×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



(7)

.
森に大量の悪魔が出没する原因を調べる。
依頼を受けてやると宣言したバージルは現在、壁際に並ぶ棚から書類を出しては目を通して床に放るという作業を続けていた。
ここはフォルトゥナ城の地下、非常灯が照らす配管と鉄網に囲まれた通路を歩き、歪んだ檻と砕けた強化ガラス片が散らばるドームを抜け、更に奥へと進んだ場所にある一室だ。
誰かの私室と思われるこの部屋は、分厚いファイルやメモ書きの束が事務的なスチール製の棚を埋めているかと思えば、その合間を縫って灰が積もる暖炉や優雅なティーセットを戴く一人用のテーブルなどのアンティーク調の家具が混ざって配置されているという何ともちぐはぐな部屋だった。
「ね。ここで調べれば森の悪魔の原因が分かるの?」
書類が積まれメモが散らかる木製のデスクからキャスター付きのオフィスチェアを持ち出してウイユヴェールが着席し、約半時。
ファイルと棚しか行き来しないバージルの視線に痺れを切らして問いかけると、バージルは一瞬だけ動きを止めた。
「そんなものは知らん」
「なっ…!?」
見終えたファイルをまた一冊、床に落として次を手に取る。
しかし表紙を開いて数ページ捲るとすぐに棚に戻して「ここまでか」と呟いた。
「おい、そこの紙には何が書いてある」
「…そんなもの知りませんけど」
「子供みたいなことを言っていないでさっさと答えろ」
「どっちが!」
先に言ったのはそっち!とウイユヴェールが眉を吊り上げると無言になったバージルがつかつかと歩み寄り傍に立つ。
「…な、なに」
「"魔具"…いや、閻魔刀について書かれたものがあるだろう。それらを全て処分する」
「閻魔刀について?…どうかしら。手書きの資料ならこの辺りに…」
バージルが棚に張りついていた間、手持ち無沙汰であったウイユヴェールもデスクに置かれたメモの山をぱらぱらと捲っていた。
しかし研究への情熱が籠りすぎた筆跡は独特で癖が強く、解読不可能なものが多かった。
かろうじて読み取れたのは"何が足りない!?"や、"この──さえ修復できれば…!"という異様に強い筆圧で記入された殴り書きぐらいだ。
構わん寄越せ、と出された手にウイユヴェールがメモを集めて乗せるとバージルは内容も見ずにぐしゃりと掴み今度はデスクの抽斗を漁りマッチを見つけ出す。
先ほど床に落とした書類やファイル、そしてメモを拾い上げてまとめて暖炉に放り込んだ。
「…私はこの部屋の主を知らないから何とも言えないけれど、勝手に入り込んで勝手に処分して大丈夫なものなの?」
バージルの動作に迷いはなく、腹に溜まる忌々しさごと捨てるような乱雑さで紙の束が山となる。
「例えばだ。ウイユヴェール、見ず知らずの者がお前が愛用する物を勝手に持ち去り、矯めつ眇めつ触りまくってこれだけのメモの山を拵えていたらどう思う」
「それは……少し変態っぽくて嫌」
擦られたマッチが手の中で赤く灯る。
拾い上げた手頃な用紙に火を移し、資料の山に戻された火種はしばらく燻っていたが次第にぱちぱちと音を立てて燃えはじめた。
暖炉を見下ろすバージルの横顔をウイユヴェールは盗み見る。
室内に散らかる資料から、この部屋の主が悪魔や閻魔刀を調べていたことは理解した。
そして閻魔刀の調査が順調ではなかったらしいことも。
これらの痕跡を消すためにバージルは資料を燃やすという手段を選んだようだが、果たして理由は勝手に調べられたことへの不快感だけだろうか?
