セージのもとへは戻れない。彼が必要としているのは私ではない。オリファさんの歌を歌ってくれる、『誰か』だ。そのためのパーツだ。
それが、ミララ・バースである必要はない。それを知って、どうして戻ることが出来るだろう。
きらり、太陽の光を反射して人魚の涙がきらめいた。限りなく純粋で、澄んだ美しい光。どろどろと渦巻く心を前に、その無垢な一雫は余りにまばゆすぎる。
申し訳ないけれど、この指輪は手放そう。手放して、そのお金でどこか遠く。誰も私を知らない町へと行こう。宝石も、波間に反射する太陽のようにきらめく思い出も、すべて手放して。遠くへ行こう。
心は決まった。ならば立ち止まっている暇はない。
町の人に見つかればきっとすぐにイクシードへ報告が行くだろう。それでなくとも、部屋の様子を見た彼が脱走を知るのも時間の問題だ。
ミララは意を決して路地から出ると、なるべく人と目が合わぬようにうつむいて、足早に町の中を進む。
町を出て、隣町までいくことが出来れば誰の目も気にすることなく行動ができる。隣町は歩いて数刻だが、今からなら日が高いうちにたどり着けるはずだ。
大丈夫、きっとうまく行く。その思いとは裏腹に、胸の奥がざわざわと落ち着かない。慌てないように、と自身に言い聞かせるも、どうしても気は逸る。焦りと緊張から足取りは次第に早くなっていく。思いは空回り、足がもつれる。
「――!」
路面の小さな段差に足を取られて、ミララの身体は前のめりにバランスを崩す。
このままでは転んでしまう。とっさに腕を前に出し、身を守ろうとしたところで――誰かの腕が、ミララの身体を引き留めた。
「危なかった。大丈夫ですか?」
「は、はい。ありがとうございま……」
突然のことに思考が停止し、驚いた顔のまま声の方向を見やる。そして、口から出かけたお礼の言葉が喉元でつっかえた。自らの腕を引くその人物が、予想だにしないものだったからである。
大きく目を開いて、ミララは二、三瞬かせた。見間違いでもなんでもない。驚きをそのままに、ミララはその人物の名を口にしていた。
「イリスさん……!?」
「あれ? ミララさん? どうして、あなたがここに?」
それはこちらの台詞だ。一体どうしてこんなところにいるのだろう。こんな田舎の、大した名所もない小さな町に。
「えっと、あ! ありがとうございます! 危ないところを助けていただいて」
思いがけない出会いに、うまく思考が追いつかない。言葉に乗ってそのまま発露する動揺を、彼は穏やかな笑みで受け止めてくれている。
「いいえ。でも、驚きました。こんなところでお会いするなんて」
「わたしもです。あ、ここ、わたしの故郷なんです」
「故郷。なるほど。里帰りですか?」
「ええ、まあ。そんなところです」
「突然里帰りだなんて、何かあったんですか。兄さんと喧嘩でもしました?」
「あはは、そう、かもしれないです」
喧嘩というのもあながち間違ってない。下手なことを言うわけにもいかないので、相手に会わせて誤魔化すことにする。それにしても、いくら考えてもわからない。彼のような人が、どんな理由があってこの町にきたのだろうか。
「イリスさんは? どうしてこんなところに?」
「僕はここに音楽堂があると聞いて。それを見に来たんです」
「音楽堂?」
はて、そんなところあっただろうか。長年この町に住んでいるが、そんなものは聞いたことがない。家出している間に新しくできたのだろうか。
「実はいま、各所で音楽会を開く計画があるんですけど。その会場を探してまして。いろんな場所を下見して回ってるんです。この町にも、音楽会を開けるような会場があると聞いて。それで見に来たんです」
「そうだったんですね。でも、音楽堂なんてこの町にはなかったと思いますよ?」
「そうなのですか? おかしいなあ。昔そういった催しが開かれたことがあると耳にしたのですけれど」
「あ……」
イリスの言葉に、再び頭に鈍い痛みが走った。
音楽会。心当たりが、一つだけあった。
けれど、それは。
「なにか心当たりがあるんですか?」
「は、い。音楽会なら、昔教会を使って開かれたことが。一度だけ」
「教会ですか、なるほど。それは良いかもしれない。ミララさん。差し出がましいのですが、よかったら案内していただけないでしょうか」
「あ、でも。今は使われてないですよ。人の立ち入りもずいぶんないですし。きっとぼろぼろで使えないです」
「それでも構いません。一度見てみたいんです。お願いできませんか?」
「……」
ずきり。
痛みは繰り返し、激しさを増していくようだ。
できるなら、近づきたくはない。触れないままでそっと奥底に閉じ込めておきたい。
けれど。イリスの真剣な思いを断るのもなんだか申し訳なく思えて。ミララはゆっくりと頷いた。
「わかりました。案内だけなら」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに口元をほころばせて、イリスはミララの手を取った。
