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Choc chip cookies!!

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ステンレスボウルに泡立て器。
バターの箱からは金色の包み紙がはみ出して、クッキングペーパーの切れ端、粉まみれのキッチンスケールにレシピ本、生地をこそげたスプーンと木べらがテーブルを占拠する。
天板をオーブンにセットしたウイユヴェールは散らかった調理器具を片っ端からシンクへ、あるいは戸棚へと戻しながら、「焼き時間は15分…焦げないように時々見ながら片付けと支度をして…」と手順をぶつぶつ確認する。
キッチンにやってきたVにも気づかずに、ぱたぱた、くるくると忙しない。
今日の仕事は午後からと聞いていたのだが…。
「おはよう、ウイユヴェール。何か手伝うことはあるか?」
「あら、おはよう、V。朝ごはんはこれから用意するところなの、少し待ってね──」
イレギュラーの登場により思考を一端ストップさせたウイユヴェールは、ふっと表情を緩めて質問に立ち戻ると、洗い物をお願いできる?とリクエストした。
ニットのワンピースに白く擦れた小麦粉にも気がつき、慌てて払い落とす。
「今日の朝食がクッキー…というわけではないようだな」
ウイユヴェールはいつから製作をはじめていたのだろう。
Vが立った洗い場の隣のガス台には、先に焼き上がったチョコチップクッキーが整列して甘い匂いを立ち上らせている。
部屋中に漂う匂いが寝室まで流れ着いてVの目覚めを促したのだ。
「ご希望なら甘〜い紅茶にジャムとクリームをたっぷり添えたスコーンもお付けできるけれど?」
「その気持ちだけで胸が一杯だ」
蛇口を捻ると同時にVの腕から黒い模様が滑り出る。
「Vが喰わねェんならオレが代わりに喰ってやるぜェ?今日はナニ作ったんだ──…ンン、なんだァ?やけに甘ったる〜いニオイじゃねェのよ」
「今日はハロウィンだからね。これは子供たちに配るお菓子」
「ハロ〜ウィ〜ン?」
「おばけの仮装をした子供たちが、大人からお菓子を貰って回るお祭りなの。二人は知ってる?」
「ガキんちょがおばけに仮装する意味がわかんねェ。悪魔になりてェの?」
「知ってはいる…が、あまり記憶にはないな」
テーブルの空いたスペースに着地したグリフォンが首を傾げ、Vはスポンジを泡立てる。
「Trick or Treat!って言われたらお菓子をあげるのがルールよ」
「このクッキーは悪戯をされないためのお守りか」
「そういうこと」
ウイユヴェールは布巾でテーブルを一通り拭き、棚から食器を取り出して並べていく。次は朝食の準備だ。
ぬるま湯がVの指の間を流れてボウルの表面の泡を浚うと、背後で支度をするウイユヴェールとグリフォンが引き伸ばされて映る。
Vにとって記憶とはバージルのものを思い起こすことになるが、幼少の頃の記憶はあまり多くない。
短い期間の、遠い記憶を手繰り寄せてスパーダとエヴァの姿を探す。
バージルとダンテがめかし込んで遊ぶ思い出はハロウィンの仮装だったのか、それとも父の真似をしたごっこ遊びだったのか…。
自身のものではない記憶をVが掘り起こしていると、隣に立ったウイユヴェールがこちらを覗き込んでいることに気がついた。
長い睫毛に縁取られた明るい瞳が好奇心と期待を宿してわくわくと煌めく。
「…どうかしたか?」
「Vはハロウィンに興味ある?もし参加してくれるのなら、私にもお菓子を渡す用意があるわ」
「勇ましい宣言だが、俺は貰う側の前提なのか?」