元より人の立ち入りが制限された城の、更に地下にある入り組んだ施設だ。わざわざ足を運ばずとも人知れず朽ちるだろうに。
炎の赤が紙面を渡りファイルの外装を燻りながら内側に回り込んで侵食する様を瞬きの少ない瞳が追う。
自身を詮索されることを嫌う性格なのか、はたまた閻魔刀がバージルにとって特別な存在なのか、バージルという人間を知らないウイユヴェールには推し量ることができない。
Vの元の人物であったり魔王だったり、ダンテの双子の兄であったり、追加でネロの父親であったりと、濃い属性が盛り沢山ということは知っているが…。
ウイユヴェールが密かに胸焼けを起こしそうになっていると短く溜め息が聞こえた。
「もう少し待っていろ」
暖炉へ向いていたバージルの視線がいつの間にかこちらを向いており襟元を弛めながら言う。
「燃え尽きるまで待つつもり?随分と徹底してるのね」
「この世には下らないこと考えるクズどもが尽きんからな」
じわじわと室内の温度が上がり、ウイユヴェールも頬に触れる髪を耳に掛ける。
暖炉に山となっていた紙束は、その殆どが火に包まれた。この様子なら放っておいても全て燃えるだろう。
ぱたぱたと手で顔を扇ぎながら、真夏の盛りに暖炉の炎を眺める妙に浸る。
「キャンプファイヤーはバカンスの予定になかったけれど、あなたと暖炉を囲むなんてもっと考えてなかったわ」
「本でも読み聞かせてほしいのか?悪魔の解剖データならあっちの本棚に残っているぞ」
「悪趣味!」
意地悪く口の端を吊り上げるバージルに、何を読んで聞かせるつもりと言いかけたウイユヴェールが頭を振る。
「そうじゃなくて!もっと私が望んでる話があるでしょ。それで?次は?今度こそ森の悪魔のこと、何とかしてくれるのよね?」
「……」
「ね・え?」
「部屋が暑くなってきたな。出るぞ」
室温とウイユヴェールの唸り声がこれ以上増す前にバージルはさっさと部屋を出て行ってしまい、ウイユヴェールも渋々続く。
暖炉を焚いた研究室から一歩出てしまえば廊下は肌寒いほど涼しい。
施設の動力供給も殆どは停止しているのだろうが、非常用か予備の電源が生きているのか、最低限の明かりと空気の循環はあるようだ。
やって来た順路を逆に辿るバージルは容赦なくずんずんと進み薄暗い通路に足音を反響させる。
しかし研究資料を見た後では其所此処に並ぶ大きな檻にも心当たりが生まれるというものだ。ウイユヴェールは通り抜ける実験場らしき室内に爪跡の残る檻や黒く汚れた染みを見つけてしまい小走りに距離を詰めた。
「教団の上層部は悪魔の研究をしていたのね」
「研究、と纏めれば聞こえは良いが、ここで行われていたのは教団の信者を悪魔に変える実験だったらしいな」
「えっ?…嘘でしょう、そんな……人を、悪魔に?」
「以前訪れた時には見かけなかったが…先ほどの資料に寄れば研究も進んでいたようだ」
事も無げに告げられた不気味な事実にウイユヴェールの言葉が詰まる。
「…崇めていたスパーダに近づきたかったのかしら…」
バージルが低く嗤う。
「信仰心が欲に呑まれたか。或いは元々根底にあった薄汚さが露見しただけか」
何にせよ、悪魔も人間も考えることは同じか──。
呟くように吐き出された言葉の尾が空気に溶け、バージルは通路から逸れてガラスに覆われた巨大なケースが立ち並ぶ隅へと踏み込んで行く。
殆どが破損するか空のケースが並んでいる中に、白くぼんやりと浮かび上がる甲冑が納められたケースを見つけて足を止めた。
中世の騎士が身に纏うような兜から足先までを覆う全身鎧だ。
