あんだんて | ナノ

2

 駅を出る汽車が、軽快な汽笛の音を残して旅立っていく。
 降り立ったのは海沿いの小さな村。
 柔らかな風の中に、潮の香りがほのかに感じられる。耳を澄ませば。さざ波の音まで運んできそうだった。

「すごかったね。ミレイ。俺、汽車なんて初めて乗ったから……まだ胸のどきどきが止まんないや!」
 
 声を弾ませるソニティア。事態が事態とはいえ、電車に乗って遠くの町にくるなどという体験は彼にとって初めてのこと。すっかり気分が高揚しているようだ。
 いつもの一張羅からから着替え、セージの用意した余所行きの衣服に身を包んだ彼は軽やかな足取りで駅舎を走り抜けていく。

「よかったわね。貴重な体験ができて。海唄の町・ハルフェ……本当にここにあの子が居るって言うの?」

 嬉しそうな様子のソニティアに頬を弛めるも、駅名を見上げてミレイは眉をひそめた。
 居場所が分かる、とは言っていたがその信憑性も定かではない。ここまで来て空振り、なんてことがあったらただでは置かないわ。そんな風に思いながら、ミレイは座席の堅いいすに長時間座ってすっかり痛くなってしまったお尻をさする。
 かっちりとした上着が窮屈で肩が凝る。着慣れない服の感触が肌になじまず、余計にに彼女の表情を険しくさせる。

「おそらくは。あの町にいないのであれば、可能性は一番高いでしょう」

 慣れた手つきで杖を扱いながら、セージは駅の建物から町へと続く階段を下りていく。
 彼もまたミレイ達同様に外出用の衣服に身を包んでいるのだが、何故だろうか、素材自体は双子が纏っているものと変わりないはずなのに、洗練された品格のようなものを感じる。膝丈の外套には皺や汚れ一つなく、手入れのされた革靴は足下で滑らかな光沢を放っている。ただそこに立っているだけだというのに、自分や周囲の人々とは何かが違う。そう思わせる異質さがあった。
 普段の生活から染み着いている何気ない所作や作法の違いのせいだろうか。ミレイは思う。育ちの違いを突きつけられているようで、なんだか無性に腹立たしい。気を晴らす為に、何気なく目の前に転がる小石を蹴飛ばした。

「けど、どうしてここがミララの故郷だって知ってたの?」

 数歩先を歩んでいたソニティアが、こちらを振り返って問いかけた。

「以前ミララから聞いたんです」

「……ふうん」

 ミレイは顔をしかめて訝しむ。
 ミララが自分の故郷の場所をこうも容易く他人に教えたりするだろうか。それほどの信頼関係があったというのなら不自然ではないだろうが。果たして。真偽は定かではない。
 
「そうなんだ。……ここがミララの故郷かあ」

 一方でセージの言葉を素直に受け取ったソニティアは、感慨深そうに、好奇心のままに、あたりをじっくりと見回している。
 のどかで、豊かで。海と空が解け合うような色彩がとても美しい。
 いいところだ。ソニティアは思う。ミララの生まれ育った町。自分に出会う前の彼女は、一体どんな暮らしをここで送ってきたのだろう……。

 そう思いを馳せるソニティアとは対照的に、ミレイは眉間の皺を深める一方だ。
 果たして本当にミララはここにいるのだろうか。元居た町ではなんの手がかりもつかめなかった今。小さな手がかりであっても縋る他ない。
 ――だが、故郷に戻ったというのなら、一体どうして、何も告げず、突然に姿を消すなんて事をしたのだろう。
 もしかしたら嫌気がさして、故郷へ帰りたくなっただけなのかもしれない。そうだとしたら、ここまで来て見つけだそうとしていることは迷惑になるのかもしれない。
 考えて、ミレイは首を振る。そうだとしても、関係ない。他人の事情なんて省みず、ずけずけと入り込んで無理矢理にでも側にいようとする。それはかつてミララが自分にしたことだ。それと同じ事を仕返す、それだけだ。そうして拒まれたのなら。おとなしく身を引く。そうすればいい。

 ――本当に調子が狂う。ソニティア以外の誰かのためにここまでしてやろうなんて。いったい私はどうしてしまったのだろう。

「ミレイ」

 名前を呼ばれる。前方でソニティアがこちらを伺っていた。

「町の人に話を聞いてみようって、セージが。何か情報がわかるかもしれない」

「そうね」

 ミレイは頷く。手っ取り早く情報を得るなら聞き込みが一番早い。もっとも、この町の人間が自分たちのような見知らぬ人間に寛容であった場合だが。


 抱いた心配は杞憂に終わった。町の人たちは皆親切に、余所者を警戒することもなく話を聞いてくれた。
 初対面の人間に警戒されずに近づくための社交術。それに関してはセージが長けていた。お得意の紳士的かつ柔らかな物腰でうまく相手の心に入り込むのだ。

