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(23)

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目を覚ますと古くさい天井が目に入った。
継ぎ目が剥がれかけた壁紙を、くすんだ蛍光灯が照らして影をつくる。
天井はあまり広くはないらしい。傾斜が掛かって下がってくる一辺は、建物の屋根があるためだろう。すぐ下で締め切られたカーテンが薄く外光をこぼす。
反対へ視線を移す。
四角い天井は壁へと続き、辿って降りると木製のドアと、一人の黒人男性に行き着いた。
新聞を小脇に挟んでいる。
帽子を取る動作をして…しかし丁度良い場所が見つからずに頭へと戻した。
衣擦れの音……。
「──ああ。お目覚めかな、お嬢さん?」
「ええ……。あなたは…どなたかしら…」
「俺はモリソン。情報屋と呼ばれている者だ」
「…情報…?」
「新聞の職探しに載るような仕事じゃないが、必要なヤツらにはそこそこ重要な職業でね」
起き抜けの朦朧とした頭にはうわべの言葉しか理解できなかったが、男は自身の仕事への疑問だと思ったらしく、紹介を添える。
葉巻を取り出しかけて気がついたように手を止めた。
「失礼、ここは病室だったか」
「いえ…」
どうぞ、と吐息を漏らすように答える。
仕事の付き合いで煙にも匂いにも慣れている。けれど。
青白い顔をした"彼"もきっと葉巻や煙草は好まないだろう…と、本人に尋ねたことはなかったが、そんな思いがふっと頭を漂う。
彼…?
痩せぎすの、不健康そうな顔色の。
「…ミスター…モリソン。ここは病院なの…?」
寝具に混じる消毒液の匂いを吸い、ウイユヴェールは嗄れた声で訊ねた。
どのくらい自分は眠っていたのだろう。確か街にいたはずなのに。仕事でレッドグレイブを訪れていて…、今朝はVを置いてホテルを出てきた。部屋に電気が灯っているということは、今はもう夕方?
前後の不明瞭な記憶にウイユヴェールは眉をひそめた。思考は少しずつ晴れゆくも、まだ十分じゃない。
「覚えていないのか。お嬢さんは怪我をしてここへ運び込まれたんだ」
モリソンはウイユヴェールがこの部屋で目覚めた経緯を簡単に説明した。
クリフォトの出現による街の混乱。
依頼主からの唐突な電話。
診療所への急ぎの手配。
この事態収拾のために集められた面子をクリフォトへと送り出し、…しかし依頼は果たされず失敗に終わったこと。
「今は警察が規制線を張っているが、住民の避難と立入禁止区域の広域化がほとんど同時ってぇ混乱ぶりだ」
モリソンはマッチで葉巻に火を着けると、香りを口腔に含み、深く深く煙を吐き出す。
「再びクリフォトへ向かうためには戦力が足りない。今は、先のミッションでクリフォトから撤退したデビルハンターの復帰を待ってる、って状態でな。街にはVが残っている」
「──V…」
「ん…?ああ。俺の依頼主だ。医者を用意しろと電話口で急かしたのもヤツさ」
ウイユヴェールは枕に頭をのせたまま、気だるく目蓋を閉じてまた開く。
「市街から離れた場所で…緊急処置ができることが条件だと、言いたいことだけ言って切りやがった。街の混乱でクソ忙しい時に一体何の嫌がらせかと思ったぜ」
「……」
「今はネロとVが頼みの綱だ。…ネロはまだ若いし、Vに関しちゃ経歴も不明な上に腹の内もさっぱりときた。期待するには不安も多い」
モリソンの言葉が表面を滑るように過ぎていく。
ここはクリフォトから離れた場所らしい。
Vからも遠い場所なのだろう。
あのダンテやレディが敗れてもVは街に留まっているという。
そこまでしてなぜ?
