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(24)

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たとえばここに一枚のピザがある。
運ぶのに時間を要したために多少…いや、だいぶ冷めてしまい、焼き上がった直後には立ちのぼっていたであろう湯気のカケラも見えやしなかったとしても、一枚のピザだ。
ピッツァ・マルゲリータである。
ベッドから起きた病み上がりの女でも、仕立ての良いスーツを着込んだ紳士でも、ノックもせず乱雑にドアを開けて入ってきた闖入者であろうとも。
デリバリーの紙箱から解放されて漂うトマトソースの香りは鼻腔をくすぐり、忘れていた空腹を叩き起こす。
「…えっとV?あなたも一緒に…ピザ食べる?」
「なんだ、ノックも忘れるほど腹が減ってたってのか。仕方のないヤツだな」
「違う、なんだ、この──…っ、…もういい…」
Vは杖を握り締めたまま、もう片方の手で額を押さえた。
とんでもない勘違いをしたことをまさか明かす気になどならない。
「ちょうどデリバリーのピザを受け取ったところでな。見りゃあわかるだろうが」
「…ああ。"見れば"わかる…」
「な?お嬢さん。俺の言った通りだろう?」
モリソンの言葉にウイユヴェールは微妙な表情を返した。
腰まで捲った毛布にウイユヴェールは白い手を乗せる。化粧をしていないために普段よりも幼く、また頼りなく見えた。
しかしベッドに起きあがる体力は取り戻しているようでVは静かに息をつく。
「どうしたV。具合でも悪いのか」
「……そういうことにしておいてくれ」
「どうせ悪魔にかまけてロクなもん食ってなかったんだろう。仕事にはメリハリってのが必要でな、その代表が食事と休息だ」
床のソースを舐めていたシャドウが食事という言葉に反応してピザの箱を見上げる。
その黒く大きな鼻先を避けてモリソンは箱をウイユヴェールに手渡した。
彼女と一緒に食っていくといい、と続ける。
「椅子は隣の部屋から持ってきてくれ。もうどこも空き室だから構わんだろう」
「空き室…?他の患者はどうした」
「昨日までには全員が自主退院したよ。近くの店が襲われてな。ニュースなんぞより、自分の目で悪魔どもを見た方が効果はてきめんだ」
「…なぜウイユヴェールはここに残っている」
「おいおい、そう睨むなって。お嬢さんが起きたのはついさっきだ。疑ってんなら本人にも訊いてくれ」
Vが疑わしげに視線で問うとウイユヴェールは、彼の言う通り、と言葉少なく答えた。
「話は通ったな?じゃあお待ちかねの晩餐だ。ピザ屋も最後の配達らしいからな、味わって食えよ」
ハンカチを取り出すと、トマトソースで汚れた手を拭く。
「モリソンさん、あなたは食べていかないの?」
「そこまで野暮じゃあないさ」
モリソンは大体の用事は済んだと告げるとあっさり部屋を後にした。
ドアの閉まる音が静かに響く。

部屋にはピザの良い香りが留まる。
中途半端に箱を掲げ持ったままのウイユヴェールは、箱と、睨むような目つきをドアに向けるVとを見比べてから遠慮がちに口を開いた。
「美味しそう、ね。…でもこれ、食べきれるかしら」
「──…。椅子を取ってこよう」
「え…、あっ、待って」
部屋から出ようとしたVは慌てて呼び止められる。
蓋に付いたトマトソースに注意しながら、ウイユヴェールは箱を自身の脚の横、シーツの上に置いた。枕も後ろへと押し退けてもぞもぞと不器用に身体を動かす。
どうやらベッドの上に場所を開けようとしているらしく、Vは手を貸した。
端に身を寄せようとするウイユヴェールの身体を支える。強く力を込めてしまわないように慎重に。
落ち着く場所に移動すると、腕の中から満足そうな息がふぅと零れた。
箱を手繰り寄せて場所を空ける。
「これなら椅子を取りに行かなくても一緒に食べられるわ」
「怪我は……治ってきているみたいだな」
「ええ、そうなの。一人でもね、ゆっくりとなら身体を動かせるみたい」
