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「#エロ」のBL小説を読む
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(27)

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「この際に言っとくけどな、Vは死んじゃいねェ」
最近の日課となった、リクエストを受けて用意する一人分+αの夕食の支度を行う最中にグリフォンが言った。
ウイユヴェールはフライパンで良い音を立てる肉に向けて引いていたペッパーミルを離し振り返る。
「…この際がどの際なのか全っ然わからないんだけど。今?いまそれを言うの?」
「ちょ!余所見すんなってッ!肉が黒コゲになっちまう!」
「私はウェルダンでも真っ黒焦げでも平気よ」
魔獣たちがやって来て数週間。
他にやることも無いと囀ずるグリフォンと、言葉を発しないシャドウとナイトメア、彼らとの共同生活は賑やかさと、若干のスリルをウイユヴェールにもたらした。
彼らへの食事や寝床の提供は勿論だが、仕事をする間、彼らを部屋に閉じ込めておくのも宜しくないと考え、バッグに潜ませて仕事場へ連れて行くことにした。
ウイユヴェールの仕事は父親の経営する古書店の店番と、こちらがメインと言って過言ではないインターネットでの販売事務であったため、魔獣たち──小鳥と黒猫──が店内をうろつく分には、「新しく飼いはじめたの」と数少ない来店客への言い訳もたつ。
(ナイトメアに関しては、指示がない限りは動く気がないのか、ほぼウイユヴェールのデスクのマスコットと化している)
そして名誉店員となった魔獣たちは、時折感じ取る悪魔の気配をウイユヴェールに警告することも忘れない。
「こんな近所でも悪魔を見かけるなんて。魔王を倒して世界は平和になったんじゃなかったの?」
「まんま返すぜ。マフィアのボスをシメりゃ警察はいらねェ?」
「…じゃ、ないわね」
「そーゆーこった」
体が小さくなっても顎の力は弱まっていないのか、分厚いステーキを前肢で押さえながらグリフォンはくちばしで肉を咥えて豪快に引き千切る。
食卓の皿の周りに飛び散る肉汁を眺めながら、ウイユヴェールも程好く焼き目の着いた肉をナイフとフォークを使って切り分けた。
他の魔獣はというと、早々にステーキを平らげてしまったシャドウは空の皿を舐めた後、どぷりと姿を溶かしてテーブルの上で黒い水溜まりとなっていた。
ナイトメアの方は食事に興味を持たないらしく、最近もっぱらの定位置となった居間のソファーに鎮座している。
「Vのこと。どうして突然教えてくれる気になったの?」
「別にィ?そういや言ってなかったよーな?って何となく思い出してよ」
「…その空気を読まない加減、飼い主とそっくり」
嫌味を籠めて言えばグリフォンから悪態が返ってきた。
思い出さないように、考えないように、仕舞い込んだ想いの蓋が僅かに開く。
「Vが…"二度と会うことはないだろう"って言ったのも、自分なりに考えたりもしたわ。…戦って命を落とすとか、Vの身体は弱ってたからそのまま…ぱたっ…とか。または単純に、目的を果たしたら会う必要なんてないから……、これが一番ありそうって思うけど」
高い空から崩れ落ちていったクリフォトの大きさを思い出して廻らせた思考が勢いを無くす。
死ぬこと。命を失うこと。二度と会えないこと。
Vがもうこの世界のどこにも存在しないこと。
「……深くは考えたくなかったから」
"死"という言葉をV本人も明言はしていない。
ただ、結末を読まないまま閉じてしまった本のように、宙に浮いた気持ちを決着させることなく心の底に仕舞い込んだ。
だからグリフォンの言葉には気持ちが揺れた。
「死んでいないなら…会える可能性もゼロではないということ?」
「……ゼロじゃぁねェ。じゃ、ねェケド。そーゆー機会、あんま想像できねェなァと思ってよ」
「歯切れが悪いのね」
核心を隔つ薄皮を不器用に一枚だけ引っ掻いて剥がす、グリフォンの態度からはそんなもどかしさが滲む。
似合わない物言いは本人にとっても居心地が悪いのだろう。小さな小鳥の鉤爪で押さえた肉を、ぐちゃぐちゃと無意味に押さえ直す。
「Vは在るべき場所に還った。…そうさ、V本来の居場所だ」
「居場所?…なら──」
「イヤ、住所とか国とかそーゆーヤツじゃねェ。もっと抽象的な」
言うべき言葉を探して引き抜いた鉤爪が空を掴む。
「…なんつぅか、アイツから放り出された悪夢がオレたちだった。んで人間の部分がV。余計なモン──つまりVやオレたちを省いて残った悪魔の部分が……魔王だったのさ」
「…」
「まァ魔王って呼び方も説明を分かりやすくするためで、本人が名乗ったワケじゃねェケド。だから今は、悪魔だったトコにVが戻ってバージルが完成した、と。…なんだよその顔」
「………よく理解できてない、って顔だと思うわ」
「イヤイヤ、スッゲェわかりやすい説明だったろ?」
ナニが分かんなかったんだよとグリフォンは羽を竦めてみせるも、ウイユヴェールは戸惑いしかない表情で首を振った。
グリフォンの言葉はごく短かった。
それなのに不可解な単語の組み合わせを発生させ、いくつもの疑問を撒いていった。
魔王が…何と言った?