正面に立ったバージルは全てを眺めるようにしてゆっくりと見上げる。
おもむろに拳を引いた。
静寂をぶち破る破壊の音。
ウイユヴェールが反射的に閉じた目を開くと、ガラスケースは無残に砕け落ち、甲冑の腹部には向こう側を見通せる穴が穿たれていた。
「下らない話だ」
拳を下ろし短く告げる。
ぱらぱらとガラス片が落ち、鎧の縁にぶら下がるように繋がっていた下半身も重みに絶えず千切れて崩れた。
「呆けていると置いていくぞ」
この場を後にするバージルは驚きで硬直するウイユヴェールを平然と呼ぶ。
「何だその顔は。ああ、悪魔にでも出くわしたという表情か」
「単純に引いてるだけよ。私じゃなくて、あなたの情緒こそどうなってるの」
未だに耳の奥に残る衝撃音と前触れのない破壊行動にウイユヴェールの心拍はドキドキしっぱなしだが、そこは語気を強めて誤魔化す。
「…この鎧、もしかして悪魔か何かだったの?」
「ただの鎧だな」
「……じゃあ何で壊したの」
「特に理由は無い」
バージルは悪びれもせず答える。
その言葉の通りならば先ほどの激しい攻撃は、置物に等しいただの甲冑に対して、何の理由も無しに行われて、ウイユヴェールの心臓が飛び出そうになっただけで終わった、ということだ。
ウイユヴェールは心臓の代わりに出ることになった溜め息と共に肩を落とす。
確かにバージルのやり方に口出しをしない条件でウイユヴェールは依頼をした。
が、そちらについては一向に進む様子もなく、この地下へやって来て行った事といえば研究資料の焼却処分と甲冑への八つ当たりめいた破壊だけなのだから。
「もう……閻魔刀の資料を処分して満足したのなら、ここは荒らす必要もないでしょ…。早く上に戻りましょう…」
「打ち捨てられた廃墟の何を壊そうと勝手だ。お前は教団の保全活動でもしているのか」
「私は教団に対して特別に良い感情も悪い感情も持ってません」
ともすれば子供のような開き直りをするバージルにウイユヴェールは気力を削がれながら着いて行く。
途中で足元に転がる兜に気がつき、何気無く拾い上げる。
バージルが破壊したものと同じ甲冑の兜のようだ。
「何もいきなり壊さなくてもいいのに…。ねぇ?」
薄暗い室内で確かな色味はわからないが、白を基調にした流線的なフォルムは甲冑が実際に使用されていた時代のものよりもだいぶ近代的なデザインをしている。
教団の祭事などで使われていたのだろうか。
そうなると教団の騎士だったというネロも身に付ける機会があったのかもしれない…。
「案外似合うかも?…なんて言ったらすっごく嫌がりそう」
思い直して手近な作業台のような場所へと置く。
ゴトリと重さに見合う音が響き、辺りの静けさが際立つ。
「……あら?」
しん、と無音が広がり、聞こえていたはずのバージルの足音も何故だかちっとも聞こえてこない。
薄ぼんやりと光る非常灯が曇り空の星の如く霞み、辺りを見回すウイユヴェールの靴音のみが寂しく反響する。
すうっと背筋に嫌な予感が走り、バージルの突然の破壊活動とは違う意味で心拍数が急速に上がる。
「え……と。こういう場合は…進むべき?それとも、この場から動かない方が良い…?」
誰にともなく訊ねたウイユヴェールは後悔の二文字を噛み締めた。
ほんのちょっとだ。兜を拾い上げて置くほんの少しの間、目を離しただけなのにこれはもしかして迷子──…
「…い、いいえ!ただはぐれただけかもしれないわウイユヴェール…!急げばまだ追いつけるかもしれないものっ」
そう、急いで追いかけて一本道なら追いつけるだろう。
けれど、もしこの部屋の出入口が一つではなかったら…?
