×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



(26)

.
強さを求めたのは己だ。
滅びゆく身体を引き摺って、死を恐怖するよりも永らえる命を求めるよりも強く強く渇望したものとは、あの男、ダンテを倒すこと只一つだった。
要らぬものを棄てた。
力のみを欲した。
『…まだ足りぬ……』
再びの死の淵に立つ今この瞬間ですら、口から溢れ出る暗い血もろともに歯噛みをする。
「──分かるさ。その想いも。…俺は、お前だからな」
高みから降る男の声が空気を震わせる。
かつて要らぬものだと棄てたその男は、裂けた腹に杖をついて嗤う。
母。人間。弱さしか持たなかった幼き日々の自分。
「無様だな…俺を払い落とすことすらできないとは」
あたたかく優しさで満ちていた邸宅は朽ち、晴れ渡っていた青空はひび割れて赤黒い闇を吹き出している。
バージルという男の元風景が崩れはじめている。
「棄てた半身は野垂れ死んだとでも思ったか?…いや、俺のことなど記憶に留めてすらいなかったか…」
己を己足らしめる素養。父も、母も、魔も人も、強さも、弱さも。どれを失ったってバージルには成り得ないと、男は咳を噛み殺して息を吐き出す。
「俺を置き去りにして話を終わらせるな」
力のみを求めた挙げ句、またもダンテに敗北し、塵に還ろうとしている憐れな半身へ。
まだ意思があるのなら。
ダンテを倒したいという意地があるのなら。
無様でも何でも足掻いてみせろと男は低く吠える。
赤と青、混沌の乱れる空はしかし未だ明るく、杖をつく男の顔は影になる。
「人間の俺がいたからこそ、半人で半魔の、スパーダの息子なのだろうが」
ひび割れた男の皮膚がぱらぱらと剥がれて風に散る。
「ユリゼンでも、魔王でも、…俺でもない。他の何者にもなれやしない」
ダンテに裂かれた胸部から止めどなく溢れ出ていた血は気づけば止まっていた。
「──俺たちはバージルだ。あぁ、…そうだろう?」
青い焔が辺り一面を焦がし、世界が崩れ落ちる。



15 JUNE  pm 06:18

赤と青、二つの光が魔界との境を目指して流れ落ち、もう一つの青い光が地上へ降りた。
程なくして天空へ伸びたクリフォトの頂上も崩壊をはじめた。
魔界と繋がるクリフォトと人間の世界との隔絶を迅速に行った彼らの手際を素晴らしいコンビネーションだと評すれば、恐らく悪魔も泣きだす銃弾と剣閃が雨あられと見舞われることになるだろう。
…が、その処刑人もとい半魔の双子はこれからしばらく魔界でバカンスを過ごすことになる。
──ナン十年ぶりの兄弟水入らずってか?イイ歳のオッサンどもが、魔界ではしゃぐ姿が目に浮かぶぜ──
誰もいない空の只中、風の音とも異なる"声"が響く。
蜃気楼のような揺らめきが"声"に合わせて空を漂う。
──我らが"V"は目的を果たした。マジ"V"ictory!バージルがネロの坊やにブン殴られたのも見物だったぜ。まァこれで一件落着、オレらも晴れてお役御免だ──
Vと共に還る選択もあった。
しかしバージルの悪夢を自覚する彼らはそうしなかった。
バージルの"人間の部分"そのものであったVとは違い、彼らはバージルがかつて自我を奪われて操られていた頃の忌まわしい記憶の一部だ。
眠りの合間に見た悪夢を失ったところで、バージル自身の何かが欠けることもない。
──つっても、そんな御大層な余生でもねェケド。ダンテのヤローとのリベンジマッチでなけなしの魔力も使っちまった──
これまでにも散々、棄てられた残りカスだの何だのと自らを嘯いてきたが、いよいよかたちを保つことも怪しくなってきた。
最早、三体を合わせても陽炎程度の魔力に過ぎず、悪魔と呼べるのかもわからない。
煙のように儚い存在。
しかし何に使うも自由の身だ。
彼らの意識が漂う遥か下方には黒く捲れた大地と街が広がる。小石のように微かだが、点々と光を灯す人間たちの営みだ。
その小石の一つ一つに人間が暮らすのかと思いを馳せれば、とある女の顔が浮かんだ。
──…………、…──
身動ぎに似た、仲間の二体の意識の揺れを感じ取る。
