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(end.)

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朝というよりは昼に近い時刻。
意匠の施された木枠にガラスが嵌められた古風なドアの、鍵を開いたその時だった。
「──失礼、この店は何時から開く?」
背後から掛けられた声にウイユヴェールはまず「開店待ちとは珍しい」という思いを抱いた。続いて「稀だけど、そんなお客もいるのね」と考えた。
古書店を開く準備といっても少なく、せいぜい表通りに面した窓のカーテンを開く程度だ。
「今開けるところですよ。少し空気を通しますけど…宜しかったら中へどうぞ」
カラン…とベルの鳴るドアを開く。
顔を向けたウイユヴェールの腰に男の腕が回されたかと思うと、重力を失ってふわりと浮くような感覚に包まれた。
明るい陽射しの往来から薄暗い屋内へ。
押されるままに靴音は石畳から木床を踏む音に変化し、再びドアベルが音を立てた時にはペリドットの瞳を見上げていた。
抱き寄せる腕は優しくも逃れることを拒んで背中に添えられ、隙間なく密接する互いの胸元に挟まれたウイユヴェールの手が行き場を探して向き合う肩にたどり着く。
気づけば重なり合った唇の感触に思考がじんわりと痺れた。
吐息がそっと漏れ、もう一度優しくキスをされる。
薄暗い店の中。
Vがウイユヴェールの名前を呼ぶ。
「今なら誰にも邪魔をされずに交渉ができる」
耳を打つ低い声色も伝わってくる体温も、これは現実だと証明しているのに、僅かばかりも視線を離すことができない。
「貸し切って、独占したいと言ったら…どれ程の対価を払えばいい?」
向けられる微笑みや瞬き、暗がりにも鈍く光る銀の髪をウイユヴェールはなぞるように眺めて、耳を打つこの懐かしい声にどんな言葉を返せば良いのかと唇を震わせる。
「独占──…、したいのはお店?…それとも私?」
唇にとどまらず声も震えた。
どうせこの男のことだから、どう答えて欲しい?と、いつものようにはぐらかされるのだろうと高を括る。
こちらの反応を楽しげに眺めて、試して、そうして少し意地悪く美しく笑うのだ。
目頭が熱くなり涙が浮かんで零れそうになるのを我慢しながら、ウイユヴェールは瞳に力を込めてVを見返す。そうでもしなければ悔しすぎる。
「信用が無いな」
「…当たり前よ。もう会えないって諦めて…ずっと、深く思い出さないようにしてたのに……なのにグリフォンが来るし、バージルも来ちゃうし…挙げ句の果てにあなたまで──…。これじゃあ、ちっとも諦められないじゃない…」
今度こそ我慢しきれなかった涙がぽろぽろと落ちた。
頬を伝うそれをVの指が拭い、優しく目蓋にキスを落とす。
「ウイユヴェールが諦められなくとも、俺の方が諦められなかったんだ」
「…絶対うそ」
「うそじゃない。言わなければ伝わらないか?」
「……聞かせて」
「ウイユヴェールを独占したかった。そのために来たんだ」
ウイユヴェールがぐすっと鼻を鳴らし、ぶつける勢いでVの胸に頭を押しつけるとVは「すまなかった」と宥めた。
「ここへ来るまでにバージルの寄り道もあったんだが…、色々と長くなる。別の機会に話すとしよう」
室内が薄暗いために、そして余りにも近すぎるためわかりにくいが、ウイユヴェールを抱き止める身体も、背中に回された腕の力も、以前よりも確かな強さがある。
元の存在から引き離された不安定な状態ではなくなったからだろうか。
何より、"別の機会に"という言葉をVが口にしてくれたことに驚きと喜びが溢れる。
