旅するふたり


 エランさん、旅に出ませんか。

 スレッタ・マーキュリーから不思議な提案をされて、エランは数秒考えていた。

「…どこへ行くの?」
「うーん。悩みますねぇ…」

 スレッタもさして考えていなかったらしく、腕を組んでうんうんと悩ましげにしている。
 そもそもなぜ自分はスレッタ・マーキュリーと共に学園のベンチにいるのだろうか。エランは今の今まで気づかなかった疑問が湧いてきた。

「あ!」

 スレッタがきらきら瞳を輝かせ、まるでいいことを思いついたと言わんばかりに大声を上げた。

「まず水星に行きましょう!私、お友達を家に呼んでみたかったんです!」
「それは君のやりたいこと?」
「はい!」

 スレッタはこくこくと首を縦に振り、手をぎゅっと握っていた。少し俯かせた顔は赤くほてり、緊張しているのだと自己主張している。

「なら行こう、どうすればいい?」

 ぱあっと向日葵が花開くようにスレッタは表情を明るくしてエランの手をとった。

「エアリアルと、それからファラクトに!お手伝いしてもらうんです!」

 スレッタが言い終わるのを待ちきれないと言わんばかりに、空からエアリアルとファラクトがそれぞれ降り立ってきた。
 そして彼らが頭を垂れるように傅いた風圧で、瞬きをした瞬間、二機の姿は白と黒の鳥へと変わっていた。

「これは…」
「ありがとう二人とも!エランさん気をつけて乗ってくださいね」

 黒いドレスを翻し、スレッタはエアリアルの背へと収まった。エアリアルは二度三度羽を羽ばたかせ、いつでも飛べると告げている。
 スレッタに習うようにエランも傍らのファラクトの背へ乗り込む。いつも脳をかき乱されるほど苦しかったのに、ファラクトは大人しくエランの準備を待っている。

「エランさん準備できましたか!」
「…いつでも」

 こくりと頷き一つ。とたんにエアリアルとファラクトが羽ばたき始めた。びゅうびゅうと風を起こし、勢いをつけて飛び始める。
 アスティカシア高等学園の空は投影されたものであり、本当の空ではない。だというのにぐんぐんと二機は空へ向かっていく。
 隣を飛ぶ鳥の背を見やると、体はがくがくと衝撃で揺れているのにスレッタの顔はやけにはっきりと見えた。真剣な表情で空を睨む顔はエランが初めて見た顔だったように思う。
 そうして投影面にぶつかってしまうんじゃないかというくらいの地点で目の前が白く眩く光った。

 次にエランが目を覚ましたとき、そこには機体のエアリアルがいた。
 小さな粒子がぶつかり合い、ちらちらと星をまいている。暗いその格納庫はどこか片隅に追いやられているような印象すら受けた。

「スレッタ・マーキュリー?」

 姿が見えない。逸れた訳ではないだろうが、水星をエランは知らない。彼女のホームグラウンドに乗り込んだならば、この場に詳しい彼女がいなくては何をすることもできなかった。

「ご、ごめんなさいっ、お待たせしました!」

 スレッタがトレーにマグカップを二つ乗せてやってくる。彼女に連なるように白と黒の鳥が後ろから飛んできた。
 スレッタから手渡されたマグカップを覗くと中にはホットココアが入れられている。

「小さい頃、お母さんが入れてくれたんです」

 懐かしいものを見るようにスレッタはマグカップを見ていた。カップを持つ手にエアリアルが止まり、体を押し当てて暖をとっている。
 エランもスレッタにつられるようにココアを一口飲んだ。甘くほろ苦く、けれど入れ慣れていないのか少しだけ粉っぽい。でもあたたかくて体の芯をじんわりと温めてくれるような味。

