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sanctuary.

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目蓋を開くとすでに"外"へ放り出されていた。
見渡せばVが立っているのは屋上で、空には星が瞬き、夜の気配に沈む建物が遠くまで黒々と連なる。
何故このような場所に──…。
バージルが泊まっているホテルの屋上であれば夜中といえども車なりの往来がありそうだが、この近辺はだいぶ静かだ。
訝しむVへ、呼びかけるように魔力の気配がふっと霞めた。
魔力と呼ぶにも弱々しい。
手にした杖を見おろしてVは口許を弛めた。
その杖はウイユヴェールと出会った時よりも少しばかり長さを欠いている。ウイユヴェールを助けようとして咄嗟に振るったものの、力が足りず、弾かれて欠けてしまった。
バージルであれば。あるいは今の自分であれば不器用に杖を欠けさせることなく対処できただろう。
そうだ。こんな風に──
空中から鋭く突進してきた青黒い塊をVは杖で受け流す。
残り香のように腕へ纏わりつく雷を払い退け、身体を反転させると青黒い塊に杖の柄を引っ掛けコンクリートへ打ち降ろす。
グエッ!と呻き声をあげた"それ"が起きあがる前に、Vはのしっと乗っかり座り込んだ。
「今度はクッションに転向したのか、グリフォン。座り心地も悪くはないが…少々羽毛が足りない」
「ヘッ!思わず頬擦りしたくなるクッションだろーがよッ!さっさと退かねェと電気マッサージも追加してやるぜコンチクショウ!」
尻の下で猛禽類の翼がばさばさと暴れる。
Vが立ちあがるとグリフォンは一秒たりとも地べたに触れていたくないと即座に翔び立ち、屈辱を払うように今一度大きく翼を動かした。
「コイツはまさかのお出ましじゃねェか!」
闇夜にあっても青く艶めく体躯に毒々しい深紅の模様を妖しく光らせる。
「バージルの次はVとはよォ!ヤり残した夜這いでもしに来た?肌が荒れるってウイユヴェールにベッドから蹴り出されるぜ!」
「会ってこいと。バージルに言われたんだ」
「ハァァ!?バージルに!?」
驚いたグリフォンはVをねめまわしながら周囲を回る。
もう会うことはないだろうと別れたのはウイユヴェールだけではない。
魔獣達もまた、バージルが己を取り戻せばVも役を終えて眠りにつくのだろうと思っていた、のだが。
「確かに前よか、お肌もツヤツヤでピンシャンとしてるみてェだけどよ…。にしても、会ってこいって?わざわざ?あのバージルが??」
言葉を理解できても想像がつかないと疑う。
そんなグリフォンをVが腕を掲げて留まらせれば、「あー、コレ、このガリガリな留まり心地!」と歓声をあげた。
「以前の壊れかけていた肉体は統合された。今の俺は…バージルの影のようなものだ」
閻魔刀も使わずにVがこの場所へ直接来られたのも実体を持たないからだ。Vを作り出したバージルは魔力を削ることになるが、負担になる程の力は割いていないという。
「それでも前の身体よりは確かだろう。命が減り続ける心配もしなくていい」
「へーェそういうワケ。お前が到着した途端に魔力の美味いこと美味いこと。一瞬で回復しちまったぜ」
「お前達も、元を正せばバージルから分けられたものだからな」
「マジ久しぶりのサイズ感。見ろよこの立派な風切羽!」
「それで先の襲撃か」
「勘弁しろってェ。可愛いイタズラだろ?」
「シャドウとナイトメアは?」
「お前が呼べばスッ飛んで来るぜ。何せ急に魔力が回復したもんだからよ、アイツらには"マテ"しといて先に俺が様子を見に来たのさ」
今もウイユヴェールの側にはべる二匹の姿を想像してVはなるほどと頷く。
魔獣達が、それこそ身を縮めるほどに力を弱めたこともバージルの記憶で知った。バージルの元へ還らなかった彼らがそうなることも、予想はしていた。
「…どれも欠けずに残っていたか」
「やりてェコトもあったしよ。そのついでにウイユヴェールが無事に帰れたかどうか、確かめてやるかってな。お前も嘘つきだなんて思われちゃ不本意だろ?」
堂々とした言い訳をあたかもVのためだと嘯くらしさに、Vはじわりと懐かしさを感じる。
"弱さ"として棄てられたVにとって、彼らは悪夢であろうと喧しかろうと生き抜くために必要であった協力者だ。彼らを無くしてはVもまた足り得ない。
孤独なままでは決して味わえないこの感覚も、きっとバージルに伝わることだろうとVは胸の内にしまう。
本人は疲れるだとか面倒だとかボヤくかもしれないが。
「そういうことに──」
