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(25)

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空になったピザの箱を運ばれてきた時のように蓋をして、ウイユヴェールはベッドの脇に立て掛けた。
数日前に帰り支度を整えて出たホテルの部屋。あの時と比べると、荷物も買い付けた本も車も失って、あらゆる意味で身軽になってしまった。
化粧もできず、髪も寝たきりの生活でパサついている。鏡を見るのが怖いと思う反面、この何も持たないものこそ自分ではないかと一周回って開き直った心境ですらある。
悪魔の溢れる街から逃げ出すにも身体ひとつならば楽だろう。
こちらを眺めるVの視線に気がついて、ウイユヴェールはコホン、と気持ちを切り替えた。
「お腹も膨れて落ち着けた?それとも四人で分けたから少し物足りなかったかしら」
羽の繕いを終えたグリフォンがベッドの下から答える。
「Vさえ生きてりゃオレらはそもそも喰う必要ないのよねェ」
言われてみると確かに、以前Vから魔獣たちとの繋がりは聞いたような気がする。
「もう。じゃあ何で食べたの」
「オレも猫チャンも人間のメシにキョーミあんのッ。てコトでピザは悪くなかったぜ。オレ的にゃアレよ、有り寄りの有り」
「フライドチキンも好きだったものね」
「背徳のお味」
「…いつか油で揚げられる側になっても知らないから。シャドウは──あの時はまだ会ってなかったわね。今度、あなたにも食べさせてあげたいわ」
ウイユヴェールは床に寝そべる漆黒の獣を見て、それからVへ顔を向けた。
いつとも決めない食事の約束を、たとえ言葉だけでも明るい返事が貰えたらと期待を含ませる。
しかしVの答えは、残念だが、と呆気ないものだった。
「その機会はないだろう」
「随分…はっきり言うのね」
「…嘘を吐いて期待を持つのは残酷だ」
「嘘だとしても、言ってほしいことってあるのよ」
その心の一部を少しでも窺うことはできないか。Vの深みのある瞳をウイユヴェールは見返した。
血色の薄い顔は食事を摂った今ですら活力に満ち溢れているとは言い難い。
しかしVという青年を思い起こせば、出会った時からすでに生気が足りているとは言いがたい人物だった。
ウイユヴェールのアパートの石段で行き倒れて、回復して行動を共にするようになってからも、杖を頼って歩く姿を時折目にしていた。
悪魔と戦う技量があっても戦い続ける力がない。
それでも魔王を倒す手立てを考え続ける。
自身の望みを叶えるために、他人の手を借りるしかないという現実はどれほど歯痒いことだろう。
運命を託し、願うことしかできないのは。
「(…手の届かない無力感は私だっておんなじね…)」
Vの心を想像してウイユヴェールは嘆息する。
ずっとVを助けられる何かを探していた。
探すという理由があれば、Vの傍にいる猶予を得られたような気がしたからだ。しかし悪魔が現れるようになったこの街で、ただの人間にできることはもう無い。
惰性のように先伸ばしにしてきた別れの時間は近い。
「……。相変わらず、不健康そう」
「なんだ、突然」
不躾を承知で無遠慮な物言いをすれば、さすがにVもむっとした顔になる。
知っていてウイユヴェールは顎を反らした。
「顔色が良くてツヤツヤしてるVとか…私、見たことないし。大体いっつもアンニュイで不景気そうな顔してるし。そのわりになんだか薄着で寒そうだし」
「………」
「ギャハハッ!ディスられてっけど全部あってるゥ〜!」
「出会ったときからフラフラで、それなのに身体を休めようともしないで。食事だって寝床だって、あればいいくらいのスタンスでほんと雑すぎるし」
坂を転がるように核心ではない言葉ばかりが溢れ出る。
「ずっと落ち着かないみたいに…何かを気にしてるみたいに動き続けてて。明日とか明後日とか、一週間後とか一年後のこととか、全っ然考えてなさそうだし。Vって……まるで魔王を倒すためだけに生きてるみたい」