嫌な予感の上に積もる嫌な想像を振り払い、気持ちを引き締めて辺りを見回しながらバージルが向かったであろう方向へと歩き出す。
幸運なことにネロと城を廻っていた時のような悪魔との遭遇もこの地下ではまだない。
「さっき脇道に逸れたけれど、こう来てこっちに曲がれば──」
ガラスのケースが並ぶエリアを抜けてベルトコンベアのような平たい台に行く手を阻まれる。
こんなの…さっき見たっけ…。
明らかに覚えのない場所に出てしまい、己の記憶力と方向感覚に平手打ちをして後退る。その背中がドンっと壁にぶつかりウイユヴェールは驚いて振り返った。
「きゃ──!…び、びっくりした…こっちにも飾られてたのね」
硬い感触から壁だと思ったが、円錐形の槍を持つ教団騎士の鎧が佇んでいる。
けれど間近で見上げることとなったその鎧は、中に人が収まるとしてもだいぶ背が高く、大きい。
いや、人が着込むにはあまりにも大きすぎる…。
得体の知れない不気味さを感じてウイユヴェールが距離を置こうとした時、騎士の甲冑の腕が跳ね上がり肩を掴んだ。
「ひっ…、──!?」
喉の奥で悲鳴が潰れ硬直するウイユヴェールを騎士は押し退けて更に前方へと鋭く槍を突き出した。
ギャァァッ!
甲高く耳障りな鳴き声が響く中、鎧の継ぎ目を重たげに擦らせて今度は突き出した槍を横薙ぎに振るいウイユヴェールの頭上をブォンと唸る風圧が掠める。
鳴き声を発した巨大な魚のようなものが振り払われるのを視界の端に捉える。しかし、それよりもウイユヴェールは眼前の騎士から目を離せずにいた。
中身なんて無いはずだ。
人間が着て動ける代物ではない。
なら、これは…
「教団の信者を、悪魔にする実験──…?」
騎士はウイユヴェールの呟きには反応せず、空いた手に光を集めて盾を作り出すと地面に落ちた魚の悪魔の討伐へ向かう。
それと同時に空中に二つの光の輪が現れ、槍と剣を携えた二体の騎士が姿を現した。
槍を持つ一体は悪魔と対峙する仲間に加勢し、剣を持つもう一体はウイユヴェールの目の前に降り立つ。
「わわ、私は敵じゃないわっ!教団の関係者でもないけど…、あなたたちは教団の…人なの?…それとも……」
ウイユヴェールは己の予想が外れることを望んだ。
何も無い場所から現れ、ひとの身の丈に合わない鎧を纏い、躊躇せず悪魔を仕留めようとする"それら"の中に人間らしさを見つけられないかと期待した。
逃げようとする悪魔のひれが槍で縫い止められ、激しく暴れる太い胴体がもう一体の騎士の槍によって貫かれ沈黙する。
静かに煙のように形を崩す悪魔を見届ける騎士たちは無言だ。
ウイユヴェールを見下ろす騎士も同様に無言であり、そして本来なら視線が垣間見えるであろう兜の隙間からは赤い光が漏れている。
そこへ蒼い幻影の刃が突き刺さった。
「──ウイユヴェール、お前は余程悪魔と親しくなりたいらしいな」
魔力で作られた刃は既視感を呼び起こし、咄嗟にウイユヴェールの唇からVの名が零れる。
しかし振り返るとそこには眉間に皺を刻んだバージルが立っていた。
「期待に添えなくて悪いが奴はまだふて寝中だ」
怒りというより呆れを多く含んだ水色の瞳に晒されるのも今日で二回目になる。
そういえばネロとバージルが親子であることを知ったのも一回目の迷子の後だっけと芋づる式に思い出したウイユヴェールは、迷子になるな悪魔を見に行くな手近なものに触るなの言いつけを思い出し、何と弁解するべきか──焦る手のひらでグーとパーを繰り返す。
バージルの言いたいことはよく分かる。
でも迷子のあとに気がついたら後ろに騎士がいたんです。
「言って分からないなら縄で縛って連れて行くか?俺は構わん」
