狐エラン君と
お嫁に来た狸スレッタちゃん


 ここへ帰ってくるのは久しぶりだ。二度と戻るまいと振り返ることもなく旅へ出たのにエランは今、番を連れて戻ってきてしまった。自分を生み出したオリジナルの彼がどんな顔をするのか手にとるように想像できてしまう。
 エランは傍らの少女を気にかける。暖かな羽織ものを身につけてもらってはいたが、少女がいた場所とは気候も違う。元が狸とはいえ、風邪を引かないなんてことはない。

「この辺りは君には少し寒いかもしれない。何かあったら言ってほしい」

 ふるふると小さく震えていた少女は首を大きく振って、否定の意を示す。

「さ、むくはなくて、その…緊張、していて」

 エランよりも小さなその手は頼りなくエランの服の裾を掴む。心優しいスレッタがいじわるなオリジナルにいじめられないか。それはエランも持っていた不安だった。

「大丈夫。君を傷つけたり、無体を働くようなことは絶対にさせない」

 小さな手を握り返しまん丸い水色を覗き込むと、スレッタは嬉しそうに目を細めた。
 再び草木の間を掻き分けてちょうどよく開けた場所を見つけた。今日はここで一夜を過ごし、明日には御殿につけるだろうと予定を立てる。
 エランが考え事をしている間に、スレッタは辺りから木や葉を見つけて火を起こしてくつろいでいた。こう見えてスレッタは大抵のことはなんでもできるのだ。
 辺りが暗くなり狸姿で丸くなったスレッタを腕に抱きながら、エランは出会いを思い返していた。

ーーーーーーー

 母親から頼まれたお使いの途中、人間がかけた罠に嵌っていたスレッタをエランが助けたことが二人の始まりだった。
 そのままその場を去ろうとしたエランに「お礼をしたい」と、スレッタが手作りのお弁当をエランの手に乗せてきた。
 お礼といって渡されたそれを捨てることもできず、エランは受け取ったそれを食べた。久しぶりのまともな食事は、エランの気力を満たすのには充分な量だった。
 血の滲む足を引き摺るスレッタを見兼ねて背負いエランはお使いを手伝った。
 二、三日かけてお使いの買い物を済ませる間、スレッタはエランにたくさんの話をした。
 大好きなお母さんと姉のこと、ご飯のこと、故郷のこと。どれもエランには遠いもので、現実離れしたものではあったけれど、静かに相槌を打った。
 スレッタを故郷まで送って、そこで二人の関係は終わるはずだった。
 しかし、ようやっと辿り着いたそこには何もない。絶句するスレッタを置いて門の中を見ればどうやら燃やされている。それも妖怪の火。縄張り争いにでも巻き込まれたのかと分析してスレッタの元へ戻れば、いない。
 少し奥へ行くと、スレッタは一つの家の焼け跡の前で泣いている。おそらくそこが家だったのだ。

「お母さん…お姉ちゃん…」

 一日中泣き続けるスレッタの側にエランは座り込み、何をするでもなく寄り添い続けた。涙も枯れ果てたスレッタが、ぼんやりと「これからどうしよう」と呟く。
 そこで頼りにできる知り合いなどいないスレッタに共に旅をしようと持ちかけたのがエランだった。もしかしたらみんな逃げて、散り散りになっているのかもしれない、と。
 そうして二人になった旅は意外にも順調で、順調すぎて番になってしまった。

ーーーーーー

「……さ…」

エランを揺さぶる誰か。

「エ……さ…」

赤い、目を奪われてしまうほどの…。

「エランさん!」

 ぱちり、とエランの目が完全に開かれた。
 不安そうなスレッタの顔が一番に目に入り、それから周りの景色へ目を滑らせる。

「目が覚めたらこんな部屋にいたんです」

 なぜか見覚えのある薄暗い部屋を、ゆらゆらと浮かぶ提灯が照らす。少しばかりの装飾がちらちらと提灯の光を反射していて眩しい。
 その部屋の奥には一際輝く何かがいた。

「あれは…」

 何かから薄緑色の火が放たれ、一直線に向かってエランの顔を掠める。

「避けるのうまいねぇ」

 くすくすと揶揄うように提灯の一つが言った。

「え、エランさんみたいな声があそこから!!」

 スレッタが言うや否や、エランは提灯に向かって火を飛ばす。薄緑の狐火はカラスとなり主人の意のままに爪を突き立てた。

「せいかーい。おめでとう!」

 煙を立てて提灯は消えた。聞き覚えのある…。
 思い出した。ここはオリジナルの悪趣味な部屋。客人をいたぶるときに使っていたものだ。ならばあれは5番目の管狐。性格の悪い彼は兎にも角にも人をおちょくることにその力を使っていた。

「あまり離れないで」
「はい!」

 手を繋ぎ、出現した扉の奥へ向かう。
 悪趣味な狐に辿り着くまでスレッタを守り切ろうと、強く誓った。
 扉をくぐり灯一つない廊下を2匹は進む。あれから5番目の管狐は様々な場所から襲ってきた。
 提灯に化けていたのは序の口。
 扉がくるりと回転したと思えばクナイが飛んできて、床や天井の板が1枚剥がれたと思えば出てきた腕がおもちゃの蛇を投げつけてきたり、嫌がらせの種類にはことかかなかった。