「ビンゴ!いや惜しい?遠くはねェケドその答え」
「………」
Vの無事を願っている。
だからこそ本当は行かないでと言いたかった。
「つけたい注文はいくらでもあるけど、興奮して傷が痛くなっても困るからこれくらいにしておくわ」
「…まだストックがあるのか」
「続きは今度聞かせてあげる」
お返しとばかりにウイユヴェールが鼻を鳴らすとVはやれやれと首を振った。
次の機会は訪れないとV本人が言ったのだから、きっとそうに違いない。しかし果たされない約束を持ちかけるのも結ぶのもウイユヴェール自身だ。
「…Vは、私の様子を見に来てくれたんでしょ。だから今は悪魔のことも魔王のことも考えないで。そんな暗い顔もしないで、…今夜はここでちゃんと休んで」
たった一晩の休息を。
大した足しにならなくとも、普通の人間が悪魔を連れた行き倒れに焼ける唯一の世話をもう一度だけ願う。
診療所のベッドは狭くて寝心地も固いが、療養者も退去したらしい今なら、どの部屋も自由に使えるだろう。
悪魔を倒すことに固執して休息を取っているのか疑わしいというモリソンの言葉を思い出して、また、ダンテたちが敗れても退こうとしないVを前にウイユヴェールは憂慮する。
じっと返答を待っているとVが呟いた。
「──…。俺は普通にしているつもりだが」
「うん」
心なしかボソボソ加減の影を濃くして。
「それが暗い顔だというのなら恐らくこれがデフォルトだ」
「まぁ……うん。あなたの場合はそんな気もするわね。……え?」
「…」
「もしかして傷ついたの?」
「立ち直れそうにない…」
「ちょっとそんな、さっきのは子供みたいなただの悪口よ?Vなら気にしないと思って…強めに言っちゃったけど」
「……」
掠れた言葉を最後にVは黙りこくってしまう。
そんな深刻にさせるつもりじゃなかったとウイユヴェールが慌てはじめると、ベッドの下からゲラゲラ、バサバサとヤジが飛んできた。
「オ?オ?Vチャンまさかの落ち込み系?直球喰らいまくって凹んじまった?」
「だからっ…そんな重い言葉じゃなかったってば──」
「何気に傷つきやすいオトシゴロかもしんねーぜ?だってこの子、まだ生まれたてほやほや、自称つるっつるのベイビーちゃんだもの!」
喧しく笑うグリフォンをウイユヴェールはむっと睨み返そうとするも、決まりが悪く唇を結んだ。
Vってそんなに繊細な性格だったかしらと浮かんだ言葉も頭の端に押しやった。
病床から起きて記憶を整理し、Vとの再会にも安堵して、そんな安心感のせいかウイユヴェールも自分の思いばかりを爆発させて言い過ぎた…のかもしれないと反省する。
「V…?その……私も調子に乗りすぎたわ」
呼び掛けてもVは答えない。
黒髪が揺れてそっぽを向く。
「ごめんなさい、無神経にあれこれ言ってしまって…」
視線も返してもらえない…。
ウイユヴェールは慌ててVの前へ身体をずらす。
「傷ついて、怒ってる?それとも悲しみの方が大きい…?」
黒髪が隠す頬へおそるおそる手を伸ばした。
振り払われるかもしれないと思ったがそうはされず、触れることの叶ったVの頬にそっと手を添わせて、心の中でほっとした。
ぽつりとVが零す。
「……俺は、ダンテや他のデビルハンターのように力任せに悪魔を倒せない。非力な男だ」
沈みきった様子ではあるもの、和解の糸口を提示されたウイユヴェールはすぐさま「そんなことない」と答えた。
「あなただって強いわ。グリフォンやシャドウもいるし、ナイトメアも。これってチームプレー…よね?」
「…以前はアルコールも香り程度にしか思わなかったが…この脆弱な身体では少しの酒でも酔いが回りそうだ」
「わ、私も強いわけじゃないし、食べる楽しみもあると思うの」
「芸の無い黒づくめはセンスが欠落しているのかもしれない」
「主張の強い服だけど……あっ、ううんっ、その…私は悪くないと思う」
先程の指摘がことごとく跳ね返されてちくちくと刺さる。
しかし全部がVの地雷だったとすれば、戻ってくるトゲトゲしい言葉も全部受け止めなければと踏みとどまる。
