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(1)

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真っ昼間の陽光を反射する白いメモ用紙。
そこにびっしりと書き込まれた品名一つ一つに斜線を引いて潰していく。
本当に買い漏らしはゼロか?
立ち寄った店の光景、店内カートに品物を放り込んだ記憶、ニコとの騒がしいやり取りを思い出しながら最後の品名を消してネロはメモから視線をあげた。
「おいニコ、吸い終わったか?」
「もう少し待て……、最後の余韻を味わってるところだ」
「余韻ね。どうせまた5分と持たずに吸いたくなるんじゃねーの」
「人をヤニ中みたいに言うな。吸いたくなる頻度は日によって違う」
短くなった煙草を摘まんで言葉の拍子を取るニコに、知らね、と嘆息したネロは顎を伝う汗をTシャツの襟元を伸ばして拭うと古びた石垣にもたれ掛かった。
道沿いに延々と続くそれは果たして何百年前に造られたものだろうか、雨風に削られた表面には大小の穴が穿たれている。
石垣の向こうには夏の青空が広がり、数十メートル下った眼下には白い砂浜が細く長く続いている。
古都であるフォルトゥナの風習も建物も、カビの生えた古臭いものだらけで好きにはなれなかったが、この街を包む景色だけは悪くないとネロは思っていた。
海鳥の声を聞きながら潮と煙草の交ざった匂いを吸い込む。
「暑ぃ、ついでにクセェ。ニコ、お前風下行けよ」
「やだね」
お前が行けと言い捨てられたネロは反論よりも諦めを選択した。
仕方なく場所を移動すると、視界に入る風景も変化し、砂浜にぽつりぽつりと咲くカラフルなパラソルが目に入る。
夏を象徴する開放的な光景だ。
だが間違いなくフォルトゥナの住人ではないだろう。
「こんな何もない街にも観光客は来るもんだな」
「穴場っちゃあ穴場だろ。城塞都市なんて遺物だ、教団の権威が消えた今は集団幻覚騒ぎに目を瞑れば観光の目玉にもってこいさ。おまけに猫の額レベルだがささやかなビーチもある」
ネロの視線に釣られたニコは空から海へ、そして波打ち際で漂う浮き輪を人差し指と親指で作った輪で覗く。
「私からしたら悪魔崇拝の城なんかより、悪魔の干物のがそそられるがな」
ニコが舌舐めずりをする特殊な趣味趣向には世話になった記憶がある。
程々の頷きを返しておくとして、ネロは降り注ぐ眩しい陽光に目を細めた。
生まれ育った街を今更観光したいなどとは思わないが、水辺で遊ぶには確かに良い季節だろう。大型のバンという移動手段を得た今なら、預かっている子供たちやキリエを連れて遊びに来るのも悪くはないと頭に浮かぶ。
帰ったら相談してみようと密かに計画したところでふと、他の客から距離を置いた場所にセットされたパラソルと、長袖のパーカーを羽織った一組の男女を見つける。
「ビーチに来てるのにおかしな奴らだな」
「海は堪能したいくせに絶対肌を焼きたくない族かもしれないぞ」
「我が儘だな」
「おっ、パーカー被りに耐えきれなくなって女の方が脱いだぞ。何だ、隠しておいてイイカラダしてるじゃねーか、ヘッヘ」
「その言い方やめろよ……。ん?」
海を前に楽しげな女の声が風に乗って微かに流れてくる。
それに応える黒髪の男の横顔を目にして、ネロとニコは顔を見合わせた。

一歩歩くごとに蹴りあげられた熱い砂がサンダルの素足に降りかかる。
水着やパーカーも含めてフォルトゥナへ到着する直前に急いで購入したものだが、気分を盛り上げる一役を果たしてくれていた。
海を目前にあとは一枚脱ぐだけ。
…なのだが。
水着姿になるという非日常への一歩が何となく気恥ずかしくて踏み出せず、ウイユヴェールはファスナーを下げる手を止めた。
太陽の下で肌を晒すシーズン限定の緊張を別の疑問でひとまず濁す。
「絶好のロケーション、なのに。ここは人が少ないのね」