そんな思いがウイユヴェールの胸に膨らむ。
目覚めと眠りが別たれるように、現状と記憶とが鮮明になっていく。
ただの人間である自分は怪我をしてベッドに臥せている。
力を持つVは当然のこととばかりに悪魔と戦っている。
身を置く場所が違った、と。
そんな言葉でくくるのは容易い。けれど簡単に落とし込めないのが人の心というものだ。
どちらかというと悪魔だと自身を言い表したVの声が、今では夢と同じぐらい遠く掠れる。
「胡散臭い男…と思っていたが、あんたを連れてきた時のヤツの慌て面ときたらなぁ」
「…ここへ、連れてきた……」
「あいつにも意外と人間味もあるもんだ。あんたにも見せてやりたかったぜ。って、気を失ってたんだったか」
「見られなくて良かったわ…。だって私…またVに面倒をかけさせてしまったから」
「面倒?」
「でももう、これ以上は足を引っ張らずに済みそう。後は街から離れるだけだもの。モリソンさん、あなたにもお礼を」
「礼はVから貰うさ。それよりももうしばらく安静にな」
「でも」
「治療も半端にあんたを放り出したんじゃ俺がどやされちまう」
どうかすると今からでも帰り支度をはじめそうなウイユヴェールをモリソンが押し留める。
「その傷だって一週間ぽっちで塞がるもんじゃないだろう。ダンテみたいな規格外野郎どもとは違うんだ」
「…私そんなに寝ていたの?」
「ああいや、実際には…確か5日だったか」
「なら、ただの市民は早いうちに遠くへ避難したほうがよっぽど賢明じゃない?」
「病み上がりで無理したって良いことはない」
日にちを数えたモリソンは思いついたように指を立てた。
「あと何日か休んでいっても罰は当たらんだろう」
「…。ご親切に、と言っておくけど」
身体を動かした拍子に傷が疼き、ウイユヴェールは腹部を探る。
ガーゼらしき膨らみの下に鈍い痛みはあるが、動けないほどではなさそうだ。視線を移しモリソンを窺う。
「やけに引き留めるのには何か理由でも?」
「親切な情報屋、ってぇ看板を出している」
「信頼性の低い言葉だわ」
「そう睨まんでくれ。Vのやつ、あれから街を離れず戦い詰めなんだよ。だからあんたの様子を見に一旦戻ってこいって電話口で伝えたのさ」
「…そんなことでVの気は引けるかしら」
「さて。俺はなかなか上手い理由付けだと思うが」
部屋を横断して窓辺に立ったモリソンはカーテンを捲って隙間から外を眺める。
クリフォトは遠いが、この辺りにも悪魔が現れるようになったのだとため息をつく。
「こちらとしても、ネロが復帰する前にVに倒れられちゃあ困るんでね」
「…他に悪魔と戦える人は…」
「俺の知る限りはダンテが最高峰さ」
「……。Vのこと、変に期待をされても私も困るわ」
「期待ってぇより確信だな。言っただろう?あいつの慌てっ面をあんたにも見せてやりたかったって」

濃紺の幕が降りゆく夕暮れに、杖をつく音が短く鳴る。
コツリ、コツリと。
その硬い響きの合間を重たげな羽ばたきが補う。
「なんとか戻ってきたケドよ、辛気くせェ雰囲気がプンプンしてんなー」
街灯が灯る道には通り過ぎる車もなければ、人の影もない。
杖をつく顔色の悪い青年と人の言葉を話す猛禽という奇っ怪な組み合わせも、ここでは隠す必要もない。
「人間どころか犬とか猫も見かけねーし。アッあと鳥もな!」
「…中心地の惨状は十分に伝わっているようだな」
「おウチに籠ってラジオにお耳澄ませてる?悪魔が一旦ヤる気になっちまえば、高ーい塀も、ブ厚い壁も、あんまし関係ナイのよねェ」
翼を器用に動かして周囲を窺ったグリフォンが、道沿いに店を見つける。
ガラス張りの店舗の照明は暗く落とされており「休業かね?」と近づいた。しかし室内の棚は乱雑に倒れて商品が散乱し、床一面は赤く汚れていた。
ゲェッ!と中空に留まる青い体躯を横目に、Vは杖をついて通り過ぎた。
「オレが言ったせい?みたいで何かゴメン?せめて成仏しろよな店主ー」
静まり返る街路にグリフォンのダミ声が溶け、羽ばたきが青い軌跡を描いた。
「なぁなぁ。モリソンとかいうオッサン、とっくに喰われちまってるとかいうオチじゃねェよな?」
「…。」
「ウイユヴェールも手しか残ってねーとか」
「それを今から確かめに行くんだ」
「だよな。見なきゃわかんねぇよな。アイツ結構しぶといし。案外ベッドが硬いとか寝心地が悪いとか、オッサンに注文つけてるかもしんねーし」
「言いそうだ」
「そしたらアレだぜ。ダンテがあっさり魔王に負けちまうから悪いんだって言ってやれよ。最強のデビルハンターとか呼ばれてたくせに!」