「…美味しいね」
「ほ、本当ですかっ!よかった…」

 安心したと言わんばかりにスレッタは胸を撫で下ろす。

「水星は私の大事な場所なんです。エランさんと来ることができてよかった…」

 そうしてぽつぽつとスレッタは水星での生活を教えてくれた。救助活動をしてみんなに認められたこと、エアリアルとゲームをして駄々をこねたこと、水星にたくさんの人を呼びたいこと、お母さんの話。
 次から次へと言葉が溢れ、スレッタの世界の始まりはこの場所にしかなかったのだと知る。
 それでもエランには眩しかった。同じ年の子どもがおらず、ほぼ側にいない母親。この辺境において力の弱いだろう彼女たち親子が異物として扱われることは想像に容易い。
 なのに彼女はその素直な優しさを忘れることがなかったということだ。それは生きることに対して諦めの気持ちを持っていたエランにとって、太陽よりも輝かしい。
 苦労を比べるものではない。ただ自分にないものを持ち続けたスレッタがこれからもその優しさを忘れないでほしい、と願うだけだ。
 ココアを飲み干して身を寄せ合い、二人は天井を見上げた。プラネタリウムのように様々な星が光り、その中をファラクトが溶け込むように飛んでいる。
 沈黙。でも心地が悪いわけではない。ただ寄る辺を失った二人の天体観測。
 星の名前なんて知らない。忘れてしまったのかもしれないし、そもそも覚えようとしていなかったのか。

「エランさんはどこに行きたいですか」

 スレッタが星を見ながら呟いた。

「僕は…」

 取り戻した思い出も遠い昔のものだ。今行っても何かあるとは思えない。行きたいところ、行きたい…。
 スレッタはエランの言葉を待っている。彼女といればどこだって、つまらない場所にはならない。そうか、僕は。

 難しそうな顔をしてエランさんは悩んでいる。その少し困ったような表情すら様になっていて、私はじっと見つめてしまった。
 肩に乗ったファラクトはエランさんの頭を暇そうにつついて戯れている。さすがに痛そうでファラクトを包むように持ち上げると、大人しく手のひらに収まってくれた。
 エランさんは考えるうちに閉じていたらしい目を開いてこう言った。

「行きたいところが浮かばないんだ」

 困ったようにエランは呟いた。そして少し瞳を揺らしてこう続ける。

「僕は君と行けるなら、どこでも楽しい…みたい」

 今度こそらしくなくエランさんはそっぽを向いてしまった。そんなことを言われるとは思ってもおらず、スレッタもほんのり顔を赤くした。

「う、うれしい、です!!」



 次の目的地は地球にしてみよう。額をくっつけ合い長い会議の末にそう決まった。
 再び鳥の背に乗り、天井に映された星の中へと飛び込んでいく。
 ぐんぐん追い風をものともせずに進む姿は恐れを知らず、その力強さに体が引き摺られてしまうようだった。
 もしもファラクトが負荷なく乗ることができたなら、スレッタとエアリアルのように…。ありもしない想像をしながら数十分、気づけば青空と大地が見え始めた。
 きらきらと川は太陽を反射して、木々は柔らかな影を地面に落としている。廃墟がところどころにあり、人の気配は少しもなかった。焼け焦げたような跡があることから見て、おそらく争いがあった後なのだろうとも推測できる。
 足場が比較的綺麗な場所に止まり、自分たちを降ろした二機は翼を大きくはためかせ楽しそうに空を舞っていた。
 ぼんやりと見上げているとスレッタがやって来る。

「エランさん、お弁当食べましょう」

 風呂敷包みを掲げてそう言うと手を引かれるままにレジャーシートに座った。敷物越しの草の感触に懐かしさを感じてしまう。

「いつの間に…」
「さっきみんなが作ってくれていたみたいなんです!」

 ね!っと何もない場所に向かってスレッタは笑いかける。
 疑問が喉まで出かかったが、嬉しそうに水筒やらフォークやらを取り出す様子を見ていると、それを聞くのも野暮に感じてしまう。
 極論、スレッタの楽しいを邪魔したくないのかもしれないと自己分析。
 ぱかっと開かれた中身には小さなおにぎりが四つ、ハンバーグ、肉団子、レタス、プチトマトにハム、それからゆでたまご…と愛情たっぷりに中身が詰められていた。飲み物には温かい紅茶が淹れられている。