ぐうの音も出ず蚊の鳴くような小声で「迷子になってごめんなさいぃぃ」と絞り出した。
ウイユヴェールの背後には幻影の刃を受けた騎士がいる。
今は危険な状態なのだろうと自覚して顔を強ばらせていると、バージルはじっとしていろと投げやりに言い放ち閻魔刀の鯉口を切った。
不利な立ち位置だがバージルの腕なら敵からウイユヴェールを引き離すことは容易い。しかし、
「…ほう?何のつもりだ?」
ウイユヴェールを庇うように騎士が前へと進み出る。
兜の無残な裂け目から赤い光が一層強く漏れる。
「さっきの魚の悪魔の時と同じ…?もしかして、私を守ろうとしているの?」
「なるほど。それで半魔の俺は排除の対象という訳か」
「納得しないで、あなたも半分は人間なんだからっ!──ねぇ、さっきの攻撃はちょっとした事故で…えっと、バージルは危険な悪魔を倒してくれるの。私たち協力できると思うの」
高い位置にある騎士の兜に向かってウイユヴェールは慌てて制止を促す。
「急所を狙った当人に協力しろというのも図太い神経だと思うがな」
「そこは何かしらの誠意で許してほしいっていうか……あっ」
ウイユヴェールは剣を構える騎士の腕を掴んだが大きく振り払われて尻餅をつく。
痛みに顔をしかめた目の前に剣を握ったままの騎士の腕が落ちてくる。
「まったく出来の良い人形だ。守るつもりで怪我を負わせていては世話もない」
「バージル!」
「よく見ろ。中は空洞だ。教団信者の魂を使って動かしたのだろうが、こちらの言葉を理解した様子もない」
下級悪魔と同等といったところか。
そう続けるとバージルは切り落とした腕をどこか冷めた目で見遣り、仲間の異変に気付いた二体の騎士が宙に浮かびこちらに槍を向けた。
「力の差を見せつけられようと怯えも怯みもしない。意識や人格も、魂を移した際に消滅したのだろうな」
「彼らは…こうなることを知っていて悪魔になったの…?心を失くしてでも、この存在になりたかったっていうこと?」
「俺に聞くな」
教団に従う信者とはいえ、一人一人がどの程度の思いを抱えていたかまで知ることはできない。
それでも、腕を落とされても悲鳴も上げず、肩の空洞を晒したまま盾のみを構え続ける姿に空恐ろしさと哀しみを覚える。
魔剣教団はもうない。なのに彼らはそれを理解しないまま、この先ずっと彷徨い続けるのだろうか。
「…。見たくないのなら目を閉じていろ」
すぐに片付けてやるとバージルは言う。
しかしウイユヴェールは首を振った。
「…見なかったからって彼らの存在が無かったことにはならないでしょう」
「殺さないで、などと寝惚けたことは言うなよ」
「言わないし、言えないわ。私にはなにもできないから。…ここから離れていた方が良い?」
「じっとしていろ。当てはせん」
キン──と高く澄んだ音が耳を掠めたと思うと、続けて視界に映る光景に切れ目が入ったように真っ直ぐな光が縦横に走り、三体の騎士が同時に揺れた。
鎧が崩れ落ちる音が閻魔刀の鍔鳴りを打ち消し、囚われていた魂が解放されるように、か細くも目映い光が宙に立ち昇っていった。
「…。見た目は少しだけ、天使に似ていたのかも」
「見てくれだけ整えたところで自己が無くては意味がない。都合の良い使い捨ての道具だ、これは」
「そんな言い方しなくても…。ねぇバージル、さっきからちょっと怒ってる?」
立ち上がるウイユヴェールに手を貸しかけたバージルはぴくりと動きを止め、それから手を掴むと頭より高く引っ張り上げたためウイユヴェールの足は床に着かず少し浮いた。
「怒っているだと?はっ、何を馬鹿なことを」
「別にいいけど」
悪魔でもないただの鎧を破壊したことから三体の騎士への辛辣な物言いまで、どこかトゲトゲしたものを感じ取っていたウイユヴェールだったが詮索は止めた。