「ミララちゃんのお知り合いなの? あらあら、珍しいこともあるのねえ」

「ええ。昔、この町に立ち寄ったときに縁がありまして。久しぶりに訪れたものですから、お元気でいらっしゃるかと思いまして」

「こんな素敵な人が訪ねてくるなんて、あの子も隅に置けないわねえ。いつのまにそんな術を身につけたのかしら……あ、ごめんなさいね。あの子なら自分の家にいると思うわよ。会えるかはわからないけれど」

「会えるかはわからない?」

 どういうことですか?
 問いかけると、女性の様子が変わる。柔らかな表情は凍てついた湖面のように固まり、しまった、と言うようなばつの悪いものになる。笑顔であることは変わらない。だが、どこかぎこちない。
 まるで、何かを隠しているかのようだった。

「あー、ええ。気にしないで。元気であることは間違いないわ」

「その家ってどこにあるの?」

 不自然な女性の態度に、ミレイが切り込む。

「……ごめんなさいね。私、急用を思い出してしまって」

「お待ちください、マダム」

 話を切りやめて立ち去ろうとする女性の手を、セージが掴んで引き留める。

「教えてくれませんか? 一目、元気な様子がみれるだけでいいんです」

「…………」

 女性は困ったように視線を泳がせ、しばらくごもごと口を動かしていた。そして。

「わかったわ、場所だけよ?」

 三人の気迫に折れ、渋々と地図を書いてくれたのだった。



「確か、ここらへん?」

 女性からもらった地図を頼りに、それらしき場所までたどり着く。
 地図はかなり簡易的なものだったが、町の構造はそれほど複雑ではなかったため、割とすんなりたどり着くことができた。
 だが。

「……本当にここであってるの?」

 目の前の建物を見上げて、ミレイは疑念に眉根を寄せる。
 地図と町の形を照らし合わせて、確かにこの場所で間違いはないようだ。だが、目の前にあるのは人が住む家と言うより……

「診療所、みたいだよね。本当にミララ、こんなところに居るのかな」

 一面を真白な壁に覆われた建物。三階建てではあるが、それほど規模は大きくない。規則的に施されたダークブラウンの飾り板が外壁を縁取り、全体を引き締めて落ち着いた印象を与える。大きく設けられた観音開きの入り口や、格子のはめられた窓が町にある他の住居との明確な違いを生んでいた。

「診療所、ですか?」

「うん」

 ソニティアがセージに外観の様子を説明する。

「……なるほど。まずは、中に入ってみましょう。診療所なら、一般の家と違ってすぐに追い出されることはないでしょうから」

 セージは迷いなく中へと進んでいく。一切の躊躇がないことに呆気にとられつつ、双子も一拍遅れてその後を追う。
 扉には鍵などはかかっておらず、押しただけで簡単に開くことができた。中の様子は、外から感じる印象よりも開放的で、窓が少ない代わりに電球が暖色を放ち、所々置かれた観葉植物が爽やかな空間を作り上げている。診療所という空間にふさわしく、消毒薬の香りが微かに鼻孔を刺激する。

「だれも居ないみたいだね」

 ソニティアの言葉どおり外来の患者の姿はなく、人の気配はほとんど感じられなかった。

「診療所なんだから、奥に医者くらいは居るんじゃない?」

「待ってよミレイ。勝手に奥に行くのはさすがにまずいんじゃないかな」

 先へと進もうとするミレイをソニティアが引き留める。
 入り口で繰り広げられるそんなやりとりを聞きつけたのだろうか。奥から声が聞こえてきた。

「どうされました?」

 声の方向をみると、白衣に身を包んだ医者らしき人影がみえた。

「新規の受付の方ですか? 申し訳ございませんが、午前の診療時間は過ぎておりますので、時間を改めて頂けますか?」

 こちらを患者だと思ったのだろう。眼鏡の奥にやわらかな微笑みを浮かべながら、丁寧な物腰で彼は歩み寄ってきた。
 ここの所長かと思われたが、近くで見てみると想像以上に若い青年だ。オールバックにまとめ上げた前髪のせいか大人びてみえるが、実際の年齢は十代後半から二十代前半といったところだろうか。
 