しておいてやろうと言いかけたVを、前触れなく突風のように現れた巨大な黒い影が押し倒した。
背骨がゴリッと妙な音を立て。
太い毛もじゃの前肢に胸を圧迫され。
生あたたかくザラついた舌で頬をべろりと舐められて。
猫科の大きな黒い鼻の向こうからグリフォンの声が降ってきた。
「そういやまだ完璧じゃねェのよ。シャドウの"マテ"」
「………先に言え」

──…
名を呼び、応えるもののない不安。
誰にも名を呼ばれることのない寂しさ。
冷たい霧の漂う薄暗い場所をVはひとり歩いていた。
青白い肌に魔獣の宿る証はなく、痩せた身体を一層頼りないものに見せた。
しばらく歩いているうちにこれは夢だと気づく。
マルファスの罠に掛かり、グリフォン、シャドウ、ナイトメアを一体ずつ取り戻していく最中の夢。
力を奪い弱らせた対象を幻影と戦わせ、勝てば力が解放される。
まどろっこしく陰湿なやり口だがVには効いた。
魔獣に頼るV本人に戦う力は殆どない。
呼び起こされる幻影は本物に劣る影であっても強力だった。
ひとつ、またひとつと力を解放し、Vはすべての幻影を退けた。
「こんなジメッとしたトコとはおさらばだぜ!」
魔獣達を取り戻し、固く閉じられていた黒い門が光を溢す。
あの時──、
現実へと戻ろうとするVの手の飾りを、くんっと引っ張る影があった。
淡雪のように光るその幻影は華奢な人間のかたちをつくり、
先へ向かおうとするVを引き留めるように手を伸ばし、
人形のようなそのおもてを小さく傾げた。
ただの幻影だ。これに心はない。
声を発することも。
しかし、
「何やってんだよV、置いてっちまうぜ!」
「──…ああ」
自分の旅はもう終わると覚悟していた。
それでももう一度、
俺の名を彼女に呼んでほしいと思った。

ソファーに身を預けてうつらうつらとしていたらしい。
片方の手は優しいベルベットの感触を、もう片方の手は本の表紙だろうか…凸凹とした装飾に触れている。
眠気の残る意識を押し遣って、ずり落ちていた身体を戻して座り直す。
夢の中の薄暗い光景と目覚めた視界いっぱいに映る柔らかな照明と本棚が並ぶ光景とが噛み合わず、重たい瞬きをゆっくりと繰り返した。
「そのソファー、本当は本を選ぶお客様の場所なんだけど」
くすりと笑いを含むウイユヴェールの声が耳を打ち、そちらへ顔を向ける。
「可愛い寝顔を見せてもらったから今回は目を瞑ってあげる」
きらきらと光が降るように、ランプシェードに、装丁の背表紙の細工に、棚に施された意匠に、細やかに反射して彼女を明るく照らす。
「まだ夢の中?」
「眩しい…」
「熟睡してたものね。でも落ち着いて過ごせたみたいで嬉しいわ」
数冊の本を抱えて通り過ぎようとするウイユヴェールを呼び止める。この様子だとまだ仕事中…だろうか。
「これが夢ではないと……現実だと、確信したい」
「現実を?そう…どうしたら信じてもらえるかしら」
頭が覚醒しきらないこちらに合わせるように、ウイユヴェールはゆったりとした動作で隣に腰を降ろした。
ソファーに投げ出していた俺の手を取り悪戯っぽく小首を傾げるその姿は、否が応にも夢で見た幻影と重なり、思わず「名前を──」と声にしていた。
「…呼んでほしい…」
「名前を?私に?」
「……ああ…」
不思議そうに聞き返すウイユヴェールへ、答えた傍から気恥ずかしい気持ちが涌いてくる。
俺は何を言っている…。
昨日の夜か、陽の昇る前の今朝か…どちらでもいい、俺はバージルに呼ばれて"外"へと放り出された。
二度と、と確約したわけではないが、"俺"の出番は終わったものだと思っていた。先の一件のようにバージルが自分を手放さない限り"V"が必要になることなんてもう無い。
俺はクリフォトで最後を迎え、バージルに還った。
時の流れを感じないその場所で気紛れに夢を見るように、バージルが見る景色を、様々な音と声を感じた。
もしもダンテと立場が違っていたら自分の人生も違っていたのかと問うバージルの独白には、だいぶ人間らしくなったじゃないかと褒めてやったりもした。
深く深く、時に浅く、"俺"の意識は浮き沈みを繰り返して、微睡みに融けていくはずだった。しかし──
「おはよう、V」
にっこりと俺に微笑みを向けるウイユヴェール。
彼女の短い一言が一滴の水を垂らしたように染み込む。
レッドグレイブで過ごした日々に幾度となく呼び掛けられていたはずなのに、自分の中の、言葉ではあらわしようのない何かが仄かな熱をもって満たされてゆく。
記憶の中で反芻するウイユヴェールはいつであろうと鮮明だった。
バージルの意識の奥で感じたウイユヴェールは、水底から水面を仰ぎ見るように遠かった。俺の知らない顔を見せ、俺の記憶にはない会話をした。