「ええと………、嘘でしょう、普通にわからないもの………。ねぇ、そもそも"バージル"って何?どこから出てきたの?」
「そりゃダンテの兄貴だろ、双子の」
「ふ、た…?それならバージル、は………Vは…、私より少し下くらいだと思って──…、人間の部分……悪魔に戻って…?」
頭を落ち着かせるために、混乱のまま言葉の漏れ出す唇をウイユヴェールは小さく噛む。
「それは…つまりVと魔王は…同一人物だったっていうこと…?魔王はクリフォトにいたのよね?…でもVが…戻ったっていうのは……」
「オレらと同じだったのよ、Vも。本体から放り出された魔力の残りっカス。だから何もしなきゃ魔力が薄まって消えるしかなかった、と」
「…それで今…やっと"元"の場所、に……?」
「だから、さっきからそう言ってんだろ」
やっと説明が伝わり胸の仕えも取れたグリフォンは、のびのびと羽根を動かすと食事を再開した。
元気に食い散らかされる肉を瞳に映しながら、まだ納得がいかないウイユヴェールの思考はぐるぐると廻っていた。
目的を果たす、とVは常々言っていた。
目的の内容は明かさなかった。
ただ…「二度と会うことはないだろう」という言葉は確かに正しかった。
抱えていたものを明かすことなく別れたVにとって、今ここでウイユヴェールが事情を知ることはイレギュラーに違いない。
しかしグリフォンによって聞かされた今、少しくらいは教えてほしかったと記憶の中のVにすがり落ち込むのは我が儘だろうか。
「でも……そう。こんな重要なこと、ただの知り合いに話す必要なんてないものね」
「バァカ、お前ェ」
ウイユヴェールを見あげたグリフォンが鼻で嗤う。
「イキがった半身のヤりたい放題を冷静な側が止められませんでしたァ〜──なんてダセェ話、自分からしたいと思う?」
「…言い方に悪意が混じってるわよ」
「別に間違っちゃねーし。考えてもみろよ、もう一人の自分が悪魔騒ぎの元凶なんつったら?好きなコにドン引かれっちまうだろーが」
「……」
どこまで本音なのかわからない言葉だが、ウイユヴェールが呆れた顔をするとグリフォンは満足したように最後の肉の欠片を呑み込んだ。

魔獣たちと過ごす変哲のない日々。
彼と出会ったのも何ら変わりのない日だった。
普段と違ったことといえば仕事が休みだったという一点。
日用品の買い物を済ませたウイユヴェールはアパートの前に車を停めると、車内から引っ張り出したバッグを肩に掛けた。
いつもはバッグに入り込む魔獣たちが今日は留守番をしているため、空いたスペースには余分に買ってしまった食材が詰め込まれている。
魔獣は人間の摂るような食事は必要ないと聞いてはいるものの、同居しながら食卓が一人きりというのも寂しいため皆で毎日テーブルを囲んでいる。
「必要がなくても好みはあるものね」
自分一人ではお決まりのメニューに片寄ってしまう食事も、供する相手がいれば出来上がる品々も変わるというもの。
バッグを膨らませる手応えを感じながら今日は何を作ろうかとウイユヴェールが顔を上げた時、すぐ前に立つ人影に気がついた。
ぼんやりしていたつもりはないが考え事に集中しすぎていたのかもしれない。会釈をして避けようとした。
しかし男の風貌を目にして身体が固まる。
「…ウイユヴェールだな」
銀色の髪をオールバックにした長身の男だ。
暗い色のコートを羽織り、同系色で纏められた着衣は首元のボタンまでぴたりと留められている。
このような珍しい色の髪だ。ウイユヴェールの記憶にもはっきりと残っている。
ただ、記憶の中の男と目の前の男がもしグリフォンの言う通り双子だというのならば、二人の印象は大分異なる。
「……なぜ、私の名前を知っているの…?」
「………」
「…あなたの名前は?」
「バージルだ」
「何をしに…ここへ来たの」
「…Vと名乗っていた男を知っているな。あれの持ち物を持っているだろう」