──…ンだよ、ちょっくら行ってみっか…?べ、別に気になるとかじゃねェし?このままお空を漂って消滅を待つのもお前らだって暇だろ?なァ──
仲間二体の問答の暇を与えず言葉を連ねる。
──アイツが悪魔に喰われずおうちに帰れたのか、オレらで確認してやンのさ。簡単なアフターサービスだ──
かたちの無い肺いっぱいに息を吸い込むイメージを膨らませれば、空の只中に黒紫の煙がひとすじ生まれた。
霞のようにおぼろ気で頼りないその煙は、しかし上空に吹き荒ぶ風に散らされることもなく徐々に輪郭を現す。
──わざわざお別れピザパーティーもしたんだぜ。その上でめそめそ湿っぽくしてやがったら、ケツひっぱたいて渇入れてやんねェとだしなァ──
持ち前のお喋りにより仲間たちの総意を得ると、彼は機嫌良くひとつのかたちをつくりあげた。
空から向かうのであれば適任は自分だ。
まずは地上を目指して、その"悪魔"は優雅に大きく羽を広げた。








常夜灯が照らす、古めかしい建物の並ぶ本通り。
夜風に冷える首筋にストールを引っ掛けてバス停から自宅のアパートメントまで歩く。
夜道の一人歩きは嫌いではない。
怖い目に遭ったこともないわけではないが、人影のない夜だから感じられる静穏な空気が好きだった。
しかし数ヵ月前に体験した出来事からは少し考え方を改めた。
違和感や予感めいたものには忠実に従うこと。
言い表し難い不安を少しでも感じたなら、絶対に近付かないというルール。
怖がりな子供のようだとも思ったが、友人や家族に漏らせば、あんな事件に巻き込まれたのだから仕方がないと返ってきた。
車の往来を確認して道路を渡る。
バッグを持ち直して反対側の縁石を踏んたその時、パチッ、と明滅した街灯に思わず眉をひそめた。
「……ただの怖がり」
自分に言い聞かせるように呟いて歩き出す。
街にいる間はお前を守ろう。そんな短い約束をしてくれた静かな声が蘇る。
今夜のような一人歩きの帰り道、家の前で拾ったイケメンを思い出したウイユヴェールは緊張をほぐす。
レッドグレイブの悪魔騒ぎは終息した。
本人の宣言の通り、あの後Vからの音沙汰は一切無い。
ウイユヴェールが療養を終えた数日後、育ちすぎたクリフォトは大地の一部を剥がして空へ浮かんで消滅した。
絡まった毛糸玉のような形で空に浮かぶクリフォトは合成映像のようにシュールだったが、市街の規模で崩れ落ちたあの場所にVが居たのだとしたら…。
僅かな希望を見つけようにもニュースで伝えられた光景に圧倒され、無事という言葉は無力感で塗り消された。
「二度と会うことはない、…の果てがこんなお別れ?バッドエンドもいいところよね」
拗ねたように冗談めかして小さく零す。
ウイユヴェールはひとり平穏な日常へ戻ってきた。
何事も起こらない日々は、別離の寂しさを薄布で隠すように一日一日と重なって過ぎてゆく。
Vという青年との出会いや悪魔に襲われた記憶も薄まり、今ではレッドグレイブでの出来事がすべて夢で見たもののようにすら思うことがある。
記憶に現実味を取り戻させてくれるのは、時折現れる"怖がり"な自分と、そしてポケットの奥に持ち歩く銀色の杖の欠片だった。
クリフォトに襲われたウイユヴェールを助けようとしたVが振り下ろし、欠けた杖の一部。
Vの動きを補助するのみならず悪魔にとどめを刺すこともあった杖の素材を、ウイユヴェールは興味本意で鑑定に出してみた。
結果はありふれた素材だったけれど。
「これが唯一の思い出ね」
指の先ほどの杖の欠片を手のひらで転がして、アパートの鍵をポケットの内に探る。纏められた鍵束が擦れて立てる金属の音。
そこに混じり、背後で別の音が鳴った。
「…え…?」
ぞわりと肌が粟立つ。
振り返った夜道の真ん中に、羽虫のようなシルエットでありながら人の頭ほどの大きさを持つ何かが浮遊している。
図鑑には絶対に載っていない"それ"が"何"であるかを理解する。
自分がこの場から生きて逃げられるかどうか。
握り締めた杖の欠片のぬるい温度と、一瞬で冷えきった指の冷たさ。
それらがウイユヴェールの頭を一杯にした時、か細い雷光が"虫"を焼いた。
バチッ──…!