「わぁ…!美味しそうです…!」

 風に乗って「そうでしょう?」とどこからか聞こえてきたような。
 エランがなんとなしに辺りを見回している間にスレッタはおにぎりへと手を伸ばしている。口をもぐもぐと動かし、頬張る姿は小動物のようで可愛らしい。
 見つめてくる視線に身をよじるようにスレッタはきゅっと目を閉じながらも、おにぎりをそっと手渡してきた。
 カラフルな…これは魚だろうか。混ぜ物のおにぎりを包むラップを剥がし、エランも頬張った。
 昼食の時間は穏やかに過ぎてゆく。小さなトマトのプチプチとした食感に舌鼓を打ち、肉汁の溢れるハンバーグに思わず頬を押さえたりと二人は楽しそうに笑い合った。
 遠くからは飛び回ることに疲れた二機が静かに二人を見守っていた。

 暖かな日差しはやがて傾きオレンジ色に空は染まる。ひどく懐かしいそのひかりを浴びながら、少しだけ微睡む。
 隣に静かに座り込むスレッタは黒く美しいドレスを身に纏い、その横顔は大人っぽく見えた。

「スレッタ・マーキュリー」
「あ…、はい!」
「今日はありがとう。君の故郷を知ることができて、君を知ることができて、…よかった」

 そう言うとスレッタは泣きそうな瞳を震わせて、首を振った。

「まだ、まだです。旅、しましょう?」
「そろそろ門限になるよ、君も帰らなきゃ…」
「エランさんのこと、まだ全然知れていないです」

 スレッタは俯き、ドレスの上で手を握っている。爪が食い込んでしまうほど強く、つよく。

「それに、まだエランさんのこと聞いてないですっ」

 エランの手を傷つけないようにしながらも、力強く掴む。スレッタのあまりにもかわいらしい反抗にエランは思わず笑ってしまう。

「たしかに、君に何も教えていなかったみたい」



 エランはどこまでも続く星空を眺めながら、何から話そうかと頭を巡らせた。

「僕の顔は、僕のものじゃない」
「…はい」
「君も変わってしまった僕を、知っているだろうけど」

 スレッタはなにかを思い出すように目を逸らし、おずおずと頷いた。

「はい、…知らないエランさんでした」
「…驚かないんだね」
「私も、同じ顔をした、女の子の代わり…でした」

 あの日。決闘の最中、思うまま届くことのない声を上げた自分を思い出す。

「君は強いね」
「そんなことないです。…見ないふりばかりでした」

 スレッタは俯きながらも、迷いのない真っ直ぐな答えをエランに返す。何かを決意しているような、たしかな声。彼女によく似合うホルダー服がふわりとなびく。

「私、もう逃げません」
「…うん」
「エランさん、また会いに行っていいですか」 「僕は…」
「会いに行きます。私が会いたいのは私の知っている、今目の前にいるあなたですから」

 今度こそエランは大きく目を開き、星空を映しながらきらきらと数回瞬きをした。

「僕が、この顔でなくても会いに来てくれるの?」
「エランさんはエランさんです。名前が変わっても顔が違ってもどんな姿でも」

 風が一際大きく吹く。向かい合うスレッタの後ろにはいつのまにかエアリアルが静かに立っている。後ろを振り向けばファラクトがこちらを見下ろすようにいた。
 手を重ね額をくっつけてスレッタとエランは目を閉じた。旅は終わる。朝を告げる鳥たちの声は脳の奥からこんこんと響き続ける。それでもふたりに怖いものなんてなかった。言葉は多くもいらない。

 王子さまを待つお姫さまってこんな気持ちなのかな。なんてね。

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