「この街の住人は数年前まで教団の教えとやらで中世同然の暮らしをしていたらしい。簡単には変われないんだろう」
ウイユヴェールの隣に立つVがビニール製の浮き輪をぺりぺりと開きながら答えた。
こちらもウイユヴェールと同じように水着の上にパーカーを羽織っているが、魔獣を宿す模様が悪目立ちするという理由から着たままだ。
「昔の人も水遊びくらいはしたと思うけど」
「肌を見せることに厳しいんじゃないか」
「…Vも、水着ははしたないって思う?」
「なぜ俺がウイユヴェールに付き合ってここへ来たと思う?」
Vの足元に身体から抜け出したシャドウが姿を現し、続いて煙のように流れ出たグリフォンが、ヘッヘ、とわざとらしく笑う。
「正解は"そんな貞淑なタマじゃねェから!"ってな!バージルがこの街で仕込んだのだって、ひぃふぅみぃの…何年前になるんだっけ?Vチャンよー?」
「……さあ。それは俺の範疇ではないし、健全な時間帯での下品な発言も控えておけ」
「そういえばフォルトゥナの街は初めてじゃないって言ってたけど。…記憶と比べるとやっぱり雰囲気は違う?」
「…バージルがここを訪れたのは20年ほど前の話だ。あてにはしないでくれ」
浮き輪の代わりに、いつの間にかグリフォンの胴体を両手でしっかりと掴んで捕まえたVが続ける。
「海を前に野暮な話はここまでだ。まだ浮き輪は準備中だが…代わりにこれを使うといい」
「ゲフォッ…!Vッ?Vサマッ??これハトの持ち方してないッ?オレのむね肉!潰れちゃいそうなんだけど──!?」
息が詰まるゥ!と騒ぐグリフォンが投げられるように解放されて、波打ち際へと翔んで逃げて行くのをウイユヴェールは苦笑と共に見送った。
きっとまた何か余計なことを言ったのだろう。
ウイユヴェールがこのフォルトゥナの街へ来ることが決まったのは少し前のことだ。理由は仕事の関係だったが、時期や気候を考えて休暇も兼ねることにした。
仕事場である古書店で予定を考えているところにVがやって来て、誘ってみたら色好い返事が貰えたためウイユヴェールは歓声をあげた。
が、目的地の名を告げた際に浮かんだVの複雑な表情も記憶している。
「…ありがとうね、V」
「急にどうした?」
「今回の旅行のこと。来てくれるって言うから嬉しくなっちゃって」
こうして同行してくれたが、先ほどのやり取りを聞くにやはり気乗りする場所ではなかったのかもしれない。
「仕事が終わったら違う場所に移動してみない?Vと一緒ならどこでも楽しめるわ」
「せっかく遊び道具も揃えたのに?」
「近くの街でもビーチは開放してるみたいだし」
「ここの観光も楽しみにしていたんだろう?昔のことは気にしなくていい。何かあるとしても俺ではなく、バージルの、問題だ」
俺には関係ないとVは断言した。
唇は緩やかな弧を描き穏やかな表情を浮かべている。
しかしどこかじわっと染み出す雰囲気を漂わせてグリフォンの翔び去った軌跡をペリドットの瞳が追いかける。
暑く、立っているだけで汗ばむほどの陽射しの下、冷ややかな風が吹いた気がして、ウイユヴェールはもうこのネタはつつかないでおこうと思った。
「……うん。じゃあ。遊んでこよっかな」
「それがいい」
「Vは?まだ泳がない?」
「気が向いたら参加しよう」
ビーチに降りる途中、浮き輪の空気入れが済んだら小説の続きを読みたいとVは口にしていた。
楽しみ方は人それぞれだ。無理に太陽の下へ引っ張り出すのも良くないだろう。それにこの気温ならウイユヴェールが誘わずとも読書を諦めてパラソルから出てくるかもしれない。
それこそ童話の北風と太陽のように。
ウイユヴェールは心を決めると思い切ってパーカーを脱ぐ。
「こんなに空いてるビーチだもの。恥ずかしがらなくても、絡んでくる人なんていないわ」
レジャーシートへ軽やかに放れば長袖の中で籠っていた熱が開放され、温い空気の流れが素肌を気持ち良く撫でた。