「……どうか、されました?」

 青年の顔から笑みが次第に剥がれていく。目の前の三人組の様子が、診察を求めて来たものとは異なることに気付いたのだろう。患者へと向けられるにこやかなそれは、次第に不振と疑念を携えた厳かなものへと変容していく。
 それはやがて、確かな警戒となって現れる。
 緊張の糸が張りつめていく。少しの刺激でぷつんと切れてしまいそうなそれに、躊躇いなく放たれた一声。

「ここに、ミララが居ると聞いてきたんです」

 セージの言葉に、青年の纏う雰囲気が一変した。爆発的に燃え上がる、火山のような荒々しい情動がむき出しの敵意となって眼光に灯る。

「お前たち、一体なんだ?」

 唸るような静かな声。青年はぎろりと瞳を光らせる。
 その反応こそが何よりの肯定だった。
 
「ミララがここに居るのね!」

 ミレイが声を強めた。微かな可能性が、確信へと変わった。
 
「――そんな子はここには居ない。他の病院と間違えているのでは? ここで入院患者の受け入れはしていませんので」

 青年が示したのは否定だった。はっきりとした、頑なな口調だ。先に見せたわずかな綻びすらはじめからなかったかのように。それ以上うろたえる事もせず、付け入る隙も与えない。
 物言いが丁寧であるが故に、確かな説得力がある。これ以上は踏み込むな。明確な拒絶の意図。
 
「それは、おかしいですね。外から見て、上階の電気が付いているようにみえたのですが。入院患者がいないというならそうしておく必要はないのでは?」

 少女の名前を前に生まれた青年の動揺、その綻びを逃すまいと言の葉を切り返したのはセージだった。

「上の階は看護師の居住スペースなので。今まで僕がそこを使っていただけです。何かおかしいことでも?」

「ええ。僕、耳が良いんです。電気が付いていたのは三階も、だったのですが。貴方の足音は二階から降りてくるものでしたので。それならばどうして、必要のない三階も電気が付いていたのかな、と思いまして」

 青年の顔つきが険しくなる。

「教えてください。三階には、誰が居るんですか?」

「――帰れ」

 静かな声で、しかし奥底に激情を滲ませて、青年はそう告げた。

「彼女はここには居ない! ここは、お前たちが来ていい場所じゃない!」

 堰を切ってあふれ出す感情は爆発的に加速する。その声は次第に荒く、激しさを増していく。

「ここには、と言うことは少なくともこの町には居ると言うことですね。教えてください。ミララはどこに居るんですか? 彼女は自分の意志でここに戻ってきたのですか?」

「……っ」

 青年は何かを言い掛けて、それをぐっと堪えた。己が冷静さを欠いていることに気付いたのだろう。一拍息を吐いて、それから呻くような声で言った。

「……お前たち、一体何なんだ。頼むから、もう彼女に関わらないでくれないか。それが、あの子の為なんだ」

「それは一体どういう……」

「もうお前たちに話すことはない。出ていけ、この町から。一刻も早く」

 真意を問おうとした言葉を遮って、青年は早口でまくし立てた。そのまま三人を出口にまで追いやって、思い切りドアを閉める。
 内側から錠の閉まる音がした。頑なに閉ざされたドアは、もう開かれることはない。

「ちょっと! 追い返されちゃったじゃない、どうしてくれるのよ」

 もっと穏便に事をすますこともできただろうに。こうなっては為すすべがない。ミレイは怒りを露わにセージへと詰め寄る。

「これでいいんです」

 対してセージは冷静だった。

「丁寧に頼んだとしても、けして奥には入れてもらえなかったでしょう」

「確かに、そうかもしれないね。あの人、すっごい怖かったし」

 青年の剣幕を思い返して、ソニティアは頷いた。

「ええ、ですから。それよりも情報を得られたことを喜びましょう。ミララは確実にこの町にいます。そしてその行方は彼が知っている。おそらくはここの三階なのでしょう」

「三階ねえ」

 ミレイとソニティアは建物を見上げる。こちらから見える側面で、建物の三階部分にある窓は三つあるが、その中に一つだけ明らかに他と様相が異なるものがある。そこだけ鉄格子が新しく、かつより目が細かいのだ。怪しむ根拠としては十分すぎるものだ。