「えーい」
「わっ!!」

「とりゃあ」
「…蛇?」

「そらっ!」
「ひゃ!冷たい何かが顔に!!」
「こんにゃく…」

 スレッタとエランがお互いを助け合いながら進むこと数時間、5番狐のイタズラも気づけばなくなりついにこの屋敷の主がいるであろう場所に辿り着く。
 辺りに薔薇のような香りが漂い、ぴったりと閉じられた扉は古い洋館にでもありそうなほど厳かな洋風のもので他の部屋とは一線を画し、この先に何がいるかなど一目瞭然だった。
 少し緊張した様子で2人は手を握り合い、ドアノブに手をかけた。すると動かす間もなくドアノブは回り始め、2人を誘うように真っ暗な部屋の中を露わにする。
 スレッタの赤い狸火は辺りをぼんやりと照らし、一歩離れてしまえばすぐにお互いの姿が見えなくなってしまいそうだった。

「ようこそおふたりさん、はるばるご苦労なこった」
「よく言うよ。僕が時間を稼いでたおかげで寝起きの姿を見せずに済んだのにさ」
「おまえなあ…」

 リン、と暗がりに響いた鈴の音とともに揶揄うような響きを含んだ声が聞こえる。
 そして一瞬のうちに部屋が明るくなった。スレッタとエランの目の前にはおんなじ顔がふたつ、少しいじわるそうな顔の青年が柔らかな顔つきの青年に小突かれていた。やめろやめろと抵抗を重ね、遂に飽きたのであろう柔らかな狐がついにこちらに向き直った。

「改めてこんにちは、2人とも僕のおもてなしは楽しんでもらえたかな?」
「お、おもてなしだったんですか?」

 芝居掛かった動きでお辞儀をする狐。お茶目にウインクなんてして、かわいらしい印象をスレッタに与えている。
 ぱちぱちと瞬きをして、エランの後ろに隠れていたスレッタはすっかり緊張をとかれ、絆されてしまっている。

「そんな怖い顔すんなって、別にお咎めなんてないよ。もうこの屋敷、俺たちしかいないからさ」
「……だれも?」
「ばあさんたちともそりが合わなかったからな、いい機会だと思って全員に暇を出したよ」

 さらりと言ってのけるオリジナルにエランのこわばっていた体から力が抜ける。あの年老いた四人狐たちはオリジナルに分身を作る術を与えた狐だ。オリジナルもよく彼女たちと行動していて、仲がいいのか持ちつ持たれつの関係なのかと思っていた。自分のいない間に何があったのかは気になるが、ひとまず壁がひとつ消えたと言ってもいいのだろう。

「それで?後ろの彼女は?お前は何してたんだ?」
「…彼女は僕の番。旅をしていて当てがなくなって、ここを頼りに」
「つがい!?やるなあ」

 なぜか感心しきって手を叩く5号。ぱちぱちという乾いた音にスレッタが恥ずかしそうに身を捩った。

「まあ、さっきも言った通り誰もいないんだ。好きに使いな」
「あ!よかったらさあ。しばらくいてやってよ。僕、少し旅に出たくてさ」

 お願いっ!と言わんばかりに手を合わせ、人懐っこい表情をする5号。エランとほぼ同じ顔がこんな表情をするものだから、スレッタは「エランさんもこんな顔ができるのだろうか」と想像してしまった。似合うだろうけどイメージは少し違うかもしれない、と結論がついた。

「おーおー、どこへでもいけいけ」
「ほらね、この老狐の世話、大変だと思うけど頼むよ」
「こ、こいつ」
「考えておく」
「みなさん、仲良しなんですねっ!」

 小突き合い、耳を引っ張り合い、ぎゃあぎゃあと騒がしい狐たちを見て、朗らかに狸のスレッタは笑っていた。ひとまず今日は疲れただろうというオリジナルの計らいにより、スレッタとエランは2人部屋を使うことにした。

「エランさん、今日はありがとうございます」

 深夜、隣同士に並べた布団の上でスレッタはそう言った。

「僕は何もしてないよ…騒がしくてごめん」
「いいえ!村にいた頃を思い出して、なんだか暖かくなりました。エランがいたから、エランさんのおかげで、1人にならずに済んだんですよ」

 だから、ありがとうございます。そうスレッタは繰り返した。お礼を言いたいのはエランの方だ。ずっと生きている意味に悩んでいたエランに暖かく寄り添い続けてくれたスレッタがいたから、エランは今ここに戻ってくることができたのだ。

「僕の方こそ、ありがとう」

 暗がりで見えないけれど、スレッタにはエランの微笑んでいる顔が見えたような気がした。

「ふふっ、明日から新しい生活ですね…」
「何かあったら遠慮なく言って」
「はいっ!おやすみなさい、エランさん」
「おやすみ、スレッタ」

 2人の部屋に静かな寝息が響く。久しぶりの地面ではない寝床は緊張で疲れ切っていた2人の体を柔らかに受け止めてくれた。
 新しい明日の朝に胸を躍らせた2人の、新しい日常が静かに近づいてきていた。

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