あんだんて | ナノ

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 ◆


 真っ直ぐと続く道、その先に小さな町並みが見えてきた。
 目の前の案内版にはしっかりとその町の名前が刻まれている。この表示に従って、舗装路をたどっていけば町へとたどり着ける。
 
「地図が指す道は……こっちね」

しかし、ミレイが手にした地図はその町とは違う方向を示していた。
 案内板を起点に、道は二手に分かれていたのだ。
 一つは視線の先、隣町へと続く道。そしてもう一つ、地図が指し示す道は15時の方向、生い茂る森林の中へと続いていた。
 道を縁取るように続いていた広葉樹の森。二股に分かれた道は、そこを切り開くかのように奥へと続く。その入り口以外には獣道のように草木が生い茂り、森はまるで人を拒んでいるようだった。特に理由がなければ、入り口以外から森に入る人は居なさそうだ。

 真上から降り注ぐ日差しは熱を帯びている。しかし、森の中はそんな光を木々がすっかり遮っており、薄暗い世界からひんやりとした空気が漂ってきていた。
 明確な線引きが為されている訳ではないが、今自分たちがいるこちら側と森の中には見えない境界が存在しているように思えた。
 得体の知れないものが、ぽっかりと口を開けて待ちかまえている。足を踏み入れたら最後、森に飲み込まれて戻ってこれなくなるような。そんな感覚に襲われる。

「……ほんとにこの先に、教会なんてあるのかな」
 
「神様じゃなくて悪魔が居そうだよね」

「ソニィ、縁起でもないこと言わないで」

「ミレイ。怖いの?」

「こ、怖くなんかないわよ!」

「その割には、さっきまでの勢いがないよね」

「うるさいわね。そういうあんたたちはどうなのよ!」

 皆が一様に視線を逸らす。
 道行く旅人を怖じ気付かせる、それだけの謎めいた圧力がこの先には存在していた。

「……あの男に騙されたんだわ。きっとそうに違いない」

「セージはそんなことしないと思うけど……」

「なんでそう言いきれるわけ? あんたにとってだってあの男はついこの間知り合ったばかりの他人でしょう? なぜそんなに信頼できるのか、不思議でしょうがないわ」

「ミレイは人を疑いすぎだわ。もう少し他人を信じてもいいんじゃない?」

「馬鹿言わないで。簡単に信じて、痛い目に遭うのは自分なのよ?」

「まあまあ落ち着いてよ、二人とも」

 森の持つ鬱蒼とした緊張感がそうさせるのか、ぴりぴりとした空気が流れる。それをなんとか緩和しようと、ソニティアが二人をなだめる。

「とりあえずさ、ここまで来たんだし。行ってみようよ。頼まれたお使い投げ出す訳にもいかないし、地図はこの先を示してるんだ。奥にちゃんと教会と牧師さんが待ってるかもしれないんだから。がんばって進もう」

「そうね」

「うん」

 ソニティアの言葉に二人はうなずく。
 それにほっと胸をなで下ろして、すぐにこれから進む道のりへの恐れが心中を支配していく。ソニティアはそれを払いのけようと声を出す。

「よし! それじゃあ張り切って! レッツゴー!」

 意気揚々と張り出した声、それに反して足取りはとてつもなく重い。
 引けそうになる腰を押し上げて、震える足に力を込める。先陣を切って森の中へ。

 一歩足を踏み入れると、たちまち世界は様相を変えた。
 水を含んだ大地が生むしっとりとした空気、煌々とゆらめく太陽の光は
そのほとんどを樹木の葉に遮られ、夜が訪れたかのように当たりは暗い。 重なり合う枝葉の、その隙間から漏れ出したわずかな陽光が大地にまだら模様を描く。
 当たりの温度はひんやりとしていて、ほんの少し肌寒さを感じる。
 道は森の奥へと続いており、曲がりくねりながら来訪者をその先へと導いていた。

「見て、看板」

 森に入ってすぐ、ミレイが声を上げた。
 その示す先には二枚の木の板をつなぎ合わせただけの看板が設置してあった。立てられてからずいぶんと時間が経つのだろう。所々腐食が進んでおり、木目に沿うようにしてひびが入っている。
 同様の理由から看板の表記は消えかけていて、目を凝らしてみることでぎりぎりその役割を果たすことが出来ていた。

「教会があるんだわ」

 ミララが読み上げる。看板には矢印のような記号と、教会の文字。
 矢印はこの先に続く道と同じ方向を指し示していて、この道をたどった先に教会があることを表していた。

「この地図は本当だったんだね」

 ソニティアの顔が綻ぶ。
 薄暗く、そこにいるだけで不安が拭えない空間。だけどその先に確かに目的の場所がある。その事実は広がる無限の闇の中で、灯台の光を見つけたかのように、確かな安心感を抱かせた。