ウイユヴェールは挟まれていない方の腕をVの背中に回してきゅぅっと力を込めた。
「ウイユヴェール?」
「当たり前のことしか言えないけど…Vが元気そうで嬉しい」
「今ならふらつかずにお前を支えられる」
「…私の体重オーバーのせいじゃなくて良かったわ。その銀色の髪も…、こっちがあなたの正しい姿っていうことなのね」
「気になるか?」
「似合ってるわ。私は黒髪の方が見慣れていたからそう感じただけ──」
口にした傍からVが髪の色を黒く変化させる。
「元通りだ」
「甘やかしすぎよ。Vの好きな姿でいれば良いのに…」
「そうしたい気分なんだ。それに…もう棄てられた身じゃないからな。些細な見て呉れの違いに懐かしむことも、憧憬もない」
「バージルもダンテも銀髪だったものね」
「二人の父親も」
「そう」
今、Vを目の前にしてもバージルやダンテとの関係を考えると混乱する部分もある。
しかし無理に馴染もうとする必要はないのかもしれないと、ウイユヴェールは無意識に固まっていた緊張を解いた。
似て非なる…それでいて違うようで同じ存在であるとただ知っていれば、一先ずはそれで良いのではと心を落ち着けてVのウェーブした黒髪を指で梳く。
この頬に手が届くことが何よりの幸せだ。
「もしお店に来てくれるなら…バージルだと思ってたわ」
「昔なら他人の心情を慮るなんて考えられなかった。バージルにも思うところがあったんだろう。俺が来たのもそんな理由だ」
「…それって分裂……?…いえ、あえて言及はしないわ。でもそれなら本人は今どうなってるの?」
「さあ。天気も良いし散歩でもしてるんじゃないか」
「…便利だこと」
「悪魔だからな」
「あなたたちってほんとそれよね」
これは嫌味なのよと言外に込めるのウイユヴェールの瞳にVは降参の意を示して肩を竦める。
話したいことも訊きたいこともたくさんあったはずなのに、他愛のない言葉遊びに心は弾み、今はただこうして声を聞くだけで満たされている。
店の開店の支度が頭を過るとチクリと心が咎めたが、ウイユヴェールはもう少しだけこのままでも良いだろうかと隅っこに追いやった。
視線が合えばとどちらともなく微笑みが零れ、こんな風になれるなんて思い願った夢が叶ってしまったとウイユヴェールが浸っていると、再び腰をぎゅうっと強く抱かれて身体が浮いた。
「きゃ……、えっ?…えっと……V?」
「…伝えたはずだが?俺の望みを」
耳元で囁くこの声と。
低く笑いを含む吐息。
今、Vが浮かべている表情は絶対に善からぬことを考えている顔に違いないと経験が告げる。
ギシッと床板を軋ませて、抱えられたままウイユヴェールはドアから離されてゆく。
奥へと歩みを進め、本来であれば客が店の本をゆっくり読み定めるために使われるソファーにウイユヴェールは横たえられた。
暗さを一段と増した空間でVの瞳は炯炯と光り、それは宝石か、または魔力の籠められた品のように怪しく煌めく。
その輝きに魅入っていると腹部がするりと撫でられる。
ゆるゆると行き来をして胸の膨らみに手のひらが置かれれば本能がぞくりと腰を這う。
「ま、ま、まって、V──…」
「俺はずっと待っていた」
首に触れる唇と吐息から気を逸らしても、顎や頬をくすぐる柔らかな髪に意識は見事に乱された。
戸惑いと制御しきれない悦びに、淡い期待なんかも一振りし、倫理と規範でかき混ぜるようなせめぎ合いの中、絶え絶えにウイユヴェールは反論の手札を探す。
「でっ、でも、さっきのは…その……っ、久しぶりに再会した…リップサービス、みたいなのじゃ……」
なかった、の…?