Vと魔王を内に抱えるような道を歩んできたバージルには、簡単に窺い知ることのできない因縁もあるのだろう。
「そんなことより、お前は悪魔を殲滅したいのだろうが。さっさと上へ戻るぞ」
「殲滅…とまでは言ってない気がするけど…、やる気になってくれたのなら嬉しいことだわ」
狭い通路をすり抜けて進み、上階へ昇る階段が目に入ると足取りも気持ちも軽くなった。
配管やダクトが剥き出しの廊下から石の壁へ、非常灯が照らす均一な光は塵や埃がきらきらと舞う自然光に移り変わる。
「でも上に戻っても、悪魔がたくさん現れる理由について何もわからないままなのよね」
振り出しに戻っただけね…と肩を落としたウイユヴェールに、階段を先に上りきったバージルの声が降ってくる。そうでもない、と。
「魔剣教団は悪魔を喚び出す技術を持っていた」
「えっ?」
立ち止まると懐から取り出した数枚の資料を渡す。
「研究を行うためには素材となる悪魔が必要だ。森に涌く程度の数では足りなかったのだろう。魔界に繋がる"地獄門"から悪魔を調達しては切り刻み、また捕まえる。実験の成果である騎士たちが効率良くな」
階段では明るさが足りず、ウイユヴェールは駆け上った先の回廊の窓辺へ寄る。
紙面にはフォルトゥナ全域の地図が記されており、"地獄門"と名付けられた建造物の設置箇所が点在している。
その中でも特に目立つ印を付けられた市街地の石碑の残骸をウイユヴェールもフォルトゥナへ到着してすぐ目にしていたが、それは数年前の騒ぎで破壊されたものだと聞いた。
「Vに呼び出される前に地獄門の残骸は森で見かけた。だがその資料には森の別の場所にも印が付けられている」
「…もしかしたら壊れていない門の可能性も?」
「俺とて森を隅々まで歩いた訳ではない。ただ目にしていないだけかもしれないが、確認ぐらいはしてもいい」
悪魔の大量発生という現状に対して地獄門という教団の遺物を表す言葉は、無視し難い説得力を感じる。
「他に手掛かりもないし、気になることは確認していきましょう」
門を探してまた森を彷徨うことになるがウイユヴェールが疲れを感じさせない笑顔を向けると、バージルも諦めたように了承の表情で応える。
何度目かの行き来でフォルトゥナ城にも慣れたウイユヴェールが先行して森へ続く裏門を目指す。
「それにしても。これ、さっきの部屋で見つけてたのよね?早く言ってくれたら良かったのに」
コツ、コツと絨毯を踏む足音から軽やかに身を振り返らせて後ろ向きのまま歩く。「依頼を忘れたの!?ってまた絡むところだったわ」と資料をバージルに返した。
バージルと出会って以来だろうウイユヴェールの上機嫌は事態の光明を見いだせたからに他ならない。
しかしそこに影響されることもなくバージルは呟いた。
「ああ、迷子さえ出なければな」
そう。ウイユヴェールが迷子になっていなければ。
あの時にこの話をしていただろうに。
悪魔の対処も簡単だっだろうに。
ウイユヴェールを探す手間も無かっただろうに。
「それはっ…もうっ!ちゃんと反省してますっ!」
「これに懲りたら余所見なんぞしないことだな」
ウイユヴェールの狼狽えを面白がる瞳にそれら諸々の言葉をたっぷりと含める。
「これからはバージルのこと、ちゃんと見てるってばっ」
心から悔しそうに唇を噛むウイユヴェールを、身長差と精神的な立場の高みからバージルは見下ろした。
そして己の不覚からぶつぶつと一人反省会を始めるウイユヴェールの隣で、通り過ぎる燭台の炎に資料を翳す。
閻魔刀の文字を残す最後の紙片に火を着けた。


231027
[ 218/225 ]
[もどる]