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La Dolce Vita.

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つつ──と首筋を滴り落ちる水滴をタオルで軽く押さえながら、ペタリペタリとスリッパを鳴らす。
浴槽にたっぷりの湯を張って、芯まで浸かって温まってきた身体は水分を求めている。
脱いだ衣類を部屋に戻すよりも前に。
ドライヤーで髪を乾かすよりも前に。
適当にタオルを放ったウイユヴェールは冷蔵庫の扉を開けた。
庫内灯に照らされるミネラルウォーター、清涼飲料水、アルコール──、迷う手は順繰りにボトルを通りすぎ、皿に載せたチョコレートケーキ…からはどうにか指を引き剥がすことに成功した。
時刻は深夜。食べるには適さない時間。
「でも、ちょっと味見をするくらいなら……いいわよね?」
冷えきったボトルを手に誰にともなく呟いた言い訳。
の、はずだった。
「遅かったな、ウイユヴェール──」
ウイユヴェールの背中に、のしっと体温が押しつけられる。
振り返ろうとする腰に刺青の入った腕が巻きつく。
「──ただいま、V。少しだけ遅くなったわ」
首だけで後ろを窺えば黒髪に頬が埋もれた。
「…二時間は少しだけの範疇か」
「お客さんが話に夢中で。なかなか帰ってくれなかったの」
「営業時間が終わったのなら箒で掃き出せばいい…。俺ならそうする」
彼らしいというべきか。
興味のないものへのすげない対応を行うVの姿が容易に思い浮かび、ウイユヴェールは笑いをかみ殺す。
「最後から二番目くらいにいい答えね」
「だろう?」
「そうね。…でも。ねぇV?あなたも私に何か謝ることがあるんじゃない?」
「何か…」
「私が買っておいたお酒。飲んだでしょ」
ウイユヴェールの手の中でボトルがちゃぷんと音を立てる。中身は軽い。昨日、冷蔵庫に入れた時にはなみなみと満ちていたはずなのに。
「…やけに甘い酒だった」
「の、わりにはたくさん飲んだのね…」
甘ったるいフルーツの香りを漂わせるVは返事と呼吸が混ざった何事かをもごもごと発する。
ウイユヴェールは背中にVを凭れさせたまま、グラスを探しにキッチンをふらり。カウンターに吊り下げられた一つを取ろうと手を伸ばした。
すかさず、刺青の腕がぬっと横切って代わりにひとつ取り上げる。
「ありがと」
「…」
しかし待てどもグラスを寄越す気配がない。
「Vさーん?」
「……」
「眠いんだったらベッドに行ったら?」
「…なぜ?」
「なぜって。今にも眠ってしまいそうだもの」
「……ウイユヴェールがいるのにもかかわらず…俺は、眠ることをするのか」
下手な翻訳機のような言葉が、舌足らずの甘い呂律に乗っかって耳許をくすぐる。
Vの"もう片方の側"といえる"彼"や…その弟なら、この程度のアルコールに呑まれることもなかっただろうが。
ウイユヴェールは微苦笑をもらした。
「身体が求めてるのなら仕方ないわ。眠りたい、って」
「…俺の心は求めていない」
「心と身体って一致しないのね」
「……ウイユヴェール」
「なぁに?」
「…呼んだんじゃない」
知ってるわ、と、からかい混じりの返事は首筋へのキスに紛れた。
頬にあたる黒髪のくすぐったさに身を捩れば、危なっかしくグラスをカウンターに置いたVの手がするりするりと身体を撫でる。
数ヵ月前に拾ったVという青年は、一体どういう仕組みなのか、バージルという男の"一部"だという。
血色が薄く痩せぎすで、吹けば倒れてしまいそうなVに比べて、バージルは一切の過不足もない完璧な男だった。
先に出会っていたのが彼の方だったなら声を掛けることを躊躇しただろう。
「(ほっといても平気そう、っていう意味で…だけど)」
首元でもぞもぞと動く黒髪に頬を乗せる。
バージルという男は冷たい銀髪に淡い色の瞳を持ち、姿かたちはVとまるっきり別人だ。
彫刻のように整った顔立ちだが、厳めしい雰囲気を纏っており、明るい変化に乏しい怜悧な表情に思わず「怒ってるの?」と尋ねてしまったこともある。
ウイユヴェールはボトルに直接唇をつける。
「何を考えている、ウイユヴェール…?」
「Vは怒ってる?」
「…。二時間の待ち惚けは退屈したが今は満たされている」
だからいい、と。Vは猫が喉を鳴らすように低く笑った。
胸を抱く片手が器用にパジャマの胸元のボタンを外し、もう片方の手で晒した肩と背中へキスを重ねる。
「なら良かった。でも寝るのなら……んっ、…ちゃんとベッドに行かないとね」
「寝るとはどちらの意味だ」
「…どっちの意味にしたい?」
ゆるゆると絡まりキスをして、もつれ合うように二人はベッドに雪崩れ込んだ。
ただ、その先は予想通り。
お互いの体温を確かめるばかりに抱き合って。
ウイユヴェールの白い腹に頭を乗せたままVはぐっすり寝落ちした。
「…わかってましたけどねー…。もぅ…」
捲れたパジャマをおろしながら外れたボタンもかけ直す。
Vを揺らさないように身体を起こしたウイユヴェールは辺りを見回した。が、ボトルをキッチンに置いてきたことに気がついて再び枕に沈んだ。
お楽しみはほとんど呑み尽くされて、なけなしの数センチすらもう届かない。
「二日酔いになるといいわ」
ウイユヴェールは寝息を立てる黒髪を優しく撫でた。