うなじに掛かる髪もまとめ直して、どう?と両手を広げるとVは眩しそうに目を細める。
「日陰でのんびり過ごすのも素敵だけど、気が向いたら私とも遊んでね?」
「その誘いには抗えそうにないな」
満足のいく返答を得られたウイユヴェールは嬉しさを噛み締めるように笑って波打ち際に駆けてゆく。
脱ぎ忘れていたサンダルも途中で放った。
バシャバシャと波を越えて水に浸かり上空で風を受けるグリフォンを呼ぶと、オレは水鳥じゃねェし!と降りてきて渋るグリフォンを両腕に受け止める。
楽しげな歓声とだみ声の憎まれ口を聞きながら、Vは足元で伺うシャドウに「お前も一仕事を終えたら参加していい」と大型犬ほどの姿を取った黒い頭に手を乗せる。その肌触りすらすでに太陽の熱を孕み苦笑を漏らす。
萎んだ浮き輪、読みかけの本、散らかったパーカーとサンダル、熱源と化したシャドウ。
さてどこから手を着けるか…いっそのこと、着けないか。
一先ずサンダルだけ回収をしに行き、それからVが思案をはじめた時、砂を蹴って近づいてくる足音に気がついた。
「……お前、こんな場所で何やってんだよ」
「水遊び、という他に答えはあるか?」
「そういう話じゃねぇしマジで海水浴に来てんのか…。つーかお前……って言っていいのかこれ。あぁ、くそ…本物かよ、"V"」
レッドグレイブ以来の再会に様々な記憶を掘り起こされてネロが乱雑に頭を掻いた。
「世の中には同じ顔をした人間が3人いると云うらしい。お前はどう思う?ネロ」
「そのまどろっこしい物言いお前以外ありえねー…」
ダンテの兄、閻魔刀の持ち主、悪魔騒ぎの張本人、実の父親──…バージルという名の男はネロとは切りがたい因縁を持つ。そしてネロをレッドグレイブへと導いた"V"はバージルから別たれて生まれた存在だ。
それが再び目の前にいる。
どう受け止めたら良いのか。
そもそも何故バージルではなくVなのか。
純粋な疑問と納めきれない戸惑いの感情が入り交じり、銀色の髪と同じく色素の薄い眉をくしゃっと寄せた。
「V、お前がいるってことは…ダンテもバージルも無事に帰ってきたってことだよな?」
「簡単に死ぬ奴らじゃないことはお前も知っているだろう。ああ、それとも心配をしてくれたのか?」
「うるせーよ。……はぁ、だんだん馬鹿らしくなってきたな」
暑さで額を伝う汗を拭って、もう一度、改めて顔を向ければVとシャドウと、そして砂の上に広げられた浮き輪が目に入る。
「……。それ、膨らますのか」
「浮き輪だからな」
「………」
「まだ質問が?」
「……さっき隣にいた女は?」
「ウイユヴェールがどうかしたか」
「そうじゃねぇよ。だから、その…ウイユヴェールとかいう女は、あんたの……」
先に続く言葉は、知り合いか、友人か、それともまた別のものか。
迷った挙げ句に訊ね辛そうに言い淀んだネロに、軽い足音と共にやって来た人影が体当たりをする。
「クッソ暑い砂浜でいつまでダベってんだ、よっ!」
「ってぇな、何すんだよ──…は?」
ネロが目にしたのは短パンにTシャツスタイルという出で立ちのニコだ。
いつの間に膨らませたのかボート型の浮き輪を抱えており、さらにはもう海に向かって走り出していた。
「ボケっとしてんなバカ野郎、ここはビーチだぞ?はしゃがない奴があるかっ──」
声の尾を引きながら波打ち際へ。
胸の高さまで水に浸かったウイユヴェールのすぐ近く、水面に浮かぶグリフォンへとボートを投げつけてダイブした。
「よお!久しぶりだなお喋りチキン!再会を祝って適当な部位を寄越せ!」
「ゲッ!?テメーはレッドグレイブの魔改造女!馴れ馴れしく触んじゃねェ!感電させんぞッ!」
「ほーお?へーえ?そんなこと言っていいのかトリ頭?ご自慢の漏電かましてみろよ、お前のカワイコちゃんも巻き添えだぞ〜?」
「ダーーーッ!!」
憎まれ口の応酬が風に乗って聞こえてくる。
ちょっかいをかけてくるニコと、シッシッと追い払おうとするグリフォン。