流されてはいけないと踏ん張るも、相手が想いに想った意中の人となれば理性も脆く崩れ落ちる。
薄暗闇に触れ合う体温は知らないものではない。
同じベッドでVとは何度も夜を過ごしている。けれどウイユヴェールがどきどきしようがVは欲の欠片ひとつも見せなかった。
こんな性急な事の運びなど、予想外だしそもそも選択肢に入っていない。
それ以上を止めさせようと辛うじて胸を押し返すウイユヴェールの手に指を絡めたVは、ふっと息を吐くと堪えきれないようにくつくつと声を漏らす。
「中途半端な抵抗は…逆効果になると、今後は知っておくべきだ」
「…え…?」
疑問を浮かべるウイユヴェールの鼻へキスを落とすとVはゆっくり身体を離す。
そこに艶やかさはなく、代わって悪戯を成功させた人の悪い微笑を浮かべて。
「職場でというシチュエーションは燃えあがるんじゃないのか」
「それはっ、ドラマの観すぎ…!ていうか…そういうのを好んで観てたのはグリフォンだけかと──」
思ってたのにと憤慨するウイユヴェールはふとあることに気がついた。
「そういえば──…、ねぇ待って……今日、朝になって急にグリフォンたちがお店に来るのを止めとくって言い出したのって、まさかV……」
魔獣たちはいつもウイユヴェールと一緒に店に来る。
しかし今日は留守番をすると言い出した。
出勤の支度をするウイユヴェールが鞄を開いて入るように促すとグリフォンは「なんつうか、本日はお日柄が良くねェからパス」と言って顔を逸らし、シャドウは大あくびをすると丸くなった。ナイトメアはよくわからない。
「さあ?夜の間にでも気が変わったんじゃないか」
何かした。絶対した。
「ひゃ、っ……」
「ずっと持っていたんだな。俺の代わりに」
ウイユヴェールのジャケットを探ったVが杖の欠片を取り出す。
「代わりってほどじゃ…」
「そうであれば嬉しいと思っていた」
「……代わりに…してたわよ」
至極満足気なVをウイユヴェールは軽く睨む。
Vの手のひらで転がされるその欠片を、未練を断つこともできず縋るようにずっと持ち続けていた。
それは、
真夜中に家の前で行き倒れて、
常にふらふらしていて顔色が悪く、
けれど踊るように鮮やかに悪魔を屠ってみせる、
魔獣を連れたVという青年の記憶を無かったものにしたくないとウイユヴェールが願った証だ。
Vが戻ってきた今はもう、欠片は必要ないのかもしれない。
ウイユヴェールはソファーから立ち上がると店の窓を閉ざすカーテンを開く。
「毎日、出掛ける時に確認するの。お財布と、仕事道具と、家の鍵と、その欠片と。それこそお守りみたいに持っていたの」
しかし身に付いた習慣も、大切に抱えていた想いも、すぐに忘れられるものではない。
「だから今日の──…、私の仕事が終わるまで持っていて。くれぐれも失くさないように」
お願いするわと伝えるとソファーに腰を掛けたVは引き受けようと頷いた。
「大切な役目だな」
「ええ」
すべての窓のカーテンを開いて留めるとウイユヴェールは少しずつ気持ちを切り替えていく。
このところの仕事中の話し相手は魔獣だった。
けれど違う一日のはじまりもまた嬉しい。
ふわふわとして落ち着かない気分もそろそろ抑えて、ドアに掛かった"close"の札も変えようと手を伸ばせば、気がついたVが先んじて"open"へと裏返す。
室内灯のスイッチもパチリとオンに。
外からの光も取り込み一層明るくなった窓際で「手際が良いのね、ありがとう」というウイユヴェールの言葉は、唇を塞がれて声にならなかった。
横目に映る、ガラス窓越しに外を行き交う人々。
通り過ぎざまにチラチラと突き刺さる、おやまぁ、と云わんばかりの視線や、視線。
「な……、そと、に…、見──」
「見せつけたんだ」
顔を離したVが悪びれもせず言ってのける。
「もう遠慮をする必要もない」
いつの間に手にしていたのだろうか、馴染みの杖でコツリ、コツリと上機嫌に床を突くと店の棚を品定めしてまわる。
杖を持ち代え、曲線を描く頭で本の角を引っ掛け取り出した。
「俺は大人しく読書でもして待っていよう。ウイユヴェールは仕事に専念してくれ」
「ど、こ、が…っ、大人しく──…!Vっ!お店に変な噂でも立ったら──…!」
顔を赤くして半泣きに詰め寄るウイユヴェールの声と、意にも介さずあしらうVの声が店内に響く。

店にはその後、杖を持った黒髪の悪魔がたびたび尋ねて来るらしい。


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