熱に浮かされ


※女先生とハルカとちょっと便利屋


 先生は綺麗なひとだ。
 私なんかが触れるのも烏滸がましいくらい、光を透かしたようなひとだ。
 私の至らない頭ではワンパターンな言葉しか思い浮かばない。兎にも角にも先生は、優しくて暖かくてどこまでも綺麗なひとだった。

 どこまでも広がる青空は透き通った海と遠くで繋がっているみたいだ。
 楽しげにステップを踏む足元から聞こえるちゃぷちゃぷと水の跳ねる音。潮がぐっと引いて再び寄せる静かな波の音。そして砂浜の熱に浮かされたのかドキドキと大きな音を立てる私の心臓。
 たくさんの刺激がここには溢れていて、私はギクシャクと椅子に座り続けることしかできなかった。

「ひゃー、海はやっぱり冷たいね」

 柔らかで安心するような声が楽しそうに海と遊んでいる。声の主である先生は白いワンピースと白い帽子をひらめかせて誰よりも眩しかった。
 私はいったい、どうして海にいるんだろう。いつのまにか先生と同じようなすみれ色のワンピースに、ひまわりのついた麦わら帽子を身につけていた。
 最後の記憶を辿っても便利屋のみなさんと一緒に身を寄せ合って眠った記憶しかない。いつの間に瞬間移動でもしてしまったのだろうか。それとも夢?でも肌に感じる暑さは本物で。

「……ハルカ?」
「あっ!はい!いえっ、その」

 名前を呼ばれて返事をしたはいいものの、話を全く聞いていなかった。これは私の悪いところだ。やってしまった。先生の言葉を聞いていなかったことに絶望し、己を撃ち殺したい衝動にかられる。いつものように頭に銃を向けて、引き金を…。引き金…。
 銃が、ない。
 どうして気が付かなかったんだろう。飲み物の置かれたテーブルの上にも下にも、今座っている椅子の下にも、あたりを探しても見当たらない。手を開いて、閉じて。心のよるべをなくしてしまったように、不安が胸いっぱいに広がる。
 どうしようとうずくまっていると、影がさした。目の前に差し出されたのは手触りのいい布で作られたイルカのぬいぐるみだ。おそるおそる手を伸ばし、先生から受け取る。
 こういう時、私が自分を卑下しながら断ると先生はちょっと困った顔をする。それは先生と関わっていく上で知った先生の表情の一つ。それを見て更に謝る私に、更に先生が優しく言葉を付け加えてくださって、押して引いての問答の末に受け取ることが多かったように思う。
 「私ごときが」という気持ちはいつまで経っても消えないが、それでも私に価値を見出してくれていることがひどく嬉しかった。だからいつのまにか素直に貰うことが増えていたかもしれない。
 おそらく表情には出ていたかもしれないが、私が受け取ったの見ると先生は満足そうに笑った。そこには言葉もなかったし、必要もなかった。
 イルカのぬいぐるみを抱きしめた私に、先生が手を差し出してくれた。まるでお姫さまに手を差し伸べる勇敢なひとのようだ。青空を背景に、こちらを見つめる先生はやっぱり綺麗な女性で、私には眩し過ぎた。

「ハルカだって、かわいくて素敵な子だよ」

 口に出ていたのだろうか。どこからどこまで出ていたのかもわからなくて恥ずかしさから謝罪が飛び出る。「すみませんすみませんすみません」とイルカで顔を隠すとくすくすと密やかな声が聞こえた。
 先生と手を繋ぎ砂浜を歩く。先生は裸足、私はサンダルを履いて。頑丈な私よりも先生の足を守るほうがいいと訴えたものの、先生は頑なに譲らず。

「ハルカのきれいな足が傷ついちゃう方が心配」

 なんて言われてしまっては頷くほかない。先生の気遣いを無駄にすることなんて、私にはできなかった。
 先生の歩幅は私より少し大きくて、でも私のスピードに気がついた先生はゆっくりと私に調子を合わせてくれた。大人というものを私はよく知らないが、先生は人の機敏をよく見ている。私にとってはまだまだ先の話、いつか先生のような人になれるだろうか。
 夏の暑さだけではない熱さが手から伝わる。先生は暑くないのだろうか。先を歩く帽子のリボンがゆらゆらと風に揺れる。
 先生がふと立ち止まり私を振り向く。きらきらと宝石のように煌めく先生の瞳が私を射抜いた。

「顔、真っ赤だ。ごめんね無理させちゃった」
「い、いえいえいえ!わっ、私はまだ大丈夫です!」

 むん、と力を込めた動作をしてみたが、頭が少しクラクラするのも事実。勢いよく動いたせいでふらついて先生に寄りかかってしまった。
 ふわりと花の香りが先生からする。頭をじんわりと侵食しそうなその匂いにもっとくらくらとしてしまう。
 先生は私を抱き止めたまま優しく頭を撫でてくれた。静かな波の音も心地よくて、まぶたが落ちそうになる。意識が落ちる寸前、優しい声が耳をすぅっと通り抜けた。

「おはよう、ハルカ」



「………カ……」

「ハル…………」

「ハルカ……?」

 私を呼ぶ声に飛び起きると、そこには見慣れた便利屋68のオフィスの天井があった。そして隣を見ると先生と、先生に寄りかかるようにしてムツキ室長が座っていた。

「ハルカ、おはよう」
「アルちゃーん、カヨコちゃーん!ハルカちゃん起きたよ〜」
「よかった。もう少しで社長がおかゆ作って来てくれるはずだよ」
「くふふっ、ムツキちゃんもお手伝いしてこようーっと」

 ムツキ室長の声に反応して、カヨコ課長が顔を出した。私をひと撫でして、ムツキ室長はぴょんと跳ねながら部屋を出ていく。先生はそんな様子を楽しそうに眺めていた。
 私といえば未だ夢の中にいるみたいにふわふわと体はほてり、すごくだるい。みなさんにご迷惑をまたかけたのだろうか。

「あ、あの!わた、私、いったい…」
「熱出したんだよ。起きたとき社長が気が付いたみたいで、薬代とか、足りないものをちょっと稼ぐために先生を呼んだんだ」
「みんなの慌てっぷりたらもう。愛されてるね、ハルカ」
「そっそんな!?す、すみませんすみませんすみませんご迷惑を」
「こらこら、謝らないの」

 どうどうと先生が笑う。健康を管理できていなかった私の責任なのにそこまでしてもらうなんて、申し訳なさが募り縮こまる。

「ふふん、おかゆできたわよ!」
「ハルカちゃん元気〜?」

 アル様がほかほかと湯気の出ているお椀を持ってやってくる。まさか作ってくれたのだろうか。アル様から手渡されたお椀を先生は受け取り、ムツキ室長の内緒話に耳を傾けている。
 そして一つ頷くとおかゆを掬った匙をそっと口元へ持って来てくださった。

「な、えと、先生のお手を煩わせるわけには、わ、私自分で食べれます…!」
「いや?」

 こてんと首を傾げられて真っ直ぐに見つめられると先ほどまでみていた夢を思い出す。海の音、砂をふみしめる足、握った手の温度。

 処理が追いつかず、ぼんっと音を立てるようにハルカの顔は真っ赤に染まった。
 それを見てたまらず笑うムツキ、微笑む先生、そんなムツキと先生を見てため息をつくカヨコ、慌てて心配するアル。
 かわいらしい便利屋の平社員を囲んで楽しげな話し声は尽きることはなかった。

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