寄せては返す波のように、痛みは激しさを増していく。それを悟られぬよう、ミララは必死に笑顔を張り付けた。
◆
「ミララ、いないね」
声に疲労を滲ませて、ソニティアは空を見上げた。
あれから二手に分かれ、情報を求めて町の中を探してみたものの、有力な情報は得られなかった。
町の人たちは声をかけるとはじめは皆優しく応じてくれるのだが、ミララの話題を切り出すととたんに反応が悪くなる。笑顔や優しげな態度こそ崩さないが、どこか余所余所しく、決まりの悪そうに曖昧な答えを返すものばかり、何一つ確信には触れられない。
このまま町をうろついても変わらないとみて、一度診療所の様子を見に戻ったのだった。
「あの医者に口止めでもされてるのかな?」
「そうだとしても、町ぐるみで彼女の存在を隠そうとするのは不思議ではありませんか?」
「うん。そう思う。皆が皆わからないっていうのもおかしいよね。余計に怪しいというか、何か隠してるんじゃないかって思っちゃうよね」
町の人全員がミララの事を隠している。仮にそうだとして、それだけのことをする理由が何かあるのだろうか。
「俺たちの知らない事情があるのかな……」
もし、特別な理由があるとするならば。何も知らない自分たちがこうしてかぎまわるのは良くないことなのではないか。ソニティアの胸に不安がよぎる。
「理由があったとして、ミララはそれを望まなかったからこそこの町を出たのでしょう。なら、彼女のその意思を踏みにじろうとするこの町のあり方の方が間違っている。そう思いませんか?」
「確かに、そうかもしれないけれど……」
セージの言うことも理解できる。しかし、ソニティアは疑いなく頷くことはできなかった。なにかが引っかかり、心の奥ざわつく。
いつもよりも頑なで、はっきりとしたセージの口調のせいだろうか。
「三階の様子はどうですか? 何か、変化はありましたか?」
「――いや、さっきと変わらない。電気もついてないし、人が戻ってる感じはないかな」
目を凝らして、ソニティアは三階の窓を見上げる。
先ほどのように木に登って中を覗けばより確実なのだろうが、不用意に近づくことのリスクの方が大きい。誰かに見つかって、この町から追い出されるようなことになっては元も子もない。
「そうですか。ではやはり、町中を探すべきですね」
「そうだね。でもその前に、少しだけ休憩しない? セージ、疲れてるみたいだし」
この町についてからずっと歩き詰めで、さすがに疲労がたまっているのだろう。セージの顔色はあまり良いとは言えなかった。普段家から出ることのない人間が、一日中動き回っているのだから無理もない。しかし、彼は首を縦には振らなかった。
「いいえ、大丈夫です。大した問題ではありませんよ。それよりも、時間が惜しい。早くミララを探さなくては」
「そう? けど、あまり無理はしないでね」
ミララに会いたい。その気持ちはソニティアも同じだ。本気で、真剣だ。
けれど、何故だろう。再び胸の奥がそわそわした。
彼はあまりに、必死すぎやしないだろうか。
「ねえ、セージ」
「――どうしました?」
改まって名前を呼ばれ、セージは不思議そうに、そして、すこし怪訝にソニティアへ視線を移した。
「聞いてもいいかな? どうして、セージはミララに帰ってきてほしいの?」
「何を言っているんです?」
どうしてそんな、わかりきった事を聞くのだろうか。眉をひそめたセージの声色には、苛立ちすら感じられた。
「あたりまえでしょう。ミララは大切な人なんですから――」
「それは、俺も一緒だよ。ミララは大切な友達だし、こんな風に突然離ればなれになるなんて納得できない。会ってちゃんと話がしたい。そう思ってる。けど、ごめん。こんな事言ったら気を悪くするかもしれないけれど。……セージは本当に、心からミララの事を大切だって思ってる?」
「思っています。僕には、彼女が必要ですから」
「でも、それはセージの一方的な思いでしょ? ミララ自身はどう思ってるのかな。考えたことない? ミララにとって、俺たちと一緒にいることが本当に幸せなのか。故郷で家族や友達と暮らした方が幸せなんじゃないのか。その方が、彼女の為になるんじゃないのかって」
こんな事を言っていいのだろうか、偉そうな口を利きすぎているだろうか。そんな不安を抱えながらも、ソニティアは意を決して言葉を紡いだ。
「彼女は、自らの意思でこの町を出てきたんです。そこに再び戻ることを、果たして望むでしょうか」
「それはミララにしかわからない。だから、決めつけちゃいけないと思うんだ。ちゃんと、彼女の気持ちを聞かないと。ここがミララの故郷、帰る場所であることに変わりはないんだから」
「そうだとしても、彼女はここに居るべきではない。自由を奪われる必要はないんです」
何を言おうと、セージの意思はミララを連れ戻すことから揺らがない。それが強固であるからこそ、綻びがあるような気がして不安になる。
「セージ。セージの言う大切って何?」
「大切、ですか?」
「セージはミララの気持ち、ちゃんと考えてる?」
