アリス














記憶喪失。

それは少女の全てを奪ってしまった。




少女は話す事も文字を書く事も読む事も、

ままならなかった。

そして一般的な行動。

例えば服を着たり脱いだり――

顔を水で洗ったり――

フォークやナイフを使ってご飯を食べる――

等々。

常識的な事さえも何もかもを忘れてしまい、

少女は赤ん坊そのものだった。


嫌、唯一違うのは

赤ん坊の様に泣いたり喚いたりしないのだ。

恐ろしい程に静かで、無口なのだ。






「アリス≠ソゃん。どう、美味しい?」

「………」


少女の顔が不快そうに歪まない辺り、

きっと不味くはないのだろう。

こくりと小さく頷いた少女に

少年、アベルはあーんと口元にスプーンを運び、

真赤に染まるミネストローネを

ゆっくりと飲ませた。


「…甘やかし過ぎじゃあない?アベル」


その様子をじっと見ていた少女、アカネが

眉をひそめながら呟く。


「いいのいいの!

 だってこんな状態にさせちゃったのって

 ボクのせいでしょ?

 だからこの位の世話はボクがしなきゃね!」


可愛らしくウインクをしてみせるアベル。

罪悪感を感じているから

という理由もあるものの、

アベルは少女の時折見せるその笑顔に、

すっかり魅入られて≠「たのだ。


―――くいっ。


「ん?」


アカネが違和感に気付き、

その違和感の原因をジッと見つめた。


「…どうしたの?アリス=v

「………」


アカネの様子をじっと窺う少女。


「…多分さっきのアカネの口調が

 いつもよりきつかったからさ、

 不機嫌なのかなって思ったんじゃない?」


確かに服のすそをぎゅっと握る少女は

なんだか不安そうに見える。

アカネはフッと小さなため息をつき、

その手で少女の頭を撫でた。


「……大丈夫。私は不機嫌じゃないわ」


アカネがそう言うと、

少女は意味が通じたのかパァっと可愛らしい笑みをみせて

にこりと笑って見せた。


「「―――〜〜〜っ!!!」」


一気に顔を真赤にさせる二人。

自覚はないものの、

アカネも十分少女に魅入られて≠オまっていた。



―――乾いた音が部屋の中に響く。

それは本当に唐突で、

三人はパッと扉の方に視線を向けた。


「入るぞ」


そう無愛想な声が響くと同時にがちゃりと扉が開き、

そこからは二人の少年が姿を現した。


「………どうやら報告書の内容は

 本当だったみたいだな」


黒髪の方の少年、カインは

虚ろな瞳をした警戒心のまるでない少女を

ジッと見つめた。


「………ニホンでの出来事も全部覚えてねぇのか?」


茶髪の方の少年、黒龍は

紅い一つ目で少女の事を鋭い目つきで

ぎろりと睨んだ。


「……!」


その行動にびくりと身体を震わせる少女。


「…止めなさいよ、黒龍」


今度は少女の傍に居たアカネが睨む番。

アカネと黒龍は黙ってお互いを睨みあい、

部屋の中には険悪な雰囲気が広がった。


「……二人とも止めようよう。

 アリス≠ソゃんが居る前でそんな事はしないで」


まさにそれは鶴の一声。

アベルは少女を庇うかの様にして、

睨みあう二人に口をとがらせながら呟いた。


「……アリス=H」


カインが聞き慣れない名前に

小さく眉をひそめる。


「この子の今≠フ名前だよ!

 昔の名前なんて忘れちゃったもんねーアリス=v

「………、?」


アベルの言っている意味が理解できなかったのか、

少女は小さく首を傾げる。


「……お前らが勝手につけたのか」

「そうだよー!

