わたしはどこにでもいるような人間だった。
特別地味なタイプでもないと思うし、別段人と違う変わったところもないけれど、しかし目立つことは一切ないような。そんな。その上で、どちらかと白黒つけて言うならば、多分わたしは日陰で生きてきた。

それとは相対して、クラスに何人かは必ず居る、明るくて人気者で目立つタイプの、日向で輝くタイプの人間。まさに千石くんはそんな人だったと思う。誰にでも気さくだったから、わたしもそれなりには仲良くしてもらっていた。今は席が隣だから、今までよりよく話す。話しかけてくれるのは大概、人懐こい千石くんから。そういうところが、日向みたいだと思う。


「オハヨ、なまえちゃん」「あ、千石くん、おはよう」「聞いてよ、今日の英語って俺当たるんだよねえ」「えー、やだー。任せてよ、わたしが教えてあげる」「えー。なまえちゃんがあ?」「頼んないですかー」「ウン、すっごくね」「えー、さいてー。分かっても教えないからね」「え!うそ、うそ!なまえちゃんに教えてもらえるなんてラッキーだな〜!」「思ってないー」「アハハ」


この後他のクラスの香水の匂いがするオトナっぽい女子が来たから会話はそっちに流れた。彼女みたいにどこかへ一緒に遊びに行くような仲だったりとか、そんなことはなかった。いくら気さくに会話が出来ても、そこにある違いを感じる。きっとどこまで行っても、私が歩けばそこにも陰が広がる。薄く張る、膜のような、日陰。それでも満足しているから、それでいい。わたしには日向じゃ暑すぎるのだろう。




空が曇る日が増えてきて、冬服に移行した学校で、その日も、友達と話したり、授業でうっかり居眠りをしたり、昼休みに友達と話しすぎてご飯を食べる時間が足りなかったり、体育のバレーの試合でミスをしてきゃあきゃあ騒いだり、日向の人と話したり。今度あそぼうよーなんて。いいよいいよ遊びたいー。返す言葉にウソはなかった。でも実現しないんだろうなあって、そういうの。女子更衣室特有の制汗剤や香水の匂いが充満して、酔っちゃう。いつもの明るくて楽しくって、でもどこにでもありがちな一日だった。



「なまえちゃん」
「あ、千石くんだ」


更衣室を出ると、ロッカーの前でオレンジ色の髪の毛を揺らす彼に出会った。テニス部のユニフォームが、新鮮にも感じる。どちらかというとゆるく腰で穿いた体育のジャージの方が見慣れている。ユニフォームだと、少しだけ真面目そうに見えるなと思った。


「バレー、ミスってたね」
「わ、言わないでよ」
「ミスしたところも可愛かったよ、見れたのはラッキーだったな。あ、ねえ、ところで今時間ある?」
「ん、うん。大丈夫だよ。ひまなの?」
「そうそう、部活まで時間あってさ。かまってよ」


いいよー。笑うと千石くんも笑った。千石くんの微笑んだ口元がかたどる可愛いに、すこしびっくりしていた。千石くんが言えば驚くほどさらりと飛び出す軽い言葉だけれど、わたしにとっては男の子から言われ慣れた言葉ではなくて。それがミスに関してのからかい言葉じゃなければきっと私は顔に出るほど動揺していただろう。当たり前のようにどんどん話を変えていく千石くんは多分、話し上手だ。わたしじゃなくてもよかっただろうに、わたしでよかった。彼と話すのはとても楽しいから。


「あー、てかさ、最近俺ら仲良くない?」


そう言われてはたと千石くんの澄んだグリーンの瞳を見つめ返す。そう感じているのは私だけだと思っていた。彼は誰とでも仲良くするし、私が個人的に誰かより仲がいいってこともない気がしていたから。仲良くなれていることに嬉しくて、ほんと?なんて返す。男友達って全然いないなあって、気が付いた。


「そうかもね。席、今隣だしね」
「うれしーな。あ、この間、なまえちゃんと付き合ってるのかって聞かれちゃったよ」
「えっ、わたしと千石くんが?」
「あ、なにそのカオ。そんなに嫌だった?」
「ち、ちがくて、びっくりしたんだよ」


本当に、びっくりしていた。そんな掻い摘んで指摘するほど、わたしと千石くんが親しく見える機会なんてなかったと思う。


「ふーん…。じゃ、嫌じゃなかった?」
「もちろん、嫌なんてわけないよ…。でも、全然、付き合ってないね」
「そうそう、そーなんだよねえ。そこが問題なワケ」


千石くんがすこしにやりと笑う。様になるなあ、なんて、感心してしまったり。問題って何が?というより、部活って何時からなんだろう。私から見える位置に時計が無くて、ポケットの携帯を手に取ろうとしたけど、動かした手を柔らかい動きで千石くんにとられてしまって、それは叶わなかった。


「俺ね、そうだよって答えたんだ」
「え、え?千石くん、手…、え、なに?」
「付き合ってるのって聞かれたから、付き合ってるって言っちゃったんだよね」
「でも千石君とわたしは、付き合ってないよ」
「知ってるよ。だから付き合ってほしいんだ」
「え、わかんないよ…どうして?辻褄合わせに?」
「そんなわけないでしょ?俺、なまえちゃんのことが好きなんだよ。それっておかしいことじゃないよね?」


千石くんの真直ぐな視線がわたしを突き刺す。人気のないロッカーの陰で、わたしの身に起こっているこの状況が、余りにも非現実で、まるで日陰じゃないみたいで、時間が止まったみたいに感じる。固まった私の手を取って、目線を合わせて少し屈みこんだ千石くんの顔がいつもよりずっと近い。


「おかしくは、ないけど…。なんか、わたしと千石くんとじゃ違いすぎて、だめだよ」
「なにが違うの?」
「なにがって…」
「俺がなまえちゃんを好き。それじゃだめ?」


いつでも振り解けたくらい優しく包まれていた手を急に強く引かれ、あっという間に抱き締められて きゃ、なんて小さく悲鳴を上げた。千石くんが、とても近い。近い。耳元の声が、自信に満ちていて、くらくらしてしまう。体育の後の、あの制汗剤の匂いじゃなくて、もっと別の、彼の魅力に近付き過ぎて。どうしようもない。だめじゃないけど、口ごもったのは、自分の言葉に自信がないから?それとも、千石くんの胸の中で酸素が足りないから?そんなこともわからないくらい、私の日陰がとろけだしていた。


「なまえちゃんは、否定ばっかりだね。こんなに可愛いのに、自分のこと否定してちゃ勿体無いと思うんだ。俺が誰よりも大切にしてあげるから」


背中に回されている大きな掌があつい。これが日向の温度なら、やはり間違いなくわたしの日陰の膜が直にとけだしてしまう。千石くんが立つ日向と私の立つ日陰が混ざってしまうくらいの距離だから。


「なまえちゃんは、俺のこと好きになるよ」






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