バージルと名乗った男は感情の揺らがない硬質な眼差しでウイユヴェールを見下ろす。
Vの持ち物と言われても心当たりはない、そう返そうとしたウイユヴェールだったが杖の欠片のことを思い出す。…あるいは、持ち物などと表現されては心外だと反発しそうだが、三体の魔獣が頭に浮かんだ。しかし、
「………さあ。わからないわ」
平静を保とうとバッグの持ち手を強く握る。
グリフォンの話でバージルという名前は聞いている。ややこしい説明も改めて何度か聞き直した。それでもまだ、全てを納得できたわけではないし心情も追いついていない。
「Vが…忘れ物をしたのならわかるように教えて。あなたは私を知っているみたいだけれど、……私からすれば、あなたは知らない人だもの」
元より厳めしいバージルの表情が、不快を示してか僅かに眉をひそめる。逡巡し、短くため息を吐いた後にウイユヴェールへ手を伸ばした。
ウイユヴェールがびくりと身を硬くすると、アパートの窓から小鳥が飛び出してきた。
「ヒトんちの前でゴタついてんじゃねェぞゴラァ!…って、ウゲッ、バージル!?」
階下で揉めるウイユヴェールとその相手を見てグリフォンが空中で羽を動かす。
しかし続いて飛び出してきたもう一つの影はグリフォンのように空中には留まれなかった。
窓から飛び降り掛かってきた小さな黒い塊、牙を剥いたシャドウの首根っこをバージルが難なく手でキャッチする。
「……これで護衛のつもりか?」
「ちょっとっ、そんな持ち方はやめて」
「少し見ない間にしょぼくれたものだな。…今の飼い主はこの女という訳か」
「飼い主じゃねェッ!えーと、なんだ、同居人だコラァッ」
ウイユヴェールの肩に留まり髪に隠れるようにしてグリフォンが騒ぐ。
壮年の齢の顔つきに鋭く近寄りがたい雰囲気を漂わせるバージルとを見比べながら、ウイユヴェールは静かに訊ねた。
「…彼らを連れ戻しに来たの?」
「そいつらは褪せた記憶だ。戻ろうが戻るまいが大して変わらん」
「……あなたにはそうかもしれないけれど…。私にとっては大切な存在よ」
「……」
無言のバージルを強く見返す。
ウイユヴェールは荷物を置いてくるからここで待っていてと伝えると足早にアパートへ入った。
一緒にやってきたグリフォンとシャドウにも部屋で待つように言えば、こちらは物言いたげな顔をしたが首を振った。
部屋から戻ったウイユヴェールは近くの公園へバージルを連れ出した。
ゆったりと散歩をする人や、親に手を引かれて歩く幼子。
昼下がりの広場で思い思いに時を過ごす人々を眩しげに眺めながら木陰のベンチに座る。
「初対面の男性を部屋に入れるのもどうかと思って。どうぞ、あなたも座ったら?」
「中々の言われ様だが、否定をする気もない」
「……。信じられないことばっかりよ。でも…そんなの、今に始まったわけじゃないものね。Vを拾ってから、ずっと信じられないことの連続だったんだから」
魔獣を連れたVと知り合い、悪魔に襲われ、それらと戦うデビルハンターたちと出会い、都市を巻き込む規模の破壊が起こった。
騒動の原因となったのは魔王で、魔王はバージル──目の前の男から別たれた存在だった。そして…
「今のあなたの中に魔王がいるの?」
「いる、と表現するのは違うな。あれは俺の一部だった」
「Vも、あなたの一部?」
「ああ」
「……あなたからすれば私は……どう見えているのかしら…」
遠くを眺めていたウイユヴェールの眼差しは声の確かさと共に徐々に下がり、芝に覆われた足先より少し向こう側、煉瓦の小路を彷徨う。
視界の隅には隣に腰を掛けたバージルの脚が見える。
声も、身体つきも、表情も。何もかもが違うというのに。
バージルに言葉を投げ掛けたウイユヴェールは、渦巻く思いの内に期待が大きいのかそれとも不安が大きいのか、判別がつけられないでいた。
答えを求めながら知ることを躊躇っている。
"死んではいない"と、その言葉だけを何度も聞いた。