Vは足を止めると顔を上げた。
まもなく夜を迎える。
夕陽の名残りが赤く染まり、訪れる闇に押し潰されようとしている。
「…戻らない男の名を口にするだけ時間の無駄だ」
「お?お?コレ地雷だった?怒んなよVちゃん。それとも腹減ってんの?ここんとこ戦いっぱなしでフラフラだもんなァ!」
暗い斜陽に背を向けて角を曲がり、Vは先へ先へと足を進める。
道が狭くなってもついてくる羽ばたきのせいで路地の埃が撒きあげられ、空気がゆったりと濁る。
胸の奥で渦巻く燻りのようだ。
負けるはずのない男が負け、"V"を棄てた半身が力を証明したのだ。
これは喜ばしいことか。否か。
「──考えても仕方がない」
「そうそう!お前がガリガリに細っせぇのも今に始まったコトじゃねェし」
「グリフォン」
「おうガリガリ」
「俺も鳥肉は嫌いじゃない」
「キャッ!ヤらしい目で見んじゃねーよ!エッチ!」
5日前。クリフォトで魔王と対峙したダンテが敗れ、逃がされたネロは戦う手段を探すためにレッドグレイブを離れた。
Vは一人で街に残った。
街を離れたところで事態を好転させる手段を得られるとも思えなかったからだ。
バージルから分かたれた身体は弱ってゆくのみ。
ダンテという手札も失った今、ネロを頼ることでしか魔王の討伐は果たせない。
街に留まり悪魔を殺し続ける選択をし、Vは逃げ遅れた住民たちも助けてきた。
だがそれは憐れみや同情、まして正義感からではない。
目を逸らしたかったのだ。
弱りゆく身体から。
枯れゆく魔力から。
力なくば蹂躙されるのみ。
母のように。
幼い日、弱い存在でしかなかった自分のように。
静かに獰猛に沸き立つ感情を、悪魔という代替にぶつけて街を彷徨っていた。
「…ここか──」
「ここ?マジで?オレにはボロっちい安アパートに見えんだけど?」
メインストリートから幾つかの通りを隔てて陰鬱なアパートが並ぶ一画。Vが足を止めたのは、番地を記すプレートも見分けがつかないほどにくすんだ木製の扉だ。
モリソンから教えられた番号を確認する。
「オイオイ、ドア開いてるぜ?こりゃ悪魔に襲われたんじゃね?knock-knock!」
「悪魔はドアを使わない…先客か?」
「ドア開けて閉めねぇなんて躾が悪ィな。金目のモン狙っての強盗とか?」
「…薬品の匂いだ」
「さてさて?1階は診察室でー、ウイユヴェールは上かね?ウェッ!オイV見てみろよ!あの赤い染み!」
グリフォンが騒ぎ立てるのは階段の手摺に付着した汚れだ。目を離して上階を窺う。螺旋に添った格子が薄暗い闇に融けている。
「マジで強盗?それとも悪魔?」
「……」
「なぁよ。どっちだと思う?…もし。もしもだぜ…?無駄足だったとしても落ち込むなよ?お前にはイチバンにやんなきゃなんねェ目的があって、こいつはただの寄り道なん──」
最後まで聴かずにVはグリフォンを刺青へ戻した。
静まり返った階段をゆっくりと上がる。
悪魔も。血痕も。あるいは無人の民家を狙った強盗も。クリフォトに侵食された街で何度も遭遇した。
悪魔には死を。盗人には侮蔑を。Vの目的はバージルに戻ること。悪魔を殺すこと。小悪党に説教を垂れるつもりなどない。
しかし。
もし。
もしも身動きのでないウイユヴェールが害されていたなら──…
杖を持つ手に力がこもる。
足音を殺して2階から3階へ。暗い廊下に目が慣れるのを待って奥へ進むと、幽かな明かりが漏れる部屋を見つけた。
確かめなければと逸る気持ちと最悪の想像とがVの足を止めさせる。
室内から話し声が聞こえた。
──だめよ…触らないで──
女の声。
ウイユヴェールの声だ。
──ベッドから動くな……ったく手間をかけさせやがる──
拒絶するウイユヴェールへ男の苛立った言葉が発せられた瞬間、Vは部屋のドアを激しく押し開けていた。
「クソッ…!ピザ屋のヤツめ。雑に運びやがって。トマトソースが漏れちまってるじゃねぇか」
「袖には着かなかった?何か手を拭くものはないかしら──、…あら」
ベッドに起きあがったウイユヴェール。
ピザ屋の箱を慎重に持ちあげるモリソン。
杖を強く掴んで部屋に押し入ったV。
三者の視線が交わる足元で、戦いに備えて滑り出たシャドウが床を汚す赤いソースをぺろりと舐めた。
会話が途切れた室内にトマトとバジルの香りが漂う。


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