「それがわかれば安心ね。進むわよ」

 自分たちは正しい道を歩んでいる。
 その確信は偉大だった。
 ミレイも先ほどまでの落ち着きを取り戻したようで、道を辿る一歩を踏み出す。先ほどよりも少しだけ早足で、彼女は先陣をゆく。

 それについて、ミララとソニティアも森を進んだ。

 ◆

「結構距離があるのね」

 森に入ってしばらく歩いたが、続くのは悠々と育った木々の道だけ。目的地である教会を指し示す看板は何度か見かけたが、肝心の教会の姿は依然として見えてこない。
 森の空気にもだいぶ慣れてはきて、最初よりは恐怖や不安といった感情は和らいできたものの。閉鎖的かつ暗く淀んだ空間に長くいることは、別の意味で精神を圧迫してくる。
 三人の顔にも疲労の色がみえる。

「ちょっとこの辺で休憩しようぜ。いい感じに座れそうな丸太があるし」

 細めた瞳に疲れを滲ませて、同意を得るより早くソニティアが丸太へと座り込む。

「確かに、もうずいぶんと歩きっぱなしだもんね。ゆっくり気を休める……まではいかないけど、少し休憩しようか。いいよね、ミレイ」

「長居はしたくないけど……仕方ないわね」

 ミレイは少し落ち着かない様子だが、そう言うとミララたちから少し離れた大樹に寄りかかるようにして腰を下ろす。

「お腹も空いてきたし、落ち着かないけどここでお昼にしようか。こんなことなら森に入る前にご飯にしちゃえばよかったね」

 ミララは手にしたバスケットから、小さなランチボックスを取り出した。麻で編まれた小さな手提げのカゴ。道中持ち歩いていたこの中には、みんなで食べられるようにとお昼ご飯をもってきていたのだ。
 本当はこのような森の中ではなく、小さな木陰でなごやかにピクニック、といきたかったのだが。良いタイミングが見つからなかったのであった。

「やったー! お腹空いてたから嬉しい!」

 お昼、と聞いてソニティアは心から嬉しそうだ。よほどお腹が空いていたのだろう、ミララがランチボックスのふたを開けるやいなや、ものすごい勢いでその中に並んでいたサンドイッチを口にほおばっていく。

「ふむ、おいひー!」

「喉に詰まらせないでね」

 あまりの勢いに苦笑いするミララの心配むなしく、さっそくげほげほとむせかえるソニティア。

「なにしてんのよ……」

 ミレイの小さなため息が聞こえた。
 
「ミレイも、食べなよ」

 離れたところにいるミレイへ、サンドイッチを差し出す。
 ミレイは首を横に振った。

「大丈夫、いらないわ」

「だめだぞミレイ。食べないと元気に歩けないぞ」

 もごもごと口を動かしながら、ソニティアは器用にしゃべる。そんな彼を行儀が悪いと一喝してから、ミレイは再び首を振った。

「今はそんな気分じゃないから」

「そう? 食べたくなったらいつでも言って」

「ええ」

 うなずくと、ミレイは水筒の水を一口だけ口に含んだ。
 それ以上はなにも言わず、当たりの様子を伺っている。

 なんとなく違和感を感じていたが、やはりこの森に入ってからミレイの様子は少しおかしい。
 ずっと気を張っているというか、まるで何かに怯えているようで。天敵の巣窟に迷い込んだような、そんな緊張感が常に彼女に寄り添っている。そんな風にミララは感じていた。

 ミレイはとても強い。
 だけど、その強さと裏腹に強固な防壁の内側は脆くもある。風に揺れる蝋燭の灯火のように、ふっと消えてしまいそうな予感を抱かせる。
 灯火は、風を得て強く燃え上がる。しかしそれと同時に、その熱は風によって大きく揺らぐ。ほんの少しのバランスが崩れれば、たちまち炎は吹き消されてしまう。
 風向きを誤れば、燃えさかる炎はその身すら溶かしてゆく。なにもかも巻き込む、猛威にすらなる。

 纏う強さの中に、ミレイはそんなあやうさを秘めている。
 
「うん! やっぱりおいしい。ミララは料理上手なんだな!」

 片割れの秘めたる憂いを知ってか知らずか、ソニティアは安穏とした声で言う。

「それ、私じゃなくてセージが作ったんだけどね」

「まじかよ! 見えてないって実は嘘なんじゃ……」

 大げさに肩を振るわすその様子は、その意図が彼にあるのかはわからないが、ミレイの張りつめた心身をなんとか解そうとしているようにも見えた。
 邪気のないソニティアの言動は場を和ませる。

 ミララにとってもそれは有り難いことだった。
 暗い森を歩く不安は意識しなくとも心身の負荷となっていたようで、少なからず疲労感を覚えていたのだ。
 しかしこの取り留めのない会話の中で、それが和らいだように思える。ソニティアのおかげだ。

 ミレイの灯火が揺らいだとき、そっと寄り添ってその火種を守る存在。それがソニティアなのだろう。
 守られた炎はあたたかな熱を放ち、それがまたソニティアを包み込み、守っていく。そうやって二人は互いに寄り添って、支え合っているのだ。
 