静電気を強力にしたような一瞬の青い光。
驚きに身を竦ませるウイユヴェールの頭上を不明瞭な笑い声が通りすぎる。
パタパタとそよぐ羽ばたきが鼻先をくすぐった。
「相も変わらず無用心ねェ、夜道の一人歩きなんかして!悪魔に頭からバリバリ喰われちまうわヨってママの言いつけを忘れちゃった?赤ずきんちゃん?」
街灯の明かりに照らされ不思議な光沢を放つ小さな青い体。
爪ほどのサイズのくちばしがパカッと開き赤い口内を晒す。
「──て、ダベってる場合じゃねェな。オラ、さっさとおウチに入れっつのッ!オレができんのは足止めだけだって、お前も散々見てきただろ!?」
ガラガラ声に叱咤されてウイユヴェールは弾かれたように動き出す。
震える手で鍵を開けて玄関扉を開き、自動施錠の音を背中で聞きつつ一目散にエレベーターに駆け込んだ。
低い稼働音と共に階層が上がり明滅する数字のランプ。
チン──と到着を告げるドアを押し開けて、もう一度自室の解錠と施錠を済ませるとバッグを床に落として自身も室内にへたり込む。
はっ…と詰めていた息を吐いたのと青い小鳥が騒ぎ始めたのはほぼ同時だった。
「ヨーシヨシ、上出来の逃げっぷり!悪魔の"あ"くらいの知能しかねェ弱っちいヤツだったし、ほっときゃどっか行っちまうだろ」
久しぶりに感じる恐怖と緊張。ばくばくと煩い心臓。
浅い呼吸を繰り返しながら唇を乾かしたウイユヴェールの前髪を小鳥がくちばしでつっついた。
「ここらの街はぶっ壊れてなくて良かったなァ。お陰でお前のことも見つけやすくて助かったぜ、これも帰巣本能とかいうやつ──グエェッ!?」
素早く両手を伸ばしてウイユヴェールが掴み寄せた小さな体がカエルのような悲鳴をあげる。
「ぐ、ぐるしィ……おいっコラ、オレを殺す気かァァ──!」
「──てた…」
「ア"ア"ッ!?」
「…生きてたの……。なら…さっさと顔くらい見せたらどうなの…?」
「グェ…オレらは別にお前のおトモダチじゃねェぞ!?」
「あらそう、なら私の片想いだったわけね、私は友達みたいに思ってたんだもの。だから──…」
「………」
「心配してた、あなたたちのこと。…別れてから…ずっとよ」
「…そりゃァ……悪かったって」
少しばかりバツの悪そうな声が首元から漏れ聞こえてウイユヴェールはようやく力を抜いた。
解放された小鳥がのびのびと羽根を伸ばす。
その姿に、猛禽類然とした以前のような迫力はない。
「久しぶりね、グリフォン」
「めそめそ泣いて暮らしてんじゃねェか見に来てやったぜ」
「そう。…それで?私は泣いていたように見える?」
「ちィ〜っとも!けど悪魔にチビっちまいそうなビビりっぷりは相変わらずでめっちゃウケる」
一人と一羽の間に流れる空気が弛む。
暗い部屋に射し込む僅かな窓外の明かりを受けて、グリフォンの体が艶やかに光る。
胸元の毒々しい赤やグロテスクな開き方をするくちばし。それはウイユヴェールに懐かしさを抱かせる。しかしグリフォンの騒がしさを諫める声や…または辟易したため息がついてくることはない。
グリフォンさえ口を閉ざしてしまえば一人と一羽しかいない室内は再びしんとする。
「ご覧の通り、ここに来たのはオレだけだぜ」
「…そう…みたいね。あなたを見て一瞬、期待もしたけれど」
ウイユヴェールは立ち上がるとキッチンのテーブルへ向かう。椅子を引けば心得たとばかりにグリフォンが背凭れに留まった。
「ぎゅってして悪かったわ。帰巣本能を発揮してまで会いに来てくれたっていうことは、これまでに何があったか話を聞いてもいいってことよね?」
「何なりと。手始めに何聞く?オレ様の武勇伝?」
「Vはどうなったの」
「ストレートだなァオイ!チョット寄り道くらいしろよッ」