けれどVがバージルの元へ還り消えていなくなってしまったのなら、死に別れることと何が違うというのだろう。
ウイユヴェールもバージルも口を開かず、公園内の穏やかな活気がただただ過ぎる。
「──俺は、悪魔の父と人間の母を持っていた」
顔をあげたウイユヴェールを気に留めず、バージルは続ける。
「人間の世界に暮らす半魔というのも厄介でな。父自体、名の知れた悪魔ということもあったが、反感を持つ悪魔どもに俺たち家族は目をつけられ、母は殺された」
遠くで遊ぶ子供の歓声が風に流れる。
「俺は己の弱さを憎み、力を求めた。悪魔の力だ。魔界を支配する悪魔だろうが双子の弟だろうが何者にも侵されない、全てを圧倒する力を。だが結局、魔王だけでは及ばなかった。V…人間であることも含めてが"俺"であり、欠くことの出来ない要因だった」
ここへ至る迄に己を焦がした感情は今は凪となり、淡々と言葉が連なる。
「Vは確かに俺の中にいる。溶けて交じり合う感情の、どこからがあいつだと線を引けるものではないが。魔王の衝動も、Vの思いも、確かに感じている」
バージルの声で呼ばれる"V"は懐かしさと、どこか愉快さも滲ませて響く。
それだけで救われた。
膝の上に組んだ指にぱたぱたと落ちて涙が弾ける。
溢れる涙で視界がまたぼやけ、ウイユヴェールは瞬きをした。
「昔の俺ならば考えもしなかったが、人間として生きる選択…そんなものも、有り得ないながら頭に浮かんだ」
「あなたは…弱い人間のこと、嫌いだった?」
「人間が弱いという考え方は改めさせられた。思っていた以上にしぶといしな」
自嘲と呆れ、そして諦めめいた投げやりな物言いにウイユヴェールが笑う。
「しぶとくて、諦めが悪いの」
指で拭っても涙はまだ止まる様子はない。
ウイユヴェールの隣に座る男は厳めしい風体をしていて、鋭い目つきが多少和らいだとしても、やはりまだ近寄りがたい雰囲であることは否めない。けれど、
「…Vの願いは叶ったのね」
「ああ。お前が悲しむ必要もあるまい」
「悲しくはないわ……寂しさはあるけれど。Vにとっては…これがいちばん良い結果……なのよね?」
言葉とは裏腹にぐずぐずぼろぼろと止まることのない涙にウイユヴェールがごめんなさいと眉を寄せる。
顛末を語るバージルに、儘ならない身体で戦うVを重ねて思い出し、ウイユヴェールの閉じ込めていた想いも溢れてしまった。
ウイユヴェールの願いはVの願いが叶うこと。
自分がいちばん知っていたはずなのに。
物語の結末を知らないままで構わないと逃げていた。
寂しさも喜びも混ざりあって、その中には失恋という苦味もしっかりとあって、あーあ、と頭の隅っこで拗ねる自分にため息が出る。
決まりの悪い恥ずかしさを引きずって、ウイユヴェールは涙に濡れた頬を擦りバージルから顔を逸らした。
「女子供のあやし方は知らん」
「いいのよ。これは私が自分で解決することだもの」
「……」
「それに私だって困ってるの。Vは私より少し下ぐらいだと思ってたのに、…目の前に現れたあなたはかなり歳上で…怖そうだったし」
「ダンテの様にへらへらしていた方が良かったか」
「それもちょっと…」
扱いに不馴れだという言葉の通り、妙案を探るようにバージルは押し黙る。
突然、何を思ってかウイユヴェールの頬に手を伸ばすと、しょげたまなじりをそっと撫でた。もののついでに、頬に落ちた髪をやわらかく指で梳いて耳にかける。
慰めるわけでもなく、それを行うことが今の正解とでもいうように、無言のままただ優しく頬に手を添える。
武骨な男の予想に反する繊細な動きにウイユヴェールは呆気にとられ、バージルは思惑が成ったとばかりにしたり顔をした。
「泣き止んだな」
「こ、……んなやり方──!」
「Vには許しただろう。よしみで免罪にしろ」
「プライベートの!侵害っ…!」
「なら、ぐずぐずの泣きっ面で往来を帰るか」