今は手伝ってもらったけどと明るく声を弾ませると、座るようにVを促した。
「お腹、空いてるんでしょ?部屋に飛び込んできたくらいだもの」
「…。」
「一応、二人分のはずだけど…もしかしてシャドウ、あなたもピザは好き?」
手招きをされたシャドウがベッドの隅に顎を乗せるとウイユヴェールは嬉しそうに唇を結び、その黒い頬を撫でた。
寝起きだからか、それともVとの久しい再会にか、どことなく緊張していた表情がやわらかくなる。
「また…会えて本当に嬉しい、V。もちろんシャドウも。二人が無事ならグリフォンも元気にしているのよね?」
「想像している通りだ。だがそれはあれを喚んで欲しいという催促か、ウイユヴェール」
「想像している通りだと思うわ」
「…喚んだら騒がしくなるな」
「賑やかなのも好きよ」
期待の込められた瞳が楽しげに瞬き、根負けしたVがベッドに腰を下ろす。腕を掲げると刺青が皮膚を滑り、空に溶けた。
「──黙って聞いてりゃあヒデェ言われ様!」
力強い羽ばたきが部屋の空気を揺らしたかと思うと、今度は控え目に羽を動かして、グリフォンが狭いベッドに着地する。
「まァ病み上がりのお嬢ちゃんとピザに免じて黙ってやるぜ。意外と元気そうじゃねェの、ウイユヴェール」
「あなたもね。グリフォン」
「ヘッ!マジで参ったんだぜ、オマエの腹に穴空いちまった時はよォ。医者を探すってんで急いで悪魔から逃げたら、今度は野次馬が邪魔くせェのなんのって!」
クリフォトによる崩落から逃れた市民と、駆け付けた警官、そして物見に集まってきた者たちで、街は混乱状態だったとグリフォンが伝える。
「ケケッ。いっぺん死にかけねェとわっかんねェんだろーな、あーゆーヤツらは。つーかわざわざ見に来るような能天気な人間なんざ、きっともう死んでるゼ」
「そうね…うん、一回死にかけないと……うぅっ耳が痛いわ…」
姿を現した途端に言葉の止まらないグリフォンは、この数日で目にした街の惨事をこと細やかに並べ立てる。
途中で思い出したように勢いを緩め、「このピザ喰っていい?」とVを押し退けてマルゲリータをくちばしで突っついた。
「おい…狭いから下へ行け」
「へーへー。オレ様だって男の膝で喰いたくねェし〜」
ピザを咥えて床に下りると、つられたシャドウが匂いを嗅ぐ。
「メッ!コレはオレのなのッ。Vチャンもう一枚追加してェ〜」
Vは背中を屈めて一片を床に放り、自らもマルゲリータを口に運んだ。
グリフォンがおしゃべりなお陰でウイユヴェールに勝手に近況が伝わるのは楽ではあるのだが…。
話の途中途中で「チーズが絡まっちまう」だの、「ソースがイイ感じ」だのと挟まるために騒々しい。
こればかりは本当にどうにもならないなとVは指についたトマトソースを舐めた。
けれどウイユヴェールにとってはそんな脱線も面白いらしい。しばしばピザを口に運ぶ手を止めては楽しそうに相づちを打つ。
そしてチーズに苦戦する不器用なくちばしへと手を伸ばしかけ、ベッドの上からでは手助けができないことに気づいて引っ込めた。
患者衣の袖から伸びる手が行き場を失って膝へ戻る。
「……。その怪我は、あとどれぐらいで痛まなくなる」
怪我を庇っていた動きも、痛みで微かに寄せられた眉も、身体を支えた際に気がついていた。
ウイユヴェールはただ微苦笑で応える。
「人間の傷が何日で塞がるか…、考えたこともなかった」
「何日か、何週間か。…わからないけど、ちゃんと治るものだから。気にするほどのことじゃないわ」
想像していたよりも緩やかな回復の速度は、傷の具合を考えれば当然なのだろうが、人間の弱さを改めて思い知らされる。
ウイユヴェールは怪我をした脇腹の辺りを指先でさすりながら、「むずむずするのは、きっと治りかけてる証拠ね」と睫毛を伏せた。
「クリフォトの根に刺されたとき、魂が吸い出されるような感じがしたの。抵抗することもまるで思い出せなくて。…死が、私を抜き取っていくような感じ」
街のあちこちにあった黒い塊、あれはヒトだったものなのね、と。
もしかしたら"そう"なっていたかもしれない己を確めるようにウイユヴェールは身体を抱く。