彼女の声が紡ぐ名がVではなくバージルであることに俺は…落胆したんだ。
「ええと…V…?」
俺を蹴り出した顰めっ面のバージルへ、未練がないなどという言い逃れはもうできないな。
黙ったきりの俺にウイユヴェールが再び呼び掛ける。
「あの……何か反応してくれないと、照れるっていうか…」
頬を赤くして気まずそうに眉根を寄せる。
「言われた通りにVのこと、呼んでみたんだけど…。私…方向性、間違えたかしら…?」
満面の笑顔で応えちゃって恥ずかしいわと唇を結ぶ。自由に動かせたなら手で顔を覆っていそうだが、生憎片手は本を抱えており、もう片方も俺の手と繋がったままだ。
「いや……良いんだ、ちゃんと合っている」
「ほ、本当?…なら、Vの期待にも添えた…?」
ウイユヴェールは後悔の念も一緒に噛み締めている。
紅潮しながらも眉を寄せる渋い表情を見ていて、身体からふっと力が抜ける。
何も間違ってなんかいない。俺は、ずっと、
「…ウイユヴェールの声を聞きたかったんだ」
これが人に想いを寄せるということかと他人事のように自分を観察する。
俺の存在はバージルが思う通り不安定な影でしかなく、ウイユヴェールと同じように時を過ごすことは出来ない。そもそも簡単に俺の意識が出入りをすればバージル本人も落ち着かないだろう。
それを承知の上で、もう少しだけ俺は"V"でいたいと望んでいる。
「名前を呼んで…俺を見て欲しかった」
繋がる手に伝わる温度がまたあがる。
温めたのはウイユヴェールか、もしかしたら俺の方かもしれない。
心地好い体温も、華奢な手の柔らかさも、今ここにVとして存在しなければ感じることができないと、自分が育てた欲を知ってしまった。
「……お願いなんかされなくても」
ウイユヴェールは本を置いて向き合うように座り直すと、照れ笑いをし、それから眩しいものを見るように瞬きをして瞳を細めた。
室内を照らす、穏やかな灯りを美しく纏うのはウイユヴェールの方だというのに。
「あなたが…Vが私に会いに来てくれたから。もう思い出さないように押し込めなくていいってわかったから。…あなたが飽きたって音をあげるくらい、何度でもVのことを呼ぶわ」
ウイユヴェールはこちらに顔を近づけると、少し迷った末に頬へ触れるばかりのキスをした。
伏せられた睫毛が艶やかに瞳を隠す。
薄く開いた唇が小さく吐息を零して離れる。
余りにも短いそれにもう一度と催促を込めてウイユヴェールの顔を覗き込めば、反対にぎゅっと身体を抱き締められた。
触れ合う頬が暖炉の火のように温かい。
「ウイユヴェール、今の可愛らしすぎるキスの意味は?」
「…お帰りなさいのキスよ。少し遅くなったけど」
俺もまた返答を込めてウイユヴェールの背に腕を回すと嬉しそうに笑った。
鼻先を埋める髪は紅茶のように甘い香りがする。
こうやって余すことなく手が届いても溢れる気持ちは尽きそうにない。どうしたら自分は満足できるのだろうかと腕の中に程好く収まる抱き心地に目を閉じる。
…しかし、この世には幸福な時間は数秒以上続かないという約束事でもあるのだろうか。
いくらかの呼吸もしないうちにウイユヴェールが、あっ、と声を出す。
「お帰りなさいはVにもしてもらわないと」
唐突何を言い出すのかと疑問しか浮かばない俺に、ウイユヴェールは身体を離してとても良いことを思い出したという顔を向ける。
「うちで預かってるグリフォンたち。今頃Vが迎えに来るのを待ってるんじゃないかしら。知ってるだろうけど、姿も小さくなってて…ちょっと不自由そうなの」
同居人として可愛いサイズだけどねと付け足す。
昨日接触した時点で魔獣たちの魔力は補充できているが、今日のこの隠し事のために小さいままで過ごさせていた。
今はおそらく不自由していないだろうと伝えるべきか…考える間にもウイユヴェールは立ちあがり、帰る支度へと心を向ける。
「もうすぐ閉店の時間だから。今日は寄り道しないとして、V、あなたも──」
勢いよく滑り出したものの不意に迷いが生まれる。
「ああ。一緒に帰ろう」
俺が頷くとウイユヴェールはぱっと顔を明るくした。
来た時と同様に本を胸に抱えると、「看板以外の片付けを済ませておくわ」と声を弾ませて店の奥に向かった。
一人ソファーに取り残され、ウイユヴェールを失った腕が何とも寂しく空気を掴む。
いや。
「時間ならいくらでも」
ちらりと浮かぶバージルの渋面を払い退けてソファーを立つ。
読みかけの本と立て掛けておいた杖を手に。
「ウイユヴェール。いや、店主、この本を頂こう」


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