 ◆


 ミレイのためのサンドイッチを残して、バスケットはすっかり軽くなった。
 休憩をとったことで、体力も気力もだいぶ回復したようだ。そろそろ出発しても良い頃だろう。

 ミララは掛けていた丸太から腰を上げると、スカートに付いた砂を払う。それに倣って双子も立ち上がり、再び目的地へ向けて歩み出す。
 そのときだった。

「あっ!?」

 突如として大声を上げたのは、ソニティアだった。

「ど、どうしたの? ソニィ」

 彼は慌てた様子で、辺りをきょろきょろと見回している。自身の手元と
周囲を交互に見返して、そして困ったようにこちらを見つめた。

「……ない」

「ないって、なにがよ」

「さっきまであったのに!」

「だからなにが!」

 頭を抱えて狼狽するソニティア。
 相当困惑しているようだが一体なにがどうしたのか、こちらには一切伝わってこない。

「セージから預かった届け物……! その中の手紙がなくなってるんだよ……さっきまであったのに」

「手紙ぃ?」

 ミレイの声には若干の苛立ちが混じる。
 それをうけて、ソニティアはますますうなだれた。

「手紙くらいどうってことないじゃない」

「大事なものだったらどうするんだよ!」

「と、とりあえずいったん落ち着いて。もう一度辺りを探してみよう」

 言い合う双子を、今度はミララが落ち着ける。
 セージから預かった荷物はソニティアが管理していたので、その中になにが入っていたのかミララは把握をしていない。
 ソニティアの話によると、預かったバスケットの中には小さな小包と葡萄酒、そして手紙が入っていたらしい。
 それらは休憩をする前には確実にバスケットの中にあったというが、先ほど確認したところ手紙だけがなくなっていた、ということのようだ。

 休憩中、座っていた丸太からソニティアは動かなかったし、荷物も彼の傍らにずっとあった。
 自分たち以外の人影は見あたらず、誰かが盗んだということも考えにくい。手紙だけが勝手になくなる、そんなこともあるはずがない。

「いったいどういうことなのかしら」

 辺りを探してみたが、それらしいものは落ちていない。ミララは首を傾げた。

「実は鞄の中に入ってる、とかはやめてよ」

「そんなミスしないよ、ミレイ。ほら、入ってない」

 ソニティアは荷物の中身をしっかりとミレイに見せて証明する。 
 しかし、残念ながらないことが証明されたところで状況はなにも好転しない。

「どうせろくな手紙じゃないわよ、はじめからなかったことにしてそのまま届けちゃいましょ」

 セージの事になるとミレイは露骨に対応が雑になる。
 そんなわけにはいかないよ、とソニティア。

「そうだね。届け物をして欲しい、以外の用件を私たちは聞いていないから。手紙がないと肝心なことが伝えられないわ。わざわざ手紙を書くくらいなんだから、きっと何か伝えたいことがあるんだろうし」

「じゃあどうするのよ。手紙が見つかるまでここをずっと探すわけ?」

「ごめんな……二人とも。俺が情けないばっかりに……」

 ミレイは苛立ち、ソニティアは半べそだ。手紙は依然として見つかる気配もない。万事休す。

 と思った矢先、事態は動く。

 ガサガサと、茂みの中を何かが動く音がした。
 小さな音ではあったが、はっきりと聞こえてきた。三人は一様にして、そちらの方向へ視線を向ける。

 ちりん、小さな鈴の音がなった。
 茂みから飛び出してきたのは、一匹の猫。
 短く整えられた白い毛並みが、暗い森の中でもはっきりとその姿を彩っていた。長いしっぽを優雅に揺らし、まるでこちらを弄ぶような余裕さえ感じさせた。
 首もとには、混じりけのない純白に映える赤いリボンが結ばれ。そこにくくりつけられた金色の鈴が、その動きにあわせてちりん、ちりんと揺れ動いた。

 三人の視線は一点へと注がれる。
 それは突先現れた白猫へと、ではない。彼、もしくは彼女の口元へ。正確には、口元に加えられた胡桃色の小さな封筒へ。

 ちりりん。
 猫はいたずらにしっぽを揺らすと、その身を翻して茂みの中へ。

「ーー待ちなさいっ」

 ほぼ反射的に、ミレイが駆け出す。
 荒波ように草木の生い茂った樹海へと、何のためらいもなく飛び込んでいく。
 道なき道を、猫は軽快に走り抜けていく。その後をミレイは必死に追う。雑草をかき分け、枝葉の隙間を縫うように。
 
 そこから少し遅れて、ミララとソニティアもミレイの背中を追う。
 伸びきった草は足をからめ取り、それを脱しようと足下へ意識を向けると、その隙をねらうかのように木の枝が頭上を襲う。
 深く木々が太陽を閉ざし、ただでさえ視界が悪い。
 森は、人を拒んでいるかのようだった。