「Vが参加するのは初めてでしょう?ハロウィンの初心者さんなら、まず貰う楽しみを知らないと」
「あるいは悪戯の楽しみを?」
「それも重要ね。私はされないようにたくさん仕込む予定よ」
洗い物を終えたVが愉しげに瞳を細めて答えると、参加の意思を確認したウイユヴェールもまた嬉しそうに声を弾ませた。
甘いものや菓子を好むウイユヴェールにとって、おそらくハロウィンは特に楽しみが大きいイベントなのだろう。
それこそ早起きをして製菓に勤しんだり、本物の悪魔におばけの役を勧めたりするぐらいなのだから。
「ウイユヴェール」
「なぁに?」
「Trick or Treat.」
「!?」
驚くウイユヴェールの腰に腕を回し逃がさないよう閉じ込める。
「うぅ…早速使ってきたわね。でもV、その言葉を使うなら、あなたも何か仮装をしてくれないと…。私はただあなたに甘いものをプレゼントする人になってしまうわ」
「仮装か。…そうか、ハロウィンは悪霊をお菓子で追い払うという体だったな」
「身も蓋もないことを言ってはだめよ…。子供たちみたいな仮装を、とはいわないけれど、多少の変化は欲しいところね」
ハロウィンは一日あるんだし、お散歩でもしながらゆっくり考えたら?とウイユヴェールは腕から逃れようとして、さりげなく押してみたり引いたりしている。
もちろん離すつもりはない。
Vは、仮装…と呟いて思案する。
ハロウィンの仮装とは元々おばけに扮するものだったが、最近はおばけに限らずバラエティーに富んでいるらしい。参考にはなりそうだが、そこまで童心に返るのも難しそうだ。
何より今日がハロウィンの当日。
アイデアも、準備を整える時間もない。
Vは未だに頑張っているウイユヴェールに声をかけると、ゆったりと、それは優雅に微笑んだ。
ウイユヴェールが疑問の表情を浮かべたと同時に、その前髪を、ぽんっ、と弾けるような風圧が揺らす。
Vの黒髪が銀色へと変化し、身体を覆っていた模様も消える。
今どこぞにいるVの本体・バージルが見たら「無駄なことにデビルトリガーを使うな」と滞在時間を減らされそうだが、Vとてウイユヴェールと楽しむためなのだから本気も本気、大真面目だ。
「さて、普段とは異なる雰囲気を醸してみたので本題に戻ろう。お菓子か、それとも悪戯か」
「な、なんて手抜きを……それに、増えてるわ…!」
お菓子を欲しがる亡者が…!
精神的にも身長的にも高みから見下ろすVの足元には黒い闇溜まりが現れ、這い出したぬいぐるみサイズのナイトメアがウイユヴェールの脚をよじ登ろうとしがみつく。
闇溜まりから安定するかたちへ──耳とヒゲ、四本の脚としっぽをつくり出したシャドウはウイユヴェールの脛にぶつかるように背中をのっしりと擦りつけた。もはや猫でしかない。
身体のみならず足まで動かせなくなったウイユヴェールに、さらに"待った!"の声がかかる。
「チョォーイ!待て待て待てェッ!このグリフォンサマ抜きに盛り上がられちゃァ困るぜ!おりゃ〜ッ!」
「ふわっ、ぷ──!?」
勢威の良い声に振り向いた視界がぬるいモフみに塞がれた。
「仮装だかナンだか知らねェがオレの腹毛こそプリティー&ナンバーワンだろォが!わかったらとっとと菓子と朝メシを用意しなァッ!」
「はぅっ!もふもっ…気持ちいいっ…!?けどっ…、ぺっ、やり口が変質者めいてるから減点っ!」
「なんだとォー!?」
狭いキッチンに大人が二人、足元には魔獣が二体、空中にはグリフォンが。
ちょっとした混沌だ。
羽ばたきながら腹を押しつけてくるグリフォンから、ぷはっと顔を逸らしたウイユヴェールは口に入った羽毛を払い、調理台に置かれた袋を素早く浚う。
「お菓子をあげるから、悪戯はストップよ──!」