膝を近づけ、自嘲が止まないVのもう片方の頬にも手を当ててウイユヴェールは顔を覗き込んだ。
酷いことは言わないから落ち込まないでと。
「…俺はダンテのように馬鹿みたいに呆けた騒がしい振る舞いもできない」
「あの豪快さは見習わなくて大丈夫」
「根暗な性質よりは、騒がしくとも明るい方が好ましく感じるのでは?」
「好みにもよるもの。私は落ち着いている人が好き」
「屈強な身体つきの男は頼れそうだとか」
「強そうな人よりは細身の方がタイプだし」
「銀髪よりは黒髪を?」
「そうね、ええ。……え?」
「そして緑の瞳をした行き倒れ男は──」
いつの間にかウイユヴェールの両手をVが掴まえており、掴んだ当人からクククと低い忍び笑いが漏れる。
「ならばお前の心を射止めたということだろうか。ウイユヴェール?」
枯れた薔薇のようにしおらしく伏せられていた顔が、今や人の悪い笑みをたたえてウイユヴェールを見返している。
いや。楽しんでいる。
「まさか…言わせたの!?」
「答えたのはお前だ」
「べ、別にVがタイプだから助けたわけじゃないしっ…!」
「では嫌い?」
「そうは言ってない…けどっ…!」
赤い頬を隠したい両手はちゃっかり掴まれている。
顔を背けようにも、互いが触れる距離で身体を反らしたところでVの目からは隠れられない。
「っ、全然ベイビーちゃんじゃないじゃない!グリフォンっ!」
精一杯に批難の声をあげると、しかし床からの救援はすげない答えだった。
「途中からワルそぉ〜な顔ンなったのは見えたケド、つっこもうにも"黙っていろ唐揚げるぞ"なんて睨まれりゃ、良い子のオレはくちばしチャックの一択なワケ。オケ?」
ペラペラと軽いグリフォンの声にウイユヴェールは唇を噛む。
拘束された手をほどこうと抵抗する。しかしいくらVが細身とはいえ男と女では力の差があり、逃げられない焦りに加えて顔も重なる羞恥でさらに火照ってきた。
もう離してほしいと気持ちは急くのに、Vはウイユヴェールの反応を楽しんでいるようで、器用にするりと指まで絡める。
「うぅ…グリフォンだって一緒に面白がってたのにっ…」
「ああ。その件に関しては後日吊し上げるとしよう」
「今!」
「いやいやオレはちゃんとサポートしたし?そのお陰でウイユヴェールも本音をゲロったし?オレは無罪、ウイユヴェール有罪」
「こっの…裏切り者っ!悪魔──っ!ひゃぅっ!?」
羞恥をますます強くするウイユヴェールの腰に、静かに立ち上がったシャドウが絶妙な力加減で頭を擦りつけた。
ぞわりと驚いたウイユヴェールがVの胸に倒れ込む。
じんじんと広がる傷の痛みに呻いていると、シャドウの頭部らしき黒い流動体が脇から現れて喉のあたりをグルグルと鳴らした。
「なんだぁシャドウ?…フムフム?痴話喧嘩にゃ付き合ってらんねェ?」
「い、いたい…」
「下手に動かない方がいい」
「で?…ほうほう?おねむの時間につき寝床に帰る、ってよ」
「嘘…!絶対帰る以外のこと言ってないっ…!」
「シャドちゃんのおねむに賛成、オレも帰省」
「ちょっとグリフォン逃げるつもり──!?」
「仕方ないな。残りの時間は二人きりでじっくり話をするとしようか、ウイユヴェール?」
「V、美形が含み笑いすると迫力あるのよ自覚して…っ」
ウイユヴェールに甘えるようにシャドウはのしっと身体を押し付けると、その体躯を黒い水に変えた。
羽ばたきの風音に濁った笑い声を重ねたグリフォンがつむじ風となって羽根を散らす。
室内をさらう突風に乱された髪が戻るとそこに魔獣たちの姿はなく、Vの胸元に二頭分の刺青が加わった。
何事もなかったかのように肌を滑り、馴染んで動かなくなった黒い模様をウイユヴェールが恨みがましく睨む。
「悪魔は人間の都合を考えない」
「……それはあなたにも言えること?」
「分かってきたようだな」
感情が染み込んでいくようにVはゆったりと微笑んだ。
「こちらも、人間に合わせるということをやっと理解した」
「…理解して何か変化はあった?」
思い出してしまった傷の痛みに苦笑を重ねたウイユヴェールの身体をVが支える。