「〜〜〜っ!」
フン、と高みから小馬鹿にしたような笑みは優雅さすら含んでウイユヴェールの怒りを受け流した。
髪の色も目の色も、背格好も、雰囲気も、どれをとっても面影なんて見つけようもないほど別人。それなのに。
例えば人をからかって手遊ぶような、反応を眺めてるだけ眺めて雑にぽんと放り出すような人の悪さは、まるで……、
「…違う、きっと違うわ…。中にいるって言われたから…同じところを無理やり見つけようとしてるだけよ……」
「何をぶつぶつ言っている。置いていくぞ」
「は…?どこに行くの?」
「用事も済んだから家まで送ってやる。お前を返さないとあの鳥やら猫やらが騒ぎそうだ」
「ナイトメアもいるわ」
「そうだな」
来た時と同じように連れ立って、今度は二人で並んで歩く。
バージルのゆっくりとした足取りは歩調を合わせてくれているのだろうかと、ウイユヴェールはちらりと思ったが皮肉が返ってきそうなので言葉を飲み込む。
それとは別に、聞きたかったことを思い出した。
「Vが行き倒れて一晩過ごしただけなのに、よく私の家に辿り着けたわね。グリフォンは帰巣本能なんて言っていたけど、あなたにもそれが働いたの?」
「あの鳥はそんな阿呆なことを言ったのか」
ウイユヴェールはこくりと頷く。
「…お前から、僅かだが魔力を感じる。心当たりは無いか」
今思い当たるものは一つしかない。ウイユヴェールは常に持ち歩く欠片を取り出し手のひらに乗せた。
「Vの杖の一部か。魔力が移ったのかもしれん」
「磁石みたいに?」
「ああ」
「…あなたに返すべき…?」
欠片を取ってしばらく眺めていたバージルは「いや」と一言発すると、また口を閉ざしてしまった。くすんだ鈍色の輝きをじっと見つめる。
「……必死だったようだな」
「?」
「その欠片は鳥たちと同様にお前が持っていろ。適当な目印にもなるだろう」
「目印?」
言葉の意味をいまいち掴みかねたウイユヴェールが聞き返してもバージルに適当な相槌で流されてしまい話は途切れた。
アパートの前に戻り、石段に足をかけたウイユヴェールが振り返るとバージルの淡く冷たい色の瞳とかち合う。
「なんだ」
「Vがあなたの一部なら…、あなたにもVっぽい要素があった、またはあるってことよね?」
「何が言いたい」
「その言い方。あと顔つきも含めて怖いからもう少し柔らかくならない?」
「……」
「じゃなくて、あなたも知ってるでしょうけど、私、古書店で働いてるの」
ウイユヴェールは自身が働く店の名が印刷された名刺を渡す。受け取るバージルからは目立って興味を惹かれる様子も見られなかったが構わずに続ける。
「Vが……Vはいつも詩集を読んでいたから。詩以外でも読み物には興味があったみたいだから、あなたもそうなのかと思って」
本当はVに伝えたかった。
買い付けた本も乗ってきた車も荷物も、レッドグレイブですべて失ってしまったけれど、元の生活に戻れたのはあなたのおかげ。
自分が働く店は流行っているとはいえなくて、むしろ閑古鳥の趣で、でも静かに本を読み耽るには悪くはない環境で。
いつもVが持ち歩くのは詩集だけれど他にはどんなものを好むのか。似たジャンルのものを?それとも全く違う系統のもの?
悪魔にも時間にも追われることのない穏やかな時間を、共に過ごしてみたかった。
もう…直接Vと言葉を交わすことは叶わないけれど。
「あなたの──バージルの好みの本も、扱いがあるかもしれないから。良かったら来てみて」
バージルに話した言葉はきっとVにも伝わっているだろう。
希望的観測を抱いて、ウイユヴェールは銀色の髪をした男へ柔らかな眼差しを向けた。


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("22 加筆修正)
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