ガチャン──…
何かが落ちたような物音が隣室から響く。
ウイユヴェールが眠りからぼんやりと覚めると、腹の上には毛布しかなく、窓からはすでに明るい光が差し込んでいた。
「…何事…?」
寝ぼけた思考で昨晩の記憶を手繰り寄せるように目蓋を押さえる。
すると銀髪の男が部屋にやってきた。
思い描いていた黒髪の姿ではなく、今は"彼"の方なのだと、スイッチが切り替わるようにウイユヴェールは頭の中で納得した。
「起きたか」
「…音が聞こえたけど、何か落とした?」
「半端に残っていた酒を飲み尽くしてボトルを捨てた。なんだあの甘い酒は」
「……。」
ウイユヴェールの問いにバージルは、それがどうしたとばかりに答える。
「私の趣味よ。…Vに飲まれちゃったの。覚えてない?」
「さぁな。あれも酔っていたんだろう。俺にもよくわからん」
「ふーん。そういうものなの」
「…」
繋がっているような、いないような。
はっきりとした言葉では括れないバージルとVの状態を、ウイユヴェールもこれまたゆるく笑って受け止めた。
ただ、互いに体験が共有されていることもあれば、そうでないこともあるらしい。…それについての不安は彼らには無いのか、他人事ながら少しだけ心配にはなる。
色素の薄いバージルの瞳をウイユヴェールはベットから眺めた。
Vは宵闇の森のような静かな瞳をしているが、バージルの瞳は、同じ静けさでも冬の透明な空気のように淡い。
今は何を思い、感じているのだろう。
別の自分がいるというのはどんな気分なのだろうか。
朝日を受けて淡い光彩が複雑に煌めいている。
それはいつの間にか、すぐ近くに──…
「仕事には間に合うのか」
ベッドの脇に立ち、ぽかんとするウイユヴェールをバージルは見おろす。
「…あ。えっと、今日はお休みだから平気」
「そうか」
「うん」
「なら出掛けるぞ」
「へ?」
…どうやら起きろと言いたいらしい。
もそもそと毛布を退けて床に足が着くまでをじっと見守ってから口を開いた。
「飲み尽くしたものの代わりを探してやる」
「それは……うん。ありがと。でも」
ウイユヴェールは首を傾げる。
ちらと窺えばバージルはやはり怖い顔だ。
愛想などという甘っちょろいものはさっぱり無く、持ち前の剣呑な目付きはすれ違う人からスッと逸らされる類いの鋭さがある。
しかし、もしかしたらそれは表面的なだけ…かもしれない。
「朝ごはん、食べたらね。バージルもまだでしょう?」
「…そうだな」
「冷蔵庫にケーキがあるの。一緒に食べましょ」
「あいつと食べるために買ってきたのではないのか」
「まぁ…そうなんだけど。それはそれ。また買うわ」
「太るぞ」
「…上等よ」
たぶん他意はないだろう言葉を、ふんと鼻で笑い飛ばす。
「ところでバージル、チョコレートケーキは?」
酒のお詫びをしてくれるというのなら、ウイユヴェールも一歩、手探りに距離を縮めてみる。
姿は見えなくとも、ウイユヴェールの知る"V"もそこにいるのだから。
「あなたの好みから外れてはいないかしら?」
朝日がそそぐ部屋に一時の沈黙が降りる。
少しして、均整のとれた強面の男からの「悪くはない」という短い返答。
ウイユヴェールはにっこりと笑い「よろしい」と頷いた。


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