「結果を急いで求めても望む答えがもたらされるとは限らない」
背中に腕を回すと、力を抜くんだと耳許で伝えてウイユヴェールをベッドに横たわらせる。
手当てされた脇腹を庇うように横向きに寝かされ、薄いマットレスに落ち着いた。
「その答えがこの一段と優しいエスコートかしら」
「長々とあいつらの相手で無理をさせた」
「私がそうしたかっただけ。みんなでご飯を食べて、…賑やかに話をしたかったの」
楽な体勢になり、息を吐いたウイユヴェールが見上げたVの表情は、天井からの灯りを受けて影になりながらも穏やかに映った。
魔獣たちを戻すのと同時に毒気も仕舞い込んだのだろうか。
挑発してくる者さえいなければVはこんなにも紳士的に振る舞えるというのに、いつも何かしら斜に構えて皮肉な物言いをする。
どちらのVも愛おしく思う。
惚れた弱み…そんな言葉が頭の片隅に浮かんで頬が緩んだ。
彼を引き留めたいという思いも、彼に目的を果たしてほしいという思いも、両方がウイユヴェールの中で大きく育ってしまった。
Vは枕を整えるとウイユヴェールの隣に並んで足元に追いやられていた毛布を引いた。
「…まさか、ここで寝るの?」
「俺が隣にいたほうがウイユヴェールも安心して眠れる」
「自信たっぷりなんだから」
向かい合って寝転がる。
本来なら患者が安静に過ごすためだけに用意されたベッドだ。大人二人が寝転がることなど想定されておらず、落ちないためにVは身体を寄せてウイユヴェールの背中に腕を回す。
「まったくもう。ええ確かに、私はVに気がありますけれど?知ったうえで今夜も同じベッドに入るなんて、中々の悪魔っぷりよ」
「情を交わせば互いに離れることが惜しくなる」
「それはあなたの言い訳。私を巻き込まないでちょうだい」
寄り添い抱き合って毛布にくるまる二人の姿を、一体どんな言葉を用いれば恋人ではないと説明できるだろう。
「別れが惜しくなるから、近づくことを諦めるの?私は好きな人には触れたいって思うし、ぎゅーって抱き締めたいって思うわ。短い時間だったとしても。…感じられることが生きてる証だって思うから」
何度か夜を共に過ごしたが今夜は背中合わせではない。
向かい合って眠りを待つ。
ウイユヴェールはVの瞬きのひとつひとつを、緩やかに変化する表情と皮膚の動きを、額に掛かる黒髪の流れを丁寧に瞳に納める。
「…だからこれは絶好のチャンスだったのに。残念」
「チャンス?」
「この怪我がなかったら私があなたを襲っていたもの」
恥ずかしさもこれで終わりだと思えば頬にのぼる微熱も大したことではなかった。
伝えてしまえば気持ちも晴れやかで、どうだと言わんばかりに瞳も逸らさないでいられた。
部屋を包む静寂が僅かに乱れる。
やや眉を寄せた表情で口を閉ざしていたVがむくりと半身を起こした。
身体が離れた隙間に冷気が入り込むも、それを忘れさせる静かな熱を帯びた瞳でウイユヴェールを見下ろした。
「怪我人に…無体をするつもりはない。だが──…」
枕の横に手を着きベッドが軋む。
「キスをしても…構わないか」
「…ええ。もちろん」
覆い被さり、鼻先がそっと触れる。
「──もちろん、おやすみのキスよね?」
寸でのところで意地悪く微笑む唇に、Vは力が抜けたようにふっと微笑を浮かべると、短く、ああ、と首肯した。
どうぞと目蓋を閉じ、唇の端に添えられた優しい感触にウイユヴェールは嬉しげに小さな声を漏らす。
やわらかな二人の吐息が交わる。
「──良い夢を。ウイユヴェール」
「ええ…おやすみなさい、V」

──あなたの望みが、どうか叶いますように。





翌朝、目を覚ましたウイユヴェールの隣にVの姿はなく、埃と血で汚れた衣類から抜き取った僅かな所持品を手に、ウイユヴェールは車に乗せられた。
モリソンの伝手で離れた街まで運んでもらい、小さな病院で傷が癒えるまで過ごした。
数週間の療養を経て、簡素な荷物を足元に置いてバスを待つ間、向かいのガソリンスタンドにふと目を留めた。
