潮騒に紛れて
嬉しそうに笑う赤毛のあの子。
かわいらしい花があしらわれた麦わら帽子を被って砂浜の上をくるくると跳ねている。小さな子どもの笑い声もどこからか聞こえるような。夏の暑さとかんかん照りの太陽の下、蜃気楼みたいにまぼろしが見える。
4番目の誰かは困ったようにあの子に手を伸ばす。あの子はぴたりと止まって、でも手を取ることはない。
青と赤。
少年の瞳にはどちらも眩しく尊く見えて、暑さに茹った頭がやけに冷静になってゆく。
ーー名前を、少女の名前を呼ぼうとして、声にならないことに少年は気がついた。
こぽりと水の歌声。
「もう少しだけ」
少女は振り向かず、足で砂の感触を確かめながら呟いた。
「君の名前を呼ばせて」
少女はしゃがみ込み流れ着いてきたのであろう珊瑚を拾う。
「夢から覚めてしまいます」
瞬きから落ちた涙が真珠に変わる。少年は見惚れるようにその様をじぃっと見つめていた。
「私は水星の、命を奪う風しか知りません」
ころころ、ぽとぽと。
「僕も知らない、長く風なんて浴びていない」
少女がついにこちらを見る。
「もしも私が風だったなら、あなたを探しに行けました」
少女の涙で潤んだ青い瞳は、ただ少年をまっすぐに見つめていた。恋をする、乙女のような。
波が静かに寄せる音だけが響く。
少年は少女にそっと近づき、腕に抱えられた珊瑚と彼女から溢れた真珠を受け取る。
「君が信じてくれるなら」
冷たい水の中へ足を進める。
「君が忘れていないなら」
珊瑚と真珠を海へ沈める。
「僕はいるよ」
少女は慌ててこちらへやってくる。
「危ないです!こっちへ」
「スレッタ・マーキュリー」
ひゅっと少女が息を呑む。
「また約束をしてもいい?」
「…はい」
「今度は間に合うから、待っていてくれる?」
少女は驚いて、でも嬉しそうに笑った。
「…はい!」
よかった。君には悲しい顔より、その顔が似合う。
ーーどぽん、と水に落ちる音。
ぱちりと目を開ける。懐かしい誰かとお話しをする夢。スレッタは目を擦り濡れた顔を拭う。
もうすぐ母と、姉の元へ行かなくてはいけない。もう何も知らなかった私ではない。私にしかできないこと。全部が終わったら会えるだろうか。
ーー答えるようにどこからか風が吹く。まるで潮騒のように、何度も。