しあわせなかれら


※注意
暗いお話
登場人物全員様子がおかしい
18話後if
4号死亡if


 お母さんにもエアリアルにも置いて行かれ、ミオリネさんにも会えないまま、私は地球寮へと帰ってきた。
 持ち主の帰らない温室の世話をいつものようにする。もう何度もやってきたから、何をするか考えずとも手が動く。みずみずしく青いトマトは熟れて、もうすぐ実るだろうか。ぼんやりと壁に寄りかかり言われたことを反芻し、自分の心を傷つけていく。
 リプリチャイルド。代わり。いらない。
 お母さん、それから。
 空が夕焼けに染まるくらいまでスレッタはそこにいた。気を遣ってくれているようで、誰も連絡をよこさない。ぼんやりとメールボックスを見返す。
『Congratulations!』
 懐かしいメール。連絡先を交換して決闘に勝っていの一番に送られてきたもの。ぎゅっと端末を握りしめる。変わってしまう前の彼との小さなやりとり。

「やあ、スレッタ・マーキュリー」

 聞き慣れていてしかし調子の違う音。温室の入り口に誰かがいる。

「エラン、さん…?」

 スーツ姿のエランさんはずっと前のパーティーで会ったときのような雰囲気で、この間温室にやってきたような必死な様子ではなかった。

「俺はエラン・ケレス。うちのが世話になったな」

 悠々とエランは温室に踏み入りスレッタに近づいてくる。背の高いエランに見下ろされる形となり、スレッタは後ずさる。薄い黄緑の目は自分の知る彼とは少し違っているような気すらした。

「うちの…どういうことですか…?」
「氷の君、だったか?あいつが熱くなったのはお前くらいだったからね。遺灰くらいは、っと」

 そう言ってエラン?さんは小さな袋を投げてきた。中を覗くと白い灰が入っている。遺灰。氷の君。まさか。

「こ、っこれ」
「あいつも今いるエランも俺の顔に作り変えた俺の代わりだったからねぇ。まあもうここには来ないさ。これからも、いやこれからは」
「代わりって、っじゃあエランさんはあなたは」
「あいつ、お前のこと気に入ってたみたいだからそれやるよ」

 疲れ果て思考停止を始めた頭が現実を受け止めきれなくなってゆく。死んでしまったなど、じゃあ私が、今まで話していたのは。
 きりきりと頭の奥が痛み、吐き気や強い拒否反応が起こる。
 エランさん、エランさん。代わり。私たち。わたしたち。

「おんなじですねえ」

 灰をひと匙つまむ。ぱらぱらぽろぽろ。彼の優しさのように降り積もる。

「は?」
「エランさん、わたしたちおなじだったんですね。うれしいです」

 嬉しいうれしいうれしい!私、エランさんと同じ、ちょっと違うかもしれないけれど、私に似たひとがいた!

「わたし、わたしもつくられたんです」

 あたまがとろけてちいさくなったエランさんを抱きしめる。ちろりと舐めたりなんかして、みたされたつもりになる。めのまえがじんわり滲んだりしてこれはきっと嬉し泣き。
 親愛の口づけを送って、ぬくもりのない彼に頬をよせる。
 よかった、またあえた。わたし、あなたのことがしりたかった。

 エランは興味深いものを見るような目で温室を見上げていた。ホルダーでもなくなり、エアリアルを奪われたスレッタ・マーキュリーに接触する必要はなくなった。5号は行方不明のため現在捜索中。
 ならばなぜ来たかと問われれば、エランは置き土産を渡しに来たのだ。
 強化人士4号。決闘においてエアリアルの異常性を引き出した代わりに体が耐えられず、処分を下された影武者。
 エランは4番目について特に目をかけていた。学力も申し分なく、おまけにパイロットとして優秀な存在。生きることを諦め静かに任務に徹する姿。
 それがどうしたことか水星から来た女一人に狂わされ、死の間際まで穏やかにいたという。パーティで関わった時以来だが、エランはスレッタに特別な感情など持てなかった。ただ尻拭いに徹しただけだ。
 4号が処分された後、研究のために遺灰が残された。死してなおデータストームやパーメットの影響は残るのかという無駄のない使い方。
 エランはその灰をくすね、少量だけ取っておいてやった。気まぐれか同情かエランにもわからない。
 もう関わることのない女にエランは思い出したようにその遺灰をやることにした。恋をする乙女に、最後くらい本物の、"会いたかったエラン"に合わせてやろうかというズレたものではあったが。
 そうしてスレッタに遺灰を渡してやって、あとは帰るだけだった。
 しかし、女の様子がおかしい。俯いていた顔を上げ涙をこぼしながら遺灰にすり寄っている。うわごとのように「エランさんエランさん」とここにいない、自分ではないエランを呼び続ける。
 大きな水色の目から涙が溢れるたび、小麦色のふっくらとした頬に水滴がつく。うつろにどこかを見つめるスレッタは壊れてしまったように、笑っている。
 エランはふと考えた。彼女はホルダーではなくなり花婿でもなく、エアリアルを奪われ、そして今壊れてしまった。そんな彼女を必要とする人間はいるだろうか?いや、きっと少ない。
 ならエランがもらっても何も問題はない。心は4号にやろう。それくらいの褒美は与えられたっていい。
 ここに生きているスレッタ・マーキュリーの抜け殻は自分がもらおう。どうせAIによって決められた会社の方針次第では己の立場すら危うい。ペイル社で隠され続ける自分の暇つぶしにちょうどいい。
 あたらしい玩具を見つけたようにエランは笑った。自分もこうやって彼女に狂わされていくのか、と。
 泣き止んでただただ笑っているスレッタをそっと立ち上がらせる。子どものように握り返された手を引いて、温室の外へと向かう。側から見れば楽しそうな二人は暗くなった森の中へと消えて行った。

 暗い温室には誰もいない。
 少しばかり溢れた小さな灰もやがてなくなるのだろう。


 春の日差しは暖かく、スレッタのまぶたに優しい影を落とします。側のエランは本のページを静かに捲りながら、時おりスレッタの上に落ちる花びらを払ってやっていました。
 ここには二人を邪魔するものは何一つとしてありません。心ゆくまでお互いについて教え合い話し疲れてしまえば眠る、そんな日々を過ごしていました。
 穏やかな時間です。
 スレッタの腕の中にはカラフルな人形たちが収まっていました。彼女の母親から赤毛の子、白い髪の花嫁さんに横恋慕さん。青色、桃色、それから…。とにかくてんでばらばら、彼女の大切なものがありました。
 エランは気まぐれに腕の中の人形を抜き出して、スレッタの横に置きました。彼女が大切なものことを考えてこれ以上傷つかないように。いつか向き合わなければいけないときに、彼女はきっと向き合えるから。それまでは。
 そして…、今だけでもエランのことで頭がいっぱいでいてほしいというわがままです。
 エランの長い余暇はスレッタのために。
 それは義務ではなく、エランのやりたいことでした。大切な初めての友だちです。自分にあるものを教えてくれた女の子。
 烏が鳴き、風が吹きました。うっすらとスレッタに滲んだ涙をさらっていきます。「大切だから」と彼女を突き放した家族の欠片がずっと側にいるのでしょう。
 あまりに無垢で、そうあれかしと育てられた彼女が、いつか目覚めるその日まで。エランとスレッタの長い春は続きます。
 スレッタの止まった心が進む日までは。

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