袋を留めていたクリップをパチンと弾き中身を掴むと天高く豪快に放つ。
甘い香りを纏う黒い粒──チョコチップだ。
それは室内に降る雨粒の如く、ぱらぱらと音を立てて床に落ち、匂いに惹かれたシャドウとナイトメアがウイユヴェールの足から離れた。
ウイユヴェールの動きに振り払われたグリフォンもまた、テーブルに散ったチョコチップを興味津々にくちばしでつつく。
「おッ、なんだコレ?結構イケるぜ」
「これはお菓子といえるのか?」
「材料だけど一応チョコだし。つまみ食いしても美味しいし」
一連の流れを見守っていたVが問うと、魔獣たちを引き剥がすことに成功したウイユヴェールが胸を張った。
自らの口に一粒を運びながら、Vもいかが?と訊ねるので口元に運ばれたチョコチップをそのまま頂く。生地に混ぜても存在感を出せるよう精製されただけあって、小さくとも濃厚な甘味が舌に溶ける。
「確かに美味しい。が、まさか俺の方もこれで納めるつもりはないだろうな」
「……さすがにVは誤魔化されてはくれないわね」
指摘しなければこれで事を納めようとしていたらしい。
魂胆を見抜かれたウイユヴェールが気まずそうに瞳を游がせる。
そんな顔をされてはVとしても悪戯心に火が灯るというものだ。
ウイユヴェールを腕の中に閉じ込める今、主導権はVにある。
Vを魔獣と一緒にあしらおうとした手抜きも加味して、行動で、はたまた言葉でどのように苛め…いや、悪戯を仕掛けようか考えを巡らせる。
そろりとこちらを見上げるウイユヴェールの、例えば頬を染めた困り顔も、照れて狼狽える表情も、悪魔的に言い表すなら大好物だ。
ウイユヴェールは悔しげに呻くとVの胸に頭を押しつける。
「…こんな朝早くから仕掛けられるなんて思わなかったもの…」
「良いのか、ウイユヴェール?自ら飛び込んできてくれるのは嬉しいが、これでは悪戯からは逃げられない」
「……」
問いには答えず、ウイユヴェールはもぞもぞと身動ぎをする。
Vが自身にそうするようにウイユヴェールもVの背中に腕を回した。辛うじて隙間のあった二人の身体はぴたりとくっつき、ぽかぽかと体温が交じり合う。
「…逃げるだけが選択じゃないわ」
「悪戯を甘んじて受けると?」
「甘いものを受け取るのはVの方なんだから」
はい、あーん。
身体の間から上手く出したウイユヴェールの手には、いつの間にかチョコチップクッキーが摘ままれている。
後ろの完成品の列から調達したようだ。
「私もまだ味見してないの。もし失敗してたら仕事の前に買いに行かなくちゃ」
Vはウイユヴェールの身体を抱き締めていて、少し屈めば鼻先だって簡単に届く。
あと一歩というところまで近づいたというのに。一瞬にして形勢は逆転、悪戯はお預けとなり、ちゃっかり味見まで申し付けられてVは参ったと口を開ける。
「まさか朝食が…本当にチョコチップクッキーになるとは思わなかった」
「甘くない紅茶も用意するわ」
得意気に胸を反らすウイユヴェールへ、Vは返事の代わりにクッキーに噛りついた。
焼き立ての仄かな熱は香ばしさを纏い口内でしっとりと崩れる。
もくもくと咀嚼するVの足元ではシャドウとナイトメアが散らばったチョコチップを平らげ、グリフォンもテーブルの上を綺麗にしたようだ。
一日は始まったばかり。
ウイユヴェールに悪戯とお菓子を迫るチャンスはまだある。
Vは残りの欠片も欲しいと口を開く。
そうして次なる機会へと考えを巡らせながら、まずは、期待に満ちた眼差しでクッキーの完食を待つウイユヴェールに素直に感想を述べることにした。


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