街には至る処にあの塊が存在していた。
建物から這い出した根の先に、貫かれて歪んだ車の中に、赤く汚れた石畳の上に。近くへ行き観察してみれば、頭だった部分や腕らしき形も判別できただろう。
不思議そうに訊ねたウイユヴェールにあの場で教えることもできたがVは答えなかった。わざわざ怖がらせる必要もないと。
「私の命が助かったのはVのおかげ。それと、ものすごい幸運。これから…この幸運がもう少しだけ続いてくれると嬉しいんだけど」
「怪我が完治するまではな」
「ふふ、いいえ。明日になったら…私ももう行かないと」
「ここを出るつもりなのか」
「身体を動かすことはできるもの」
得意気に、悪戯めかした瞳が笑む。
しかしVを見返すそこに隠しきれない迷いを読み取る。
人間にとって悪魔とは恐怖であり脅威だ。
力を持たない身となってVはやっと理解することができた。
バージルやダンテが、いや、トリッシュやレディが片手間に殺す悪魔だったとしても、ただの人間には太刀打ちできない。
安全とは言い難い街から、果たして怪我人が一人で逃れることが可能なのかとVが口を閉ざす。
そんな思考までもを覗き込むようにウイユヴェールが小首を傾げた。
「……Vも、またあそこへ戻るんでしょう?だから、危ないのはお互い様」
ゆっくりと紡がれる言葉が溜め息のように穏やかに溶ける。
ベッドの横の床ではピザを食べ終わったシャドウが寝そべって毛繕いをはじめ、グリフォンも羽を整えている。
食事を終えて落ち着いてみると、簡素な部屋に在るのは互いの話し声。そして床で寛ぐ魔獣の気配のみだ。
「あなたと一緒に行ったダンテはまだ帰ってきてないって聞いたわ。レディと、トリッシュも…。今はもう一人のハンターが来るのを待ってるのよね?」
時折、夜の風が窓ガラスを撫でる。
「あなたが探していた魔王っていうのは、やっぱり強かった?」
「…考えられる手は全て打った…つもりだった。だが肝心のダンテが…、あれほど簡単にやられるとは思ってもいなかった」
数日前の戦いを思い起こしてVの口調は無意識に刺々しく苦いものになる。
言葉にしてみれば言い訳のように響いてしまい、それが更に苛立ちを呼び起こした。
非力な自身への無力感は元より、儘ならない心の中には様々な感情が散らばっている。
ダンテは敗れ、ユリゼンが勝った。
己を貶め嘲笑う声が一滴のインクのように胸に染み出す。これで良かったのではないか──?ダンテを捩じ伏せるというバージルの渇望を、ユリゼンは叶えたのだ。
勝ちを獲るために無駄を削ぎ落とすことは必然。
人間としての脆弱な部分を棄てたことなど些事。
母を殺され己の無力を憎んだ記憶も、近すぎる存在ゆえに反発しあった弟への衝動も。
望んだ結果を手にした今、過去を問うことに何の意味がある──?
渦巻く思いを振り払いVは否定する。
それなら"V"とは。
バージルの一部であったVは。
自分は本当に必要の無いものになってしまう。
何処へも行き場を失って。
バージルとして生きた記憶も、憎しみすら呑み込み求めた強さへの想いも、今ここに湧き出でるVの感情すらもただ消え去る。
自分は──
"V"はまだ、ここに存在しているというのに。
眉根を寄せて黙り込むVへウイユヴェールが訊ねた。
「…今度は上手くいきそう?」
「上手くやるしかないだろうな」
まるで他人事のように言葉が滑り出る。
それでも駄目なら──…。
想像したくはないが、ユリゼンに勝てなければ行き着く結末を生まれた時から知っている。
純粋な悪魔となった己の半身は、人間として放り出されたVを一瞥もしなかった。
あの冷たく凍りつくような孤独に引き戻されてこの身は死を迎えるだろう。
…いや。
もしも今、すべてを諦めて逃げたとして。
彼女と共に行く道を選んだなら。
憂いを帯びるウイユヴェールの静かな瞳をVは窺い見る。
自分に訪れる死は、少なくとも孤独なものではなくなるのだろうか……。


201111
("22 加筆修正)
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