「電気が付いてた、だなんて見えないくせによく言えたものね」

「まあ、それでまんまとボロを出してくれましたので。結果的には正解かと」

「人の心を弄ぶのがお上手ね」

「策士と言っていただければ」

 口元を歪めたセージに、ミレイは苦い顔をする。

「ここからじゃさすがに中の様子までは見えないわね……」

 窓にはしっかりとカーテンがかかっており、ここからではその様子は伺い知れない。

「ねえ、あの木を使えば中を確かめられないかな?」

 ソニティアが指さす。その方向を見ると十メートルほどの高さがありそうな木が生えていた。上まで登れば窓の高さには到達できそうだ。

「確かに。けど、窓にはカーテンがかかってるのよ? 登ったところで中は覗けないんじゃない?」

「うーん。でも、ほんの少し隙間がありそうなんだよね。中にいた誰かが一度カーテンを開けたのかも。少しでも手がかりの可能性があるなら行ってみた方が良いと思うんだ」

 ソニティアに言われ改めて見ると、つがいのカーテンの間には確かに隙間があるようだ。僅かな隙間ではあるが中の様子を確認できるかも知れない。

「なら、わたしが行くわ」

 それが当然であるかのように、木に向かって歩き出そうとしたミレイの肩をソニティアが引き留めた。

「ダメ! 俺が行くよ」

「どうして。あんな高いところからもし落ちたりしたらどうするのよ。怪我で済まないかもしれないでしょう」

「それはミレイも一緒だろ! ミレイばっかり危ない役目を負おうとしないでよ。木登りとか高いところは俺の方が得意だったろ? だから俺が行くの!」

「むう……」

 珍しく一歩もゆずらないソニティアに押されて、ミレイは渋々ながらも彼に道を譲る。

「気をつけなさいよ。落ちたりしたら許さないからね!」

「まかせて!」

 そうしてソニティアは勢いよく木へと登り始める。ざらざらした表皮に指をかけて、ひょいひょいと登っていく。
 木登りが得意、と言うだけあってあっという間に幹を登り切った。あとは慎重に、しっかりと太さのあるものを選び伝って窓へと近づく。
 そして、中の様子を確認したのだろう。ソニティアはゆっくりと木を降り始めた。
 ミレイはその様子をはらはらしながら見つめていたが、ソニティアの足が地面へと付いたのを確認するとほっと胸をなで下ろした。

「どうでした?」

 戻ってきたソニティアにセージが問いかける。

「うん。思った通り、中の様子が見えたよ。でも……」

「なにかあったの?」

 ううん、ソニティアは首を振った。

「部屋の中には誰もいなかったんだ」

「誰もいない……どういうこと?」

 三階の部屋になんらかの手がかりがあるはずと、そう思っていたが故に、誰の姿もないというのは想定外だ。

「隙間からで全体が見えなかった。とかじゃないの?」

「うーん……そう言われると否定はできないけど。人の気配が一切感じられなかったんだよ。でも、誰かがいた痕跡はあったんだ! 電気とかはついてたし、引き出しも開けっ放しだったり……」

「そう……」

 人の気配がない、ソニティアがそう感じたのならば本当なのだろう。彼のそういった感覚にミレイは大きな信頼を寄せている。これまでの人生の経験則というものだ。

「ミララ、なのかな……」

 ソニティアの表情が曇る。

「あんな風に窓に格子がはめられてるなんて、おかしいよね。まるで、絶対に逃げられないように閉じこめてるみたいで」

「立派な監禁よ。あの眼鏡野郎……許せない。殴ってきてやるわ」

「だめですよ、ミレイ。落ち着いてください」

「うるさいわね、あんたに宥められたくないわよ。冗談に決まってるでしょ、いちいち真に受けないで」 

 そうは言うものの、ミレイの憤りは心からのものだ。もっともな感情だろう。ミララでも、そうでなかったとしても。あそこに居た誰かは確かにあの場所に閉じ込められていたのだ。そんな事が許されていいわけがない。

「でも、だとしたらどうしてあの部屋には誰もいなかったんでしょうね。部屋の外に出ることが許されていたのか、それとも……」

「すでにあそこから逃げることが出来たか、だよね」

 セージは頷く。

「軟禁状態であれば、部屋の出入りが自由であることもあるでしょう。ですが、ソニティアの言うようにすでにあの場から脱出する事ができているなら、きっとあの青年ですらまだ気付いてはいないはずです」

「ミララが逃げているなら、あの人より先に見つけないと!」

「ええ、町の中を探してみましょう。身を隠せそうな場所は限られてるでしょうから」

「そうと決まれば行くしかないわね。まとまって動くのも効率が悪いから、わたしは一人で行動させてもらうわよ」

「わ、わかった! なら、俺はセージと一緒に聞き込みしてみる。いいよね」

「はい。それと、定期的にこちらへ戻って部屋の様子を見に来ましょう。たまたま部屋にいなかった、という可能性も捨て切れませんから」

「了解!」

 ソニティアは力強く頷いた。
 真上の太陽が、二手に分かれる三人の背を押すように輝きを放つ。西の空に広がる雲が、ゆっくりと近づいてきていた。