「もう、拗ねないで。私だって二度と会えないって諦めた人と…ええと、鳥と?が、目の前に現れて…今とっても驚いてるところなのんだから。しかもグリフォン、あなた──、ぷ…ふふっ……ものすごくちっちゃい…」
「笑ってんじゃねー!!」
パチッパチッと放電するグリフォンに、ごめんなさいってば、と謝りながらもウイユヴェールは笑いが止まず、目尻に溜まる涙を指で拭う。
「だって…あなたがぱたぱた飛ぶのを見て、悪魔のご高説を垂れてくれたり、雷をいっぱい落として戦ったり、フライドチキンを共食いしたり、Vに鬱陶しがられたり…、今の一瞬でたくさん思い出しちゃったんだもの……」
「ほとんど悪口じゃねェかよ!」
「喜んでるの。私の部屋に来てくれたあなたは幸せの青い鳥状態よ」
「まァだ馬鹿にしてやがるな…。ったく、煽てたって何にも出ねェからな──…と、言いてェトコロだけど」
泣き笑いを収めたウイユヴェールをグリフォンは下から窺う。
「ナニしに来たと思う?」
ウイユヴェールは首を傾げた。
「Vがいなくなってオレらもあとは消滅を待つばかりと思ってたんだぜ?元よりそのつもりだったし。でも悪夢だか未練だかっつーのも簡単にゃ薄まらねェらしくてよォ」
グリフォンが胸を張り広げた翼が微風をそよがせる。
自分の体躯もこれほど小さくなって、その為か、辺りに漂う極微の魔力で存在を維持できてしまったと語る。
「こんな小鳥ちゃんでも案外持つもんだ!」
他人事のように嗤った。
「レッドグレイブからここまで時間はかかっちまったし?ついでに更に縮んだ気もするケド、アフターサービスに来てやったぜ」
思いがけない延命だった、と。
しかしそれすらも話の種として扱う悪魔の感覚がウイユヴェールには理解できない。
あの騒動から今日まで、それなりの時間が経過している。その時間をレッドグレイブからここへ来るまでの移動していたというならば、どれ程の"身"が文字通り削られたのだろう。
「オーイ、シケた顔すんなヨお嬢ちゃん。こんなのただの暇潰しだぜ?Vのお守りが終わって他にするコトもねェんだ、オレらには」
言葉を無くしたウイユヴェールの鼻先をくすぐり、グリフォンがキッチンを横断する。
リビングに入ると部屋をぐるりと大きく周って絨毯に着地した。
「感傷なんて染みったれた空気は犬にでも喰わせちまいな!ってェ・コト・で!感動の再会第二弾だ!そらよッ!」
グリフォンが翼を広げてぴょいとその場でジャンプする。すると、以前Vの身体から魔獣が抜け出した時のような黒いもやが周囲に漂い流れた。
小さなつむじ風を思わせる動きでそれはくるくると集束してゆき、ウイユヴェールが見守るうちに、ついにかたちを現す。
暗い室内で、影よりもさらに濃い黒色をした子猫。
紫のビー玉を嵌め込んだような一つ目を持つ泥人形。
「ブフッ!!ちっせェ〜!自分じゃわかんなかったケド、改めて見るとおもしれェのな!どこの悪魔のベイビーちゃんだっつーのお前ら!」
グリフォンの野次を聞いているのかいないのか、部屋に出現した魔獣たちはとても大人しい。
倒すべき敵もいない場所で喚ばれたことに戸惑いがあるのかもしれないし、それとも単に手持ち無沙汰なのかもしれない。
ただ、騒がしいグリフォンに注意することもできずウイユヴェールは言葉を胸に詰まらせる。
たとえば。
ウイユヴェールを守って戦ったシャドウの毛艶であったり。
Vと共に背に乗ったナイトメアの不思議な手触りであったり。
彼らの名前を呼ぶ、低く落ち着いた声色が記憶から滲み出す。
たとえ目の前の魔獣たちが手のひらに乗るほど小さくとも。
「お帰りなさい?…それとも、いらっしゃい?どっちであなたたちをお迎えしたら良いのかしら」
床に膝を着いたウイユヴェールは、毛足の長い絨毯に埋もれる子猫と、ぬいぐるみのような一つ目の魔獣へ、愛おしげに微笑みかけた。


220513
("22 加筆修正)
[ 207/225 ]
[もどる]