用事があったわけではない。バスが来るまでの暇潰しに、給油を行うトレーラーの横を抜けて併設されたマーケットに足を踏み入れた。
やや田舎の雰囲気が漂う商店の、やや古ぼけた店内。
カラフルな小物や袋菓子に埋もれるレジと、食糧や雑貨が煩雑に置かれた商品棚。
音質の悪いラジオからはニュース番組が──レッドグレイブの惨状が伝え聞こえるものの、悪魔の脅威から離れたこの街では、普段と変わらない日常が流れているのだろう。
店内に響くラジオの音量に負けじと、その下で菓子とジャンクフードを買い込む若い男女が騒いでいる。
「いくらなんでも買いすぎだろ。どんだけ滞在する気だよ」
「足りなくなったら困るだろ? 突然キャンディ食いたくなって店に飛び込んだって悪魔がいらっしゃいませしてくれると思ってんのか?」
「逆に見てみたいだろ」
「とにかく必要になりそうなモンは揃えとくに限る。メシと、菓子だ。それともお前の分は現地で悪魔を焼いて出してやろうか?」
「お前が言うと冗談に聞こえねぇ……ん?」
立ち竦むウイユヴェールに青年が気づく。
視線を向けられていることに一瞬怪訝な顔をして、青年が何かをいうよりも早く女性の声が被さった。
「おいネロ、エロい目で見んな。怖がられてるぞ」
「見てねぇしついでに怖がられてもねぇよ」
「…ごめんなさい、話し声が聞こえたから。あなたたちはレッドグレイブへ向かうの?」
「…あんた、なんでそんなことを聞くんだ?」
「逃げてきたから。あの街から」
ウイユヴェールの短い言葉に女性の方が素早く反応を示した。
ネロと呼んだ青年の頭をぐいと力任せに下げさせる。
「なら事件の被害者ってわけだな?連れが悪いな、反抗期が長引いちまってるだけで悪気はない。レッドグレイブで悪魔が暴れてる件だが近々収まる予定だ。街にも戻れるようになるから期待してていいぞ」
「待てよ、喋りすぎだ」
「事実だろ。それともなんだ、私の造った腕でまさか殲滅くらいもできないってのか?」
「ああ、はいはい、殲滅でも粉微塵でも粉チーズにでもしてやるよ。分かったからさっさと会計済ましてこい」
「あとで半分払えよ。ああでも、私たちのコレはちゃんとした依頼で決して若者の悪ふざけ動画チャレンジとかじゃないからな、そこんトコ」
「おいニコ」
「へーへー」
これからレッドグレイブへ向かうというのに、あまりの気安さと妙な方向への心配意識にウイユヴェールの表情が緩む。
「テンション高いっての…」
流れとはいえ二人きりとなって居心地の悪さを誤魔化すようにネロはぼやく。
悪魔という一般人とは相容れない言葉を含む雑談をこれ以上望んではいないのだろう。
ニコが離れて、再びラジオのざらざらとした音が際立つようになりウイユヴェールもまた、療養の日々には考えないよう蓋をしていた記憶がひっそりと開くのを感じた。
「──私をね、助けてくれた人が街にいるの」
独り、病床で天井を見つめてぼんやりと過ごしていた。
耳を済ませても騒がしい鳥の声は聞こえず、床に視線を向けても漆黒より深い色の影はおらず、痩身の…刺青を纏う男がウイユヴェールの寝床の半分を奪いに来ることもない、静かな日々。
彼を。
Vを。
よろしく、なのか、それとも、お願い、なのか。
どの言葉も伝えたい言葉に近いような気がして、または、全く的外れな言葉のような気がして、喉に引っ掛かっては重たい呼吸に変わる。
もう何週間も経ってしまった。
生きているのか、無事なのかもわからない。
冷えた指で癖のように痛みのない傷痕に触れる。
「……悪魔はきっちり掃除してやるから」
あの街で出会った彼らによく似た銀色の髪。その珍しい色合いの短い髪を乱雑に掻いて、ネロは決まり悪そうにそっぽを向いて呟いた。
息を吸うためでもなく、吐くためでもなく、ウイユヴェールの喉をようやく滑り発せられた言葉が小さく震える。
「ありがとう──…」
一筋、涙が零れた。


210908
("22 加筆修正)
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