 どう?どう?可愛い名前じゃない!?」


最早記憶のあった頃とは

別人の様に変わってしまった少女を

このまま昔の名前で呼ぶのもどうかと思い、

アカネとアベルが考えだした

新しい名前だった。


「……確かにそれもそうだな」


二人のその様子に、

今更自分が止めても無駄だと判断したカインは

小さなため息をつきながらも

それを否定する事はしなかった。


「……いいのかよ、そんな勝手な事をして」


唯一そんな二人に歯向かったのは黒龍だけで、

そんな黒龍にアベルはニコリと

笑みを浮かべてみせた。


「だってアリス≠ソゃんって呼べば

 この子はそれが自分の名前だと理解して

 素直に反応してくれるよ?

 それなのに今更昔の名前で呼ぶのも……ねぇ」


確かにアベルは

少女の記憶を拒絶≠オてしまい、

少女を人為的な記憶喪失にしてしまった。

それに対して

罪悪感を感じているのはきっと嘘ではないだろう。


しかし、黒龍には

アベルが今の状況を楽しんでいる様にしか見えない。

だからこそ黒龍は歯向かったのだ。


「何?

 それとも黒龍は記憶を失う前のこの子≠ノ

 何か執着でもあるの?」

「……」


ピクリと。明らかに体を揺らす黒龍。


「ニホンに潜入した時もこの子の昔の名前を聞いて

 何か勘づいてたじゃん?

 もしかして、

 黒龍は記憶を失う前のこの子≠フ事を

 知ってたんじゃないの?」

「……………」


……重苦しい沈黙。

少女は困惑した瞳で睨みあう二人を見つめ、

アカネとカインは

事のなりをただただ見守っていた。


「……お前には関係ない」

「まあ確かに僕には関係ない事だし、

 それにもう『どうでもいい』事だよね」


ニヤリ。

アベルが意地悪そうに口角を上げてみせる。




「だってもうあの頃のこの子は居ないんだから。

 僕がその存在を消しちゃったから。

 だからもう過去の事なんて……

 どうでもいいよね?」




「………っ」




「黒龍!もういいんだ。もうこれは……

 ……もうこれは……過去の事なんだ」

「ですが!

 空海様はこんなにも想っていらっしゃるのに…

 それなのにあの女は……

 その好意を踏みにじった挙句

 空海様に平手打ちなんて……っ!!」

「お前のその気持ちだけでも十分だ。

 それに俺ァこういう悪役には

 なれてるからな」

「でもいいんですか!?

 今行かないと……

 もう…今までの関係は全て消えてしまいますよ……?」

「……あいつがそれを望むなら、

 俺ァそれを受け止めてやらァ」

「!!」

「俺には…それ位しかあいつにはしてやれない。

 今も、昔も、ずっと。

 なァ―――千歳」





「……それじゃあ記憶を失う前のこいつがした事も、

 全部無かった事にしろってか?

 そんなの無理だろ。

 こいつのせいで傷ついた奴も、

 救われた奴も、犠牲になった奴も、

 まだニホンには居るんだぞ!

 それなのにオレ達の勝手な都合で

 記憶を失う前のこいつを居なかった事にするのは……

 随分と身勝手な話じゃねぇか」


「…………」


黒龍は珍しく声を荒げてそう言うと、

カツカツと今来た道を戻っていってしまった。


―――バタン、と。

乱暴にしめられた扉が音をたてる。


「……全く。

 黒龍ったら本当に頭の固い奴……」


アベルは口をとがらせながら、

黒龍の居たその場所を、ギロリと睨みつける。


「………?」


皆口を閉ざしてしまったその異様な空間の中、

少女は、ただ一人何も分からずに

小さく首を傾げるだけだった。













 ▼後書きのコーナー

 今回の話では…

 千歳がついに改名しちゃった回です!←

 改名って言っても
 アベルとアカネが勝手に名付けた
 だけですけどねー。
 そしてそんな二人に唯一反抗する黒龍…
 リア友の間でも
 異常な人気を誇っていた黒龍…。

 黒龍の過去の話とかも、
 いずれ書きたいです!





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