「ミララの気持ち……」
「よくわかんないけどさ、相手の気持ちをちゃんと知って、それを尊重してあげたいって思う。大切って、そういう気持ちなんじゃないかな。セージの言う大切は、そういう気持ちとは少し違う気がして。なんていうか、自分の思いだけでいっぱいいっぱいで、相手のことが見えてないというか……」
「……」
「ごめんね、ちょっと前のミレイを思い出して心配になっちゃって。あの時ミレイが、俺だってミレイの事を何より大事に思ってるって事に気づかないで、思い詰めちゃったみたいにさ。セージも余裕をなくしちゃってるんじゃないかと思って。俺がこんな事言える立場でもないけどさ。ミララがどう思ってるか。それをちゃんとみてあげることが一番だと思うんだ。彼女の気持ちを理解して、それを尊重してあげようよ。もし、彼女が自分の意思でここに帰って来たのなら、無理矢理連れ戻して側に居させようとするのは彼女の自由を奪うことと何も変わらないんじゃないかな」
セージは言葉を閉ざしている。まっすぐに結ばれた唇が、静かにソニティアの言葉を噛みしめている。
「ミララにつらい思いをさせてまで、一緒に居るべきではないと思うんだ」
重苦しい沈黙が流れる。
自分から離れた言葉が、どのように受け止められるのか。大きくうなる心臓の音が全身に響くようだ。
静けさに痛みすら覚えそうになる。暫くして、唇が開かれた。
「――そうか、僕は、僕の望みのために彼女の自由を奪おうとしていたんですね」
驚くほど力の抜けた、芯のない声だった。
「ミララのことは、必要だし、大切だと思っていました。彼女以外にオリファの歌にふさわしい人はいないと、そう思って。だから彼女に歌ってほしくて。その声が聴きたくて。そのために、彼女に側に居てほしかった。でも。確かにそれは、あなたの言う大切とは違っていたようです。僕の独りよがりだ」
風を失った白帆のように、途方に暮れた彼の姿をはじめてみた。
「僕の大切は彼女ではなく、約束だったんです。そのために、彼女を必要としていた。……けれど今は、わからないんです」
迷いが、惑いが、憂悶がそこにはあった。
「彼女が居なくなって困りました。このままでは、オリファの歌が永遠に失われてしまう。約束が果たせなくなる。それでは、僕の生きる意味がなくなる。そう思いました。けれど、それだけではない。それと同時に大きな空白が、心の中に生まれたようで。もっと大きなものをなくしてしまった。そんな気がして、指先が震えて心臓がざわついて。音を奏でることすらままならない。こんなことは初めてで、彼女に会えば、この空白の正体がわかるような気がして。はやく、その声が聴きたかった。だから、焦っていたのかもしれません。自分でもよくわからないのです。彼女への、想いというものが」
そう言って、困ったように笑うセージ。
こぼれ落ちた言葉に、ソニティアは当惑した。
それと同時に、なんだ。そうだったのかと腑に落ちた。
ただ、見落としていただけなのだ。彼の中で約束というものが大きすぎて。その光が眩しすぎて、側に生まれた新しい想いが見えていなかった。
何一つ、心配する必要はなかったのだ。ひどく曖昧で、不安定で未完成。けれどちゃんと、それは『大切』のかたちをしていた。
「たぶん、だけど。不安、だったんじゃないかな。ミララが居なくなって。不安になったんだよ。不安で、居ても立ってもいられなくなる。それって、本当に大切に思ってる人にしかわかない感情だよ。自分が思ってる以上にセージはちゃんと、ミララのこと大切に思ってるんだよ」
「そう、なのでしょうか……」
「うん。ごめんね。俺、誤解してた。セージがどうしてそんなに必死だったのか、ちゃんとわかってなかった」
「いいえ、謝ることはありません。むしろ、こちらは感謝をしなくては。ありがとうございます、ソニティア。これでは、とてもミララに会いに行く資格などありませんね」
「そんなことないよ」
ソニティアは首を振る。
「大丈夫。今の気持ちをちゃんとは話せば、ミララもきっとわかってくれるよ。ミララを探しに行こう。ちゃんと会って、話をしよう」
「……はい!」
心に引っかかっていたつかえがとれた気がする。ソニティアは身が軽くなるようだった。セージがミララに会いたいと思う気持ちは、屈折も偽りもない本当のものなのだとわかったから。ならば自分も、迷いなく自分の心に素直になれる。
ミララを探そう。そして彼女の言葉で、彼女の思いを伝えてもらおう。今ならきっと大丈夫。恐れることはなにもない。
二人は再び町の方へと歩き出す。憂いの消えた後ろ姿は伸びやかで、踏みしめる一歩は力強い。
その後ろから、足音が近づいていた。
「待て!」
怒号に近い声だった。思わず振り返ると目を見開き、真っ赤な顔をした白衣の男の姿があった。二人の姿を見かけて走ってきたのだろう、息は上がり荒々しく肩が上下している。
吐き出されたのは怒りと焦燥、それらが織り混ざった余裕のない声で、男は喉が枯れんばかりに叫んだ。
「お前たち、彼女をどこへ連れて行った!」