彼らの間でちゃぷちゃぷしているウイユヴェールはというと、突然の闖入者にも関わらず目の前ではじまったコントに喜んでいるようだ。
放っておいても問題はなさそうだと判断したVだったが、飛んできたニコの言葉にぴたりと動きを止めた。
「ネロ、V!お前らも来ないと干からびるぞー!それとも感動のご対面が長引いてんのか〜?」
「余計なお世話だっつーの──!……あいつ、他人事だと思って簡単に…。てか、いつの間に着替えてんだよ」
また帰りが遅くなる、と不満を漏らすネロをVが短く呼ぶ。
「…ネロ。俺たちの関係はニコも知っているのか」
「そりゃあな。ニコは…閻魔刀を研究してた教団幹部の娘だ。この間の騒ぎの後、バージルのことも、途中で退場したお前のことも全部説明したよ」
浜辺の砂が靴に入ったのか、ネロは不快そうに片方の靴を脱ぐと逆さにして振った。
「クソ…砂が汗で貼りつく…」
「この場には向かない格好だな」
「当たり前だろ。こっちは買い出しに来ただけで遊びに来たんじゃねー」
「……。実は先ほど、バージルの過去は俺の関わるところではない、と。彼女に伝えたばかりなんだ」
「あ?何か言ったか?」
それまで靴の中の砂を手で払うことに集中していたネロは、ここでVが薄く微笑みを浮かべていることに気がついた。
ゆったりと結ばれた唇は確かに笑っているのだが、真夏の森林のような緑の瞳からは友好的な雰囲気がどうにも感じ取れない。
「シャドウ、ネロを運んでやれ」
何を、とネロが反応するよりも早くシャドウの頭がぐにゃりと変形して胴体に巻きつき持ちあげる。
「うぉっ、何すんだよっ…!」
「お前はフォルトゥナで育ったのだろう。なら街にも詳しいわけだ。その知識を見込んで観光案内を頼みたい」
「はあ!?」
「案内以外の余計なことは話さなくていい。いいな?」
言葉が終わるのを待ってシャドウの頭が、ぐぐぐ…とたわむ。
反動をつけ、白雲浮かぶ青空にネロが飛んだ。
「テメェこの刺青野郎ッ!ざっけんじゃねぇぞ──!?」
空中で態勢を直そうにも着地地点が海面では目測も利かず、怒声と共にネロは背中からドボンした。
「あっはっは!鼻に水入ったか!?絶対入ったろ!」
「ブハハッ!そのまま溺れっちまえ!」
鼻と喉に流れ込んだ海水に痛みをこらえながら、ふざけんな、とネロは噎せる。
水を孕んだ服が邪魔で海底に足をつけるのにも一苦労だ。
好き勝手に囃し立てるニコとグリフォンを睨みつけるも、ビーチから飛んできた浮き輪──空気を溜めたシャドウが一呼吸で膨らませるのを飛んでる最中に目撃した──が追い討ちとばかりに頭にボヨンとヒットする。
ニコとグリフォンのさらなる爆笑が響く。
「………い〜い度胸じゃねぇか、あぁ?……こっちに来やがれもやしポエム!!そのクソダサパーカーひん剥いて海の底に沈めてやる──!」
ビーチのVに向かって怒鳴りながら、ネロは流される浮き輪を掴んで強く引き寄せた。
すると同じく浮き輪が離れてしまうのを掴まえたウイユヴェールが同時に釣れた。驚きで瞳をまんまるくした後、ぱちんと泡が弾けたように笑う。
「ふふ、びっくりした。あんな高さから落ちたのに、もう元気なの?」
落下の際の水飛沫をもろに被ったのだろう、髪先から落ちる水滴も払わずにキラキラと光らせて、ほっそりとした手で浮き輪を持ち直すとネロにくぐらせた。
あなたなら溺れる心配もなさそうだけど、と。
浮き輪の中で安定したネロは緩やかな波に漂いながらまじまじとウイユヴェールを見てしまう。
さっきは遠くから、しかも後ろ姿を見ただけで何を思うこともなかったが、存在的にも性格的にも様々な意味でややこしいVと一緒にいるのだ。
一体…Vとはどんな関係なのだと。
「だからネロ、エロい目で見んなって」
「だから見てねぇっつの!」


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